ヒラエッセイ

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2006年5月17日(水) ダビンチコード

「ダ・ヴィンチ・コード」という映画が、カンヌ映画祭で上映された。この映画の筋は、キリストが子どもをもうけ、教会はその事実を隠してきたという話だそうだ。普通の人なら「なんだか面白そうだね」と思うだけなのだが、中には頭に来た人もいるようだ。
 米カトリック系某団体はえらいご立腹で、ソニー製品の不買運動を行うらしい。なぜソニーなのかというと、この映画の配給会社が、ソニー系企業だからだ。
 この騒動で、「イエスキリスト様の教えを受けてもぜんぜん心は広くならないか、そうでないなら、裏でアメリカの家電業界とつながっているんだろう」と結論した人もおおいのではないだろうか。

2006年5月18日(木) 性同一性障害

 性同一性障害とはいうまでもないが、体の性別と心の性別が一致しない病気だ。
 昔、女装男を見つけると「あいつ病気だぜ!」なんて言っていたのだが、そのときの病気は本当の意味の病気ではなかった。しかし、今では立派に病気として診断される人も出てきた。今になってみると、気の毒な話だ。
 大人だけじゃなくて、今では小学生でもこの病気を認知されている子がいるそうで、小学校2年生の男子生徒が小学校に女児として受け入れられ、トイレも身体測定も女児として扱われていて、同級生はその子の体が男性であることに気づいていないという。
 しかし、もうちょっと大きくなってきて、身体検査の時、ブルマを脱いだらパンツもうっかり下げてしまって、にょっきりチンポコでも出てきた日には、周りの女の子はびっくりじゃないか。
 いやこれは冗談じゃなく、本人も周りも妙なショック状態に陥らないよう、ソフトランディングしてもらいたい。そしてもっとも、本人が傷つかずにうまくやってもらいたいと願う。
 この問題は「俺なんて、性は同一してるけど、すでに性障害だ」なんていうバイアグラおじさんよりも、ずっと深い問題じゃないかと、僕は思うのであった。
 

2006年5月19日(金) 子ども殺し

 いまだ犯人が見つからない子どもの殺人事件があったり、南米系の男が小学生を殺して性的いたずらをしたり、最近では首を絞めて殺された小学生もいる。少し前だと、マンションの高層階から子どもを転落させた男もいた。
 あちこちで子どもが犠牲になっているのは、子どもが嫌いだからではないだろう。子どもが弱いからだ。
 どういう具合になっているのかはよくわからないが、要するに精神の病んだやつがたくさん出てきたということだ。そういう奴は誰かを殺したくなるらしい。そして殺せるのは弱い子どもだから、子どもが狙われる。
 こういう人間はもうすでに、善悪なんて考えていないし、自分が捕まらないように巧妙な手段を考えているわけでもないのだから、小学校のPTAがたまにパトロールなんてしたところで防げるものではない。そういう警戒を怖がるまともな神経すらないかもしれない。
 だからといって、子どもを一切外に出さないようなことをすれば、子どもが子どもらしく活動することも不可能となって、これまたへんてこな大人に育ってしまうかもしれない。
 子どもをいきなり強化して、K−1に出られるくらい強くするというわけにもいかないのだから、せめて法律を変えるくらいはしたらどうだろうか。
 子どもに対する殺人は、大人が被害者の場合ときっちり分けるべきだろう。情状酌量も全くなく死刑のみ! しかも、執行方法は大昔行われたのこぎり引きの刑で、数人の人がちょっとずつ首にのこぎりを入れて、数日かけて殺していくあれにする。
 のこぎりをひくのは是非とも殺された子どもの親にやらせてあげたいものだ。
 子どもを殺すような奴を刑務所で教育して更生させなくてはいけない義理なんて、まったくないのだから、有罪になったらとっとと執行して、殺して生ゴミにしてしまえばいいのである。
 ついでに、この刑で死んだ者は、死後も墓に入る権利を失う。死んだら誰でも仏様だなんて、とんでもねえ話だ。

2006年5月24日(水) マニア

 世の中にはいろいろなマニアがいる。自動車マニアやバイクマニアなど、乗り物のマニアはたくさんいるし、なんでも鑑定団に出てくるような古美術を集める人も容易に想像はつく。
 ところが、「え、こんなものに・・・・・・」と思えるどうでも良さそうなものに熱中している人が世の中にはいるのである。
 我が社の小田SEは信号マニア。つまり、道路の交差点にぶら下がっている青、黄、赤のあの信号機のマニアだ。
 普通、マニアといえば収集することがついて回るのだが、まさか使ってる信号機をかっぱらってくるわけにはいかないし、もしも中古が手に入ったとしても、あれは目の前で見ると実にどでかい代物だから、部屋に飾るわけにもいかない。
 そこで、
「信号マニアって、どうやって楽しむのさ?」
 と僕は小田さんに質問してみた。
「写真ですよ。珍しい信号機を見つけたら写真を撮るんです。それをマニア同士で紹介しあって、話が盛り上がるんです」
「くだらね〜」という言葉をのみこんで、さらに聞いてみた。
「珍しい信号って、なに?」
「古い信号ですね。最近の新しいLEDの信号機なんてだめなんです。古美術と同じで、古くて数が少ない方が価値があるんですよ」
 小田さんは家族旅行の最中でも、珍しい信号機を見つけると旅行を中断して、その信号機の撮影に入るらしい。最初は文句を言っていた奥さんも、お金もかからなければ実害もないこの趣味に多少の時間、付き合うことに我慢してくれるようになったそうだ。
 そんな信号マニアの小田さんは、先日の出来事を語ってくれた。
「信号の取り替え工事に出くわしたんですよ。古い信号機を新しい信号機に取り替えていたんです。本当はそのいらなくなった信号機を分けてもらいたかったけど、そんなの家に置くことなんて無理だし、第一簡単に譲ってはくれませんよね」
「でも、どうせ捨てるんだったら、工事をしてる現場監督にでも掛け合ってみたら良かったんじゃないの?」
 そう僕が言うと、小田さんは急に不機嫌な顔になって続けた。
「それがですね、許し難い男だったんです、その現場監督が!」
「どうしたんだい?」
「その工事を見つけて、私は車を近く駐めてしばらく見ていたんですよ。それで、監督らしき人に話しかけたんです」
 信号マニアの小田さんは、信号の工事をしている人だったら、当然信号機には詳しくて、同じく信号機に詳しい自分と話が合って、盛り上がると勝手に考えたらしい。そんな期待を持って小田さんは、現場監督に話しかけたのだそうだ。
「こんにちは。信号機の交換ですね?」
「え? ああ、そうだよ」
「これは珍品ですね」
「なにが?」
「今取り外してる奴ですよ。これ、京三製作所製ですよね」
「・・・・・・」
「何年制ですか?」
「どうだろうねぇ」
「これは角形時代のですね」
「・・・・・・」
「両面設置300Φ灯器でしかも前後別々タイプすよね」
「・・・・・・」
「これってもしかして、神奈川県設置モデルですか?」
「・・・・・・」
「他の県のとは違うんですよね。珍品だぁ」
「・・・・・・」
「これって、昭和47年までの製造でしたっけ?」
 小田さんは自分の知識を並べ立て、そして現場監督が感心して話に乗ってくる瞬間を期待した。そして現場監督が言った。
「うるせーな、そんなことしらねーよ」
 小田さんはたじろいだ。
「え、でも、あの、これ、凄く珍しいわけだし・・・・・・」
「しらねーよ、そんなこと!」
「だけどこれって、もう数も少なくて・・・・・・」
「だから、俺にそんなことは関係ねーの!」
「えええと、あの、これ、他の場所にもまだあります?」
「しらねーって言ってんだよ。俺たちゃな、ただ古い信号を取り外して、新しいのを取り付けるだけなの。何とか製だとか珍しいとか何年製とか、そんなことどうでもいいの。なにをくだらねーこと言ってんだ、いい大人が。そんなことは関係ねーの。信号はね、ちゃんとランプがつけば良いんだよ。邪魔すんな!」
 そういうと、現場監督はフンとばかりに向こうを向いてしまった。
 僕としては現場監督に大いに賛成なのだが、小田さんは収まらない。
「そ、そんなことを言うんです。あんな、信号機の事をまったく知らない奴が、信号機を交換しているなんて許せませんよ。あの信号機の価値がわからない奴に、いじってもらいたくない。信号機が好きじゃないなら、あの仕事はして欲しくないです。まったく、許せません!」
 そう言って顔を真っ赤にする小田の不満もわからなくはないけど、SEのくせにパソコン嫌いでろくに使えない小田さんへの僕の不満の方が現実的な問題だろうと、僕は思うのであった。

2006年5月25日(木) 東大コンプレックス

 世の中には東大嫌いの人が多いらしい。大学なんてだいたい自由なところなのだから、大学によって人格に強烈な色が付くわけもないのだが、「東大を出た奴というのは」という感じで批判をする人が実に多い。
 なぜ彼らが東大を批判したがるのか。それは簡単である。これを現代では「ひがみ」と呼んでいる。人をうらやみひがむ女性にはちょっとかわいさがあるけれども、ひがんでいる男、その中でもおっさんほど醜いものはない。
 東大を批判する人には次の共通点がある。

1.自分も親兄弟も東大卒ではない
2.学歴社会は終わった、という空想に浸っているが、実は学歴にこだわっている
3.東大卒の人が「すっごーい」と人気を集めた場に居合わせて内心むくれたことがある
4.東大を馬鹿にするときには、極少数の東大卒ダメ人間をサンプルにして、「だから東大はダメ」という結論にしてしまう、めちゃくちゃな論理展開に疑問を感じない
5.人生、あまりうまく行っていない

 まったく、東大コンプレックスな連中というのは、どうにもならない悲しい奴らなのだ。

「な、ひらりーまん、そう思うだろ。あんな馬鹿が明治だせ。だ〜か〜ら、明治はダメだって言うんだよ。な、ひらりーまん!」
「ええ、ええ、まったくその通りですね、部長!」
 我が社の場合、攻撃するターゲットが東大まで届かないということがさらに、悲しいのである。

2006年5月29日(月) ハリーポッターと阿呆の記者

 ニュース記事に、ハリーポッターのDVDがシリーズすべて100万枚を突破したと書いてあった。このファンタジーの主たるターゲットは中高生だということは誰でもわかるけれど、実際はこの層だけじゃなく、ファミリー層にも受けたのがヒットの内幕なのだそうだ。
 僕もこれには「なるほどねぇ〜」と納得した。実際のところ、我が家でも親子5人全員でハリポタを映画館まで出かけて鑑賞し、DVDが出ればこれを買い、また家族5人で観ているからだ。
 ところがこの記事の最後のくくりが凄い。その内容を要約すると、こうだ。
「ハリポタのメガヒットは魔法でも奇跡でもなんでもなく、より多くの収入が得られるように、ビジネスの法則を忠実に実行したにすぎない。実際作者は執筆前の5年間をマーケティングに費やした」
 アホか!
 あたかも、ビジネスの法則とやらに従えば、儲かって当たり前みたいな言いぐさだ。
 こりゃもう、「絶対儲かります!」なんて電話口で叫んでいる先物取引会社の社員と言ってることが変わらないではないか。
 じゃあなにかい。ヒラリーマン随筆日記も5年間マーケティングして、ビジネスの法則に忠実に従って書けば、年収250億円とれるっていうのかい!
 
「まったく馬鹿だな、この記者」などと思いながら、こういう無責任でいい加減な記事を平気で書いて「いっちょあがり!」とか言ってるこの記者を、僕は何となく気に入って、ちょっと楽しくなったのであった。

2006年5月31日(水) 駐車違反の確信犯

 駐車違反の取り締まりが厳しくなるらしい。
 せっかく道路を3車線にしても、1車線はほとんど駐車場状態になっているのを見れば、「警察は何やってんだよ!」と思うのも当然。
 とはいうものの、ちょこっと車を駐めて飲み物を買いたいとか、ウンコしたいと思っても、駐車場を探してやっと見つけて、お金を払わないと駐められないというのも現実なのだ。
 車は走るけど、駐めるものでもある。それも、長時間駐めるケースよりも、ちょっとだけ駐めるケースが多いことも常識だ。これは当たり前なのだけれど、国地方自治体は走る道路は作るが、駐車スペースはほとんど作っていないのだから、もともと走る設備と駐める設備がアンバランスになっているんだ。
 車で出かけても駐められないのが当たり前なら、「バスか電車をご利用ください」という事になるわけだが、「だったらこんな道路いらねーじゃんか!」ということにもなっちゃうのでやっぱりおかしい。
 つまり、今までは道路がちょい駐め駐車場を兼ねていたことで自動的にバランスがとれていたわけ。そしてそのバランスを突然「建前」を前面に出して取締まりをしようというのが今回の話らしい。
 本音と建前という構図がはっきりわかるのは運送会社の話だ。
「これからは、乗務を二人体制にして、一人が必ず運転席にいるという体制をとることも考えている」
 だって。これに対しては警察もマスコミも批判をしない。本当に「一切荷下ろし駐車もダメ」というのなら、
「何言ってるんだ。運転手がいても交通の妨げになるのは同じだ。捕まることを避けるためだけに二人体制にするなんて、そんなの違法駐車の確信犯じゃないか」
 というような反論があってしかるべきなのだが、誰も言わない。「コストが上がっちゃうね」しか言わないのだ。
 荷物下ろしなんて数分のこと。たとえ運転手が乗っていたとしても、実際に車を急いで動かさなくてはならないことになるケースなんてほとんど無いだろう。だったら、本当の運転手なんて座らせる意味はどこにもないのである。
 この際、ダッチワイフでも座らせておいて、サングラスと帽子をかぶせておけば、わかりゃしねーだろ、と思うのは僕だけだろうか。

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