派遣社員がやってきた。ヤァヤァヤァ

派遣社員がやってきた。ヤァヤァヤァ

連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!1−派遣法

 僕がプロジェクトリーダーとして手がけてきたオーダーシステムが稼働することになった。これは特約店から直接商品を注文してもらうためのシステムでインターネットのホームページから操作する仕組みになっている。
 これを導入するに当たっては、特約店にインターネットが使える設備が必要なので、このために新しくパソコンを買った特約店もあった。
「それで、新しくパソコンを導入するお客様は何軒になりますか?」
 派遣会社の営業マン、高木さんが言った。
 このシステムのお客様サポートを派遣社員にやってもらおうと、派遣社員の選任について打合せに来てもらっていたのだ。
 総務部から派遣会社に連絡すると、すぐに高木さんから電話があり、数日後にこうして合うことになった。
 派遣を雇うのは総務部の仕事なのだが、実際に人を決めるまでの交渉はすべて僕に任されたので、僕は高さんと我が社の応接室でその話をしていたのである。
 いつもの通りくだらない世間話を10分程度したあと、僕らは本題に入った。
「だいたい、150くらいだと思います」
「するとー、それだけのお客様から問い合わせのお電話があるわけですね?」
「ええ、たぶん」
 始めてパソコンを触る人、始めてインターネットを利用する人などが多いため、当然問い合わせも多くなる。僕はそう見込んで、フリーダイヤルの電話を用意して、ミニ・サポートセンターの開設を決めたのだ。
「時間はどれくらいですか?」
「朝の9時から14時でいいんです」
「それは難しいですねぇ」
「そうなんですか?」
「だって、それではフルタイム労働じゃないから、なかなかやりたい人はいないと思いますよ。要するに時給労働だから、それだと生活できないので・・・・・・」
「なるほど。じゃ、9時から17時にしましょう。残業はありません」
「わかりました。で、どんな人がいいですか?」
 待ってましたとばかりに僕は食いついた。どんな人と職場を共にするのかで、仕事の楽しさは変わってしまうのだから重要だ。
「ええとですね、色白で、どっちかというとぽっちゃり型がいいかなぁ。僕ね、丸顔がすきなんですよ。足は太くてもいいけど、足首は細い方がいいなぁ。鼻の穴のデカイのはダメね。あれはなんだか吸い込まれるような気持になっていけません。髪はショートカットの方がいいかなぁ。ぴったりとしたGパンの似合う人なんて好きなんですけど、職場はGパンじゃないからどうでもいいです」
 と、一生懸命説明しているのに高木さんはメモ一つとらない。やる気のない営業マンだなと思ったらそうじゃなかった。
「あのー、そういうことじゃなくて・・・・・・」
「は?」
「そうじゃなくてですね、どんなことができる人がいいのかという、能力の話でして」
 なんだ。それならそうと先に言えばいいのに。
「あ、それですか。それでしたら紙にまとめてありますよ」
 パソコン初心者指導からオーダーソフトの操作までの指導ができるように、僕なりに能力要件をまとめておいたのだ。
 高木氏はそれをじっくり読んでからまた質問を始めた。
「なるほど。エクセルとかワードは・・・・・・」
「そう言うのは不要です」
「プログラミングもできなくていいのですね?」
「全然不要ですよ。ただ、そこに書いてある通り、お客様相手ですからきちんとした口の利ける人じゃないとダメです。『クリックとか〜してみたりして〜、起動? してみてくださーい』なんてのはダメです」
「はぁ、それは大丈夫だと思いますけど」
「年長者をすぐに『おやじ』とか言う人もダメです。『うっそー、まじぃ? だめじゃーん』も困ります」
「それも多分大丈夫です」
 それは安心できた。派遣会社から来るのはその会社の社員じゃなくて登録している人だから色々な人材がいるだろう。だから妙なのが来たら大変だと思っていたのだ。
「それであの、色白の方は・・・・・・」
「あ、それね、それはだめなんです」
「色黒専門ですか?」
「そうじゃなくて、そういう、職務遂行能力に関係ないことは指定できないんですよ。派遣法っていう法律で禁止されてます」
 派遣法。そんなのがあるのか。
「だめなんですか。足首も?」
「だめです。もちろんデカパイがいいとか、ナイスバディーがいいとか、そういうのもだめです」
 そこまで言ってないだろ。
「声は?」
「声がなんですか?」
「電話での応対だから、『ピンクの電話』みたいな声とかは困るし、ちびまるこみたいなのもちょっとねぇ・・・・・・。峰不二子みたいのは・・・・・・いいかも」
「ですから、オッパイとかは指定できません」
 僕は峰不二子の声を言っているのであって、オッパイの話はしていない。
「声の話です」
「あ、声ですね。ええと声も難しいですねぇ」
「あ、そうだ。年齢は? サポートですからね、おばはんはちょっと・・・・・・」
「それもダメですね。年齢とかは指定できません」
 なんにも指定できないんじゃないか!
「じゃ、ゴリラみたいな人が来ることもあるんですか?」
「指定できるのは能力だけですから」
 これは困ったな、と僕は思った。職場の雰囲気が楽しくなるような人に来てもらいたかったのに、好みを指定できないと言うのだ。
 でも、よく考えてみたら、会ってみて気に入らなかったら取り替えちゃえばいいのだ。
「チェンジは3000円ですか?」
「は?」
「いえ、なんでもありません。候補者に一度会ってから決めればいいんですよね?」
「そりゃだめですよ」
 意外な返事だった。
「なんで?」
「事前面接は、派遣法で禁止されています」
 うっそ!
「要求する能力に合わない場合は替えられますが、顔や年齢やオッパイではだめです」
 だから、オッパイは言ってないだろ! この人、よほどのオッパイ好きと見える。
「そうなんですか?」
「はい。法律ですから」
「めんどくさい法律ですねぇ。んじゃ、どんな女が来るのかさっぱりわからないじゃないですか」
 全く困ったことだ。
「ちょっと待ってください、ヒラリーマン課長。誰が女だと言いました?」
 なんだって?
「それってもしかして・・・・・・」
「性別は指定できません。いただいた要件では、性別は全く能力に関係ありませんので、性別を指定すると派遣法違反です」
 なんだそりゃ。んじゃ、禿頭のバーコードおやじが来ることもあるのか?
「男か女かもわからないんですか、来てみないと?」
「はいそうです。それからヒラリーマンさん。一応申し上げておきますが、派遣されたあともご注意ください」
 まだあるのかよ。
「何をですか?」
「プライバシーなど、仕事に関係ないことについて質問したりしてはいけないんです。年齢とか、家族構成、宗教、性別、その他諸々すべてです」
「来たあとに性別聞いてもいけないんですか?」
「まぁ、それは聞かなくても見ればわかりますけど、一応職能に関係ないことですから」
「パンツ脱がすのはいいってこと?」
「ど、どうしてパンツを脱がすんですか?」
「だって、パンツの中を見なくちゃわからないでしょ。オカマかも知れないし」
「なるほど」
「オッパイじゃ、作り物かも知れないし」
「オッパイは指定できません」
 わかったってば!
「とにかく、外見が女でも男かも知れない」
「いや、それはないでしょう」
「ほう。すると、オカマはダメって言う指定はできるんですか?」
「いえ、できませんけど・・・・・・」
「じゃ、オカマかも知れないじゃないですか」
「はぁ、そう言われば・・・・・・」
「すると、派遣方に従えば、来月から僕は男かも知れないし、女かも知れないし、オカマかも知れない部下をもつことになるんですね?」
「ないと思いますけど、でも、可能性としてはあるのかなぁ」
 なんともおかしな法律だ。
「高木さん」
「はい、なんでしょう」
「あなた、男ですよね?」
「そ、そうですが」
 あやしいもんだ。
 かわい子ちゃんがやってくると勝手に思って楽しみにしていたのに、これはとんでもないことになりそうだと嫌な予感がするのであった。  

2003年2月10日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!2−ポン引き部長

 派遣会社の社員、高木さんの話によると、派遣法という法律のおかげで、僕の「かわい子チャンを部下にする」という計画は暗礁に乗り上げたらしい。
 結局、バーコードオヤジかオカマの部下を抱える可能性すらでてきたわけだ。
 高木さんと会った数日後、高木さんが勤務する支店ではなく、同じ派遣会社の本社の部長さんから電話があった。
「この度は当社のご利用まことにありがとうございます。いずれご挨拶に伺います」
 ナマコを踏みつぶしたような声を出すこの部長は「樫(かし)」と名乗った。
「それはどうもわざわざありがとうございます」
「しかし偶然ですね。ヒラリーマンさんは我孫子市にお住まいだそうで・・・・・・私も我孫子なんですよ。最近越してきましてね」
 これは偶然だ。
 うちの近所にはなぜかバブルが崩壊してからたくさんマンションやら建て売り住宅が建つようになってきた。だから、どんどん人口が増えているのだ。樫部長もそんな中の1人なのだろう。
「それにしても派遣法って言うのは大変ですねぇ。なんだか人をあまり選べないようで、困ってます」
 とりあえず嫌味を言っておく。
「そうなんですよ。しかし法律ですから仕方ありません」
「それはそうですが、どうせ一緒に仕事をするなら美人の方がいいなと思ったりしますからね。性別までダメとか言われると驚いちゃいます」
「でも、なるべくご期待に添えるようにいたしますので、どうぞよろしく」
 ご期待に添えるというのはどうせリップサービスに違いない。あの遵法闘争社員の高木さんの上席だから、同じようなものだろう。
 それから1週間ほどしたころ、高木さんから電話があった。
「どうもお待たせしました、ヒラリーマンさん。実はですね、御社の条件にぴったりの女性が見つかりました」
 とりあえず女性らしい。
「ぴったりなんですか。で、なにが?」
「オッパイじゃありませんよ」
 またかよ。
「じゃ、なんですか?」
「もちろん職能です。能力的にぴったりなんです。しかも、彼女はかつてプログラマーをしておりまして、ヒラリーマンさんが要求なさっておられる能力を上回っています」
 ってことは、外見は下回るわけだな? きっとガッツ石松みたいな女に違いない。
「それではどんな能力なのかなどなどお聞かせいただいて早速検討します」
 いくら派遣法があるからといっても、わかることは何とか聞き出してからゆっくり判断したい。ところが先方は早く決めたいらしいのだ。
「この女性は能力的に高いですから、すぐにお決めになった方がいいと思います。もう他からもオファーがありまして、すぐにでも決めていただかないとそちらにとられてしまいますよ」
 うそこけ、と僕は思った。これはよくある手口じゃないか。
「お客さん、今決めるんだったらこの値段でいいけどね、明日じゃだめだよ。これはもうお買い得なんだから、今逃したら明日なんて残ってないさ」
 こんなのは売り子の常套手段だ。中古車を見に行ったときも同じことを言われたが、4ヶ月経った今もその車は売れ残っているし、どんどん値段が下がっている。だいたい今は就職難なのだから、そんなに仕事があふれてやってくるわけもない。
「その人は今は他で働いているんですか?」
 僕がそう尋ねると、ちょっと間をおいてから、高木さんが答えた。
「いえ、あの、今はフリーです」
 ってことは今までしばらく仕事が見つからなかったというわけだ。それが今になって急にあちこちからオファーがあるという話には無理がある。
 だいたいここでシドロモドロになっちゃうところが甘いのだ。
 高木さんが間をおいたのはおそらく、「今は社名は言えませんが働いてまして、もうすぐ契約が切れるんです」と嘘でもつこうかとためらったからだろう。しかし、それは明らかに事実に反することだし必ずバレルからヤバイと考えてやめたに決まっている。
「そうですか。うちとしては考えたいのでしばらく待ってください」
「で、でも、そうしますと他に・・・・・・」
「とられたらまた違う人をお願いします」
 こっちはサラリーマン歴17年。いろんなセールスマンと渡り合ってきたんだ。駆け出しの若い社員のそんな手口に乗るほど単純じゃないのである。
「しかし、これほどの人はなかなかでてきませんよ」
 これも中古車屋と同じセリフだった。あのときの車は法律によってあと数年で乗れなくなるというディーゼルエンジン車だった。その法律が発表されて間もなくだったので、突然売れ残ってしまったのだろう。中古車屋は早く売り払わないとまずいと、必死になっていた。
 きっとその子もこのまま放っておくとどんどん値段の下がっていくので、早く放出したいのかも知れない。
「あ、そうですか。でもね、当社としてもしばらく一緒に仕事をするわけですから、いろいろと、検討しないと」
「でも、検討といってもですね、先日も申し上げた通り職能以外の部分は吟味できないわけですから、検討する余地はないかと・・・・・・」
 ここで慌てるところがさらにおかしい。
「では、高木さんがおっしゃる通り、こちらの指定した能力に合致するかどうかを検討させてください」
「それはあの、どうやって?」
「問題は顔じゃありません。白ポチャでも黒ごまでも、足首が大根でも性格がレンコンでも構わないんです。用は能力です」
「あの、足首が大根はわかりますが、性格がレンコンというのは?」
「ハスに構えてるということです」
「ああ、なるほど。意味が深い!」
 今とっさに作っただけなんだから、感心するな。
「特に、口の利き方については特に注意が必要です。しかしこれは会ってお話をするしかないですね」
「しかし、面接というのは派遣法に・・・・・・」
「では、こっそり見るというのはどうかな?」
「こっそりですか?」
「ええ。面接はダメでも、こっそり見るのはいいでしょ?」
「はぁ・・・・・・」
 もう一押しだ。
「ならば、喫茶店でその子と高木さんに懇談をしていただきましょう。その隣の席に僕が偶然。そしたら色々とわかりそうです」
「しかしそれはバレバレです。派遣法違反を指摘されたら困ります」
「じゃぁ、貸し会議室で講師待機室がマジックミラーになっているところが近所にあります。会議室のその女性を通し、僕がマジックミラーから覗きます。これなら気づかれることもない」
「ああ、それなら」
「いいでしょ?」
「ええ、それならば・・・・・・あれ? それじゃ言葉遣いなんてわからないじゃないですか!」
 おっと。これは魂胆バレバレだ。
「それもそうですねぇ。じゃあ、その方に職場を見ていただくというのはどうですか。こちらが選ぶのではなく、あちらに選んでもらう分にはいいんでしょ?」
「ええ、もともとは派遣社員の保護が目的ですから、それなら・・・・・・いいような気も・・・・・・」
「でも、もしも彼女がヒラリーマンさんを見て断ってきたら・・・・・・」
「ああ、それはあり得ますね・・・・・・ってどういう意味だ!」
「いえいえ、そう言うこともあるのです。相性というか・・・・・・」
「こっちはダメでもあっちは断れるんですか?」
「ええ。労働者保護ですからねぇ」
 重ね重ねふざけた法律なのだ。
「とりあえず、見学にお連れします」
「よし決まった!」
 というわけで、ついに女子派遣社員が当社に来ることになった。
 今のところ女性と言うことしかわからない。
 プログラマーをしていたというのだから、「家政婦は見た!」みたいなおばさんがやってくることはないだろう。
 とりあえず色々と期待しながらその日を待つしかない。
 その翌日、樫部長から電話があった。僕はてっきり昨日の女性の話だと思っていたのだが、そうではなかった。
「ヒラリーマンさん。ぴったりの女性が見つかりましたよ」
 またプログラマーだろうか。
「ヒラリーマンさんの要件にぴったりです」
「でももう、高木さんからご紹介いただいてますよ」
「え、そうなんですか?」
 どうなってるんだ。この会社は上役に報告しないのだろうか。
「どんな風にぴったりなんですか?」
 と、僕はとりあえず事務的に質問してみた。すると樫部長は嬉しそうな声でこう言ったのだ。
「色白でー、独身でー、若くてー、なかなかの美人です。しかも!」
「しかも、なんですか?」
「しかもですよ、家がヒラリーマンさんの家の近く!!」
 何考えているんだ、このおっさん。この人本当に派遣会社の部長なんだろうか。もしかしたら、ポン引きじゃないだろうか。
「でも、決めちゃったんだったらダメですね。それならこの人は私の職場に入れます」
 あーなんてこった。あんな営業マンじゃなくて、このポン引き部長に最初から頼めば良かった。
 それにしても樫部長。まさか自分の好みの派遣社員で自分の部署をハーレムにしているのではないだろうなぁ。すると、こっちに回ってくるのは派遣会社が吸い取ったあとの残り・・・・・・?
 またまた嫌な予感がしてきたのであった。  

2003年2月12日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!3−派遣候補面接

 ついに、派遣社員候補の女性がやってくる日が来た。
 派遣社員受け入れが決まり、その交渉が始まったとたんに派遣法に出鼻をくじかれた僕はすっかり意気消沈していたのだが、とりあえず「女性」が来ることになっただけでも話は好転していた。
「おはようございます」
 僕の机の内線電話が鳴り、受話器を取ると派遣会社の営業マン、高木さんの元気な声がした。
「いらっしゃい」
「本日は会社見学と言うことで弊社の派遣社員を連れて参りました。ただいま受付からです」
 見学に来たわけじゃない。事実上の面接なのだ。この電話を厚生労働省が盗聴していると言うことはまずないのに、芝居じみたセリフを高木さんはぶつけてきた。まさに遵法君なのだ。
「ハイハイ、わかりました。では今からそちらに向かいます」
 僕はそう言って電話を切ると、すぐに内線電話の番号をプッシュした。
「もしもし」
「はい」
「ヒラリーマンです」
「うん」
「来ました」
「ほう、きたか」
「はい。今から会います」
「そうか。わかった」
 派遣の女性が来たら教えろと僕の上司である久留米重役が言っていたので一応電話をかけておいた。
 僕は受話器を置くと、階段を駆け上がり、受付へ向かった。
  50メートルほどの廊下を進んでいくと、廊下から少しだけ受付側に入った高木さんと、女性の腕だけが見えた。
 僕はワクワクしながら近づいていった。どうやら彼女はスーツ姿らしい。当たり前だ。ここで振り袖を着てくる人はいない。スーツが普通だろう。
「おはようございます。朝から済みません」
「あ、どうもお疲れさまです」
「あの、こちらがお話ししておりました、松山さんです」
 隣の女性に目をやると、そこには25,6才の色白美人が立っていた。今流行の顔という感じでもなく、ちょっと地味な平安美人という感じだ。
 リクルートスーツとは違う、ちょっと大人っぽいスーツに見えるのは、スカートの丈が短いからだろう。
「松山です」
 極度に幼稚な甘い声だった。
 丸顔ではないが、これはヒットじゃないか!
「まぁ、こちらにどうぞ」
 僕は二人を誘導して応接室に向かい、途中ですれ違った課員に「コーヒー3つ」と告げた。
 会社の印象を良くしてもらおうと、僕は最も豪華な応接室をとっておいた。
 松山さんは終始おしとやかな挙動でありながらも、少し落ち着かない様子だった。
「まぁ、リラックスしてください。どうぞお座りください」
 僕はお二人にソファの椅子をすすめた。
 二人が腰を下ろすと、その重みでお尻が沈んでいった。この応接室のセットは特にふんわりしているのだ。
(パンツが見えた)
 と、僕の心の中で小躍りしたような声がつぶやいた。
「本日はどうもありがとうございます、ヒラリーマン課長。職場を見せていただくと言うことで松山さんをお連れしたわけですが、ご質問などがありましたら先にどうぞ」
 質問といわれても、性別、年齢、家族構成、住んでいる場所、宗教、ご両親の職業、趣味、その他一切プライバシーに関わることは聞いてはいけないのだ。
「ええと、それじゃ・・・・・・あのー、今まではどんなお仕事を?」
 と僕が尋ねると、松山さんは背筋を伸ばしてこう言った。
「ご質問のお返事も含めまして、自己紹介させていただきます」
 何ともいい感じじゃないか!
「名前は、松山智恵子と申します」
(パンツが見えてます)
「短大卒業後、主にプログラム開発の仕事をしており、その後フリーになってから派遣でパソコンのインストラクター等を経験しております」
(白いパンツが見えてます)
「パソコンについては各種のライセンスを持っておりますが、それらは経歴書に書いてきましたのでご覧ください」
(パンツも拝見してます)
「本日は御社を見学させていただきまして、ありがとうございます」
(こちらこそパンツの見学させてもらっちゃって・・・・・・)
「色々とご迷惑もおかけするかも知れませんが、お役に立ちたいと思います」
(色々な色よりやっぱり白です!)
「どうぞよろしくお願いします」
 といって、彼女はハンカチをひざの上のおいて、僕のパンツにいたり直線的視線を阻害した。ばれてたみたい。
 まぁとにかく、なかなか礼儀正しい。言葉遣いもしっかりしているし、実に感じがいい。
「当社での業務内容については目を通していただいていますか?」
「はい、拝見しております」
「どうですか?」
「まだ対象となるソフトを拝見しておりませんので即答しかねますが、おそらく問題ないかと思います。それ以外にもお役に立てることがありましたら、なんでもお手伝いさせていただきます」
 派遣社員を使っている会社の課長と話したとき、こんなことを言っていたのを思い出した。
「派遣社員が来たんですがね、参りました。自分はこの仕事とこの仕事という契約で来ているのだから、それ以外のことはできることでもやりません、と言うんですよ。まったく驚きますよ」
 その話を聞いたとき、仕事内容と時間を契約しているのだから当然だという気もしていた。しかし、なんでもやりますと言われたら気分がいいのは確かだった。
「それはありがたいですが、いいんでしょうか、高木さん?」
「はい、契約外の仕事でも本人がやりたいと言うのでしたら構いません」
 そうは言っても、今のところ他の仕事をやってもらう予定はなかった。
 仕事はやる気まんまん。今時珍しく礼儀正しく、お淑やかで静かな大和撫子タイプの美女。おまけに声がかわいい。これなら全く問題ないじゃないか。
 僕はこの面接で松山さんに100点を付けて採用することに決めた。
 そしてその後、「第一印象」ほどいい加減なものはないと、僕は思い知らされるのであった。

2003年2月17日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!4−智恵子ちゃんがやってきた

 松山智恵子嬢を迎えるのにどうするか、僕は考えた。
 なんと言っても情報システム課で採用するのは初めての派遣社員。しかも、僕の部下としてやってくるのだ。
 そして、自分が課長になって初めて仕上げる仕事のサポートなのだから、彼女には活躍してもらわなくてはならない。
 正直言って支払う給料も高くはない。しかも、きっと我が社からでている給料の多くはポン引き部長や遵法闘争営業マン、遵法君の給料に化けるために彼女の手元に渡るのはわずかなものだろう。
 そう考えると、せめて働く環境を良くしてあげようと僕は考えた。それで仕事をやる気になってもらうしかない。
 まずは、「自分は歓迎されている」と感じさせることが重要だ。
 派遣社員をしている友人が何人かいるが、彼らから聞く話は「差別」というものが多かった。
「会社に行ったら机さえない待遇だった」
「職場は倉庫に机があるだけだった」
「窓のないオフィスだった」
 などなど、あまりいい待遇だったという話は聞かない。ならば、働きやすい環境を用意すれば、給料分はフォローできるし、楽しい職場づくりが出来るかも知れない。
 まずはデスク。僕はあまっているデスクをぴかぴかに磨いて、引き出しもすべて清掃した。
「何やってるんですか、課長?」
 そう声をかけてくれる部下。しかし、「私がやりましょう」とは誰も言わない。
 前の持ち主がいい加減な掃除をしただけだったので、こびりついた汚れがなかなか落ちない。掃除機でゴミを吸っても綺麗にならないのでぞうきんを用意し、これに洗剤をしみこませて磨き上げた。
 デスクが綺麗になったら次はパソコンだ。社員と同じく席にパソコンを設置。
 windows/XPの新品パソコンにオフィス/XPやホストコンピューター接続用のソフトをインストールした。そして、e-mailアドレスも会社の智恵子ちゃんのフルネームを使って会社のドメインで準備した。
 このメールアドレスをみたら「社員と同じ扱い」と彼女は感じるだろう。それが狙いだ。
 そしてすべての準備が終わった翌日、智恵子ちゃんがやってきた。もちろん遵法君も一緒だ。
「本日から松山がお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
 役目上、最初に遵法君が挨拶した。
「はいよろしく」
 と、ぼくはあっさりした挨拶を返した。
「一生懸命やりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
 今度は智恵子ちゃんだ。あの少しろれつの回らないかわいいロリコン声が応接室にこだました。
 この声をこれから半年間毎日聞くのかと思うと、なんともいい気分じゃないか。しかも礼儀正しい言葉遣い。最高だ!
「はいはい。こちらこそよろしくね。楽しく明るく話をしましょう。あなたの活躍を期待してます」
 ちょっと多めに挨拶をした。
「ところで今日は樫部長はいらっしゃらないんですか?」
 と僕が遵法君に訊いた。
「樫部長は本日、自部署のスタッフにする派遣社員の面接をする日にぶつかってしまいまして、こちらにお邪魔できません。もうしわけありません」
 おや? そりゃーへんじゃないか?
「面接ですか?」
「はい」
「自分の部署に採用する面接?」
「はいそうですが。なにか?」
「だってほら、派遣法で、決める前に面接しちゃいけないんじゃなかったんですか?」
「え・・・・・・。あのでも、うちは派遣会社ですので・・・・・・」
「派遣するための社員を選ぶんじゃなくて、自分の会社に派遣社員として雇うためなんでしょ?」
「は、はい。まぁそのーそうですが」
「んじゃ、うちと同じじゃない。どうして面接できるんですか?」
「それは・・・・・・」
「何人面接してるんですか?」
「さぁ。たぶん3,4人」
「それで、かわいい子を選ぶんだ?」
「いえ、そんなことは・・・・・・」
「ないの?」
「ええ、ないです。樫部長はかわいくないと採用しないだけで・・・・・・」
 おなじじゃねーか。なにやってんだあのポン引き部長!
「スケベなんですか、樫部長って?」
「それはその・・・・・・あの顔ですから」
 ああ、なるほど。
 僕はそうそうに遵法君を追い払って、智恵子ちゃんを執務室に案内した。
「下の階なんですよ」
「はい」
 何ともおしとやかな女性だ。僕は智恵子ちゃんを案内して、一つ下のフロアに降りた。
「この先の突き当たりの右です。その手前がトイレです。あ、ここです。このトイレはウォシュレットですから、会社でウンコしても大丈夫。トラブルウォシュレットなんて持ってくる必要はないんですよ」
「なんですか、それ?」
「携帯ケツ洗い機です。もってません?」
「ええ」
「便利なのになぁ。あ、それから左が自動販売機と喫煙ルームです。あそこにはスケベなオヤジがたくさん集まってます。ニコチンってのは脳細胞を破壊しますからね。だからかなぁ〜、あはは」
 お嬢様タイプの智恵子ちゃんにタバコの煙は嫌悪感を感じるものに違いない。ここは全社全面禁煙をアピールしておくに限る。
「全館禁煙ですから、煙の心配はありません。タバコはこの喫煙ルーム以外では吸えませんから、安心してください」
 なぜか不安げな顔をする智恵子ちゃんを僕はさらに案内した。
「ここです。この部屋が我々情報システム課のオフィスです」
「はい」
「みなさん、今日からここで仕事をしていただく松山智恵子さんです」
 僕は部下たちに智恵子ちゃんを紹介した。一通り部下たちとの挨拶が終わると、僕は智恵子ちゃんをデスクに案内した。
「こちらにどうぞ。ここが智恵子さんのデスクです」 
「あの、このパソコンは私が使えるのですか?」
「はい、そうです。e-mailアドレスは智恵子さん用に用意してあります。多少のプライベートメールも構いませんよ」
 智恵子ちゃんはデスクの椅子に座って引き出しやパソコンをしばらくいじってからこう言った。
「わたし、こんな扱いしていただいたのは初めてです。ありがとうございます!」
 とりあえず作戦は成功だ、と僕は満足だった。
 こうしてついに智恵子ちゃんは我が情報システム課員になったのである。

2003年2月18日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!5−見物人がやってきた

 さすがにプログラマーまでやっていただけあって、智恵子ちゃんはパソコンのベテランだったので、基本的な事を教える必要は全くなかった。
「この電話を使ってください。このボタンを押すとヘッドセット、こちらを押すと受話器が使えます」
「はい」
 サポートデスク用にハンドフリーで電話が出来る装置も揃っている。
「まずはこのマニュアルを読んでください。これが操作マニュアルで、こちらが運用マニュアルです。テスト用のIDとパスワードがこれですから、自由にいじってみてください」
 こういう人の場合はあれこれ教えるよりも、材料をわたして勝手にいじってもらう方が早い。
「はい、わかりました。わからないことがありましたら、お伺いします」
 智恵子ちゃんは礼儀正しくそう言うと、仕事に取り組んだ。

「で、どうなんだ?」
 他の仕事の件で重役室を尋ねた僕に、久留米重役が聞いた。
「なにがですか?」
「彼女だよ。今度来た子だ」
「なかなかいいですよ。能力が高そうです。礼儀正しいし。おそらく僕の出した要件に合致しているものと思います」
 派遣会社に対してこういう人材がほしいと要件を伝えたのだから、その要件に対してどうなのか、ということが重役への報告事項となる。ところが・・・・・・。
「そういう事じゃないだろう、問題は」
 と重役が言った。
「は?」
「問題はそういうことじゃなくて・・・・・・」
 いったいなんだと言うんだ。
「顔とか」
「へ? 顔、ですか?」
「オカチメンコか?」
「日本的美人ですよ。でも、そんなこと関係ないでしょ」
「あるある。それ一番大事ね。足は?」
「速そうですよ」
「アホか。太いとか細いとかだ。会社で陸上やってどうするんだ!」
「いえ、スラッとしてますけど、そんなこと関係ないでしょ」
「あるある大あり。そうかぁ。全体的にその〜スタイルはどうなんだ?」
「そういうこと言うとセクハラになるんですよ、重役」
「本人に言わなきゃいいだろうが。で、どうなの?」
「まぁ、なかなかですよ。ウエストも細いし、バストはCですけど、悪くないです」
「あのCとかDってのよくわかんないよな」
「アンダーとトップの差が10センチまでがAで、それから2.5センチずつ上がっていくんですよ。だからCは12.5センチから15センチってことですね」
「なんでそんなことを知ってるんだ、君は?」
「常識ですよ」
「そういうことだけは知識があるんだな。そういう知識が溢れてると、仕事に差し支えるぞ」
「関係ないでしょ」
「あるある大あり。そうかぁ。それじゃ挨拶に行かなくちゃいけないなぁ〜」
 なにを言ってるんでしょうかねぇ、このおっさん。
 翌日、智恵子ちゃんは大変な喜びようで僕にこう言った。
「わたし、本当に驚きました。こんな扱いをしていただいたのは初めてです。派遣社員の私ごときに、重役さんまで挨拶に来られるなんて、感激です」
 とても本当の事は言えなかった。
 その後、本社や関東支店の人間が用もないのに情報システム課の執務室にやってきた。智恵子ちゃんをチェックしているのだ。
「ヒラリーマン課長いますかぁ」
「はいはいなんですか?」
「いえ別にぃ」
 こういう意味のないことを言いながら奥まで入ってきてぐるっと回って帰っていくやつが何人もいた。
 呆れたのは、歩いて10分くらいの距離にある物流センターの人間までがやってきたことだ。あれだけ人手が足りなくて忙しすぎると言っているくせに。
 こういう連中の感想も僕と同じく「おしとやかな女性だねぇ」というものだった。
 今まで会社にいなかったタイプの大和撫子が来てくれたことで、なんとなくいい刺激を受けいるような気がした。
 それから半月の間、智恵子ちゃんはソフトの使い方を覚え、サポートの準備を進めていった。
「もう完璧です。大丈夫です」
 自信を持ってそういわれると、何とも心強い。そしていよいよサポート開始が明日に迫っていた。

2003年2月20日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!6−智恵子の滝登り

 ついに、新オーダーシステム稼働の日がやってきた。
 そしてそれは、智恵子ちゃんのサポートデビューの日でもあるのだ。
「いやぁ、緊張するねぇ、坂田君」
 坂田君は情報システム課員。彼も新オーダーシステムの担当になっている。智恵子ちゃんはお客様からの疑問に回答するのが仕事なのだが、智恵子ちゃんでは解決できないような問題の場合は坂田君に任せることにしてある。
「本当に緊張しますね。でもとりあえずシステムはきちんと稼働していることを確認しましたから、その辺は大丈夫です」
「実は僕も家から確認したよ」
 新オーダーシステムはインターネットのホームページからアクセスする仕組みなので、家からでもその稼働状況は確認できた。
「9時過ぎましたねぇ」
「ほんとだ。そろそろかな?」
 ユーザーサポート用に0120のフリーダイヤル電話を用意してあるのだが、この電話は9時から17時の間のみ受け付けるようにNTT側で設定してある。だから、9時を過ぎた時点でサポート開始と言うことになるのだ。
「あのー課長」
「なに?」
「智恵子ちゃんいませんけど・・・・・・」
 なぬ?
 サポート用にパーティションで区切ったエリアに智恵子ちゃんのデスクはある。僕はそこに彼女がいるのだとばかり思っていたのだが、なんといないではないか。
「今日、出社してるよね?」
「ええ、それは間違いないです」
「じゃ、どこ行ったんだ?」
「トイレじゃないですか?」
 緊張のあまり、便秘にでもなったのだろうか。
「お客から電話があったらまずいぞ」
「でも、便所だったら呼べませんよね。ウンコしてる最中に呼び出されるって言うのは、気分悪いし」
「そうだな。じゃ、ちょっと待つか」
 僕はいったん自分のデスクに戻った。そして朝のコーヒーを飲もうと思って、小銭入れを鞄から取り出し、執務室を出て自動販売機のある小部屋に向かった。
「おはようございます」
「おはよう。なんか寒いですね」
 と、朝の自動販売機の順番待ちではいつもくだらない挨拶をする。
 どういうわけか朝一番にコーヒーを入れに来ると、第1営業部の依田部長がいるのだ。学歴重視による昇格が行われていた頃の産物といわれるこの人は、天気と温度と根性の話以外は一切ない人で、それ他の話になると理解させるのが一苦労だ。
 根性の話が始まるとえらいことになるので、天気の話で責めながら逃げるというのが正しい依田部長攻略法なのである。
「寒くなったり暖かくなったりしますねぇ」
「本当だねぇ。いつまで寒いんだろねぇ。今日は雨らしいねぇ。傘持ってくるの忘れちゃったよ。頭くるよなぁ」
「そうですねぇ」
 寒いのは春が来るまでに決まってるし、雨が降るのは俺のせいじゃない。傘を持ってこなかったのは「今日は雨である確率もある」という当たり前のことを忘れて天気予報を見なかったあなたがバカなのだ。
 そう思いながらも顔だけはニコニコしちゃうところが僕もサラリーマンだ。
「最近どうですか?」
 なんてお愛想で言ってみる。
「相変わらずだよ、ははは」
 相変わらずバカなんですかー、なんて言いそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。
 これ以上の会話は資源の無駄だと思ったころに、自動販売機は「本格焙煎」と名前を付けて時間をかけて絞り出す、インスタントコーヒーとどっこいどっこいのコーヒーを製造し終わった。
「んじゃ、お先に!」
 とコーヒーを買い終わったのにいつまでもそこに立ってる依田部長に挨拶をして、片手を自販機につっこんで体をねじったときに、自販機室の先にある喫煙ルームが僕の目に入った。
 ニコチン友の会のみなさんがひっきりなしに出入りして煙を吹き出すこの部屋には、強力な空気清浄機が取り付けられている。その空気清浄機はパーティションの役目もしている壁型なので、さっき自販機室に入ったときにはその陰に隠れた人間が見えなかったのだ。
 しかし、僕はちらりと見えたその人影を見逃さなかった。あれはもしや・・・・・・そう思いながら喫煙ルームに近づいた。そしてそこにたどり着いた僕は、確実にその人物をとらえたのだ。
「ふひぃ〜」
 ちょうど、智恵子ちゃんの鼻の穴から大量の煙が排出される瞬間だった。
「あ、おはようございます課長!」
「お、おはよう・・・・・・」
「なにか?」
「あのー、もうサポートの時間になってるんだけど・・・・・・」
「え。あら、そうですか。ごめんなさい。すぐ行きます。これ吸い終わったら」
 たばこは火がつけられたばかりとすぐにわかるくらい長かった。僕がコーヒーを買いに来る前からここにいたのだから、おそらく一本目ではないだろう。
 たばこの全く似合わない女。嫌煙家に違いない。なんの疑いもなくそう思っていた智恵子ちゃんが喫煙ルームでくつろぐ姿は、僕にある種のショックを与えた。
 しかも、智恵子ちゃんはただの喫煙者ではなかった。
 雑誌を片手にたばこをひと吸いすると、空気が半分抜けたダッチワイフみたいにポカリと口を半開きにし、その口からもわもわと湧き出た煙を次の瞬間、ずずずずずーーっと鼻で吸い上げた。
 これぞ世に聞く「滝上り」という技だ。
 智恵子ちゃんの口から鼻の穴に煙がずずずーっとあがり、そしてまた口からぷわーっと煙が吹き出る。
 こんな煙突女だとは全く思いもしなかった僕は、「いけないものを見てしまった」という気持で一杯になりつつ、デスクに戻ったのであった。
「『今すぐ戻ります』、じゃなくて、『吸い終わったら戻ります』かよ。これもしかしたら、あてがはずれちゃったかも知れないなぁ」
 そんなことを一瞬思ってから、慌ててかぶりを振った。
 いやまて。でもあんなに上品で言葉遣いが綺麗でかわいい子だ。きっとすばらしいサポートをするに違いない。
 僕は気持を新たに彼女の活躍に期待するのであった。

2003年2月27日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!7−3時のおやつはレディー暴言

 智恵子ちゃんが喫煙ルームから帰ってくると、まるでその姿を監視していたかのように、フリーダイヤルの電話が鳴った。
 受話器を取った智恵子ちゃんが何も喋らないでいるので不思議に思っていたのだが、それには理由があった。
 フリーダイヤルでかけた場合、最初の数秒間は「フリーダイヤルでおつなぎしています」とインフォメーションがでるために、しばらく話をすることができないのだ。
 そういうことになれている智恵子ちゃんはその間をおいてからしゃべり出した。
「サポートセンターでございます。・・・・・・。はい。・・・・・・。はい。承知しました。恐れ入りますがお客様のIDをお教えいただけますでしょうか。先にお送りしましたID登録証に書かれております7桁の番号でございます。・・・・・・。はい。・・・・・・はい。・・・・・・。はい、かしこまりました。自転車操業有限会社様ですね。恐れ入りますがあなた様のお名前をいただけますでしょうか。・・・・・・。はい。・・・・・・。はい。かしこまりました。それではお調べしてこちらからお電話差し上げますので、電話をお切りになってお待ちください。はい。はい。では失礼いたします」
 おお、ブラボー。なんという丁寧な応対。すばらしい!
 滝登りを見たときにはどうなることかと思ったが、その不安は最初の電話で吹き飛んだ。さすがプロ! そんな印象を与える智恵子ちゃんの初仕事だった。
 サポートの電話はそれを皮切りに何件も入ってきた。そのたびに智恵子ちゃんは上手に相手の状況を聞き出して対処していった。
「ヒラリーマン課長。このようなエラーがでているのですが、これはどうしたらいいでしょう。私がいただいたマニュアルには情報システム課員に連絡、とだけ書いてあるんですが」
 対処法の不明なエラーがでたらしく、智恵子ちゃんが質問してきた。
「それは坂田君に・・・・・・頼むね、坂田君」
「ハイわかりました。ええと、エラーコードはなあに?」
「E090です」
「それはね・・・・・・うーんと・・・・・・あ、あった。それは債権管理エラーだ」
「なんですか、それ?」
「それはね、つまりお金が足りないってことなんだ。その特約店は担保を取ってない先だから、前払いなんだけど、前払いした金額以上の商品を注文したんだね」
「前払い?」
「うん。事前にお金を振り込んでおいて、その範囲内で商品を注文してくる先なんだ」
「普通、特約店に商品を売ったら、月末締めで翌月に払いで請求書をだしてって感じじゃないですか?」
「普通はそうだよ。でも、そういう特約店の場合はある程度の信用度があるわけ。信用で足りないところは担保をもらってる」
「なんでですか?」
「だって、数千万円から億になる商売だからね。商品を引き取ったけど倒産したから払えませんとか、そうなると困るでしょ?」
「そうですね。じゃあ、どうして前払いのお客さんがいるんですか?」
「財務体質が悪くていつ潰れてもおかしくない会社で、まるで信用がないという場合もあるし、担保を出さないでその分を資金運用に回したいというお客さんもいるね。そういうお客さん向けに前払い方式の契約があるのさ」
「それで、前払い金額が足りなかったんですね?」
「そうそう。オーダーが来たとき自動的に計算してチェックしてるんだ。でも、そういうお金の問題だと智恵子ちゃんは対処できないでしょ。この場合はね、担当営業とお客さんで話をしてもらうんだよ」
「はい、わかりました。でも、営業さんはそのあとどうするんですか?」
「オーバーしてるのがいくらかにもよるだろうし、お客さんの入金ミスの場合もあるから、双方で相談してすぐにお金を振り込んでもらったり、あるいは数量を減らしてオーダーし直したり、ある時にはそのまま受注したりと、様々だよ」
「結構たいへんなんですね」
「それで、そのお客さんはどちら様?」
「はい、赤字商事様です。注文担当の女性の方からでした」
「了解。じゃ、担当営業に話しておくよ」
「おねがいします。あ、それから、電話の相手の方には金額が足りなかったエラーだということは言わないようにした方がいいですよね?」
「どうして?」
「社員が数人の中小企業だと、金の管理は社長だけがやっていたりしますよね。電話をかけてきた社員に『金が足りないから注文できない』なんて言ったら社長の面目潰れるし、不安になるかも知れないし」
「ああ、なるほど。そうだね。じゃ、そうしてよ」
 なんと気の回る女性なんだろう。相手の社長のメンツまで考えてしまうなんて、なかなかできることじゃない。
 これは単なるサポートの域を超えている、すばらしい派遣社員に違いないと、僕は確信した。
 今回の件は坂田君が赤字商事の担当営業に伝えて、解決した。結局、赤字商事の計算ミスで、ほんのちょっと金額が足りなかっただけだということがわかったので、オーダーは営業が電話で受注した。
 智恵子ちゃんのサポートは好調で、様々なお客さんの質問に答えたり、操作の仕方を教えたりしていた。パソコンの使い方については上級の資格を持っているだけのことがあり、実に上手だった。
 そして数日後のこと。3時を回って、そろそろおやつでも食べないなという時間に、智恵子ちゃんが坂田君に相談に来た。
「坂田さん。またE090です。しかも相手は激怒してるんです」
「債権エラーだね。で、お客さんはどちら様?」
「それが、また赤字商事さんなんですよ」
 ついこの間債権エラーになったお客さんだった。あのときはちょっとした手違いだったはずだ。
「怒ってるって?」
「ええ。この間もE090でエラーになって、またエラーになったから、いい加減にしろっておっしゃってます。この間と同じ女性です」
 坂田君は、はぁ〜、とため息をついてから電話を替わった。前回も担当者にはなんのエラーなのかは言っていないし、社長があとでなんと説明したのかも不明だから余計なことは言えない。
「弊社の営業からお電話いたします」
 これだけ告げて、坂田君は電話を切った。
 すると、言葉丁寧で上品な智恵子ちゃんがニコニコしながらこう言ったのである。
「先日も赤坂商事様でした。今日はいきなり怒鳴られて驚きましたわ。ああなると、『てめー、ふざけんじゃねーよ! ついこの間も同じエラー出しやがってよーっ。少しは学習しろってんだよ、ばかやろーっ。だいたい金もねーくせに注文するんじゃねーよ。ぶっ殺すぞ、このくそばばあ!』なんて思っちゃいましたわ、わたくし」
 課員一同、「いま、誰が言ったんですか?」状態で呆然となった。そして、何も聞こえなかったかのように仕事を続行したのであった。

2003年3月10日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!8−カレー屋事件

 その後も智恵子ちゃんの見事なサポートは続き、そしてあの奇妙な癖も炸裂しまくった。
 物静かな日本的容姿。そして丁寧な言葉。ところが、その丁寧な言葉の中に挿入されるセリフの部分だけが暴言モードになる。
 言ってみればこれは、普段の言葉のフォントが「智恵子明朝体」であるのに対して、『』に挟まれるセリフのフォントだけが「智恵子ベランメイ糞ったれぶっ殺すぞ太字体」になってしまうのだ。
 最近の実例を挙げるとこうなる。
「智恵子ちゃん、今のお客様のヘルプはずいぶんと苦労してたねぇ」
「そうなんですよ。『こういうボタンがありますよね』って申し上げても『ない』っておっしゃるんです。『絶対あるはずです』と申し上げたら、『ないって言ってるだろ!』って怒鳴られました。同じ画面を見ているのだから無いはずがないのですけれど」
「へぇ。大変だったね。それでどうなったの?」
「仕方ないので、画面の一番右上からどんなボタンがあるか、一つ一つおっしゃっていただいたら、ちゃんとあるんです」
「見落としてたんだね」
「でも、『ほら、ありましたでしょ?』と申し上げたら、『あんたがさっき言ったのはこのボタンじゃない』とおっしゃるんですよ!」
「あはははは」
「お年を召した方なんです」
「年寄りは仕方ないねぇ」
「でも、すごく威張ってるんです。わたくしもちょっとムッといたしまして、『てめーっ、目だけじゃなくて耳までもうろくしてんのかよ、この片足棺桶突っ込みジジイ! くだらねーことほざいてないで、さっさとネットで墓石でも買って葬式の準備してろ、この糞ったれ野郎!』とか思ってしまいましたわ。おほほほほ」
「おほ・・・・・・あ、そ、そうですか。あの、その、昨日のキャンセル商事の件は結局どうなったの?」
「はい。あれはキャンセル商事さんがオーダーを取り消したのに、商品が届いてしまったというものです。最初は大変な剣幕だったのですが、わたくしがオーダー状況を検索しましたら、キャンセル商事様が取り消しオーダーの登録だけして、それを実行するボタンを押していなかったために、実際には取り消しになっていなかったのだとわかりました」
「キャンセル商事さんは納得してくれた?」
「はい。コンピューターのデータではっきりしてますから、さすがに社長さんも納得されて、『俺のコンピューターによると実行したつもりだったんだが、うっかりしてたのかなぁ』って、ちょっと弱気になっておられました」
「ああ、あの社長は自分の頭脳のことをコンピューターって言うんだよね、いつも」
「やっぱりそうですか。お話ししているといつも、『俺のコンピューターによると、これは確かこうだった』っていう具合によくおっしゃってますけど、あれは癖なんですね」
「そうなんだよね。そのコンピューターが今回はミスをしたわけだね」
「そうですね。でもそれでわたくしが怒られちゃったんですから災難でしたわ。『てめーの頭をコンピューターだなんて図々しいこと言ってんじゃねーよ、ぼけ! そんな上等な脳味噌じゃねーだろ、このカニミソ野郎!』とか思っちゃいましたわ、おほほほほ」
 はたしてどちらのフォントが彼女の通常モードなのかすらよくわからないのである。
 そんな智恵子ちゃんを連れて先日、僕はランチにでた。
「何にしようか?」
「課長、カレーはお嫌いですか?」
「好きだよ。でもどんなの? カレーと一言で言っても、あれは店によって全く別な食べ物だからね」
「まぁ、課長ったらカレー通ですのね?」
 別に通というわけではないけれど、好きなのは確かだ。
 六本木のラージ・マ・ハール。東銀座のナイル。松戸のインディー28などは大好きだ。
 ラージマハールは銀座にも店を構えており、インド人のシェフがナンを焼いている様子をガラス越しに見ることができる。
 ナイルはカレーファンなら知らない人はいないほど有名な店だ。
 インディー28は僕が20年以上通っている店で、特にホタテカレーはたまらなくおいしい。
 渋谷にも好きな店があるけれど、最近は行っていない。道玄坂の途中から右に折れるとすぐにある、ムルギーだ。
 店に入って「ムルギーカレーください」と注文すると、親父さんが「たーごいひむるきーのほーがおいひーでふほ」と言う。
「玉子入りムルギーの方がおいしいですよ」と言っているのだが、歯が抜けているから言語不明瞭となる。
 僕らは会社を出ると、交差点をわたった。
「すぐそこのビルの地下に、タイ料理屋ができたんですよ。ご存じないですか?」
「知らないなぁ。じゃ、タイカレー?」
「よくわかりましたね?」
 わかるだろ、普通。
「それじゃそこに行こう。今日はご馳走してあげるから」
 僕がそう言うと、智恵子ちゃんは手を思いきり左右に振った。
「いえいえいえいえいえいえいえいえ。自分で払います」
 そんなに思い切り断らなくても、僕は樫部長のようにスケベ心があるわけじゃない。かといって、課長として新しい部下とよりよい仕事のできる雰囲気を作りたいだけ、なんていう立派な理由もない。
 簡単に言ってしまえば、派遣できたばかりの彼女を連れて行けば、一回くらいは交際費がまかり通ると計算しただけだ。なにしろ、あのビルにある食べ物屋はみんな高級で値段が高いから。
「風が強いねぇ」
「はい。今日みたいな良いお天気でも、風が吹くとまだ寒いですね」
 そんな他愛のないことを話しながら、地下に潜り込んだ。
 さすがに人気のある店だけあってずいぶんと混み合っていて、15ほどあるテーブルはどこも埋まっている。
 最近は辛いものを食べに行くと女性客が圧倒的に多い。たぶん唐辛子のダイエット効果を期待しているのだろうけれど、不思議とデブは少ない。つまり、ある程度スリムで、だめ押し的にダイエット効果を期待しつつ食事を楽しもうという女性たちが来るのであって、誰が見てもはっきりとわかる万人認定的デブな人は、「唐辛子ごときで痩せるもんか!」という確信を持っているせいか、あまりやってこない。
「何にする?」
「この、タイカレーセットにします」
「じゃ、僕もそれにしよう」
 トムヤンクンラーメンにも心が引かれたが、予定通りタイカレーを注文した。
 出てきた料理はなかなか豪華な物だった。2種類のカレーと小さなサラダにスープ。そして小さなデザートが最初から付いている。
「何しますですかん?」
 国籍不明のウエートレスが注文を取りに来た。
「タイカレーセット二つお願いします」
 僕がそう言うと、ウエートレスは「しょしょお待ちください」とたどたどしい日本語で言うと、おしぼりを二つ置いていった。
 僕らはそのおしぼりで手を拭いた。男だけなら顔も拭くところだが、とりあえずレディーの前なので、僕は親父臭い行動を慎んだ。
 さすがにランチタイムだけあって、注文をするとほんの5分程度で料理が運ばれてきた。
「おまーたせしました」
 ウエートレスは奇妙なイントネーションでそういうと料理をテーブルに並べ、そして使い終わったおしぼりに手を伸ばしてそれをつまみながら、言った。
「おしーぼりおさーげしてよろしですか?」
 するとすかさず智恵子ちゃんが大きな声ではっきりと言った。
「ダメっ!」
 ファミレスでもウエートレスが「おしぼりお下げしてもよろしいですか?」と尋ねるが、いまだかつて「ダメ!」と返事をした人を見たことがない。
 すでに指先でおしぼりをつまみ上げたウエートレスはそのまま固まってしまった。
 そして、子供をしかりつけるヒステリックな母親のような「ダメっ!」は店内にくまなく響き渡り、周りの客たちは一瞬おしゃべりをやめ、何事があったのかという顔でこちらをいっせいに見た。
「まだ使うからもって行っちゃだめ。それから、手を出す前に聞いて!」
 智恵子ちゃんがそう付け加えると、ウエートレスは顔だけ固まったまま、厨房の方に戻っていった。
 周りの客は何事もなかったかのようにおしゃべりと食事を続けた。
「仕事はどう?」
 僕はとってつけたような会話を始めた。
「楽しい雰囲気で、やりやすいですわ」
「そ、それはよかった」
 智恵子ちゃんも何事もなかったかのように食事を楽しみ始めた。
「おいしいですわね」
「そうだねぇ。なかなかいい味だ」
 智恵子ちゃんは上品にスプーンを口に運ぶせいか、食べるのが遅い。それに引き替え大口を開けて食べる僕はデザートだけを残して、さっさと食事を終えてしまった。
「智恵子ちゃんはゆっくりでいいからね」
 僕がそう言うと、智恵子ちゃんはカレーを頬張ったまま口に手を当てて、「ほわい」と返事をした。
 その瞬間、さっきのウエートレスがつかつかと、僕らのテーブルに近づいた。そして僕が食べ散らかした器の乗ったトレーに手をかけて、「おさーげしてもよーろしですか?」と言った。
 すると、智恵子ちゃんはまだ口の中に残っていたカレーを一気に飲み込み、またもや大きな声ではっきりと言った。
「ダメっ!」
 トレーに両手を指を引っかけたまま、ウエートレスはまたもや固まった。
「まだデザートが残ってるでしょ! それに、たとえ食べ終わっていたとしても、パートナーが食べ終わる前に片づけたらダメ! 残ったパートナーは、せかされた気になるわ。早くお皿を片づけたいのなら、デザートをあとから持ってきて、それを置いてからお皿を下げる。そうしないと客は追い出されるような気になるでしょ。それからさっきも言ったけど、手を出す前に聞いて!」
 またもやウエートレスは顔が固まったまま、厨房に引っ込んでいった。
 周りの客は当然おしゃべりをやめてこちらをこっそり見ていたが、智恵子ちゃんがジロリと見ると、慌てて目をそらして食事を続けた。
 結局智恵子ちゃんは「おいしかった。でも多すぎますわ」と言って、料理を半分残した。
 レジで僕は「本当に今日は僕が払うよ」と、言ったが、彼女は思った通りきっぱりとそれを断った。
「ダメっ!」
 僕は密かに、「うるさい売り込みの電話は今度から智恵子ちゃんに断ってもらおう」と思うのであった。

2003年3月24日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!9−ネギババア事件1

 智恵子ちゃんのサポートは順調に続いていた。
 今まではなにかわからないことがあると物流センターのおじさんがお客さんの相手をするか、そうでなければ支店のおばさんたちで、要領は得ないし口も顔も悪かったのだから、ずいぶんと悪評だった。
「お宅の窓口は態度が悪い」
 どこの会社でもこういう苦情はあるのだろうけれど、僕がみていても納得できるものがあった。
 そこに優しく手を取るように教えてくれる智恵子ちゃんが「智恵子明朝体」で出現したのだから、お客さんは大喜び。もちろん電話を切ったあとに飛び出す「智恵子ベランメイ糞ったれぶっ殺すぞ太字体」の存在など知るよしもなく、鼻の下を伸ばしている樫部長のようなお客もたくさんいた。
 たいていのお客さんは使用方法がわからなくて聞いてくるだけなので、解決するのも簡単だった。
「はい、それでは次ぎにマウスの右クリックをしてください。すると、何か出てきましたね。この中から、コピーを選んでクリックしてください。さぁ、ここまでできましたか? はーい、上達が早いですよ〜。もう一息です!」
 まるで幼稚園の先生のように手取り足取り教えてくれるので、智恵子ちゃんは大人気。
 しかし、そんな中、強敵が現れた。それは、千葉の山の中にある山中商会の注文担当、通称ネギババアなのである。
 業界では有名なおばさんで、これ以上口が悪い人はいないというくらい、口が悪い。何かというと文句を言ってくるクレーマータイプで、気が強くしつこい。ちょっとでも隙を見せたら食いついてくるスッポンのような性格の持ち主で、我が社の営業担当も近づきたがらないという御仁だ。
 山中商会で働きながら農業も手がけていてネギを作っているのだが、ただの兼業農家ババアではない。
 なんとこの人は、山中商会の社長夫人でもあるというのだから、単に邪険にするわけにもいかないところが面倒だ。
「お待たせいたしました、サポートセンターでございます」
「ちょっとあんた、もっと早く電話に出なさいよ!」
 朝っぱらからだみ声のネギババアが電話をかけてきた。もちろん受けたのは智恵子ちゃんだ。
「申し訳ございません。すぐに出たつもりでございますが、失礼いたしました」
「フリーダイヤルですとかなんとかごちゃごちゃ言っててなかなかでなかったじゃないのよ!」
「はい。あれは自動的にアナウンスが流れまして、わたくしはその間お返事できないのです」
「言い訳すんじゃないわよ。フリーダイヤルだってことくらい電話番号でわかるんだから、いちいち流さないでよ。やかましいじゃないの」
 おきまりのクレームが始まった。これだから営業担当は逃げ出すのだ。
「申し訳ございません」
「申し訳ないないってのは、申す言い訳がないってことでしょ。あんた言い訳してるじゃないのよ」
「申し訳ございません」
「まだ言ってる」
「申し・・・・・・失礼をいたしました」
「まったく失礼だわ」
「ご用件を承ります」
「なによ、あんた」
「は?」
「開き直るの?」
「いえ、あの・・・・・・ご用件をお聞きしたいと申し上げてるのですが・・・・・・」
「開き直るのね?」
「いえ、そう言うことではなくて、ご用件がおありでしょうから、それをお伺いしたいともうしあげております」
「そうやって開き直るならこっちにも考えがあるわよ!」
「私はただご用件を・・・・・・」
「要件? あんたバカ? さっきから『注文内容を変えたい』って言ってるでしょ!」
「いえ、まだお伺いしておりませんでした」
「言ったわよ」
「伺っておりません」
「言ったわよ」
「・・・・・・」
「あたし、言ってない?」
「はい、わたくしはそのように・・・・・・」
「ふーん。するとあんた、あたしが呆けてるとでも言いたいの?」
「いえ、とんでもございません。わたくしの記憶違いかも知れません」
「そう。あんたの記憶違い。あんたの脳味噌が腐ってんの」
 こういうのと言い合いをしてもしょうがない。そう思って智恵子ちゃんも切り替えた。
「ご注文の変更ですね。承知いたしました。恐れ入りますがこちらは情報システム部でございますので、受注センターにお電話をおつなぎいたします」
「サポートってここなんでしょ?」
「はい。しかしここは発注画面の操作方法についてのサポート窓口でございまして、ご注文内容については受注センターが承ります」
「たらい回しする気?」
「そうではございませんが、こちらは受注窓口ではございませんので」
「そう言うのをね、たらい回しって言うのよ。そういうことするから助かる急患が死んだりするのよ。この間も近所の病院でね・・・・・・」
「あの、申し訳ございませんが、サポートの電話がふさがりますと他のお客様のご迷惑となりますので、お客様のお電話は受注センターにお繋ぎいたします」
「何言ってんのよ、あんた。あんたがそう言う態度だからなかなか電話が終わらないんでしょ」
「失礼いたしました」
「あたしはね、注文内容を変えたいだけなのよ。昨日注文したあれなんだけど、ええと、商品番号でいうとA1292のね・・・・・・これをあと3ケース増やしたいんだけど明日までに届くかしらね」
「お客様。大変申し訳ありませんが、こちらではわかりかねますので、受注センターにお繋ぎいたします」
「ちょっとあんた、なによその口の利き方。上司に替わりなさいよ!」
 こんなやりとりがあって、電話は突然僕にバトンタッチされた。
「もしもし、お電話替わりました。ヒラリーマンと申します」
「あんたどういう人?」
「はい、情報システム課長です」
「なんだ、社長じゃないの?」
 こんなことで社長が出るか!
「しょうがないわね、部長よりはましか」
 部長の方が上だ!
「お宅の子ね、ちょっと教育がなってないんじゃないの?」
「何か失礼がございましたでしょうか」
「全く失礼な口の利き方するわよ。『わかりかねます』なんて言うのよ、全く。わからないなら、『わからない』って言えばいいじゃないの!」
「あのー、『わからない』よりも『わかりかねます』の方が丁寧だと思いますが・・・・・・」
「どこがよ?」
 どうやらネギババアは敬語を知らないらしい。
「『わからない』は平語ですが、『わかりかねます』は敬語ですので、丁寧に申し上げているわけです」
「そうなの? まあいいわよ。でもね、あたしはそういう人をバカにしたような浮いた言葉を使われると腹が立つのよ」
 そんなこと言われてもこまる。お客相手に、「ここは違う部署だからさー、注文は受けられないのよねー。ごめんね!」なんて言えるわけがない。
「左様でございますか。それは失礼しました」
 こういう人間に説明を続けても意味がない。僕はネギババアの注文変更内容を聞いて、受注センターに伝えてから、あとで結果を折り返すことにした。
「ああいう人、いるんですよ。もっとひどい人もいます。でも、噂にまさる人ですね」
 いままでいろんな派遣先でいろんな人に会っているだけあって、智恵子ちゃんは平気だった。
「全く理解できないよなぁ、ああいう人は。気分の悪い思いさせて申し訳ないね」
「わたしは大丈夫ですよ。ああいう方には慣れています。お話を伺いながら、『なにをわけのわかんねーこと言ってんだよ、この無教養ババア。ケツの穴からネギつっこんで、耳の穴からネギ坊主だしてやろか!』とか思いながら話してますから、気になりませんわ。おほほほほ」
 そんなこと思いながら話しているのかよ・・・・・・。

 とりあえず注文変更については片が付いたのだが、それから数日後、またネギババアから電話があった。当然、電話に出たのは智恵子ちゃんだった。
「注文画面が使えないのよ!」
「どのようになりますか? 詳しく教えてください」
「だからね、注文画面が使用不能だって言ってるでしょ!」
「申し訳ございませんが、どういう風にダメなのかをお教えいただかないと、対処できませんので、もう少し詳しくお願いいたします」
「変なメッセージがでて、使えないのよ」
「どんなメッセージですか?」
「もう消したわよ」
「それがわかりませんと、対処しかねますので」
「また『しかねます』だ。嫌いなのよね、その言葉」
「申し訳ございません」
「あんたさっき、もう少し詳しくって言ったじゃない。もう少しは詳しく言ったわよ」
 全く嫌なババアだ。きっと今ごろ智恵子ちゃんの頭の中では、ネギババアのケツにネギがささっているに違いない。
「もう一度やってみていただけませんか」
「いやよ!」
 そう言うと、ネギババアは電話を切ってしまった。
 翌日、山中商会を担当している関東支店営業第3課の広沢課長から苦情が来た。
「ヒラリーマン君、頼むよ。難しい先なんだからもめないでくれよ」
 全くもめたつもりはない。
「価格の話でもなかなか決着が付かなくて、苦労してるんだ。その上システムのつまんないことでもめられたら、どうにもならないよ」
「もめるもなにも、サポートだって丁寧に応対してるんですよ。だけど、勝手に怒り出すんだから僕らとしても困ってます」
「君のところのサポートに問題があるんじゃないの。何もなくてもめたりしないだろ?」
「そういう広沢さんのところももめてるんでしょ?」
「それは・・・・・・とにかく、ちゃんとやってくれないと困るよ」
 広沢さんは智恵子ちゃんをちらちら見ながらさんざん文句を言って帰っていった。彼はこうやって文句を言うことで、もめ事の責任をこちらに持ってこようとしているのだろう。きっと、支店での報告会でもそう言うに決まっている。
 しかし、智恵子ちゃんは涼しい顔で広沢課長を眺めていた。
「ねぇ、智恵子ちゃん」
「なんですか?」
「広沢課長のケツには、何をつっこんだの?」
 僕がそう聞くと、智恵子ちゃんはにっこり笑って手のひらを上に向け、ひょいと中指を立てた。

2003年4月18日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!10−ネギババア事件2

「変なメッセージがでて使えない」
 そうネギババアが苦情を言ってきてから3日がったった。
「今どうなってるの、智恵子ちゃん?」
 僕はこのことがずっと気になっていたので、智恵子ちゃんに聞いてみた。
「はい。結局パソコンでオーダーするのをやめて、FAXでしてるみたいです。そのことで受注センターから苦情が来てます」
「センターは、なんて言ってるの?」
「コンピューターでの受注という前提で人員を整えているのだから、FAXでオーダーが来るようでは困る。ちゃんとコンピューターで受注できるよう対処して欲しい、とのことです」
 最近のコスト削減で受注センターも人が減らされて仕事がハードになっている。その分コンピューターを活用しているのだが、こんなことがあるとどうしても人力に頼らざるを得なくなる。
「で、ネギババアのほうは?」
「はい。それが原因を調べたくても、電話をかけると怒鳴って切っちゃうんです」
「なんて言って怒鳴るの?」
「『そっちからは一切うちに電話しないで! 余計なこと言ってないで早くなおしなさいよ!』という感じです。でも、電話で話さないと原因がわからないからどうにもなりません」
 それは確かにそうだ。話はしたくない。早くなおせといわれても困る。
 僕はこのことを広沢課長に話したが、話にならない。
「先方は難しい先なんだ。先方が電話をするなと言うなら電話はしないでくれ。もめると困るんだよ。とにかくコンピューターの方をなおしてくれよ」
 こう繰り返すだけだった。
「でもですね、広沢さん。直すには原因がわからなければいけないでしょう。でも、話もできないのでは何もわかりませんよ」
「でもさ、他のお客は正常なんだろ。ってことは、やっぱりうちのシステム側の問題じゃないか」
 他のお客が正常で、特定のお客だけがダメならば、うちのシステムの問題じゃないというのが一般的な結論だと思うのだが、コンピューター音痴の広沢さんはちがうらしい。
「でもですね、広沢課長。他は正常なのに山中商会だけがおかしいと言うことは、山中商会のパソコンの問題かも知れないでしょう?」
「だけどさぁ、IBMだぜ、山中商会は!」
 どういう思考回路なのだ。
「IBMだとなにか?」
「え。いや。ほら、有名メーカーだし・・・・・・」
「そんなこと関係ないでしょ。だいたい広沢さん、コンピューターメーカーのどこがいいとかわかるんですかぁ?」
「有名なメーカー名くらい知ってるさ」
「富士通は?」
「知ってるよ」
「NECは?」
「もちろん!」
「日立は?」
「パソコン持ってる」
「ソニーは?」
「娘が使ってる」
「INAXは?」
「便器だ」
「東芝は?」
「サザエさんのスポンサーだ」
「関係ありません。パナソニックは?」
「ナショナルとの関係が今ひとつわからないな、あれ」
「それは僕も。じゃ、デルは?」
「で、デル? え。あ。し、知ってるような知らないような、記憶の底からデル、デナイ・・・・・・」
「何言ってるんですか。コンパックは?」
「ビッグ・モローが主演だ!」
「それはコンバットです。マイクロソフトは?」
「当然知ってる。最大メーカーだろ!」
「でもパソコンは作ってませんよ」
「え・・・・・・そうだっけ? WINDOWSって、マイクロソフトじゃないか?」
「ありゃ、パソコン本体じゃありませんよ」
「え、そうなの?」
 やっぱりコンピューター音痴だった。
「そんなことはどうでもいいんですけど、何とかしてくれよ」
 そう言われても、どうしていいのかわからない。
 はっきり言ってネギババアはクレームをつけることを趣味にしているクレーマーだ。
 とはいうものの、儲けさせてくれるお客でもあるのだからややこしい。
 僕はその場で決めあぐね、「明日返事します」と言おうとしたところで、智恵子ちゃんが口を開いた。
「私が行きます。実際に行って、見てきます。電話するなとは言いましたけど、来るなとは言われていませんから」
 にっこり笑いながら椅子をくっちにくるりと回してVサインした智恵子ちゃんの、ちらりと見えたパンツを二人の課長は見逃さなかった。

2003年4月22日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!11−ネギババア事件3

 ネギババアのクレームは続いたが、そのくせネギババアはろくに状況も説明しないし、「そっちから電話するな」
 と、言い出した。
 腹は立つが営業部門にしてみれば大事なお客様だから、我々がキレるわけにもいかない。
 そんな中、サポート担当の智恵子ちゃんが「私がネギババアのところへ行く」と言い出した。
 いつもはおとなしくおしとやかな「智恵子明朝体」で話す智恵子ちゃんだけど、たまに飛び出す「智恵子ベランメイ糞ったれぶっ殺すぞ太字体」がすごい。
 行ってくれるのはありがたいが、ネギババアと直に話している最中に、腹を立てた智恵子ちゃんがあの「智恵子ベランメイ糞ったれぶっ殺すぞ太字体」で応戦したらどうしようと、おそらくそこにいた情報システム課員全員が密かに心配していたはずだ。
「でもほら、君の仕事はここでサポートすることって決まってるわけだし・・・・・・」
「出張なら、わたしOKです」
「でもね、契約ってもんがあるから・・・・・・」
「なんなら私、派遣元にも了解とります。樫部長なら、きっとOKしてくれます」
「そりゃ、あの人ならスケベだからOKすると思うけど・・・・・・」
「スケベかどうかは関係ないじゃないですか。お客様のお役に立てることなら、樫部長もNOとは言わないと思います。その代わり合コンしようとかは言うかも知れませんけど」」
「やっぱりスケベなだけじゃん」
「とにかく、特約店様のために行くんですから、いいはずです」
「ま、そうなんだろうけど、相手は何しろあのネギババアだから」
「相手によって仕事を放棄していいはずもありませんわ」
「でもほら、嫌なことも言われると思うし・・・・・・」
「仕事ですから」
「まともじゃないからさぁ・・・・・・」
「私平気です。口の悪い人はなれているんです」
 それは自分のことだろうか。
「とにかく、特約店様との案件は営業の仕事だから、そちらにお任せしよう」
 と、僕が智恵子ちゃんを説き伏せようとしているのに、広沢課長は呑気に「そりゃ助かるなぁ〜」と言いやがった。
 ここで智恵子ちゃんの目が輝いた。
「でしょ〜、そうですよねー。広沢課長って素敵だわ。じゃわたし、俄然張り切っちゃいます!」
 なぜか嬉しそうな智恵子ちゃんと、めんどくさい仕事を押しつけてホッとする広沢課長が同時に僕をちらりと見た。
「オレ知らない・・・・・・」

 翌日智恵子ちゃんが出陣した。
 僕は広沢課長の同行を条件にしたのだが、彼はネギババアとの相性が徹底的に悪いらしく、若手社員の村山君が運転手兼お世話係に抜擢された。
 村山君が「自宅まで迎えに行きます」と言い出したので、智恵子ちゃんは大感激。
「派遣社員になって、車で送り迎えしてもらって仕事しに行くなんて初めてです。こんな待遇していただいていいのかしら?」
 いいのいいの。特約店様と大喧嘩して商売がポシャったりする方が大変。少しでも気分良く出かけてもらわないとえらいことになりそう。
「しっかしヤバイですよね、課長。もしもですよ、もしも智恵子ちゃんがネギババア相手に大暴れしてですよ、それで特約店解除にでもなったら、どうなりますかね。広沢課長ってそのへんずるいですからね。きっと逃げ出して課長のせいにされますよ。そうすると、『なんであんな派遣社員を送り込んだんだ』ってことになるでしょ。広沢課長は『私は反対したんですが』なんて言い出すに決まってます。そしたら課長がクビですね。だはははは」
 と、部下の矢田君は嬉しそうにことの成り行きを見守っていた。
「おまえは心配してるのか、面白がってるのか?」
「両方です」
 やっぱり止めるべきだったかなぁと思ったけれど、今ごろ考えてもしょうがない。広沢課長に智恵子ちゃん出張計画のメールでも出して、うまいこと「ありがとう」なんていう返事をもらっておけば、いざというときに「広沢課長も了承済み」という証拠になるかも知れないと思ったりもしたが、そういうセコイことをする気にはなれなかった。
「ま、いいか」
 やばくなるとなんでもこれで終わりにしてしまうところが僕の悪いところでもあり、気楽なところでもあるのだ。
 午前10時。智恵子ちゃんはすでにネギババアの陣地に到着しているはずだ。情報システム課の執務室では、重苦しい空気が流れていた。
「智恵子ちゃん、どうなってますかねぇ」
「連絡ありませんねぇ」
「今ごろ修羅場だったりして・・・・・・」
 仕事の合間に部下たちがこんな言葉を口にしていた。誰もが波乱を予想して、心配しているのだ。
 広沢課長は「智恵子ベランメイ糞ったれぶっ殺すぞ太字体」の存在を知らないから、ちっとも心配していないらしいが、我々は冷や冷やしていた。
「こっちから連絡してみましょうか?」
 部下の坂田君がそう言った。
 僕も半分その気になったが、どうしても電話をかける気がしない。
 嫌なことは後回しにしたい性格なのである。
 智恵子ちゃんからはなんの音沙汰も無いまま昼休みになった。
 会社を出て、、近所の韓国レストランでビビンバを食べた。
 石の器にひっついたお焦げをスプーンで引っぱがしながら、「昼飯はどうなってるのかな、智恵子ちゃん」と考えてしまう。
 智恵子ちゃんの昼飯を心配しているのではなくて、昼飯時だから仕事を中断して連絡して来ても良さそうだと思っていたのだ。
 ネギババアが食事を用意してくれるわけもないのだから、当然どこか近所の食堂にでも行っているはずだ。それとも、中座できないほどもめているのだろうか。
 どうしてもそんなことを考えしまう。
 昼飯から戻っると、先に帰っていた矢田君に僕はすぐに聞いた。
「連絡あった?」
「いいえ」
「電話かけてみるかなぁ」
 ふと僕がそんな言葉を漏らすと、「実はかけてみたんですよ」と矢田君が言う。
「でも、『電波の届かない位置にあるか、電源が入っていません』っていうメッセージでしたよ」
 という。
「いくら田舎でも、携帯の電波くらい届くよなぁ?」
「そりゃそうですよ。千葉のド田舎って言っても、人間が住んでるところですからねぇ」
 電源が切れているとしたら、それも不自然だ。
「首絞められて、畑に埋められてたりして」
 と、矢田君が言った。
「どっちが?」
 と、坂田君が言う。
 僕も同じ疑問を持った。どっちがどっちを埋めたんだろう。
 それにしても、そう言う疑問が出ると言うことは、智恵子ちゃんをネギババアといい勝負だと、なんとなくみんなが思っていることになる。
 これには思わず笑いが漏れてしまった。

 そんな智恵子ちゃんから連絡があったのは、もう17時を回った頃だった。
「もしもし、課長ですか。いま車で会社に向かっているところです。すぐ近くに来たらもう一度電話しますから、駐車場まで来てください。大変なことになっちゃったんです!」
 大変なこと・・・・・・。僕はもう考えたくもなかった。

2003年4月23日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!12−ネギババア事件4(完)

 30分ほどしたころ、再び智恵子ちゃんから電話があった。
「あと5分で会社の前につきます。よろしく!」
「わかった。すぐ行く」
 とりあえず僕だけエレベーターホールに向かった。
 いったい何があったというのか。ここで心配してもしょうがないのだが、どうしてもあれこれ考えてしまう。
 そしてこんな時に限ってエレベーターが来ないのはどういうわけだ。
 おそらく30秒くらいしか待っていなかったと思うのだが、5分くらいに感じた。
 エレベーターが開くと僕はすぐに飛び乗り、何度も「閉」ボタンを押した。
 エレベーターのドアは、その押した回数とは関係なしにゆっくりと閉じ、下りていった。幸い、他の階に止まることなく一階まで直行だった。
 エレベーターを降り、僕は駐車場に最も近い非常ドアを開けて外に飛び出した。すると、丁度角を曲がって来る営業車が見えた。智恵子ちゃんと営業の村山君が乗っている車だ。
 智恵子ちゃんは僕を見つけるとフロントガラス越しに手を振った。村山君はぺこりと会釈している。
「ただいまーっ!」
 智恵子ちゃんが車の窓を開けて、笑みを浮かべた。
「お疲れさま。村山君もお疲れさま」
「どういたしまして」
 とりあえず3人は、なんということもないねぎらいの挨拶を交わした。
「途中、行きも帰りも幸い道が空いていたんですよ。あ、そうだ。課長にお土産があるんです。これ、海ほたるのホットドッグ」
 智恵子ちゃんが僕に紙袋を差し出した。
 僕は紙袋の端から中をのぞき込んだ。
「これ、アメリカンドックじゃない?」
「あ。そうだ。きゃはははは!」
「それにこれ、海ほたるだと何か特徴があるの?」
「多分なんにもないです。海ほたるで買ったというだけ、きゃはははは!」
 やたらに明るい智恵子ちゃんを見て、僕は心配になった。
 これはよほど悪いことがあったに違いない。人間はそんなとき、わざと明るく振る舞ったりすることがあるものだ。
 僕は恐る恐る訊いた。
「それで、何があったの。大変なことって、なあに?」
 すると、智恵子ちゃんが村山君に目で合図し、村山君が車のトランクを開けた。
「こんなことになっちゃいました〜」
 車の後部に移動してトランクの中を見ると、まずは大量のネギが視界に飛び込んできた。
「なんだこれ!」
 思わず叫んでしまった。
「ネギババアさんの、おみやげよ」
 ネギババアさん、というのも妙な言い方だ。
「それにしてもまたなんでこんな・・・・・・」
「他にもあるのよ。見て見て。ほら、タマネギ、お米、それからジャガイモ」
「どうするんだよ、これ?」
「だから問題なの。みんなで分けようかしら?」
「こんなの、満員電車で持って帰れないさ」
「それはわたしも同じで」
 おみやげは結局、村山君が智恵子ちゃんの家まで運ぶことになった。通り道だから構わないのだそうだ。
 それらの荷物はそのまま車に残して、僕らはオフィスに戻った。
「それで、どういうことになったんだい、智恵子ちゃん?」
「どういうことってぇ・・・・・・まずパソコンを見て、設定のおかしいところをなおして、ネギババアさんに改めて使い方を説明して、ついでにメールのやり方とかHPの閲覧方法とかも教えて、昼ご飯にお寿司をご馳走になって、それからネットゲームの仕方も教えて、それでおみやげをもらって帰ってきました。結局設定ミスだから解決したということです」
 あれだけ憤慨していたネギババアとのバトルはなかったのか。ネギババアがなんと言ってきてどうなったのか。智恵子ちゃんが何を言ったのか。僕らが興味を持っているのはそんなことだった。
「どんなやりとりがあったの? 相手はかなり言いたいこと言う人だから、大変だったんじゃない?」
 坂田君がそう質問したのでみんなワクワクしながら見守っていたが、智恵子ちゃんはあっさり「たいした問題はなかったですよ」と言うだけだった。
 何があったのかはわからないけれど、僕は役目上、問題がどう解決されたかを聞ければいいので、あえてそれ以上詳しく聞くことはしなかった。
 そしてそれから数日後、智恵子ちゃんがタバコを吸いに喫煙室にいる時に、サポート専用電話がなった。代わりにとったのは坂田君だった。
「おはようございます、サポートセンターでございます。はいはい、どうもお世話になっています。はい? 智恵子っぺ? あ、あの、少々お待ちください」
 受話器を片手に、坂田君が妙な顔をして僕を見た。
「どした?」
「ネギババアなんですが、『ちえこっぺいるぅ?』ですって」
「智恵子ちゃんだろ。呼んでくるよ」
 僕は執務室を出て、喫煙室へ行った。
 智恵子ちゃんは営業満数人と喫煙ルームで楽しそうに話をしているところだった。
「智恵子ちゃん、出番だ。ネギ、だよ」
 と、僕が声をかけた。
「はい!」
 智恵子ちゃんはニコっと笑うとタバコを灰皿に押しつけて、席を立ち、部屋に戻ると電話を替わった。
「もしもーーし。はーい。どっもーっ。うーん、大丈夫。たばこ吸ってたんだよ。うーん、食べたよーっ。すごくおいしかった。ありがとねー! きゃはは。え? うん。あいあい、やってみるよ。オッケーっ。え? そうだなぁー。来月あたりなら行けるかも。あ、それいいね。まじで? それいいじゃん! うんうん。うん、いいよーっ。それじゃ、わかったら電話するよ。はいはいーーまったねーっ!」
 歴代の営業マンすべてがまともに話もできないネギババアと、智恵子ちゃんはタメ口で話をしている。
 お客とタメ口で話すのが良いかどうかという問題以前に、そういう関係になっていることが驚異的だった。
 智恵子ちゃんは電話を終えると、何事もなかったかのように仕事を始めた。
 僕はこの状況を評価する言葉が見つからず、坂田君や矢田君と目を合わせながら、ただ「ま、いいか」とつぶやいた。

2003年7月3日 連載−派遣社員がやってきた。ヤアヤアヤア!13−セクハラ講習会

 会社で、セクハラ講習会があった。
 智恵子ちゃんを雇うとき、「派遣社員を採用するにあたっては、社内の女性を扱うよりもセクハラについて気をつけなくてはいけない」と、人事部より通知があったのだが、当社ではセクハラについていままで組織的な取組はなかった。
 しかし、時代の要請というのだろうか、ついに我が社でもセクハラ講習会を開催することになった。
 この講習会の担当部署は総務部なのだが、我々情報システム部員は多くの講習会でパソコンの設置に駆り出される。パソコンで作った資料をプロジェクターで参加者に見せながら説明するので、その設定を頼まれるのだ。
 しかし今回、我々情報システム部員は全員この会議の参加者に名を連ねているので、我々の代わりに智恵子ちゃんがそれらの設定をしてくれることになった。
 講習会の開催場所は本社の会議室で、いつもこの手の講習会をする場所だった。
「みなさん、こんにちは。本日はセクハラ講習会にご参加いただきありがとうございます。わたしは人事部の原田と申します」
 こりゃまたすごい奴が出てきた。この男のあだ名は「セク原田」。年齢は49才。管理職になるのは同期一早くて出世頭と言われていたのに、なぜか課長代理から先に進まない人だ。やけに脂ぎったギトギトの顔をしていて、女性からは極めて評判が悪い。
 特にセクハラをするわけではないらしいのだが、我が社の女性たちの間では「セクハラが似合う男ナンバー1」にランクインしているらしく、このあだ名が付いている。
 セク原田の司会は続いた。
「本日は講師にセクハラのコンサルティングをなさっておられます、秋月さゆり様にお願いしております」
 こりゃまたタレントみたいな名前じゃないか。当然みんなは、美女の登場を期待する。そして、それとは反対に「どうせすごいのが出てくるさ」という期待も交錯するのだ。
「では秋月様、お願いします」
 会議室のドアが開き、人事課員の誘導で、1人の女性が入場した。思った通り、後者の期待が前者を押しのけた。
僕と一緒に参加した後輩の矢田君があとでこう言った。
「北島三郎がカツラかぶって出て来たのかと思いました!」
 たしかに、サユリというよりサブリだ。
「みなさんこんにちは。ただいまご紹介いただきました秋月です」
 いくらサブリでも、愛想が良ければ救いがあるのだが、恐ろしく愛想が悪い。
 サブリは参加者をじっと見渡すとこう言った。
「あなた方は、自分はセクハラとは関係がないと思っておられるでしょう? だいたいの人はそう思いこんでいます。ところが、ほとんどの人はセクハラしてるんですよ。そういうのは発言型セクハラに多いのです。セクハラは、対価型セクハラと環境型セクハラに大別できまして、環境型セクハラには特に発言型セクハラというものが含まれます」
 ここまでは淡々と話していたサブリだが、ここで突然大きな声を出した。
「そこのあなた! そう、そこのあなたです!」
 総務部の田代さんが、ギョッとしている。
「あなた今、わたしのことを上から下まで舐めるように見ましたね。ええ、確かに見ました、見ましたとも。わたし今、ぞっとしましたわ。これはね、環境型セクハラの中の視覚型セクハラというのです。上から下まで見たり、お尻をじーっと見たり。まーやらしい。そういう癖は早く直してください」
 田代さんは、組合行事で一緒に行ったエジプト展でミイラを眺めていたのと同じ顔つきで、サブリを見ていただけだった。
「それから、女性にわざとエッチな写真を見せたりするのもそれにあたりますのよ。エッチなことを言ったりして女性の反応を見て楽しむセクハラ。それを発言型と言います。わざという場合もあれば、うっかり言ってしまうのもあるでしょう。でも、今はもう『うっかりだった』とは言えない時代です。さらに、これはねぇー男性だけじゃないんですよ。女性が、他の女性の性的な噂を流してしまうという場合。これも発言型セクハラで、判例もありますの。女性が女性にセクハラしたって裁判で支払い命令でもされてみなさいあなた。もう先祖と同じ墓には入れませんわよ!」
 といいながら、サブリは先祖の墓にはとうてい入れそうもないほど太い体を揺すった。
「それからあなた方男性陣。そうそうそこのあなたやあなた。女は褒めればいいと思ってません? 『今日の髪型良いね』とか『今日は綺麗だね』とか。いますわよねぇ、そういう上司。頭がヌカミソチックな前時代的人間が書いたアホなビジネス書には女子社員をそういう風に褒めろなんて書いてあるものがございますのよー驚きですわね。わたくし決してゲシュタポでもヒッキー・・・・・・あ、これは宇多田ヒカルじゃなくてヒットラーですわよ。ヒッキーのファンでもございませんけれども、そんな本はまとめて燃やしてしまうべきだと思いますわねぇ、はい。褒めるのは確かによろしいのですよ。しかしその例が『そのスカート、セクシーだねぇ』とか、『色っぽくなったね』などなど、これはねーみんな発言型セクハラです」
 多分、自分はどれも言われたことはないはずだ。
 サブリ嬢はまたみんなをじろりと見渡してから言った。
「さて、環境型セクハラの残る一つは身体接触型ですの。すれ違いざまにお尻をぺろんと触ったりするのがこれです。これは完全に意識してやっている悪質なセクハラです。言ってみれば痴漢行為ですわね」
 もっともサブリに縁のなさそうな型だ。
 サブリはこのあと色々な実例を出して何がセクハラなのかを熱弁した。
「さて最後に、対価型セクハラについてお話ししますわね。これは簡単に言えば、条件と引き替えに肉体関係を迫る行為です。『クビにされたくなければやらせろ」』なんていうのがこれです」
「やらせろ」だって。すごい発言だ。
「みなさん信じられますかぁ? でもいるんですよ、こういうオヤジ。あらま、わたくしとしては下品な発言を・・・・・・でもねー、こういう男性は紳士とは言えませんものねぇ、オヤジで十分ですわね。そういうオヤジが、部長だったりするとあら大変。部下はみんな部長のお手つき」
 実際にやっているわけではないだろうけれど、部長連中はどうにも居心地の悪い顔をしている。
「いいですか。もしもそういう上司がいたら、なんの心配もございませんのよ。そんなヒヒジジイの思うようになるほどこの世の中甘くはありません。そういう男はすぐに弾劾して懲戒免職。退職金もパーになって、せいぜい後悔してもらいましょう」
 サブリはまるで世の中の男みんながセクハラ男かのように叫びまくりながら、たまに智恵子ちゃんに人差し指で合図を送った。そうすると智恵子ちゃんは、スライドを一枚ずつ進めるのである。
 サブリがまた智恵子ちゃんに合図を送ると、スクリーンに大きく「誰でも受けてる、何気ない一言のセクハラ」という文字が張り付いた。
「セクハラというのは、ほんとに気軽に発した言葉の中に潜んでいるんでございますわよ〜。そんなことあるもんかとお思いでしょう。それが、あるんです。さっきからわたしの手伝いをしてくれてるあなた、そうあなたです」
 サブリが智恵子ちゃんを指名した。
「あなたとってもチャーミングでいらっしゃるわ、ほんと。こんなにチャーミングな彼女。あなた、セクハラ受けた経験がおありでしょう?」
 みんなの視線がいっせいに智恵子ちゃんに注がれた。
「ええとー、覚えはないです」
「何気ない一言で傷ついたことがあるはずよ〜、たとえば、あなた短いスカートをはいてらっしゃるわねぇ〜、そのスカートのこと、褒められたりするでしょう。いやらしい顔で『綺麗な足だね』とか」
「はい、言われます」
「ほーらやっぱり。そんなとき、どう感じるかしらぁ、スケベっぽいオヤジのその言葉に。気味が悪いでしょう?」
「いいえ、結構うれしいです」
 サブリは、智恵子ちゃんの予想外の答えに慌てた。
「え? え・・・・・・あ、あの・・・・・・ま、まぁ、褒めてもらえたというところはちょっと嬉しいかもですわねぇ。でもでもスケベっぽく言われたらどうかしらぁ?」
「光栄ですぅ。この年で色気がなかったら困りますから」
「あら・・・・・・。た、例えば〜、そのスカートのことから話題が発展してですよ〜、下着の話とかでてくるでしょう。『今何色?』とか。ね? ね? 嫌でしょ?」
「色くらいいいじゃないですか。私いつでも白ですし」
「あ・・・・・・。あ、あの、そういうスカートをはいてると、今度は他のもっとエッチな服着てこいとか、そういうふらちな男がいるでしょう?」
「いませんよ。でも、リクエストがあればレオタードでも水着でもなんでもOKです!」
 実際、智恵子ちゃんは僕と一緒に外出するとき、服装について「リクエストがあればなんでも」と言っていたのだ。
 サブリはびっくりして目を白黒さえていたが、その動揺を隠しながらかろうじて口を開いた。
「あ、あの、あのね、そうするとあなたはセクハラというものをどう考えていらっしゃるの? いったい、どういうことだとセクハラだと感じるの? お聞きしたいわ!」
 サブリは責めるように智恵子ちゃんに言った。すると智恵子ちゃんは、待ってましたとばかりに笑顔を浮かべて、大きな声で言った。
「何をするとセクハラか、じゃないです。『誰がしたらセクハラか』です!」
 智恵子ちゃんがそういうと、すると、女子社員全員が、頷きながら一斉にセク原田を見た。
 恐れおののくセク原田が智恵子ちゃんに助けを求めるような目で訴えかけると、智恵子ちゃんはまたサブリに向き直り、
「それからもう一つあります。それは、『誰にしたら、セクハラか』です。何でもかんでもセクハラってわめく迷惑な女も、いますものねぇ」
 男性社員たちは一斉にサブリを見て、うんうん、と頷づいた。
 とてもわかりやすく、実例を伴ったセクハラ講習会は、大盛況のうちに幕を閉じた。