ヒラエッセイ

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2006年1月3日(火) 年始のご挨拶

 今年はもう一度気持ちを新たに、エッセイの更新もするつもりでありますので、よろしくお願いいたします。

 ところで皆さんはどんな新年をお迎えになりましたでしょうか。まさか、今時紅白歌合戦を見ながら拍手をして、そのまま行く年来る年に突入して、厳かに新年を迎えたなんていう、明治生まれの残党みたいなお正月をお迎えになった方は、あまりいらっしゃらないでしょう。
 それとも、新年をカウントダウンしました、なんていう、現代としてはどこにでもいるごく普通の人として、2006年をお迎えになったでしょうか。
 はたまた、「新年などというものは、人間が勝手に時間をデジタル処理した結果に過ぎない。時というのはアナログであるので、カウントダウンの必要もなければ新年を迎えたとたんに新たな気持ちになる道理もなく、川の流れのごとく常に時間を重ねているだけなのだから、私はあえて新年がどうこうなどとつまらぬ事は気にもかけない」とかなんとか、本当はただ眠いだけなのにつまらない言い訳をして、眠ったまま新年を迎えた、見方によっては変人、その実体は酔っぱらいという新年をお迎えになったでしょうか。

 いずれにしても、皆様方にとって良い一年となりますよう、心からお祈りいたしております。そして、今年一年よろしくお願いいたします。

 ちなみに、「心からお祈りしています」という奴が、本当にお祈りしているところを見たことがある人、います?

2006年1月11日(水) 警察24時 新米編

 僕は「○○警察24時」という番組が大好きだ。
 あのシリーズはいろいろあって、新米刑事を追う企画だったり、交通警察に絞った企画だったり、年末に生放送を組み込んだ企画もある。間違いなく年に3回以上は「警察24時」と付く番組があるはずだ。
 
 新米刑事ばかり集めたあの特集は良かった。まるで「警察官募集中」のヒット率向上を狙ったかのような企画だったが、警察官を目指す若者は、画面に釘付けだったはずだ。
 あれを見てると「私も刑事になれる」なんて錯覚を覚えたはずだ。
 今回登場したなかでも、特に新米女性刑事はういういしくてよかった。まだ20代半ばの彼女は、休みも取れず過酷な勤務にもめげずに、日夜犯罪者に立ち向かっていてかっこいい。
「まだワッパをかけたことがないんです」
 と、専門用語を使いたがるところがまたかわいい。ちなみにワッパとはわっぱ飯のことではない。手錠のことだ。
 彼女は先輩刑事を相手に、ワッパをかける練習を始めた。
 先輩刑事が言う。
「あまりな、強く締めたらだめだ。そうすると締まってきて痛いからな。ちょっとこれくらいに余裕を持って、これくらいでな。ほら、やってみい!」
 すると彼女がのそのあと、
「こんな感じでしょうか」
 とワッパを先輩にかける。
 うそこけ、と僕は思った。警察学校ではじめて携行品を渡されたとき、しばらくはおもちゃを与えられた子供みたいに毎日いじくり回していたに違いない。その遊びで、手錠のかけ具合くらいはマスターしているはずだ。どうせテレビ局に頼まれて、そんなシーンを作ってみたのだろう。
 彼女は新米でまだ若いけど、仕事への情熱は熱いし、その意気込みも凄い。
「相手が刃物を持っていても、恐怖感はない」
 と、彼女は言う。女性で刃物を向けられても平気な人なんて、滅多にいないだろう。まさに刑事が天職の人だ。
 しかし、見方に寄ればこれも怖い。人に刃物を向けても平気な奴と、刃物を向けられても平気な奴は、その辺の神経が壊れているという点では同じ気がするからだ。
 言い方を変えれば、このお姉さんは、本来人間が持っていなくてはいけない警戒心という警報装置が壊れている、「いかれた女」なのかも知れない。でも、そんな「いかれた女」が市民の味方に付いているのなら、心強いとも言える。
「刑事の仕事はどうですか?」
 そんな質問された彼女は答えた。
「ドラマとはまったく違いますね。ドラマみたいにかっこよくはありません、現実は」
 そう言われても、テレビに釘付けになっていた警察官志望者の若者達はなかなか現実を知ることは難しいのだろうけれど、今回は違った。
 テレビドラマで女刑事と言えば、みんな美人と決まってる。そんな中、新米刑事としてがんばっている彼女を見れば、
「たしかにそうだね」
 と、説得性に優れた話だったに違いない。
 果たしてあれで、警察官志望者は増えたのだろうか減ったのだろうか・・・・・・。

2006年1月12日(木) 発泡酒

 去年の夏、キャンプ仲間が集まった時に、紙コップに注がれたビールを一口飲んだ友人がこう言った。
「このビール、濃いね。なんか、珍しいビール?」
 すると間髪入れずに彼の奥さんが言った。
「うちはいつも発泡酒だから普通のビールが異常においしく感じるだけよ。まったく、恥ずかしいこと言わないでよ!」
 好きずきはあるものの、大方の意見を言えば、発泡酒はビールに比べて明らかに美味しくない。ずっと飲んでいると慣れちゃって、こんなものだと思っているからどうもないけれど、飲み比べれば確かに違う。
 しかしそれでも最近は良くなった。最初はまずくてとても飲めないと思ったものだが、最近の発泡酒はそれほど抵抗なく飲めるようになった。これはまさしく、ビールメーカーの味の改善という企業努力に他ならない。
 どうしてビールではなく発泡酒を飲むのかというと、それは「安いから」だ。言っておくけれど僕らは発泡酒を飲んでいるという感覚はない。「ああ、暑い。ぐいっと発泡酒を飲みたいね!」なんて言う奴はいない。「ぐいっと、ビールを飲みたいね!」と言って発泡酒を飲むのだから、実際には「安くてちょっと味の落ちるビール」と思って飲んでいるのだ。
 では、なぜ発泡酒は安いのかというと、それは麦芽の使用量によって、税金が違うからだ。
 350ml缶で換算すると、麦芽使用率が50%以上のものは約77円が税金だ。ビールはこれに入る。つぎに25%以上50%未満の麦芽使用量である発泡酒は約47円で、麦芽をまったく使用しない第三のビールなどはリキュール扱いで24円の税金で済む。
 だから当然販売価格も安い。
 ところがこうなると国が黙ってはいない。ビールを飲んでいた人たちが税金の安い発泡酒や第三のビールを飲み始めれば、当然ビールによる税収は落ちる。だから、発泡酒や第三のビールの税率を上げようという話が出てきた。
 それに対してビールメーカーは「発泡酒の増税は企業努力の無視である」と言いだし、消費者も同じ事を言い出した。だけど、本当にそうなのだろうか。
 僕にはどうも、発泡酒も第三のビールも、酒税の仕組みの盲点をついて、安い税金で済むビールを造ろうという、言わば「法律の網の目をくぐる」ビールに過ぎないのではないかと思えてしまう。
 名だたる大企業に、
「法の網の目をくぐる、我々の企業努力を無視するのか!」
 と問われれば、
「当たり前だ、ボケ! もうちょっと別の企業努力があるだろ、アホんだら!」
 と返事をしたくなるのは僕だけなのだろうか。
 なんて考えながら、今夜も発泡酒片手に、「給料、あがらねぇなぁ。普通のビール飲みてえなぁ」とつぶやくのであった。

2006年1月16日(月) 儲かります!!

「サラリーマンをしながら月収百万円!」「主婦が家で月収50万円!」みたいな本を書いているのを目にすることがある。この手の本は昔からたくさんあって、株で大儲けする話、外貨金で大儲けする話、週末起業で大儲けする話など様々だ。
 ある人がこんなことを言っていた。「大儲けした奴の本は売れるが、その本を読んで大儲けした奴はいない」。これがたぶん真相だろう。
 一代で財産を築いた起業家は、だいたい本を書きたがる。「○○語録」なんて、自分の経営に関するうんちくをまとめたものだ。例えば「一日一善」みたいな言葉を手帳の隅っこに載せていたりするのだが、ああいう経営者は自分の優れたものの考え方を分けてあげたら、きっと凄いことになる、くらいに自分の能力を過信してしまっている。天狗になっているのだ。
 商売なんて、だいたいが「たまたま当たった」というのが多くて、もう一度その人が違う商売を一から始めたところで、うまくいく保証なんて全くない。
「主婦が家で50万」も同じような感覚で、このすばらしい私のやり方を見て頂戴! と出す。自慢したい気持ちと、それがまたまた宣伝になると踏んでのことだろう。
 しかし変なのは、同じような商売を他の人が始めたら、競合するから損をするはずなのに、どうして教えてしまうのか、と言うことだ。
 答えは簡単だ。その本を読んでもライバルにはならない。そういうことなのだろう。つまり、その本を読んでもすべてのノウハウはわからない。一番大事な部分は内緒になっているに違いない。
「絶対に儲かります。やりませんか!」
 と電話してくる投資会社の社員に、「絶対儲かる話をなんで俺に教えるんだよ、馬鹿!」と切り返した人も少なくないだろう。
 そう、世の中にはそんなお気楽なアホはいない。だから僕はそんな本は買わない。
 最近、この手の手軽に儲かる話で多いのは「アフィリエイト」という商売形式だ。これは、通販を行っているお店がアフェリエイト会社に登録して、僕のようにHPを持っている人が、アフィリエイト会社を通じてお店と契約するシステムになっている。
 僕のHPに商品の案内を出して、それがもし売れれば、幾ばくかの手数料が僕に支払われるというものだ。手数料は3%とか1クリック1円とかだから、どう考えても100万円ももらえるとは思えない。
 でも、「こんな商品面白いですよ」という紹介をしたり、この話をネタに実験してみたりするのも面白そうなので、僕もアフィリエイトを利用したお店を開いてみた。メニューから「ヒラリーマンの店」をクリックしていただけるとお店のページが開く。ちゃんと購入手続きをしない限りは無料なので、暇つぶしに見てください。
 さて、これで果たして月収いくらになるのか。たぶん、1000円がいいところだろうと予想している。
 このページを整備するまでに4時間をかけた。もしも4時間分の時給を獲得できなかったら、これはアフィリエイト会社にいいように使われてしまったということで、「アホなHPオーナーを安く宣伝活動に担ぎ出す方法」という証明になるのだろう。
 でもまぁ、面白いからしばらくはやってみようと思っている。結果にご期待あれ!

2006年1月17日(火) 商売の極意

 昨日、アフィリエイトを使ったショップ「ヒラリーマンのお店」の開店について書いたが、それで思い出した。
 商売と言えば、去年の暮れに小学校のバザーのお手伝いにかり出された。
「ヒラリーマンさんはサッカーのPKゲームの担当をお願いします」
 と、バザー委員から頼まれてしまった。
「PKですか。僕、腰が痛いからキーパーはちょっと・・・・・・」
 と、僕が逃げ腰で言ったら、
「いえ、キーパーは元気な人にお願いしていますので、整理係をお願いします」
 と言われてしまった。ほっとしたけれど、ムカッとした。こう言われると、いかにも僕ががヨレヨレみたいじゃないか。反論できるほど元気じゃないという実態があるから、余計にムカッとする。
 ところが実際にバザーへ行ってみたら、知らない間に係が変わっていた。
「ヒラリーマンさんはおもちゃコーナーで整理係をお願いします」
「何すればいいんですか?」
「子供が走ったり、柵を越えたりしないように注意してください」
 なんだ、簡単じゃねーか。そう思ったのだが、やってみたらそうでもない。だいたい、数限りあるおもちゃなのだから、早い者勝ちになる。それを子供に「走るな」という方がどだい無理。授業が終わって校舎から出てきた子供達は、まるで鉄砲水のように全速力でなだれ込んできた。
「走らないでください。走ったら危険です。危ないです。走らないでください。走るな。走るんじゃねーよ! おいこのガキ、走るなって言ってんだよ!! やいおまえ、柵を越えるな馬鹿野郎! てめーどんな教育うけてるんだよ、このくそガキ。お前の親を呼んでこい!!!」
 ハンドマイク片手に怒鳴りまくっていたら、先生に怒られた。
「子供を脅さないでください。もう結構ですから、ヒラリーマンさんは、あっちのお弁当売りの整理の方をお願いします」
 あっという間に子供相手の仕事は解任。お弁当コーナーにに回されてしまった。
 しかしここは暇だった。来るのは大人ばかりなのだから当然だけれど、列も乱さなければ割り込む人もいない。僕はやることがないのだ。あまりにやることがないから、たまに他の売り場を見物に行ったり、友達と立ち話をしたり、校庭をブラブラしていた。
 そして数時間後、いよいよフィナーレの時が来たらしく「あと15分でバザーは終了します」というアナウンスが流れた。そのとき、僕のところにお弁当売りのお母さんが助けを求めに来た。
「そのハンドマイクで宣伝してください。お弁当がこんなに余っちゃっているんです」
 運動会に使うテントで店を作っているのだが、売り子の後ろにはアサリ弁当が山のように積んであった。
「全然売れないんです」
 そう嘆く彼女の後ろで売り子が叫んでいるのを聞いて、売れない理由がわかった。
「お弁当がたくさん余ってまーす。買ってくださーい!」
 これじゃ売れるわけがない。
 あるゴルフ場で、おみやげコーナーに担当者が「おいしい」と感じたワインを自信を持って置いたのだが、一向に売れなかったという話がある。それを見た別の店員がカードに一行のコメントをつけると、そのワインは飛ぶように売れたという。そのコメントとはたった9文字。「やっと入荷しました」。それだけだった。
 人間の心理をうまくついた作戦だ。そして売り子の主婦が叫んでいる「余ってます」はこれにまったく逆行している。だから誰も見向きもしない。
 僕はこの理屈に半信半疑ながらかけてみた。まずは前面に積み上げたお弁当を後ろに下げさせ、たくさん余っているのを見えないようにした。そして僕がマイクで叫んだ。
「お弁当が残り少なくなっています。今晩のお食事にいかがですか? もうそろそろ売り切れます」
 すると、突然列ができた。これには僕も驚いた。だめ押しで、こうも言ってみた。
「なんと、千葉産のアサリを使ったアサリご飯です」
 千葉産のアサリがいいのかどうか、僕は知らない。でもそう言ってみたら、もっと客が来た。結局15分ちょっとで、山ほどあったお弁当は完売した。
 よく、「数量限定」というのがあるが、あの多くが実は限定でもなんでもなく、いくらでも作る商品だったりするそうだ。東京駅の近くで、人相の悪いおじさんが小さなテーブルに時計を並べて売っているのだが、そこに群がる4人ほどの客は、いつも同じ人だ。それを知らずに一人本物の客が来る。それがカモとなる。つまり、4人はサクラなのだ。
 群がっているものには群がりたがる人間の心理がそこにはある。行列のできるラーメン屋を見て、「予約制とか、呼び出し記を渡すとか、待合室を作るとかすればいいのに」なんてアイデアを出す奴は商売人失格。あれはできるだけ行列を作らせて、目立たせることが必要なのだ。
 そんな意味で、「ヒラリーマンのお店」にはカウンターをつけて「本日2345人目のお客様です」とかなんとか出して、サクラ作戦を展開しようかどうか、現在検討中なのである。

 ヒラリーマンのお店、本日までの成果。「誰も買ってない・・・・・・」涙。

ヒラリーマンのお店は、左のメニューからどうぞ。一応宣伝ね(笑)

2006年1月18日(水) 披露宴と株式投資

「回転回転きりもみ回転ライブドアグループ」
 ここ数日は、そんな台詞を口走りながら、CMとは逆の左回りに回転して落ちていく夢でも見て、あの会社の社長はうなされているかも知れない。
 僕はつくづく自分がズボラな性格で良かったと、今ほっとしているのだ。

「ヒラリーマンのお店」にも掲載したネット株式投資のマネックス証券に口座開設の用紙を請求したのは先々週のことだった。目の前に座っている同僚が、「また株で儲けちまったぜい!」とか何とか、株で儲かった話ばかりをして、挙げ句の果てには「今株をやらない奴はバカだね!」とまで言い張るので、僕もやってみようかと考えたからだ。ネット取引なら手数料が安くて、少額の株を売り買いしてもロスがあまりないので、あまりお金のない個人でも楽しめそうだ。
「株ってのは、引き時をわきまえていて、欲をかかない人間が確実に儲かるんだよ」
 と、彼は言う。
「俺、欲は深くないよ」
 と僕は言った。彼はさらに言う。
「欲ってのは、段々かいていくものなんだよ。例えば結婚披露宴のコースなんて、人間の欲を利用した金額設定になってる。だからね、金額の高い披露宴をやった人は、まず株はやめておいた方がいいね。だけど、貧乏な披露宴をやった奴は、株じゃ強いよ」
 それが彼の持論だ。
「株と結婚披露宴とどういう関係があるんだよ」
 と、僕は彼に訊いた。彼は自信たっぷりに言った。
「最初は『80名で100万円』なんていう披露宴コースを設定するホテルだけど、だれもその設定で披露宴はやらないのさ」
 確かに、良く電車の中刷り広告に安い披露宴のコース設定が書いてある。
「だけど、その設定は最低コースで、その上に3つも4つもコースがあって、おまけにオプションが山ほどあるんだ。しかも、そのコースはちょっとずつステップアップしていくから、ホテルを訪ねる度に『どうせだから』とかいいながら、上のコースに目移りして、財布の紐をゆるめる。ちょっと迷っていたら、そこでホテルマンが背中を押すんだよ、決まり文句で」
「どんな決まり文句?」
「一生に一度ですから、ってな。これぞ人間の欲を利用した商法だね」
 と、彼は断言する。
「それと株は関係ないだろ」
 と僕は主張するが、彼は持論を続けた。
「それがあるんだな。最初はちょっと儲かればいいやと思って株を始めるけど、段々欲が出て、次第に危険な株に手を出していくんだ。そのうち大儲けを狙うようになって、ついに大損するんだ」
「欲を重ねていくわけか」
「そうそう。この辺でやめてちょっとした儲けで満足しようと思っても、証券会社の社員に『もったいないですよ。まだまだ儲かりますよ』なんて言われると、ついまたはまってしまうんだなぁ。現状に麻痺して、その上に行くことも大したことじゃないと思いこんでしまう性格は、すでに披露宴選びでもでているわけだ。誰だって最初は手堅く株をやろうと思うけど、結局グレードアップして損をするんだよ。最初に決めたことを自分で守れずに欲をかいていく人に、株は無理なのさ」
 そう自信をもってうんちくをたれる彼がもしも質素な披露宴でもやった男だというのなら信憑性があるのだが、結婚はおろか、恋人もできないまま40を超えているのだから、あまり当てになる話ではない。

 ところで冒頭の話だけど、僕はズボラなので、マネックス証券から来た書類をいつまで経っても手元に置いていて、つい最近やっと投函したところだから、未だに証券会社の口座がない。
 先々週、まさにあのライブドアの株を買おうと思っていたのだが、例の事件で株価はどん底。ズボラな性格のせいで買いそびれて良かった、と胸をなで下ろしているのである。

2006年1月23日(月) 保険

 会社には、毎日のように招かざる客がやってくる。その筆頭はなんと言っても保険のおばちゃんである。
「こんにちは!」
 今時の会社のくせに、我が社は部外者が廊下をうろちょろできるようになっている。ビルとの契約で、廊下は共有部分と決められているから、テナントがそこにセキュリティを設ける権利がない。
 とはいえ、当然彼らの出入りができるのは廊下までで、執務室に入ることはできない。そのため、保険のおばちゃんは昼飯時に廊下に出てくる社員を待ち伏せているのである。
「こんにちは!」
 あまり色気の残ってないボロ雑巾のような全身に、ありったけの力を込めて絞り出した笑顔。これと長年の経験で培われたずうずうしさ。これが保険のおばちゃんの武器だ。その顔を必要以上に馴れ馴れしく接近させておばちゃんは言う。
「ちょっとお話いいですか?」
 保険のおばちゃんの話術はバカにできない。百戦錬磨の営業マンでもまんまとやられてしまうほどのテクニックを持っている彼女達の話など聞いたら、来月から給与天引きが始まってしまうに違いない。だから、ここは軽くお断りしておくに限る。
 しかし、敵もそれだけじゃ諦めない。
「じゃあ、せめてアンケートに答えてください。これにお答えいただくと、賞品が当たります!」
 そういって紙を出されれば、話を断った後味の悪さと仏心から、「それくらいはいいかな」と思ってしまうのが人情だが、これが危ない。アンケートには家族の名と生年月日を書くようになっていて、それを書いたら最後、勝手に家族の保険プランを作って、スッポンのように食いついてくる。
 こうなったらもう大変。毎日昼休みはまるで客引きだらけの風俗街でも歩くように、廊下の先っぽの方に視線を固めて、回りからの声に一切耳を貸さずにロボットのように無表情で歩かなくてはならない。しかしそれを連日続けてやるのは、相手が人間だけに気が引ける。だが、その「気が引ける」優しさがいらぬ給与天引きを招くのだ。
 気の弱い上原君もスッポンに追いかけ回される運命となったが、まだ負けずにがんばっている。そんな上原君に保険のおばさんは言った。
「上原さん。人生、どんな災難があるかわからないのだから、保険は入っていた方が良いですよ」
 しかし上原君は毎日昼休みになると、「絶対に負けないぞ」という気合いを入れて執務室を飛び出し、まるで「ガシャン、ガシャン、ガシャン」と音がしそうな程のロボット歩きで保険のおばさんをやり過ごし、エレベーターに向かう。しかし、必死な彼には保険のおばちゃんだけを選別する余裕はなかった。
 彼はあらゆる人の呼びかけを無視して「ガシャンガシャン」と歩いて行く。それを毎日やっているうちに、「なんだあの野郎、俺を無視しやがって、横柄な奴だ!」なんて先輩達に言われるようになった。
 保険でまかなえる災難じゃないけれど、入っていれば起きなかったこの問題。おばちゃんの言うとおり、人生どんな災難が待ち受けているかわからない。
 やっぱり保険に入っておこうかな、なんて、彼を見ていると思うのであった。

2006年1月30日(月) 売れた!

 えーとりあえずアフェリエイトはだれか買ってくれたみたいです。うれしいなぁ。
 どれくらい売れたかというと、ガムを2,3枚買えるくらい。
 僕は骸骨買いました。面白グッズのところにある骸骨です。
 骸骨がうちに届いたら、組み立てて、車の中に座らせておく予定です。びっくりして誰か死ぬかも知れないけど・・・・・・。
 その節は、写真を撮って公開します。びっくりして死んだ人じゃなくて、骸骨が座ってる様子をね。
 今日は「ヒラリーマンのお店」を改造しまして、「ヒラリーマン・ショップ」にしました。普通に商品を売っても、僕としては面白くないので、「ヒラリーマン・ショップ」もエッセイのページにしてしまいました。商品にヒントを得てだらだらとエッセイを書き連ねましたが、ここまで手が回らなかった。明日以降ここにもエッセイを公開しますが、お店の方のエッセイも読んでください。別に買わなくてもいいから(笑)。
 お店のエッセイもどんどん書き足していきます。

「ヒラリーマン・ショップ」には左のメニューからからか、下のアイコンからどうぞ!

2006年1月31日(火) 目が悪い

 僕は目が悪い。目が悪いとわかったのは小学校の低学年の頃で、小学校6年の頃についにメガネをかけた。
 近視はほとんど無いのに乱視は眼科医びっくりの極度乱視。いつだったかデパートの眼鏡屋の前を通ったら「無料洗浄しております」というのでメガネを貸したら、いつまでたっても帰ってこない。「僕のメガネはどうなったんですか?」と聞いたら、店員が「珍しいメガネなので研修に使ってます」と、ふざけたことを言いやがった。それくらい凄い度らしい。
 社会人になった頃、メガネのない生活をしてみたいと思い、コンタクトレンズに挑戦した。結果はNG。それまで知らなかったのだが、乱視のレンズは上下がちゃんと決まっていて、それが合ってないと見えなくなってしまう。だから、コンタクトレンズで乱視用を作るには、レンズの下に来る部分を分厚くつくって、下が重くなるようになっていた。重い方が下に行くから、それで上下を合わせようというわけだ。ところが、僕の場合はあまりに度がきつすぎて、レンズの厚みの変化がありすぎたせいか、厚みのある部分がまぶたに引っかかるらしい。だから、瞬きをするとその瞬間、レンズが回転してしまい、何も見えない状態になる。しばらくすると見えてくるのだが、次の瞬間また瞬きをする。つまり、大雨の時にワイパーが拭き取った瞬間だけ前が見える、あんな状態になるので、まったく使い物にならなかった。
 結局これで僕はメガネのない生活を諦めてしまったのだが、最近になって「レーシック」という手術が一般化してきて、僕はまた脱メガネ計画を練り直した。
 レーシックとはエキシマ・レーザーというものを使って角膜の中央部を削ることにより、角膜のカーブを変化させるという手術で、従来のレーザーによる手術とは違い、手術時間は両眼でたったの20分。無痛、入院不要で、翌朝には視力が回復しているという優れものだ。これをやった人の話を聞くと「世界が変わる」のだそうだ。
「これはもうやるしかない!」
 そう思ってわくわくして、「そろそろ真剣に考えませんか!コンタクトレンズから裸眼生活へ。」、なんて書いてある案内を見てみたら、よく見えない。そう言えば、最近近くの物が見えなくなってきたのだ。まだ老眼と呼ばれるほどの段階ではないが、始まってしまったらしい。
 老眼は角膜の問題じゃないから、レーシックじゃ治らない。ということは、乱視や近視が治っても、老眼のためにメガネをかけることになるから、結局メガネが必須というわけだ。おまけに最近は目玉の位置がずれていることもわかって、そのために疲れ目が激しいので、レンズにプリズムを入れて目玉のズレを補正している。これをするためにもメガネは必須。
 というわけで、せっかくの革命的技術にも、僕はあやかることが無く、ずっとメガネをかける羽目になりそうだ。
 まったく世の中、うまくいかないものである。

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