バリー岡田の陰謀

この連載について

 バリー岡田は、情報システム部システム課課長。すなわちわたくしヒラリーマンの上司に当たる。
 いままでののほほん課長が部長に昇格。部長が重役に昇格してやってきた課長なのだ。
 バリー岡田のバリーは「仕事をバリバリやる」のバリーかと思われたが、実は「出しゃばり」のバリーだった。
 とにかくなんでも自分が仕切らないと気が済まない。常に自分が中心にいないと我慢できない性分の持ち主である。
 バリー岡田は52才。この年でやっと課長になったバリーは就任した日に重役より、「ヒラリーマンをシステム課のリーダーに育成してくれ」と言われて仰天した。
 重役は単に「もうあいつも40なんだから、指導者クラスに成長させてくれ」という意味で言ったのだが、ヒラリーマンがもしも課長代理にでもなったら、数年後に自分の後がまに座ってしまうと考えた。
 やっと手に入れた課長ポストを奪われたくない。
 そんな一心でバリー岡田は「ヒラリーマンを管理職にしない方策」を展開させることにした。
 その作戦の骨子は「ヒラリーマンに仕事をさせない」というものだった。仕事をしなけえば、「あいつはだめです」という報告が出来るからだ。
 ヒラリーマンが管理者になっていたサーバーを「あいつにいじれないようにしてくれ」とSEにパスワードの変更をさせたり、ヒラリーマンが休暇を取っている日にわざわざヒラリーマンが担当する仕事の会議を開いて勝手に内容を決めてしまうなど、とにかくヒラリーマン排除に躍起になった。
 ところがヒラリーマンは管理職になってめんどくさい仕事をする気などさらさら無いので、「課長が全部やってくれるなら、楽チンだ」といたってのんきにしていた。
 しかしさすがのヒラリーマンも、私欲のために無理に知り合いの業者に仕事を出そうとしたり、そのために自分を騙したりするバリーに腹が立ってきた。
 そしてついに、堪忍袋の緒が切れて、あるシステム開発を巡ってバトルを繰り広げることになったのである。

 これは現実の現在進行形のドキュメンタリーを元にした連載小説です。
 現実は現在進行形なので、最後がどうなるのか作者の僕自身にもわからないところが味噌です。
 バリー岡田の陰謀も「過去のエッセイ」に格納しておりましたが、連載ものが時系列と逆に並んでいるのは読みにくいと言うので、別の入れ物にいたしました。
 それではお楽しみください。

2002年4月16日 実録連載−バリー岡田の陰謀1。鈴木SEに何があったのか?

 新しいシステムを構築することになった。そしてその現場の指揮は僕が執ることになったのだ。
 本来なら課長が行う役目なのだが、重役と部長が相談した結果、「ヒラリーマンにやらせよう」と決めたのだそうだ。
 僕には7人の部下が与えられ、プロジェクトがスタートすることになった。プロジェクトチームではシステムの概略を取りきめ、業者に出す情報を整理していく。開発が始まれば詳細の決定をこの機関がしていくのだ。
 僕はプロジェクトが発足する前の準備を進めた。そして2ヶ月かけてプロジェクトの推進方法やシステムの大枠の案を作り上げた。
 次ぎにSE(システムエンジニア)の意見を聞く必要があった。技術者の目から見た意見を加えて、この案の実現性や合理性を整えるのだ。
「来週この案でSEの鈴木さんに話をしてみようと思うんですけど、どうでしょう、岡田課長?」
 僕は作った資料をバリー岡田に見せた。まずは上司の課長に承諾を得てから話すのが筋だと思ったからだ。
「どれどれ。ああ、なるほどねー」
「いろいろな案が出る中でもみにもんで、これが僕としての最終案です」
「ほーほー。へーそうなんだ。なーるほどねぇ。いいんじゃないの、ヒラリーマンくん。良くできてると思うよ。うーん、これでいいじゃない。まぁこれは君の担当だ。この線でがんばってやってくれ」
 バリー岡田はなんら反対するわけでもなく、激励してくれたのだった。
「俺もちょうど鈴木SEに話があるから、君の方はあとにしてもらえないかなぁ」
 岡田課長にこういわれたので、僕は翌日鈴木SEに話をすることにした。

 僕は約束通り翌日の午後に鈴木SEと打ち合わせを行った。
 鈴木SEは自宅にコンピュータールームを設備し、サーバーを何台も操るのが趣味という、趣味と仕事が一緒というコンピューターマニアでもある。
 コンピューターさえいじっていればゴキゲンの彼は、いつでもコンピュータールームでニコニコしている。
 ところが、そんな彼が今日は違う。暗い顔をしているし返事も湿っているのだ。
「この資料の通りなんだけど、こんな感じでやろうと思うんだけど、どうかな?」
 しかし、彼は眉を寄せたままじっと資料を見ているだけだった。
 そしてしばらくすると鈴木SEはぽつりと言葉をこぼした。
「この案では駄目です。もう一度岡田課長と相談して再検討してください」
 何が悪いというわけでもなく、どうした方がいいとも言わない。これではさっぱり話がわからない。
「だからねぇ、鈴木さん。反対するなら反対するでいいんだけどさ、理由を言ってよ。壊れちまった人形じゃないんだから、ただブルブル首振ってたって、しょうがないでしょうに」
 それでも鈴木SEは「うん」とは言わないし、明確な反対理由も言わないのである。
 実は我が社はいわゆるアウトソーシングをしており、SEは全てコンピューター会社からの派遣である。だから彼らは我が社の社員的立場で働いているけれど、実は外部の人間だという、ちょっとめんどくさい位置にいるのだ。
 いつまで経っても鈴木SEの態度が変なので、僕は彼の顔をのぞき込んだ。どっか具合でも悪いのかと思ったからだ。
「ねぇ、鈴木さん。あなたもしかして・・・・・・」
 ここまで言うと鈴木さんは飛び上がるようにドキッとして見せた。そして、「あーばれちゃった。もうだめだ。あーもうだめなんだー」とばかりに降参してベラベラとしゃべり出したのである。
 こっちがなんのしっぽも掴んでないのに、後ろめたいことがあるとこういう勘違いをする気の弱い人が世の中にはいる。彼もその類なのである。
 そして彼の口から飛び出した言葉は、信じられない内容だった。それはまさに、バリー岡田が仕組んだ陰謀の一部だったのである。

2002年4月17日 実録連載−バリー岡田の陰謀2。妨害工作

「いったいどういうことなんだよ、鈴木さん?」
 僕は鈴木SEの告白内容を聞いて唖然としてしまった。鈴木さんも僕にどう説明していいのか考えあぐねているようだった。というよりも、いったいこれはなんなのかという、理屈の整理が終わっていないのだ。
「どうしたもこうしたも、昨日いきなり岡田課長から言われたんです。わたしだって何がなんだかわからないし、耳を疑いましたよ」
「そりゃそうだよなぁ。いったいバリーの奴、どういうつもりなんだろ?」
 僕だって「これはこういうことだ」という確固たる解釈をできないでいるのだ。
 鈴木SEの話はこうだった。
「昨日突然岡田課長に呼ばれて、こう言われたんです。『ヒラリーマンの案に同意するな。あいつの言った通りにするんじゃない。とにかく反対しろ』って」
 部下に「その線でガンバレ」と言った課長がその日のうちに「その線に反対しろ」と別の人に吹き込んでいるわけだ。わけがわからない。
 僕が作った案に、実は課長は反対なのだろうか。でもそれを言いにくかったのだろうか。そうとしか考えようがないじゃないか。
「つまり課長は僕の案に反対だってことなのかな?」
 鈴木SEは複雑な顔をして答えた。
「そうじゃないみたいです。だって、『今後ヒラリーマンが出してきた案にはすべてNOを出せ』って言われましたもの」
 なんじゃそれ。僕のたまの中はパニック状態になってしまった。
「それ、どういうこと? 何がなんだかさっぱりわからないよ」
 鈴木SEはしばらく考え込んでいたが、意を決したように言った。
「あのー、岡田課長は多分ヒラリーマンさんの仕事がうまくいかないようにして、自分にプロジェクトの指揮権が来るようにしたいんだと思います」
 そんなバカな。部下から仕事を取り上げたくてそんな画策をするなんて、三文小説みたいなことをするサラリーマンが現存するわけがない。それは考えすぎだろう、と僕は思った。
 ところが、そうでもないらしいと思わせることを、鈴木SEは話し始めたのだ。
「実はですね、プロジェクトの現場指揮官がヒラリーマンさんと決まった日に、岡田課長と酒飲んだんですよ。プログラマーの清水さんや洋子ちゃんも一緒でした」
 清水さんは45才のエスパー的能力を持つプログラマーで、洋子ちゃんは30才の美人プログラマーだ。ふたりとも会社に常駐しているし現在は僕の指揮下にあるけれど、やはり身分は別会社の人だ。そして余計な話だがこのふたりは不倫の仲にある。
「それで?」
「そのときバリー岡田が酔っぱらって言ったんですよ。『なんでヒラリーマンが指揮を執るんだよ。なんで俺じゃないんだ!? 俺が課長だぞ。部長も重役も何考えてんだ。ったく、頭に来る。いいかおい! 数ヶ月してみろ。数ヶ月後には俺が指揮を執ってるからな! ヒラリーマンは降りることになるから、見てろよ!』って」
 僕の口はあんぐりしたまま固まってしまった。開いた口がふさがらないって奴だ。
「なんてこった」
 あり得ないと思っていた三文サラリーマン小説が実際に展開されているらしい。にわかには信じがたい話だが、どうやら事実らしいのである。
 バリー岡田は僕に「ガンバレ」と言ったとき、満面の笑みを浮かべていた。あのにっこり顔を作りながら、彼はそんなことを考えていたというのか。
 しかし、僕は単純にこの話はもっと複雑なのではないかと考えた。そうでないと不自然じゃないか。
 僕はこの部署に10年以上いる。鈴木SEや清水プログラマー、洋子ちゃんともそのころからのつき合いだ。その彼らに自分のたくらみをベラベラ喋ればいずれ僕にたれ込んで来るに決まっている。それを考えないバカはいないだろう。
 ということは、この話が僕の耳にはいることを彼は想定していると考えるのが当然だ。 いったいバリーにはどんなもくろみがあるのだろう・・・・・・。
 僕はまず、バリー岡田のおそらく高度と思われる作戦の全容を掴むことにした。

2002年4月18日 実録連載−バリー岡田の陰謀3。バリー岡田はバカだった

 直属の上司であるバリー岡田が仕事の妨害を画策しているというのは、何ともショッキングな事件だ。
 本来なら自分の助けをしてくれるはずの上司が、自分を陥れようとしている。ミスがあれば庇ったり手を貸してくれるはずの人なのに、今は隙さえあれば足を引っ張ろうとしているのだ。
 もしも僕がここでちょっとでもミスをしたら、おそらくバリー岡田はその傷口を広げようと躍起になるだろう。全く嫌な人間関係だ。
 僕はそれほど一生懸命仕事をしたいとも思わないし、出世にもほとんど興味がない。だから、「この仕事は自分がやりたい」と課長が言ってきたら、「はいどうぞ」と言っただろう。しかし、自分を陥れようという画策には腹が立つ。いくら脳天気でも、そんな企みを成功させてやるほどお人好しでもないのである。
 いろいろと調査した結果、バリー岡田は鈴木SEに圧力をかけただけではなく、あちこちで「ヒラリーマンがリーダーでやってもうまくいくわけがない。わたしが結局はケツを拭くことになる」という話をしまくっていることが判明した。
 もちろんその話の中にはヒラリーマンとはいかに駄目社員かという酷評もついているのだけれど、それについては、「まー当たってるかもなぁ〜」なんて思っちゃうからちょっと情けない。
 バリー岡田のこうした行動はそれからしばらく続いたのだが、僕の耳には面白い話も飛び込んでくるようになってきた。
「岡田課長の話を本気で聞いてるバカもいるけど、部下の悪口と自分の宣伝をあれだけしまくってれば、『あいつ、おかしくないか?』って普通の人は思ってきてるみたいだよ」
 宣伝部の課長代理がそう教えてくれたのだ。
 管理職の仕事の一つは部下を指導してもり立てることにある。管理職としての評価項目の中にも「部下の育成」というのがあるのだ。それなのに部下の仕事がしにくくなるような言動をあちこちでやってるのだけら、周りの人たちも「なにあれ?」と疑問を持ち始めたらしい。
 バリー岡田が何らかの意図を持って鈴木SEや清水さんに喋ったのかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。バリーはその人と僕との関係など全く考えることなく、いつでもどこでも言いたいことを喋ってしまうと言う、考え無しのオタンコナス野郎だったのである。
「相手がバカならこの勝負、勝てるかもしれない・・・・・・」
 と僕は思い始めていた。

 そんな折り、事件は起こった。
 今回のシステムはプロジェクトチームで概要を決めたら、業者を数社選択して競争入札を行うと言うことになっていたのだが、ここに思いもかけなかった会社が参加することになったのだ。それは10年以上前に当社の仕事をしたことがある、ダンピングシステム株式会社だった。
 実はこの会社はバリー岡田の友人が興した会社で、以前バリーがシステムの仕事をしていたときに彼の口利きで使った会社だ。そしてバリー岡田が他部署に移動してからは一度もこの会社が使われなかったのは、「仕事の質が悪い」という評価であったためだと僕は先輩社員から聞いていた。
「どうして今ごろダンピングシステムが入札に参加するんですか?」
 僕は当然の質問を重役に浴びせた。
「いや実は、岡田課長の推薦なんだ。なかなか優秀な会社だから是非とも今回の入札に加えたいと言ってきたので許可したんだけど、ヒラリーマンくんも承知してる話じゃないのかい?」
 僕はその質問に対しては軽く否定しただけで、それ以上言及しなかった。
 バリー岡田がいったいどういうつもりでダンピングシステムを呼んできたのか。それがまたまた陰謀なのか、それとも単に参加会社を増やしただけなのか、その辺がはっきりしないからだ。
 ところが、このダンピングシステムの入札参加にはとんでもない裏が存在したのである。

2002年4月19日 実録連載−バリー岡田の陰謀4。バリー岡田のアルバイト

 バリー岡田は鈴木SEを信用しきっていた。いや、信用ではなくてたかをくくっていたのだ。
「言う通りにしないんだったら、おたくの会社切るからね!」
 鈴木SEは今までの仕事の中で、この言葉を再三バリー岡田から言われていたのだそうだ。そのたび鈴木SEはブルっていた。
 それを見たバリー岡田は「こいつは俺の不利益になることはしない。できる分けない。俺のしもべだ」くらいに感じてしまっていたのだろう。
「『業者の奴はちょっと脅せばビビってこびてくる。このポジションは面白いね。やめれないよ』って言われました」
 と、鈴木SEがこぼした。
 そんなことを出入りの業者の社員に直接言うというバリーの神経に、僕は呆れてしまった。
「今回の仕事と次のデータウェアハウスの仕事は、ダンピングシステムにもっていくって言われましたよ」
 鈴木SEがぽつりと漏らしたこの言葉に僕はまたもや驚いた。
 これから入札をしようというシステムの開発業者をシステム課長があらかじめ決めているというのはどういうことなのだ。今まで当社のシステムを引き受けてきた大同システムなら話はわかる。彼らはうちのシステムを知り尽くしているから任せれば仕事は速いし正確だろう。いつも使っている業者を安く使うために他の業者を入札に加わらせて出来レースを行うことはなくはない。しかし、その業者を使いたい明確な理由があるからそうするのだ。今、当社にとってダンピングシステムを使いたい理由なんて、何もあるわけがないのだ。
「でもさぁ、鈴木さん。友だちがやってる会社だから仕事を出したいなんてことあるかなぁ。いろいろとリスクもあるわけだし、内情を知らない会社にやらせるというのは難しいよね。厚い友情ってわけかな?」
「そんなんじゃないですよ。岡田課長、ダンピングシステムの顧問ってことでお金貰ってるみたいですよ」
 なにぃ!?
 なるほど。そう言うことだったのか。
 実は我が社の規定は他社に比べていろいろな方面でゆるい。例えば、アルバイトについても本業に影響がなければやっても構わない。この会社で平社員をやりながら、親が経営する会社の取締役に就いている人だっている。だからそれ自体はどうと言うことはないのだけれど、バリーの場合は単純ではないらしい。
「『仕事をいくつか持っていかないと、俺もやばいからな』って漏らしてましたよ」
 仕事を持っていかないとやばい? ってことは、彼はうちから仕事を出すという約束をして金を貰っていると言うことなのか? まてよ、そうなるとこれはただアルバイトをしてるという話ではないじゃないか。
「実はですね、ヒラリーマンさん・・・・・・」
「なに?」
「実は岡田課長が大同システムの営業さんを呼び出して・・・・・・」
「え? おれ知らないよ、そんなこと?」
「そうなんです。だからヒラリーマンさんに内緒で、大同システムの加藤課長に『おたくにはコンピューター本体を発注するから、ソフト開発はあきらめろ』って通告したらしいです」
 なんだって!?
 入札はコンピューター本体とソフトを合わせた一括の発注と言うことになっているはずだ。それに、コンピューター本体なんて儲けにはならない。おいしいのはシステム開発の方なのである。
「つまりそれって、お小遣いをちょっとあげるから、それ以上出しゃばるな!ってことかい?」
「そういうことでしょう」
 これはえらいことになってきた。僕の仕事を妨害されるとか、誰が主導権を握るかなんてくだらない話しではない。
 もしかしたら会社にとって不利益になるかもしれない、個人の利益のための画策をバリー岡田はやろうとしている疑いが出てきたのだ。

2002年4月22日 実録連載−バリー岡田の陰謀5。入札業者をこっそり呼び出す

 今回のシステム開発では業者を競争入札で選ぶことになっていた。
 競争入札と言うと、「出来るだけ安いところから買う」というのが一般的だ。すでにできあがっているものを買うのなら、単純に価格だけで決めればいいのだからそうなる。しかし、今回の入札はそうではない。提案を含めた入札なのだ。
 どんなシステムを作ってもらいたいかの最低限の条件は我が社で作成してある。しかし今回はそれに加え、それらの条件を満たしつつ、各社の提案を組み込んでどんなシステムをいくらで作ってくれるのかという、提案を含めた入札を行うことになったのである。こうなると条件の範囲内にあってもそれぞれ品質が違ってくる。
 それに、業者のプロジェクト体制も評価の対象となる。あまり貧弱な体制だと期限内に納品できなかったりすることがあるからだ。それに、アフターサービス内容も見なくてはいけない。
 さらに大事なのは、システム開発中に我が社からどれだけ手を貸してあげなくてはいけないかと言うことだ。こちらの作業が大変になれば残業も発生するし、人手も集めなくてはいけないので経費がかかる。
 そんなことをあれこれ検討した結果、業者を決定するのである。

「おい、ヒラリーマンくん。各業者にはわたしが説明をしようか?」
 バリー岡田が僕の様子をうかがうようにして言った。
「いやね、君が忙しそうだからさ。業者には条件を告げるだけだろ。だったら俺がやってやろうかと思ってね」
 どうもあやしい。
「いえ、一応わたしが任された仕事ですから、わたしが責任を持ってやりますよ。お任せください」
 僕は突っぱねた。バリー岡田はあからさまに不快な顔をして言葉を続けた。
「じゃー俺もサポートというかなんというか、同席しよう」
 それを断ろうと僕は口を開けかけたが、バリーはそれを遮るようにして喋り続けた。
「俺はなんにも口出ししないから。何しろ君が担当だ。俺は見てるだけ。上司として一応な。いるだけってことで参加させて貰うよ」
 そこまで言われたら断りようがない。嫌な予感はしたけれど、僕はその申し出を受けることにした。
 それにしても、どうしてバリー岡田は業者への説明にあんなに出席したがるのだろう。そのことが僕の中ではずっと引っかかっていた。

「岡田課長はなにがなんでもダンピングシステムに仕事を出すつもりですよ」
 午後になって、鈴木SEが僕にこっそりと耳打ちをした。鈴木SEと話をするのはいつもコンピュータールームなので、ほとんど防音の中での密談と言うことになる。だからバリーに聞かれることはまずない。
「でも、入札だぜ。それは無理だろ。バリーの好きには出来やしないよ。条件が出てきたらそれを見て、俺が評価をつけて部長と重役に見せて説明して、了解を得ることになってるんだからね」
 確かにそう言う手順と言うことで僕は聞いていた。
「ところが、昨日岡田課長が部長に談判したらしいです。業者を使ってもしもなにかあったときにヒラリーマンさんに責任を負わすのはかわいそうだ。課長である自分が責任を持って業者を使うのが筋だから、業者決定についてはヒラリーマンさんの意見を十分聞いた上で自分が決定するって。そう言う話で部長は了解したから、業者の決定権は自分にあるって言ってました」
 バリーめ、うまいことをいって手を回し始めたのだ。部長はまだバリーの本性に気づいていない。部下思いのいいやつくらいに思っている。僕としても人の悪口を耳打ちするのは気分が悪いので、自分で勝負をつけてやろうと思っているから、そのことは部長にも言っていないのだ。
 しかし、とにかく入札なのだ。もしもダンピングシステムの入札結果がいいものだったら、それはそれでいい。いくらバリーが決めると言ってもそれは出された入札結果から論理的にはじき出した「もっとも良い業者」でなくてはならないのだから、あからさまに不正が出来るわけでもない。
「構わないさ。バリーがもしも無理を通せば、部長だって重役だって『おかしい』とそこで思うだろうし、ストップをかけるよ」
「そっか。それもそうですね」
 とにかくちゃんと入札結果で買ったのなら、ダンピングシステムでもどこでも構わないじゃないかということで、僕と鈴木SEの意見は合った。

 ところが、そんな簡単に済むことではなかった。なんとバリー岡田は入札参加業者をこっそり呼びだして、事前に手を打ち始めていたのである。その内容が僕に漏れては困る。バリー岡田はそう思ったらしい。
 もしも業者説明会で業者が僕にそのことを喋っては困る。そこで、そうならないよう目を光らせるために彼は業者への説明会に出席する必要があったのだ。
 しかし、その内容はすぐに僕の知るところとなった。業者向けの説明書を作成するために残業していた僕のところへ、大同システム電話がかかってきたのだ。
 それは今までに例のない、業者からの申し出だった。

2002年4月23日 実録連載−バリー岡田の陰謀6。加藤課長の直訴

 残業中に、大同システムの加藤課長から電話をいただいた。
「ヒラリーマンさん、ちょっとお話がありまして、おじゃましたいのですが・・・・・・」
 いつもうちに顔を出している営業さんのくせに、どうも様子がおかしい。
「いつでもどうぞ。なんなら明日でもいいですよ」
「それはありがとうございます。是非明日に。それでその、お会いする場所なのですが、ホテルの喫茶室でお願いできないでしょうか?」
 営業マンがホテルの喫茶室で会いたいと言うことは、いったいどういうことか。それはきっとすごいことに違いない・・・・・・と考えるのが普通なのだろうけれど、僕は違うことに考えを巡らせていた。
「ホテルのケーキがタダで食える」
 と。 「構いませんよ。それじゃ午後の3時にどうですか?」
「もうちょっと早くはいかがでしょうか?」
「でもねぇ、それだと昼飯食ったばかりだからケーキが・・・・・・」
「は?」
「いえ、なんでもありません。んじゃ、1時にロビーで待ってます」
「それと、この件は岡田課長様にはくれぐれも内密でお願いいたします。よろしくお願いします」

 翌日僕は、待ち合わせのホテルの喫茶室にいた。待ち合わせが1時だからホテルで食事してしまおうかと思ったのだが、ランチが2500円はちょっと高い。仕方がないからすぐ近くのラーメン屋で軽めに食事を済ませた。
「お待たせしました。本日はこのような場所で申し訳ありません」
「いえいえとんでもない。何しろケーキが・・・・・・」
「は?」
「あ、なんでもないです」
 加藤課長は部下の山部さんを伴っていた。
 僕はチョコレートケーキにするかそれとも特製モンブランにするかと悩んでいたのに、ふたりがコーヒーしか注文しないので、僕だけが注文するわけにも行かない。昼食を少な目に取ったのに、計算違いだったようだ。
「実は岡田課長に言われたのですが・・・・・・」
 加藤課長が切り出した。「入札ですが、『まずはおれに渡せ。俺がチェックしてからヒラリーマンに渡す。場合によっては書き直してもらう』と言われたんです」
 僕はコーヒーを一気に飲み干した。
「それ、どういう意味です?」
「それはおそらく、入札にうまく負けるように作れと言うことだと思います。なにしろ、今回はあきらめろと言われていますから」
 我々の場合、入札と言っても役所のようにちゃんとやるわけじゃない。システム課長が受け取って中身を見て、「これはこうだから、今回はこっちにすっぺ!」と適当に決める程度が常だ。ところが今回はそれも僕の仕事になっているので、バリー岡田に出番はない。しかしそれで黙っているバリーではなかったと言うことだ。
「今回の仕事、うちも逃すわけにいきません。そこで何とかヒラリーマンさんにお願いしたいと思いまして」
 僕はしばらく考えた。バリーのことも腹が立ったけれど、だからといって安易に業者と手を組むようなことは出来ない。しかし、バリーの奴にはぎゃふんと言わせてやりたい。そんな気持ちで僕は腹を決めた。

「まず申し上げますが、僕は大同さんの肩を持つつもりはありませんし、ダンピングさんを拒否する気もありません。でも、今の話が本当なら、とんでもないことだと思います。それで、面白いことを考えたので、僕に任せてもらえますか?」
「あのそれは、どういうことになるんでしょう」
「おたくが困ることにはなりませんよ」
 不安な表情を崩さない加藤課長を横目に、僕はウエートレスを呼び止めた。
「チョコレートケーキ3つね!」
 出陣の儀式としては「酒!」といきたかったけれど、今日はこれで我慢するとしよう。
 待ってろバリー。好きなようにはさせないぜ!

2002年4月24日 実録連載−バリー岡田の陰謀7。バリー封じの手

 加藤課長と話をしたあと、僕は会社に戻って、すぐに部長に会った。
 僕は加藤課長と話している最中に、ふとアイデアが浮かんだのだ。とにかくこうなったらバリーのやつを封じなくてはいけない。
 奴を封じるにしても、「あいつはとんでもない奴です」と部長や重役に言ったところで、彼らはバリーが正しいのかヒラリーマンが正しいのかを判断することができない。その証拠がないのだ。
 世の中には先に聞いた話を「本当の話」と決めつけてしまう井戸端会議おばさん的なサラリーマンも存在するが、さすがに重役や部長にその手は通じない。
 だから、僕としても「恐れながら〜」と訴え出るわけにもいかないのである。
 そこで僕は、「当たり前の提案」でバリーを封じることを考えていた。誰も反論のしようがない、反論する必要がない、当たり前のことを提案することでバリーを封じる。そうすればバリーだってあからさまに抵抗はできないはずだ。

「実は部長、今回の入札ですが、きちんとした入札方法をとりたいんですが、いかがでしょう?」
「きちんとした? 役所みたいにかよ?」
「ええ。ちゃんと日時を定めて、その時間までに封をして提出してもらいます。そして、開封は重役以下関係幹部の目の前で行い、中身を確認するという方法です」
「ほう、そりゃおめー、本格的だな。しっかしよーひらりーまん、なんでそんなめんどくせーことするんだ?」
 前課長だったこの人が当社のいい加減な入札方式を作った張本人だ。しかし自分ではいい加減だと思ってないから、普通のやり方が妙にすごいやり方に見えるのだろう。
「それが正式なんですよ、部長。今回は超大手のコンピューター会社も新しく参加しますでしょ。だから、きちんとしたやり方をするところを見せないと、会社としても格好が悪いじゃないですか。ね?」
「なーるほどな。でもやっぱりめんどくさい気もすっけどなぁ〜」
「いやしかし、せっかく部長になったんですし、なんかこう少し格好付けたことしてもいいんじゃないですか?」
 こういうときはおだてるに限る。だいたい部長はおだてれば大概こちらの思う通りに動いてくれる人だ。おだててもちっとも出来なかったのは「標準語で話す」と言うことだけなのだから。
 結局部長は僕の提案を受け入れて、重役にもその方法でやるということで了解を取ってくれた。
 しかしこれで面白くないのはバリー岡田だ。突然降って湧いた話に、噛みついてこないはずがない。
 しかし、その降って湧いた話は全くおかしくないごく当たり前の話だから、あからさまにかみつくわけにはいかない。ここがミソなのだ。

「なんなんですかそれ? なんでそんなことになるんです?」
 事前開封が不可能となれば、大同システムの入札内容をコントロールするのは難しい。さらに、入札結果はみんなで検討しようと言うことになったのだから、まったく自分の胸三寸でやれなくなってしまった。バリーは慌てた。
「まぁ、入札ってのは本来そうするもんじゃねーのか? なにすろ新しい業者も入るんでよ〜、ちっと格好付けてやらねーと舐められちまっても困るしなぁ」
 部長がこうはっきり(言語は不明瞭)言えば、バリー岡田もそれ以上の反論が出来ない。
「それともなんか、それだと不都合があるのかぁ、岡田くん?」
 一瞬ドキッとして見せたバリーだが、部長が何か感づいているわけでもない。
「いえいえ、とんでもありません。それが当然の入札方法だとは思いますからねぇ。ただ・・・・・・」
「ただ、なんだ?」
「入札内容についての検討については重役や部長のお手をわずらわせるというのは・・・・・・」
「そりゃおめー、みんなでやった方が、おもしろいべ」
 こういう非論理的な答えを出されると、反論のしようがないものだ。

 幸いなことに部長は、バリーには入札方法が僕の提案であることは一切言わなかった。もしもそれを知ったらどんなアホなバリーでも、僕が反撃に出たことを知るだろう。いずれはそれもわかることだろうけれど、今彼に必死になられてはあとの始末が悪い。
 バリー岡田は不満な顔をすると言うよりも、考え込んでいる様子だった。おそらく彼は、対策を考え始めているのだと僕は思った。
 これはまだまだ油断が出来そうもないのである。

2002年4月25日 実録連載−バリー岡田の陰謀8。形勢逆転

 バリー岡田が勝手に入札結果をいじれないようにするために、僕は正式な入札方法を採るよう部長に働きかけて、それが成功した。
 封印した入札書類を重役以下皆の前で開け、しかもその内容の吟味を皆でするとなればバリーに手出しは出来ない。
 バリー岡田は自分と個人的なつながりのあるダンピングシステムに何とか仕事を持っていこうという作戦だったのだが、その企みを僕は完全に阻止してやった。
 いや、阻止できたと、そう思っていたのだが・・・・・・。

 業者への入札参加説明が開催された。説明内容は僕が率いるプロジェクトチームによって作成され、部長と重役の承認を得たものだ。
 当初は僕が1人で説明するはずだったのだけれど、バリー岡田が「俺は口出ししない。何も話さない。いるだけ」と参加を希望し、僕はそれを断る理由がなかったので、彼が同席することとなっていた。
 入札参加業者は、大同システム、ダンピングシステム、冨士山通信、三本電気の4社でダンピングシステムを除けばどこも大手のベンダーだ。そして説明会は合同ではなく、一社ずつ違う時間においでいただき、個別に開催をすることになった。各社は他にどこが入札に参加しいてるかもわからない状況を作ったのである。
 まず最初に、大同システムへの説明会が開催された。僕に直訴した加藤課長の顔もあった。
 会議室に入り5分ほど雑談をしたあと、まずは加藤課長が入札参加へのお礼を述べた。そしてそれに引き続き、僕が挨拶をしようと構えたとたん、隣からバリーの声が響いた。

「まーあのー。今回はこういうことで、入札をすることになりまして。まーあのー、私としては・・・・・・」
 まーあのーでしゃべり始めるのがバリーの癖だ。故田中角栄氏の「まーこのぅー」ほどはパンチのない、軽い調子での「まーあのー」なのだが、いつもこの「まーあのー」で場を仕切るのだから、それを知ってる人は「またはじまった」とうんざりするのである。
「なにもしゃべらない」はずのバリー岡田はここから一時間以上喋りまくり、入札の概要まで全部喋りまくったあと、「では詳細はヒラリーマンくんに・・・・・・」とつないだが、付け足すことなどほとんどなかった。結局彼は入札参加業者すべてに対してこの調子でパフォーマンスを繰り広げたのだ。
 業者の人というのは客となる会社の誰に力があるのかと言うことにとても敏感だ。その人に話を通さない限り、仕事はもらえないからだ。
 今回のこのバリーのパフォーマンスで彼は「このプロジェクトを仕切っているのは俺だ。ヒラリーマンは俺の配下に過ぎない」というプロパガンダを大々的に行ったのだった。
 そしてその効果は絶大で、その後あらゆる相談が僕ではなくバリーのところに来るようになったのである。

 主導権を握ったと考えたバリーは僕に対する物言いも高圧的になり、「今回の仕事はヒラリーマンに」と断言した重役や部長が同席の会議でも、遠慮なく仕切り始めた。
 そして部長に再度談判したのだ。
「やっぱりヒラリーマンではまだ無理です。今回はとりあえずわたしが彼を指導しながらわたしがやっていきますよ」
 部長から見てもすでに仕切っているのはバリーであると見えただろう。部長にしても一億円を超える今回のシステム開発を失敗させるわけにはいかない。
「ヒラリーマンでは失敗する」
 そう再三バリーに言われて本当に失敗したら、責任を取らなくてはならない。そう考えるのがサラリーマンと言うものだ。
 形勢は完全にバリーの側に傾いていた。

2002年4月26日 実録連載−バリー岡田の陰謀9。バリーはユニックスがお好き?

 業者がなんでもバリーに話を通すようになってきてしまったが、それは仕方がない。その人がキーマンだと思えばそのようになるものだ。
 しかし、入札方法は正式なやり方になったのだから、バリーが好きなようにかき混ぜることは出来ない。それならば誰が主導権を握ろうと僕にとってはどうでもいいのだ。
 今回開発するシステムにはサーバーが必要になる。しかし、どんなサーバーを導入するかまではこちらからは指定をしないでいた。おそらくサーバー本体はユニックスサーバーになるか、WINDOWSサーバーになるかのどちらかだろう。
 業者説明の中では、「提案型入札なので、複数の提案を認めます。たとえば、ユニックスサーバーだけど高額なものと、WINDOWSサーバーだけど安価なものとを出してもらっても結構です」と言ってあった。
 常識的にはWINDOWSサーバーの方がはるかにやすい。その代わり、信頼性やセキュリティーの強さから言えばどうしてもユニックスサーバーに軍配が上がるだろう。
 しかし、今回の入札は単純な価格競争ではなく、総合的に判断をしようと言うものだからそれでいいのだ。
 高くて高級なものと安くて一般的なものを比べてどっちを買うかという選択だって、ある。だから両方の提案を出しておく方が業者としても安心できるのである。
 僕は提案をみてから決めようと考えていたが、バリーはどうもユニックスが好きらしく、業者説明の中でも声を大にして力説した。
「WINDOWSサーバーとユニックスサーバーを比べれば、明らかにユニックスの方が性能は上です。わたし個人としてはWINDOWSサーバーではセキュリティー的に問題があると思うし今回のシステムにはそぐわないものだと思っています。信頼性の面から見ても両者には歴然とした差があると言っても過言じゃありません。しかし、当社にも予算というものがあるし、是非ともWINDOWSサーバーも視野に入れたいという意見もあるので、どちらの見積もりを出されても、いっこうに構いません」
 要するにWINDOWSサーバーは採用する気はないけど提案を出したければ出してみろ、と言うことなのである。
 各社とも張り切って提案に着手したようではあるが、実際のところ本命ははっきりしている。何と言っても当社のシステムを手がけている大同システムと、バリーがてこ入れをしているダンピングシステムの争いになるだろう。あとの2社はコスト競争力が高いとは言えないし、今回は様子見の参加と言っても良い。
 今までの実績もあり、また現行システムの中身を知っているという点では開発品質も開発速度も大同システムがダントツなはずだ。僕らの手間もあまりかからないだろう。
 一方バリー岡田が後押しをするダンピングシステムは現状分析をしながらの開発になるし、過去の悪評からすると心配な部分が多かった。
 したがってよほどの金額的格差がつかないと、ダンピングシステムの採用ということにはなり得ないだろうと、僕は思った。
 数日後、また大同システムの加藤課長から会いたいとの連絡を貰い、またホテルの喫茶コーナーで落ち合った。
「今日はなんですか?」
「実は、岡田課長にくぎをさされました」
 僕にはなんのことかわからなかった。あの入札方式で妙なことが出来るはずがないからだ。
「なんのです?」
「WINDOWSサーバーでの提案は認めないと言われました」
「ああ、あのひとWINDOWS嫌いだから。でも、ユニックスと二つ出せばいいじゃないですか?」
「それが駄目なんです。WINDOWSサーバーの企画を出したら、全部没にすると言われました。ユニックスだけにしろと言うんです」
 僕にはどうにも意味がわからなかった。
 彼はあからさまにユニックスサーバーを推奨している。ならば、出てきた結果を見て、ユニックスを選べばいいのに、どうして最初から案を出すなと言い出したのだろう?
「それで、なんの得があるんでしょうね?」
「おそらく、部長さんや重役さんが『安いからこっちにしよう』と言い出すと困るからじゃないかと思うのですが・・・・・・」
 なるほど、そういうわけか。もともとWINDOWSの企画も出させようとしたのは僕だ。彼はそれが気に入らなくて、個別に呼び出してはその提案自体を止めていたのだろう。  おそらくすべての業者がそういう釘をさされているはずだ。
「僕も結論的にはユニックスがいいと思ってるんです。だから別に大したことじゃないかもしれない」
 僕がそう言うと、加藤課長はほっとしたような表情で言った。
「つまり、ユニックスの方がいいと言うだけであって、我が社の不利になるような話というわけではないと言うことですよね?」
「多分そうでしょう」
 ぼくも加藤課長と同意見だったのだ。
 しかし、これにははとんでもない策略があったことを後で知ることになった。

2002年4月30日 実録連載−バリー岡田の陰謀10。提案結果検討!

 バリー岡田がWINDOWSサーバーの見積もりは出さないように大同システムに申し入れたのは、単に僕のしたいままにされるのが気に入らないバリーの抵抗だろうと、僕は考えていた。
 人間、つまらないことでも自分がもっている影響力を使ってみたくなるものだ。それによって、権力欲のようなものを満足させることが出来る。
 考えてみればいかにもちっぽけな権力欲だけど、ちっぽけなサラリーマンにとってはそれが大事なのかもしれない。とにかく業者に威張りたいバリーにしてみれば、「俺の言ったことの方がヒラリーマンの言葉よりも上なんだ」ということを実感できればいいのだろう。
 僕はバリーのことを上司に言いつけるつもりはないけれど、部長にも重役にも「複数の提案を各社から貰う」と説明していただけに、バリーのこの言動を伝えないわけにはいかなかった。
「そう言うわけで、WINDOWSの提案はないかもしれません。結果的にはユニックスになるとしても、安いシステムだといくらなのかというのも見てみたかったのですが・・・・・・」
 部長と重役はちょっと困った顔をしながらも、バリーの行為にたいして問題にするつもりはないようだった。
「まぁ、岡田君はたぶん、どうせ採用されない案を業者に作らせるのはかわいそうだと思ってそうしたんじゃないかな。他意はないと思うよ」
 そんな配慮がバリーにあるわけはない。しかし、上司にしてみればバリーの普段の言動など知らないのだし、業務上大きな問題があるとはっきり言えるだけの根拠がないのだから仕方がない。僕もこの場ではそれ以上何も言わないことにした。

 入札の提出締め切りの日が来た。各社それぞれ営業マンが封筒に分厚い提案書を入れてもってきた。余裕で前日にもってきた会社もあれば、時間ぎりぎりの会社もあったけれど、とりあえず4社分すべてが集まった。
 さすがに正式入札方法を採ろうとなったためにバリーが事前に提案書を覗いて業者に訂正の指示を出すということは出来なくなっていたから、もしかしたら大同システムもバリーの要求通りにしなかったかも知れないと、僕はちょっと期待をしながら封筒を開けた。
 後輩の矢田君が各社が提出した内容の概略を表の形でホワイトボードに書いていった。
 入札価格、機器構成、OS、提案概要などが書き込まれ、だんだんと表ができあがってきた。残念ながら僕の期待に反して大同システムはユニックスのみの提案をぶつけてきた。やはり、僕の意見よりもバリーの意見が通ったと言うことだが、平社員と課長の要請なら、課長の方を優先するのは業者としては仕方がない。
「結構高いなぁ、大同さん・・・・・・」
 大同システムの提案価格が高かったので、これじゃ他社には勝てないかもしれないなと、加藤課長の顔を思い出しながら考えていた。そしてふと顔を上げていま書き込まれたばかりのダンピングシステムの提案表を見て、僕は驚いた。
「ダンピングシステム(株)。1億2000万円。WINDOWS2000サーバー・・・・・・」
 WINDOWSサーバー? どういうことだ!
 WINDOWSサーバーの提案は蹴るとバリーは言っているのだから、これではダンピングシステムは最初に候補から消えることになる。バリーはダンピングシステムとうまく連絡を取らなかったのだろうか。
 バリーは鈴木SEに、「俺はダンピングシステムの利益になるようになんて偏った考えはもっていないさ。会社のためにもっとも良い業者を選ぼうと当然思ってる」と言っていたのだが、僕は「何を言ってやがる、背任野郎のくせに!」と思っていたのだ。
 すると、バリーの言った通りなのだろうか。バリーがダンピングシステムと組んで自分の利益になるように動いているというのは僕の勘違いで、彼は本当は会社のために一生懸命やっていたのと言うことなのだろうか。
 僕はなんだかわからなくなってぼーっとしてしまった。
 しかし、そうもしていられない。この入札会議は僕が主催者なのだから、議事を進行しなくてはいけないのだ。ところがそう思ったところで例の声がした。
「まーあのー」
 でたぁ・・・・・・バリーの出しゃばり攻撃!
「まーあのー、こういう形で各社の提案が出ましてぇー、まーあのー、こうして並べてみまして、まーあの〜」
 まーあのーの連発でバリーが解説するところによると、4社のうち要件を満たしているのは大同システムとダンピングシステムの2社だけなので、のこりの2社はまず落選と言うことだった。
 確かにその内容からして、僕もそれには賛成だった。落選の1社は入札価格で勝てないと思ったのかまともな勝負を避け、自社製品のCMをすることに切り替えたらしく、提案と言うよりもほとんどが宣伝行為だった。もう一社はある部分の開発に自信がないらしく、そこの部分は担当できないとしてきたため、お断りせざるを得なかった。
 さて残るは2社だが、ダンピングシステムはWINDOWSサーバーなのだから、それを頭から否定していたバリーとしては、落選にせざるを得ないだろう。
 すると残るは大同システムだけになるので、思ったよりも簡単に業者が決まることになってしまった。と、そう思ったのだが・・・・・・。
「まーあの〜」  またバリーがしゃべり出した。
「まーあの〜、これを見ますと、ダンピングシステムが1億2千万、大同システムが1億3千万円ですから、大同さんもがんばってくれましたが、まーあの〜ダンピングシステムの方が優位と言うことで・・・・・・」
 なんだって?
 おいちょっと待てよ。なんだそりゃ?
 ダンピングシステムはWINDOWSなんだから、落選じゃないのかよ!
 僕はキツネにつままれたような気持ちになっていた。 

2002年5月1日 実録連載−バリー岡田の陰謀11。採用業者決定

 バリー岡田はあれほど「WINDOWSサーバーでの提案は認めない」と言っていたのに、自分がコンサルタントをしているダンピングシステムの提案がなんとWINDOWSサーバーだった。
 バリーはこの会社をなんとしてでも採用しようと必死になっているのだから、当然ユニックスサーバーでの提案を安価に出してくるのだと僕は思っていた。これではダンピングシステムは落選決定なのだ。
 ところがバリーはしたたかだった。
 なんと、ダンピングシステムの提案をなんの否定的なコメントもつけることなく認めてしまったのである。これにはさすがに重役も部長も「あれ?」という顔をした。
 バリーは自分がWINDOWSを思い切り否定した話が重役と部長に伝わっていることを知らないのだ。
「まーあの〜そういうことで、ダンピングシステムの提案の方で決まりと言うことでよろしいでしょうか?」
 口をあんぐり開ける我々3人と、それに気づいてか気づかないでか、強引に決定しようとするバリー。そこにはしばらく無言の空白時間が発生した。
「岡田課長・・・・・・」
 やっと重役が口を開いた。「ダンピングシステムはWINDOWSサーバー、大同システムはユニックスサーバーだが、これらは比べてみて信頼性などはどうなのかね?」
 いい質問だ。これについては誰がなんと言っても「ユニックスの方が上だ」と言わざるを得ない。そしてそうなれば価格差だけで決定は出来なくなる。
「まーあの〜、確かに以前は差がありましたが、今に至っては全く差がありません」
 げげげげっ! なんだって?
 舌の根も乾かないうちにと言うかなんというか、呆れる意外にどうしようもない。自分が主張していたことをこうも簡単にひっくり返せるというのは、まともではない。
「まーあの〜、うちは銀行でもありませんし、このシステムは絶対に一瞬たりとも止めてはまずいと言うものでもないですし、幾分か差があったとしても、この構成で問題はないと思いますし、今では差がないと言って差し支えありません」
「24時間止まらずに稼働すること」。これがバリーが口頭で大同システムに言った条件の一つでもあった。それをあっさり何事もなかったように引っ込めたのだ。
「ヒラリーマンがいる手前、この間と違うことは言えない」とかなんとか、そんなことは考えないのだろうか?
 いつもなら、矛盾点を見つけたらすかさず攻撃してくる重役と部長だが、今回はやけにおとなしい。なぜかと思ったら、彼ら二人の脳の思考回路は停止してしまったらしいのである。つまり、ヒラリーマンの言うことが正しいとしたら、バリー岡田は完全にいかれてる。しかし、課長にまでなってる男がそんなはずはない。部長も重役も常識の範囲での問題に対して即座にあれこれ考えるのは得意ではあるが、常軌を逸した社員を目の前にすると、「計算対象外です」と脳みそコンピューターがはじき出し、ハングアップ状態になるらしいのだ。
 重役はかなりの間をおいてから、再び言葉を発した。その発言は終始冷静に言葉を選んだものだった。
「岡田課長。評価の方法についてはヒラリーマン君に頼んだのだけれど、今あなたが出そうとしてる結論はそれに沿ってのものかな?」
「い、いえ。まーあのー、ヒラリーマン君はこうしたケースでの判定は未経験ですから、わたしがわたしなりに・・・・・・」
「僕はヒラリーマン君にその業務を依頼したんですから、岡田課長は意見として添えるのみにして、ヒラリーマン君の検討結果を聞かせてください」
 確かにそうだ。いつの間にかまた会議をバリーに乗っ取られてしまったけれど、ここは僕が進行することになっていたのだ。
「まーあの〜、そうですね。それじゃあのーヒラリーマンくんの意見も聞いてみてということで。ヒラリーマン、どうだ?」
 自分が中心になりたがるのはこの人の性分なのか、それとも何か理由があっての今だけのことなのか、よくわからないところがある。しかし、ハッキリしていることは、僕にとってはどちらにしても迷惑だと言うことだ。
 僕はすぐに3人にあらかじめ用意しておいた評価ポイント表を配った。
「このような順番で評価したいと思います。まずは要件をクリアしていることが前提。それをクリアしてれば、セキュリティー、信頼度、機能面、価格などそこに書いてある項目で点数をつけてその合計点で比べたいと思います」
「なるほど。それじゃこれでやってみようか」
 と、重役が言い、4人でそれぞれの項目についてポイントをつけていった。
 信頼性の項目では重役の「一般的にはユニックスの方が上だろう?」の一言で、バリーの「同じです」説はかき消された。そしてできあがった表を見ると、合計点は大同システムが若干上回っていた。
「すると、とりあえず大同システムが最高点ってこったなぁ〜」
 と、部長が言った。
 何となく雰囲気が「これで決まりだね」となりかけたとき、バリー岡田がまたしゃべり出した。
「まーあの〜、ヒラリーマンくんが一生懸命やり方を考えてくれたわけですが、まーあの〜、これはこれでいいと思うんですが、まーあの〜、わたしの経験から意見を言わせていただくとするとですね、まーあの〜他にも技術レベルというような項目が必要じゃないかと思うんです」
 評価が終わって結果が出てから評価項目にケチをつけるというのは、話を逆に戻すということになるから、会議の方法としてはめちゃくちゃだ。つまりバリーは破れかぶれになってきているのだ。
「技術レベル? というと?」
 重役が言った。
「まーあの〜、つまり品質としていいものができるかどうかと言う問題なるわけです。まーあの〜、わたしがこの両者に技術レベル点を付けるとすると、まーあの〜、大同さんはWEBシステムの開発はあまり得意じゃないですし、ダンピングさんはいろいろと経験も豊富なので、まーあの〜こんな風になるかと・・・・・・」
 これまたびっくり。今まで評価したすべての項目に対して5点満点法でやっていたがどの項目も4点と3点という感じで1点程度の開きだったのに、なんとバリーは技術に関しては大同が1でダンピングが5だと言うのだ。これを採用すると逆転でダンピングシステムの勝ちとなる。
 バリーは説明を終えて、重役の様子をうかがいながら首をかくかく動かしていた。いかにも緊張してる証拠なのだ。
 しばらく考えて、重役が言った。
「入札にヒラリーマン君が4社を選びましたよね、岡田課長?」
「はい、しかしあの、ヒラリーマン君というか、わたしの意見も多く入っての決定なんで、あれはヒラリーマンくんが1人でやったというわけではなくて、まーあの〜わたしの承諾の中でやったわけでして・・・・・・」
 自分が中心だと言うことをバリーは主張したいのだが、これはバリーの失敗だった。
「つまり4社選択についてはあなたも納得してるわけだね、岡田課長。するとだ・・・・・・その4社はすでに当社が業務を依頼するに足りる技術力を持っているとあなたも認めたわけだね?」
 バリーが凍り付いた。確かにその通りなのだ。これにはバリーも反論が出来ない。
「と言うことは、今更技術点なんてつける必要はないわけだね、岡田課長。だったらさっきの採点結果でいいんじゃないのかね?」
 バリーの目はしばらくバケツの中のおたまじゃくしのように動き回っていたが、しばらくするとそのおたまじゃくしは動きを止め、バリー岡田は無言で頷いた。
「ということは、岡田課長。我々は冷静にこの結果を分析した結果、どっちの業者を選択すべきなんだろうね?」
 重役がそう言うと、またバリーは黙り込んだ。
 バリー岡田はホワイトボードに書かれた表を見たり資料を見たりしていたが、さすがに重役以下数人の視線に耐えきれずに、ついに口を開いたのだ。
「だ、大同システム・・・・・・さんです」
 バリー岡田は明らかに落胆していた。

2002年5月2日 実録連載−バリー岡田の陰謀12。バリーの逆襲

 バリー岡田がダンピングシステムに仕事を持っていきたかった理由は二つある。一つは自分がプロジェクトを仕切りたいという、出しゃばりーな性格のため。そしてもう一つはダンピングシステムの社長とバリーが友人関係にあり、ダンピングシステムからコンサルティング料をもらっているからだ。
 しかし、重役も部長もバリーのコンサルティングについては知らない。
 もしも僕が学生であれば単なる噂でも、証拠のない情報でも流すことができる。しかし、社会人になるとそう簡単にはいかない。バリーがコンサルティング料をもらっている話はバリー自身が鈴木SEに漏らしたことではあるけれど、口頭で言っただけでなんの証拠もない。それに、それ自体は会社も禁じてはいないのだ。
「ダンピングシステムの方が優秀だと思うからそちらにしたかっただけで、賄賂をもらってる訳じゃない。コンサルティングとは別の観点で、当社の利益を思ってのことです」とバリーが言えばこの話は終わってしまうのである。
 もちろん「疑わしい」とは誰でもが思うだろう。でも、疑わしいだけなのだ。どう見ても横領だというものだって、会社が刑事事件に持ち込むことはほとんどない。ほとんどは自己都合の退職となる。明らかな不正が発覚して懲戒免職にしても、相手が逆に訴えてきたりするケースも多いので、こういうことに会社は慎重だ。だから確固たる証拠のない「不正」を指摘することは、嫌う傾向にある。おそらく僕がこのことを上司に報告しても、それはただの中傷扱いとなってしまうだろう。
 いや、それ以上にこっちにも意地がある。そんな手口を使わなくても、自分で乗り切ってやる、という気概くらいは僕にもあったのだ。

 結局僕が画策した入札でバリーの思惑は崩れ、重役の冷静な指摘で完全にバリーは敗退したはずだ。彼はがっくりうなだれて再起不能になったと確信していた。そして僕は「してやったり」と晴れ晴れとした気持ちでいたのだ。
 ところが数日後、そんな脳天気な頭に爆弾が直撃した。

「それはいったいどういうことなんだべか?」
 吉田部長の訛りを聞いていると、あまり緊急事態を感じない。
「つまり、金がないと言うことですよ」
 と、バリーが言った。
「このプロジェクトの予算はいくらでとってあったんです?」
 重役が書類をめくりながら言った。
「九千万円ちょうどです」
 バリーの顔は、困ったことになったという悩む顔ではない。えらいことなっちゃいましたねぇ。さぁ、どうするのかお手並み拝見させていただきましょう、というような、他人の交通事故を楽しそうに眺める野次馬のような表情を浮かべていた。
 皆が考え込んでいると、バリーは得意げな顔をして言った。
「九千万でやれるんですよ、この仕事は」
 喋った後にみんなの反応を楽しそうに眺めている。その顔は明らかに勝者の顔だ。
「入札をした結果がそうだと言うことは、これが相場なんじゃないのかね。あなたの見込みに誤りがあったんじゃないの?」
 重役がバリーにそう言うと、バリーは待ってましたとばかりにいつもの口調でしゃべり出した。
「まーあの〜。わたしに任せていただければ、この開発は九千万でのはなしにもっていけたんですよ。まーあの〜、今回はヒラリーマン君が・・・・・・ま、ああいう『入札』というやり方で・・・・・・いや〜初めてだから勉強代ってことで考えてもアレなんですが、しかし・・・・・・。4千万の勉強代はどうですかね。これを勉強代としてしまうかそれとも、なんとかするか・・・・・・ですね」
 僕には話がさっぱり状況がわからないので、部長に説明を求めた。部長の話によると、こういうことらしいのだ。

−このシステムを構築するにあたって、岡田課長は九千万円の予算を組んでいた。今年は予算のオーバーを認めないという経理部の方針なので、それ以上は出せない。予算設定の責任者は課長だが、中堅社員はその作成に関わっているはずなので、ヒラリーマンも当然知っている話しであり、入札結果は予算内に納めるようコントロールしてるものだと思っていた。まさか予算が9千万円しかないとは夢にも思わなかった。部長も重役も各課の個別の予算は管理していないので、この開発予算も把握していなかった。−

 しかし、僕にも寝耳に水の話だった。
「ぼくは予算作成には全くタッチしてないので、今始めてそのお話をうかがいました。予算が9千万なのは知ってましたが、それをオーバーすれば追加予算を申請すれば良いと考えてました。予算オーバーがだめだなんて、今年からなんですか?」
 と、僕は正直に答えた。例年なら予算は予算、実績は実績で、理由があれば予算オーバーはできたのだ。しかし、僕はそんな話を一度も聞いたことがなかった。この情報は予算会議に出ている管理職しか知らない。ところがバリー岡田がとんでもないことを言い出したのだ。
「まーあの〜、ヒラリーマン君は忘れてるようですが、まーあの〜この予算については彼も同意して作成してるものですから、初めてだと言うことはないと思うのですが・・・・・・」
 僕は全く聞いていない。バリーはなんでもやりたがって、自分が抱え込んだ話しを僕には一切しなかった。そのことで部長に苦情を言ったことさえあった。しかし、言った、言わないの話をしてもしょうがないので、これ以上弁解はしなかった。
「九千万円にするやり方があったってのは、どういうことなんだ?」
 部長がバリーに尋ねた。
「まーあの〜、なんて言いますか、競争入札みたいな感じで数社入れながらの交渉ですね。単純な入札じゃなくて、交渉と入札を絡めるような・・・・・・これは経験も必要ですけど、そう言う手法で九千万くらいにはなりますが、ヒラリーマン君にはちょっと無理だったみたいですね」
 予算が九千万ということをバリーがダンピングシステムに言ってないわけがない。それなのに彼らは1億2千万の見積もりを出だしてきた。これはどういうことなのだろう。いくら仕事を貰っても、9千万円では利益が出るかどうかもわからないし、利益が出ない仕事をとってもバリーに利がないではないか。僕は今ひとつ、彼のもくろみが読めないでいた。
 調子づいたバリーが言葉をつつけた。
「まーこの〜、このままヒラリーマン君にやってもらうとなると、4千万円は『勉強代』ということになりますが、まーこの〜、わたしに任せていただけるんでしたら、ダンピングシステムには無理を通せると思うんですけど、まーこの〜、無理も言えるチャンネルもあることですし、その辺の交渉をさせていただいてもいいかなと、思うんです」
「君はどう思うかい、ヒラリーマン君?」
 重役が僕の意見を求めた。
「予算内に納めなくてはいけないと言うことは理解しました。しかし、入札をして業者を選んだんです。入札後に値段交渉で値引き要求をするのは信義違反です。ましてや『お宅に決まりました』と大同システムに連絡しているのですから、今さら業者を変えることなんてできません。企業としてやるべきではないと思います」
「しかし、九千万を越えるとなると、社長決裁は降りないだろうな」
 と、重役が言った。
「それならば、機能を落として九千万分だけの開発を行い、来期別予算で機能拡充を図るということではどうでしょうか?」
 今のところ僕にはこの案しか思い付かなかった。
 しばらく様子を見ていたバリーが再度重役に決断を迫った。
「今回開発する内容はすでに予算会議のときに社長にまで説明しています。機能を落として予算通りの金額というのはかっこわるいでしょう。それならどうでしょう、9千万で大同システムに話を持ちかけてみたら? それで駄目ならダンピングシステムにもっていきます。まぁ、大同が受けられるわけはないと思いますけどね」
 大同が受けられる分けない金額で、どうしてダンピングシステムは大丈夫なのか。たしかにすでに値引き額には1千万の差があるから、ダンピングシステムの方が有利だ。しかし、どうもそれだけではないような気がするのである。
「わかった。それでは9千万で大同にぶつけてくれ、ヒラリーマンくん。駄目なら岡田課長に任せてダンピングでやってもらう」

 しかし、大同がこの仕事を受けることはないだろう。前期赤字を出した大同システムは個々の開発で赤字になるものはすべて受けない方針になっていることを僕は知っていた。今回は損しても次回得すればいいというような営業戦略はとれない事態になっているのだった。
 重役が言った「岡田課長に任せる」は、ダンピングシステムとの交渉の話なのか、それとも今後のすべてなのか僕にはわからなかった。
 しかし、そんなことを質問する気もすでに失せていたのだった。

2002年5月7日 実録連載−バリー岡田の陰謀13。情報漏れ?

 今回の入札はもっとも価格の低い業者を選ぶものではなかった。そう言う意味では価格を絶対視する必要はない。しかし、そうであっても出された条件の中でもっとも好条件の先をチョイスし、その条件で仕事を依頼するのが入札の基本ルールだ。入札をしておいてさらに条件を求めるというのは、客の立場を利用した暴挙ではないだろうか。僕にはやはり大同システムに値引き交渉を持ち込むのは気が重かった。
 でも、このままではバリー岡田がダンピングシステムに仕事を持ち込んでしまう。そして彼は好き勝手に振る舞うだろう。
 しかし、僕はちょっと考えてみた。自分は特に実権を握りたいとは思わないし、仕事の中心にいないと我慢できないわけでもない。会社で高い地位に就きたいともあまり思わないし、「あいつは好きな仕事しかやらない」と言われながら、楽しんで仕事ができればそれでいい。一生懸命やろうとしていた仕事をバリーに邪魔にされたことと、バリーの行為が会社にとってマイナスとなる背任行為だと思ったから腹が立っただけなのだ。邪魔をされたことは腹立たしいけれど、1億2,3千万のシステムが9千万でできあがるという話なら仕事としては文句はない。それならば、バリー岡田が好きにやってもいいじゃないか、と思えてきた。
 だいたい僕はこういう面倒くさいことが嫌いなのだ。
 しかし、僕も自分の仕事だけはきちんとしておこうと考えていた。どうせダメにしても、あの手この手で考えて交渉をしてみるのも楽しいかもしれない。それに、どういう交渉をしてその結果どう駄目だったのかを重役にも報告しなくてはいけない。
「めんどくさくなったのでやめました」
 と言うわけにはいかないから、「これだけの交渉をした結果こうだった」という報告が出来るようにやってみようと、作戦を練り始めたのである。
 まず、単純に「9千万円にしてください」と言っても大同システムは「はいそうですか」と言うわけはない。だから、大同システム側の開発コストを低くする提案をだして、その上で9千万円での開発を依頼しようと考えた。画期的でもなんでもない方法だけど仕方がない。
 そのためには、大同システムが提案してきたユニックスサーバーをWINDOWSサーバーにする必要がある。さらに、こちらが要求した以上に提案としてつけてきたあらゆる機能を「次期開発候補機能」として今回は見送ることにすれば、かなりのコストが抑えられるはずだ。
 それから、おなじ機能にしても将来を見込んだ作りにするために、コストのかかる作り方をしようとしている部分がかなり見受けられたから、この辺を削ることも検討できる。大同システムは我が社のシステムを知り尽くしているので、この辺のところにも気を配って提案してくれていたのだが、それがコスト高になっていた。
 僕は鈴木SEとなんども打ち合わせを重ね、コストを約2千5百万円分削り落とした。これは思ったよりも大きな額だった。
 それならば、あと1千5百万円を大同システムに値引きしてくれれば9千万円になる。いままでの経験上これは無理な額ではない。彼らの営業政策上も何とか出来る額じゃないか。これはもしかして、交渉が成立するかも知れないと、僕はわくわくしてきた。

 翌日、大同システムの加藤営業課長がやってきた。
「先日は当社に決めていただきまして、ありがとうございます」
 まずはこういうお礼をぶつけられて、話を切り出しにくくなるんだろうな、と僕は構えていたのだが、様子は違った。なんだか妙な雰囲気に調子が狂ってしまい、思わず、「おはようございます。まーあの〜」と、口調がバリーになってしまった。
「まー、とりあえず大同さんに業者が決定したというようなことになってきたのですが・・・・・・ええと、大同さんはあれでどれくらい利益がでるもんなんでしょうね?」
 相手の利益を削る話だからこれは気になる。正直に言うわけはないのだが、感触はつかめるだろう。
「出ません」
 げっ。
「でないんですか? 全く?」
「ユニックスサーバー4台入れてあの価格です。ダンピングさんと1000万の差しかなかったとは聞いていますが、あれだけのシステム構成の差なら、価格差はもっと広がるはずです。うちはぎりぎりまで値を下げて勝負しました」
「そ、それは・・・・・・」
 利益がない話よりも、ダンピングシステムの入札額を知っていることに僕は驚いた。入札額はおろか、入札参加業者すら秘密と言うことになっているのだから。
「加藤課長。あの〜その話はいったいどこで?」
「本日のお話は、9千万円に値引き、というお話でしょうか?」
 加藤課長は僕の質問に答えずに、値引きの話をいきなり切り出した。9千万円なんて話も業者は一切知らない話だ。値引き交渉上の秘密なのだから当然だ。
「ええ、まぁそういうことなですが・・・・・・」
「その件でしたら当社は辞退させていただきたいと思います。誠に残念ですが当社としてもぎりぎりの中でやっておりまして、ご希望には添いかねます。申し訳ございません。上司も含めまして一応検討はさせていただきましたが、辞退させていただくことで会社としての方針も決まっています。また次回なにかのシステム開発がありましたら、チャレンジさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします」
 何も言う前に、あっさりと断られてしまった。交渉というのはお互いの手持ちのカードの出し方で流れが変わって来るものだ。加藤課長はもっていないはずのカードを突然僕の前に並べて、こちらがカードを出す前に場を降りてしまったのだ。
 相手のもっている情報が見えないのだから、これ以上話が出来ない。僕はそう判断してこの話をいったん切り上げた。
 加藤課長を見送った後、僕はしばらく考え込んでいた。そしてあれこれ思案していると、バリー岡田が「重役が呼んでいるのですぐ行こう」と言った。
 重役室に入ると、部長がすでに待っていた。

「大同との話はどうだったんだい?」
 と、部長が切り出した。こうなったらまずは状況を報告するしかない。
「けんもほろろに断られました。ただ、交渉自体はこれからだと思っています」
 こちらの提案はまだ出していないのだから、交渉の余地はあるし、僕がはじき出した数字で、渡り合えるだろうと考えていた。
「そりゃ無理だろう。大同さんは今回は辞退すると担当重役まで了解してるそうだよ。交渉決裂ってところだろ」
 と、バリーが言った。
「課長、どうして知ってるんですか?」
「さっき加藤課長に電話で聞いたんだよ」
 部下の仕事がうまくいかなかったときに、こんなに嬉しそうな顔をする上司も珍しいだろう。バリー岡田は仕事の後の生ビールの一口目をすするときよりもよほど嬉しい顔をしていた。
 バリーは重役に向き直り、ダンピングシステムへの交渉に移らしてほしいというような話を始めていたようだが、僕は別のことを考えて聞いてはいなかった。
 会社同士の交渉事で、課長が判断し、部長、重役と話を通すまでにはそれなりの時間はかかるはずだ。値引きの交渉をしろと重役に指示されてから二日しか経っていないし、加藤課長は僕が話を切り出す前から答えをもっていた。これはおかしい。
 しかし、それがおかしいことと、交渉決裂との関係は明らかではない。バリーが何かやったのかも知れないという疑問は当然持つけれど、ここでそれを言ったところで「しらない」と言われればそれまでのこと。
 僕は悶々とした気持ちで重役室を後にした。

2002年5月8日 実録連載−バリー岡田の陰謀14。バリーが加藤課長に電話?

「えらいことになっちゃいましたね」
 僕がため息をつきながらマシンルームでうだうだしていると、鈴木SEが話しかけてきた。
「まぁ、しょうがないよね。でも良かったのかも知れないなぁ」
「なんでですか?」
「だってさ、この仕事はどう見ても赤字だよ、業者にとっては。我々にとって大事なのは業者をたたくことじゃない。相手が儲けすぎないように適正価格に押させて、良いシステムを作ることだ。そのために相手にコストダウンを要求するのは大事だけど、コストを押しつけ過ぎたらろくなシステムはできないよ。そんな仕事を僕は仕切りたくないからね」
 正論でもあるけれど、これは自分に対する言い訳だった。
 負けておいて、「負けて良かった」のだと自分に言い聞かせる。人間なら何度か使ったことのある自分を慰める手口だろう。
 それに、バリーの奴もあの価格じゃダンピングシステムにありがたがられることもないだろうという思いもあった。
「それにしても、参ったよ。ぜんぜん交渉の余地がなかったんだから」
 僕がそう言うと、鈴木SEは意外な顔をして僕に訊いた。
「なんでですか? あれだけの妥協案を出して交渉したら、少しは相手も考えるでしょうに?」
 確かにそうだ。あの案は僕が基本線を考えて、鈴木SEの知識を借りながら仕上げて行ったものだ。鈴木SEが不思議に思うのは当然だろう。
 しかし、実際にはその話を出す間すらなかったのだ。
「それがさ、加藤課長は僕の話を聞く前に、9千万円なら手を引くと言ってきたんですよ。話にもなにもならなかったなぁ。つまり事前に9千万の話は知っていたみたいなんですよ」
 僕がそう言うと、鈴木SEはしばらく腕組みをして考え込んでいた。
 マシンルームはコンピューターを守るために常にエアコンで20度に保たれている。冬は暖かく感じるが、春先の今頃になってくると逆に寒く感じる。
「やっぱり寒いね。鈴木さんはここが好きだよねぇ。俺は寒くて嫌だな。じゃ、またあとでね」
 鈴木SEは自宅にもマシンルームを作っていて、コンピューターをいじるのが趣味らしい。会社でもマシンルームにいるのが一番幸せだというのだから変わった人だ。
 僕がマシン室を出ようとしたとき、鈴木SEがつぶやいた。
「それ、岡田課長ですよ、きっと」
 僕は振り返った。
「それって、なにが?」
「9千万の話ね、それ、岡田課長が大同に漏らしたんです」
 僕は岡田課長が情報を漏らしたことについてはさほど驚きはしなかった。おそらくそうだろうとは思っていたからだ。
 バリーは鈴木SEを完全に掌握しているつもりでいる。
 派遣社員という鈴木SEの身分を左右できる権限は岡田課長にある。だからバリーは鈴木SEは自分に忠実だと思っているのだ。
 確かに鈴木SEはバリーをおそれているし、彼に背を向けることが出来ない。
 しかし、長いつきあいの僕にたいして、たまに情報を流してくれるのだ。
 僕は決して彼に無理をさせるつもりはない。彼が口を開いたときだけ、それを聞くようにしていた。
「なんでそう思うの?」
 いえ、まぁ・・・・・・と彼は口ごもった。
 やっぱり立場上言えないということか。それは仕方がない。
 しかし、僕が訊くのをやめたとたんに、彼の方から喋りだしたのだ。
「実は、岡田課長が今回の値引き交渉のことについて、ここに入り浸っていろいろと話していったんです。岡田課長は最初、楽天的でしたよ。『ヒラリーマンは何もできない』『あいつが交渉でうまくやれるわけがない』『情報システムは俺でもってるんだ』『黙っていても俺が仕切ることになる』って、えらい鼻息でしたよ」
 いかにもバリーらしいと、僕は思わず鼻で笑ってしまった。
「『ヒラリーマンは女にもてるけど俺はもてないから頭に来てる!』って、言ってなかった?」
「あはははは。ないないないない」
「ないかぁ。あっはっは!」
 それにしても、ずいぶん舐められてるなぁ。
 ところが鈴木SEによると、自信たっぷりのバリーの顔色が途中で変わったというのだ。
「ヒラリーマンさんと二人でコスト削減の案を作ったじゃないですか。あの交渉案の話を岡田課長にしたんです」
「あれ、言っちゃったんだ?」
「すみません。どんな話をするのかと訊かれて、僕もとぼけるわけにいかなくて・・・・・・。何しろ岡田課長は僕の生命線を握ってるし・・・・・・」
「それはそうだよね。それで?」
「それで、あと1千5百万円の値引きを要求すればいい状況になったと言う話をしたら、突然不機嫌になって顔色を変えて、ここから出ていったんです」
「それで?」
「それで執務室の方に行ってみたら、岡田課長が加藤課長を電話口に呼びだしてました」
「どんな話だった?」
「それが、岡田課長に睨みつけられちゃったんで、僕はマシン室に戻りました」
 聞かれたくない話だったのだろう。
 その話がもしも僕の交渉を妨害した話であれば、鈴木SEの証言を元に重役に直訴できたかも知れないという考えが頭を少しだけよぎった。
 しかし、たとえ鈴木SEがその話を聞いていたとしても、鈴木SEにそれを依頼するのは酷だろう。それに、上司に密告するというのも男としていただけない話だ。
 だけど、バリーがそれだけ慌てたとなると、少なくても僕の交渉の準備は間違っていなかったらしい。ということは、「ヒラリーマンには何もできない」という考えには「間違っていた」という結論をもたらせたはずだ。
 そう思っただけで僕の気は少し晴れた。
 バリーがいったい加藤課長に何を言ったのか、それには興味があった。
 それを知ってどうするわけじゃない。単なる興味に過ぎない。
 あとはバリーが勝手にやればいいし、システムがちゃんとできあがればそれでいいのだ。
 しかし、今それを大同システムの加藤課長に訊くわけにはいかない。
 このシステムの開発が終わって、数年して、もしも岡田課長が転属にでもなったら加藤課長に訊いてみよう。「あのときはどんな話があったんですか?」と。
 そのときは彼もなんのしがらみもなく教えてくれるかも知れない。
 それは3年後なのか5年後なのか。そのときは僕もこんなことがあったことを忘れているかも知れないなぁ、とぼくはすでにバリー岡田とのバトルを放棄しつつあった。
 今回のシステムはバリー岡田ご推薦のダンピングシステムに決定し、そしてバリーがプロジェクトの指揮を執ることになるだろう。
 今でもバリーは「情報システムは俺がすべてやってる。他の奴はダメだ。俺が・・・・・・俺が・・・・・・」とあちこちで言いまくっているのだが、それがさらに元気良くなるはずだ。
 それも面白いかも知れないなぁ〜と、僕は思っていた。

 ところが翌日、事態は急転した。
 それはある男の疑問から端を発したことだった。
 そしてその疑問が次第に解き明かされると、バリー岡田の陰謀が浮き彫りになったのだ。
 それは二人の男を激怒させる結果となり、バリーとのバトルは再開されることとなった。

2002年5月9日 実録連載−バリー岡田の陰謀15。連合軍結成

 大同システムとの交渉に失敗した翌日、大同システムの加藤課長からメールが届いた。
 今では当たり前に使っているメールだけど、彼からメールを貰ったのは初めてなので、僕は奇妙に感じた。
 彼はメールだと失礼だと思うのか、必ず電話で連絡をしてきていたのだ。
「先日のホテルの喫茶室でお会いしたい」
 これがメールの趣旨だった。
 今までに僕はその喫茶室で2回加藤課長と密談をしている。それはいずれも加藤課長がバリー岡田に聞かれたくない話をするときだった。
 おそらく今回もそうだろう。しかし、メールで言ってきたところがさらに機密性を高めたい意思を表していた。
 僕は約束よりも5分以上早く到着し、周りの客を眺めながら待っていた。
 この時間、ホテルの喫茶室はビジネスマンで一杯だ。皆、会社幹部とおぼしき人ばかりだ。年齢と雰囲気からして重役クラスの人ばかりだろう。
 しかし、こういう人たちが細かい商談をまとめているとも思えない。もしかすると企業同士の高度な問題を話したりするのだろうか。
 中には僕らのように、内緒話をするために会社の応接室を抜け出した人たちもいるのかも知れない。
「遅くなりまして・・・・・・」
 約束よりも5分ほど遅れて加藤課長が顔を見せた。加藤さんは優秀な営業マンなのだけれど、絶対に遅刻するという癖があるのだ。
「いえいえ、どういたしまして」
 待ったお詫びはコーヒーをご馳走になることで十分だ。
「今日来ていただいたのは他でもありません・・・・・・」
 久々に聞いたフレーズだった。「他でもありません」。これ、昔よくドラマのせりふで出てきたのだけれど、実際には聞いたことがなかった。
 広島県人でもないおじいさんが「わしはのう〜」と言うのを聞いたことがないというのと同じくらい、「実際にあるのかよ?」と思わせるフレーズがこの「ほかでもない」なのだ。
「実は一昨日岡田課長から電話をいただきまして・・・・・・」
 鈴木SEが言っていた例の話だ。
「岡田課長はこうおっしゃったんです。『うちのヒラリーマンが明日、9千万円への値下げの話をもっていく。自分は入札後の値引きは良くないと主張したのだが、ヒラリーマンが強引に重役を説得した。彼は自分が9千万円の予算しか組んでいなかったために、その見込み違いを叱責されないようにお宅に押しつけようとしている。困ったもんだ。』と」
 なんだって!?
 開いた口がふさがらないとはこのことだ。値引きの話に反対したのは僕1人だったのに、その僕が値引きを画策した張本人になっているのだ。
「それは話があべこべですね。逆です」
「でもそうおっしゃってます」
 それは俺じゃないとここで主張しても水掛け論になるだけだろう。そう思ってそれ以上のことは言わなかった。
「それから・・・・・・」
「え、まだあるんですか?」
「はい。『こんな仕事受けても赤字になるだけだろうから、今回はお宅のためにも辞退した方がいい。俺は大同さんのために言っているんだ。じきにいい仕事を回すから』と」
 はぁ、なるほど。そうやって辞退させたのか。
 しかし、ダンピングシステムはどうやって採算を取ろうとしてるのだろう。
「それでですね、わたしが『機能ダウンを認めていただけるなら検討できます』と申し上げたんです。そうしたら『ヒラリーマンはユニックスにこだわっているので、機能ダウンは認めないそうだ。機能を落とすなら自分が担当したくないので、課長とダンピングシステムでやってください、なんて言ってやがるんだよ。全くまいるよなぁ。俺、こういう仕事めんどくさくて担当したくないんだけどねぇ、ははは』と言われました」
 なんだそりゃ。開いた口がふさがらないどころか、あきれかえって気絶しそうだ。
「それで大同さんは岡田課長に辞退を迫られて、今回の仕事をやめたんですか?」
「そうではなくて、岡田課長の情報を検討した結果、その金額ではとても受けられないと判断したんです」
 あのままの機能で9千万円じゃ、当たり前だろう。
「あのですね、僕は大同さんに機能縮小案を提示した上での値引きを考えて用意していたんですよ。そのままの機能で要求しようとしていたなんて、そんな話デタラメですよ」
 しかし、バリー岡田の言っていることが本当なのか、僕の言っていることが本当なのか、加藤課長に判断は出来ないだろう。
 それを証明する手だても見つからないし、時間をかけて納得してもらったとしても、それではもう遅い。
 バリーは昨晩のうちにダンピングシステムに「お宅に決めた」とでも言っているかもしれない。
 いまさらどうにもならない話だなと、僕は思った。
 ところが、加藤課長はあっさり僕の言うことを信じたのだった。
「岡田課長のお話を信じて我々としては辞退ということでの対応を決めたのですが、それがどうもおかしいのではないかと思い直したんです。わたしの上司も同感です」
「というと?」
「だって、ヒラリーマンさんがうちとの交渉役だったのでしょう? それなのに前日に岡田課長は予算額や交渉の手口やら内情やらをわたしに伝えてきたんです。これは情報漏洩ですよね。それから実は、入札の結果も正式に通知される前に岡田課長から連絡があったんです。『内緒だけど教えてやる』って」
 どういうことなんだ。そんなことをしてバリーになんの得があるんだろう。
「ただ連絡してきただけなんですか?」
「『俺が大同さんにいくように手を貸してやった』って、そうおっしゃってました」
 なーんだ。ただ恩着せの電話をしたのかぁ。
 え、しかし待てよ。バリーは大同に仕事が行かないようにがんばっていたんじゃないか。全く呆れた人だ。
「とにかく、大変失礼ですが岡田課長は普通じゃありません。そうなると、ヒラリーマンさんのおっしゃることが本当なのではないか判断したわけです」
 うへ。前からバリーはかなりおかしかったと思うけど、今ごろにならないとわからないほど、僕とバリーのおかしい度はいい勝負だというのだろうか?
「そんなわけですから、わたしも騙されたと気が付きまして、非常に腹が立っています。それで、もう一度チャレンジすることにしました」
「チャレンジって?」
「今回の仕事、何とか受けられるように改めてヒラリーマンさんと交渉させてください」
 僕はあっけにとられてしまった。いったん「辞退」を表明した会社がまた交渉を続けるなんて、バリーに喧嘩を売っているようなものだ。
 バリーは絶対にそのことについて騒ぎ出すに決まっている。
 もしも失敗すればバリーは堂々と大同システムを切り捨て、すべての仕事をダンピングシステムに移してしまうだろう。あの会社は対応が悪い、なんていう口実を作ることになるのだ。
「大丈夫ですよ、ヒラリーマンさん。あの交渉はわたしとヒラリーマンさんとのものでしょう。岡田課長への返事はオフレコということになります。それを正式な返事のように主張はできないでしょう」
 確かにそうだ。重役に対しても説明ができないはずだ。
「あとはヒラリーマンさんが、『あれは第一回交渉であって、交渉はまだ継続中』と上の方に改めて言ってくだされば、このまま交渉を続けられます」
 加藤課長はただ仕事をとりたいという気持ちではないようだ。バリーの鼻をあかしたい、という気持ちがありありとしている。それは僕も同じだった。
「やりましょう」
 僕がそう言うと、加藤課長は無言で手をさしだした。
 そして二人はがっちりと握手を交わし、ここに妙な連合軍が結成されたのだ。

2002年5月10日 実録連載−バリー岡田の陰謀16。大同との交渉再開なるか?

 僕は会社に帰ると早速部長と重役にアポイントメントをとった。
 ある程度察しているのか、部長はバリーを打ち合わせのメンバーにくわえようとはせず、僕だけをつれて重役室に入った。
 しかし、重役はそうではなかった。
「岡田課長はどうした? 彼も呼んでください」
 僕と部長は顔を見合わせたが、そう言われては呼ばないわけにはいかない。
 どうやら重役はまだバリーの本性がわかっていないらしい。
 バリーが遅れて部屋にはいると、打ち合わせが開始された。
 僕は大同システムに当社の妥協案が伝わっていなかったので、それを伝えて改めて交渉を継続したいという話を切り出した。
 すると予想通り、バリー岡田が突然声を荒げた。
「なに言ってんだ、ヒラリーマン。大同システムは自分から『今回は辞退する』って言ってきたんだろ。会社としての正式な方針を伝えてきたんだろうよ。いまさら何を寝ぼけたことを・・・・・・。だめだだめ。業者が一度おりるといったん言ったんなら、そりゃだめだよ」
 しまった、と僕は思った。
 バリーがこういうことを言い出すのを警戒して、僕は彼抜きで重役の了解を取り付けておきたかったのだ。
 これで重役に「たしかにそうだ」とでも言われたら、どうにもならない。その場で大同システムは採用不可と言うことになってしまう。
 もうちょっと作戦を練っておけば良かったと後悔したがもう遅い。
 重役は腕組みをして考え込んでいた。そして言ったのだ。
「それは岡田課長の言う通りだなぁ。そうだよなぁ・・・・・・」
 やられた。
 明らかに僕の作戦負けだ。
 きちんとした打ち合わせではなく、根回しの方法で重役にアプローチするべきだった。
 加藤課長になんて言えばいいのだろうと、僕はすでにお詫びの仕方を考え始めていた。
 勝ちを収めたと確信して上機嫌のバリーは調子に乗ってしゃべり続けた。
「会社対会社ってのはな、そう言うのはダメなんだよ。わかってんのかヒラリーマン。一度正式に表明したことを簡単にひっくり返すなんてのはな、認められないんだ。やらねーって言ったんなら今後一切出入りして貰わなくていい。ろくに話も聞かずに断ってきたのは向こうだろ。大同はダメだ。話をころころ変える会社なんてのはろくなもんじゃないよ。あそことはもうつき合わない方がいいと俺は思うな。どうです重役。大同は今後一切うちの仕事からは切りましょうよ。誠意がないですよ、あいつらは。対応が悪すぎます。ダンピングシステムの社長とはわたしはツーカーの仲ですし、大同を切っても十分やっていけます」
 バリーは自分が喋っているうちに余計なことまで調子に乗って言い出す癖がある。自分の喋ったことで相手がどう思うかとか、その情報がどう流れるかとかを見極める能力に欠けていた。
 だから彼がやったり言ったりしたことが情報として僕に流れてきてしまうのだ。
 たった今も、バリーは余計なことを言ってしまったのだが、自分では気づいていない。
 そして、そのためにまたバトルの流れがにわかに変わったのだ。
「岡田課長。あなた、ダンピングの社長とツーカーだから大同システムを排除したいの?」
 と、重役がつっこんだ。「一度おりたんだから、もうダメという話はそうかなと思ったんだけどね、あなたの話を聞いてるとどうも、大同を排除したい意図があるみたいに聞こえるんですよ。それはダンピングシステムに便宜を図りたいから、ということですか?」
 重役の厳しい物言いに、僕は驚いた。こんな強い口調で追求するとは思わなかった。
「い、いえ、そう言うことはな、ないです」
「岡田課長はダンピングシステムと当社の社員として以外の関わりがあるんですか?」
 そう重役が言うと、バリーの顔色が変わった。
 バリーはしばらくいいわけを探していたが、言葉が出てこない。
 バリーは意外と小心者なのだ。
「ダンピングシステムにはもう話をしてあるの、9千万で受けてくれと言う交渉の話?」
 と、重役がバリーに訊いた。
 この質問はいいわけに苦慮していたバリーにとっては救いだったかも知れない。
「いえ、まだでございます。申し訳ありません。ダンピングの社長に直接話した方がはやいと思ったのですが、ちょうど彼は今日まで出張でして、帰ってから会おうと・・・・・・」
 汗をかきながらバリーは連絡の遅れを弁解した。ところが重役のその遅れについて文句を言うつもりはまるでなかった。
「そう。じゃ、よかった」
「は?」
 バリーの顔全体が疑問符状態になった。
「まだ話してないのなら丁度いい。話してしまったのなら大同さんにおりて貰うしかないが、話してないのならいいでしょう。ヒラリーマン君、大同との交渉は継続してください」
 やったーっ!
 僕は心の中でガッツポーズを作ったが、バリーは突然後から殴られたような顔をしていた。
「し、しかし重役、やっぱりその、いったん会社としての結論を通告してきたのですから・・・・・・」
 バリーはすがるように喋り始めたが、重役はバリーの発言を遮ってさらにバリーに質問した。
「入札等の書類は誰が宛先や差出人になってますか?」
「あの、うちは情報システム部長で、大同は営業部長です」
 と、バリーが答えた。
「大同システムの回答は部長名で正式に来たんですか?」
「いいえ。そうではないですが、わたしが電話で確認しましたし、ヒラリーマンだって重役にご報告したはずですから、正式なものとして考えております」
 と、バリーが言った。
「それなら正式回答じゃないでしょう。ヒラリーマン君から報告は担当者レベルの経過報告でしょう」
 と、重役が言った。すると、バリーが顔を左右にブルブルっと振ってから言った。
「しかし、加藤課長が課長であるわたしにもそのように連絡したのですから、その話は内定というか、そう言うことじゃないでしょうか」
 バリーがそう言うと、部長が口をはさんだ。
「大同との話しはよ、ヒラリーマンに全部任したべよ。岡田課長は自分から加藤課長に電話して、オフレコで状況を聞いただけだべ? そんじゃー正式な回答じゃねーやな」
 部長がそう言うと、バリー岡田は黙り込んでしまった。
 これ以上抵抗しても無駄だと、バリーは悟ったようだった。
「では、我が社としてはまだ大同システムと交渉中という認識でいいですね?」
 そう重役が言うと、僕と部長はすぐに「結構です」と返事をした。
 少し間をおいて、バリーも仕方なさそうにうなずいた。
「それでは、岡田課長はしばらくダンピングシステムに対してはこの件について話さないでいてください。ヒラリーマンくんは大同システムと話を続けてください」
 重役がそう言うと、打ち合わせは終了した。

 僕は早速「交渉継続」のことを加藤課長に電話で連絡した。
「そうですか、ありがとうございます。ヒラリーマンさんからいただいた機能削減案を元に、こちらで検討を始めさせていただいてます。夕方に一度お話しできると思います」
 加藤さんの方はすでにスタートしていたらしい。
 夕方5時頃、加藤課長がSEを伴って来社した。
 情報システム部がある6階は避け、総務部や経理部がある7階の会議室で打ち合わせ行った。
 6階に来れば当然バリーに気づかれる。バリーが加藤課長を見つければ応接室に連れ込まれて、
「どんな話だった?」
 と首をつっこんでくる恐れがあったからだ。
 この後数日にわたり僕は加藤課長たちとの打ち合わせを行ったが、それはすべて6階以外の会議室で行った。
 バリーもしばらくしてそのことに気づいたらしく、僕が執務室を出るとすぐに僕を捜して歩くようになったらしい。
「しょっちゅう僕のところに岡田課長が来て、ヒラリーマンはどこで会議してるのかとか、どんな話になってるのかとか、聞くんですよ。この間僕もヒラリーマンさんに呼ばれて会議室に行ったじゃないですか。そしたら岡田課長が会議室の入り口のところで様子を伺ってたんですよ」
 と、鈴木SEが笑っていた。
 総務部の女性からも、
「この間岡田課長が会議室に耳くっつけてましたよ」
 と言われたが、残念ながら会議室は先日防音工事をしたばかりだから、何も聞こえないだろう。
 僕は、会議室の前をうろつくバリー岡田を想像すると、おかしくてたまらなかった。
 しかし、笑ってばかりもいられない。
 彼がそこまでするということは、まだ何かするつもりだと考えるのが当然だろう。
 僕は喜びつつもさらにバリーへの警戒心をつのらせたのであった。

2002年5月13日 実録連載−バリー岡田の陰謀17。大同システムの提案裁定

 重役裁定から二日後、大同システムからシステム概要のまとめと、提供価格の提出があった。
 これは、僕と鈴木SEが作った機能削減案をうけて、大同システムとして9千万円の予算で受けられる最大限の案を再提出したものだった。
 ところがその内容は我々が思った以上に豪華で、こんな価格で出来るのかと心配してしまうものだった。
「これ、ほんとうにやるんですか?」
 僕は一抹の不安を抱えて加藤課長にそう質問をした。
「SEがどうしてもやると言ってますし、営業サイドとしても了解してます」
 なんと大同システムはユニックスサーバーからWINDOWSサーバーへの変更は行わずにシステムを構築するというのだ。
 もっとも簡単に費用を削減出来るカ所だっただけに、それをやらないとなるとかなり苦しい台所事情になるはずだった。
「SEが意地になってるんですよ。岡田課長にWINDOWSはダメだってあれほど言われてユニックス一本で提案したのに、ダンピングさんにはWINDOWSで提案させたでしょ。だからSEが怒っちゃいましてね。何がなんでもこれでやると譲らないんです」
「だけど、赤字になりませんか?」
「正直言って赤字です。下請け数社を使いますが、彼らに払う額で9千万は消えることになります。うちの社員が10人ほど動きますが、これはタダ働きです」
「そんなことして大丈夫なんですか?」
「社員のただ働きは、とりあえずあまり表に見えないので、営業戦略と言うことでごまかせます。さすがに下請けに払う額が9千万を越えたらすぐに社内監査で引っかかりますけどね」
 この仕事をとらないと、他の仕事も持って行かれるという危機感がそこにはあったのだろう。
 だから、ある程度は営業戦略上の理由があるのだとは思うけれど、会社としての意地みたいなものもそこには感じられた。
「わかりました。この案なら問題ないはずです。それでは重役に報告してきますので、結果は後ほどお知らせします」
「ヒラリーマンさん、よろしくお願いします」
 加藤課長は深々と頭を下げたが、頭を下げたいのはこちらだった。

 勝負は簡単についた。
 重役、部長、そしてバリー岡田を交えた打ち合わせで、大同システムの採用にあっさりと決まったのだった。
 機能的にもダンピングシステムの提案よりも上であり、システム機器構成は明らかに上。それで金額は9千万円でやるというのだから、ケチのつけようがない。
 ずっとむくれっ面のバリーであったが、一切反対することが出来なかった。
「本当に出来るのかねぇ。投げ出すんじゃないだろうなぁ〜」
 と嫌味だけは言っていたが、それは重役の裁定になんの影響も与えなかった。
「では、大同システムに9千万円で依頼することにします。わたしから大同さんの社長にお礼の手紙を出しておくよ。そうすれば営業さんたちも赤字請負で叱責されないだろう」
 と、重役が大同システム採用の結論を出し、そしてもう一言を付け加えた。
「今回のシステム構築はヒラリーマンくんがプロジェクトリーダーと言うことになっているね。そのまま進めてください。この開発の推進については課長レベルの判断まではヒラリーマンくんに権限委譲します。岡田課長はヒラリーマンくんから要請があったときのみ、手助けしてください」
 ようするに、バリーに「口出しするな」と言ったのである。
 バリーは「ヒラリーマン、がんばれよ」と思ってもないことを口にして、作り笑いをしたまま重役室を出ていった。

 これでこの仕事の山場は切り抜けたと、と僕は思った。
 大同システムは当社のシステムをほとんど把握している。新参の業者に比べれば細かい話をしなくても開発は出来るし、気心の知れた開発メンバーたちだから、意志の疎通も楽だ。
 あとはいつも通りに開発管理をしていけばいいのである。
 考えてみればくだらないバトルに時間と体力を裂いてしまった。
 でも、もうあんなつまらないことに神経を使う必要はない。
 これでやっと本来の仕事に戻れる。そう思っていたのだが、そこに鈴木SEが気になる話を持ち込んできたのだった。
「ヒラリーマンさん、気をつけてくださいよ」
「なにを?」
「岡田課長ですよ。まだ何かやるつもりです」
「どうしてわかるの?」
「さっき僕のところに来たんですよ、岡田課長。それでこう言ったんです。『ヒラリーマンの野郎、頭に来た。俺がダインピングシステムに決めてたのに、大同にもって行きやがって。でも見てろよ、この仕事は俺がとりまとめることになるからな』って」
 僕はどっと疲れてしまった。
 バリーはまだなにかやるらしい。なにか企んでいるのかは知らないけれど、彼の企みを推測したり警戒したりするのはもう疲れた。
「鈴木さん、出たとこ勝負でいこうや」
「そうですね」
 こう二人で話している間も、バリー岡田はマシン室の前を行ったり来たりして様子を伺っているのだった。

2002年5月14日 実録連載−バリー岡田の陰謀18。マネージャーを狙うバリー

 業者が大同システムに決まった翌日、早速大同システムから営業部長と技術部長の二人を筆頭に、総勢10人が来社した。
 彼らの目的は、このシステム構築を引き受ける挨拶と今後の進め方についての相談だった。
 当社側は重役、部長、バリー岡田、僕の4人が出席した。相手が部長クラスならこちらも部長クラス以下で応対するのが普通なのだが、重役に挨拶もしたいという大同システムの希望があり、あいにくと他の時間に重役のスケジュールがとれなかったので、この会議に重役も参加することになった。
「当社のプロジェクトマネージャーはSEの小野が担当します。今後御社との窓口はすべて小野が行います」
 と、大同システムの田所技術部長が小野マネージャーを紹介した。
 プロジェクトマネージャーというのは会社間のマネージメントを行う担当者だ。
 取りきめ事項の確認や質問など、大同システムと我が社との間での連絡はすべて双方のプロジェクトマネージャー同士で行い、それ以外のルートでは一切話をしない。
 そうしないといろいろは情報が交錯してしまうからだ。
 僕はプロジェクトリーダーを拝命しているが、プロジェクトリーダーがマネージャーを兼任することは必ずしも必要ではない。
 実際の開発に入っていくと、業者をコントロールするのはプロジェクトマネージャーになる。マネージャー以外は業者に対して指示が出せないのだ。
 このプロジェクト以外のこの仕事は、いままでバリー岡田が課長として一手に引き受けていた。
「業者をたたくのは楽しい。脅せばすぐに頭を下げてくる。この仕事は面白くてやめられない」。そう公言してるバリー岡田にとって、プロジェクトマネージャーほど楽しい仕事はない。
 業者に威張り散らし、脅したり無理難題をふっかけて相手を困らせては喜ぶのが今までの彼のやり方だった。当然彼はこの地位につきたいと願っていただろう。
 ところが今回は非常に大きなシステムであり、各部署から人間を集めてのプロジェクトなので、システム課だけの仕事ではなくなった。
 そこに重役が「プロジェクトリーダーはヒラリーマン」と僕を指名してしまったのだから、バリーとしては面白くない。
「御社はどなたがご担当されるのか、お決めいただけますか?」
「ええと、それはヒラリーマン君がプロジェクトリーダーなので・・・・・・」
 プロジェクトリーダーなのでマネージャーも兼任する、と部長は言いたかったのだろう。しかし、バリー岡田がその言葉を遮って発言を始めた。
「まーあの〜」
 得意のフレーズだ。
「やっぱりそのー、プロジェクトとしてそのー、開発内容のユーザーレベルといいますか、実現する機能についての取りきめはプロジェクトチームが担当すると言うことで、ヒラリーマンくんの指揮と言うことでいいと思います。しかし、まーあのー、実際の開発管理という意味ではこれは情報システム部システム課が今まですべてやっておりまして・・・・・・今後もそのようにするのがよろしいかと思います」
 バリーがそう言うと部長が間髪入れずに言った。
「ヒラリーマンもシステム課員だから、それでいいんじゃねーの?」
 しかしバリーは続けた。
「まーあのー、たしかにそうなんですが・・・・・・、会社間での連絡責任者ということですから、両社間で同じレベルでのやりとりが一番良いと思うんです。まーあのー、部長なら部長同士、課長なら課長同士ということで・・・・・・。まーあのー、小野さんはマネージャーということで課長クラスかと思いますので。まーあの〜こちらもそれに合わせてということが大同さんとしてもご都合がよろしいのではないかと思いますが、神田部長いかがですか?」
 バリーは大同システムの神田部長に向かってそう投げかけた。
 これはおそらくバリーが事前に練り上げた作戦だろう。
 部長はどうやらヒラリーマン側についている。重役もヒラリーマンにやらせたがっている。そうバリーは判断した。
 このままでは勝ち目はないと考えたバリーは、思い切った作戦に出のだ。
 つまり、部長でも重役でもなく、大同システムの部長に「その通り」と言わせることにしたのだ。
 大同システム側が「バリーにやって貰いたい」という意志を表明すれば、重役にしても「そちらがそうおっしゃるなら」という判断をせざるを得なくなる。
 他社との会議の場で妙なやりとりも出来ないから、「それでもヒラリーマンに」と部長が主張することもないだろう。
 大同システムとしては自分たちがスムースに仕事が出来る体制がありがたいのだから、それが出来るなら誰でもいい。
 そして、今後のことを考えればシステム課長との関係は良好に保っておきたいはずだ。
 そのシステム課長が「自分がやりたい」という意志を公の場で表明しているのだから、大同システムとしては賛成せざるを得ないだろう。
 そう考えてバリーはさんざん喋りまくったあげく、神田部長に意見を求めたのである。
 そしてその作戦は図に当たった。
「ええ。そうですね。あのー、当社としても立場的に同じレベルの方がよろしいかと思います」
 と、大同システムの神田営業部長があっさりと同調した。
 バリーは「してやったり! どうだ、おまえはヒラで俺は課長だもんね!」とばかりに、僕の顔を見てニタリと笑ったのだった。

2002年5月16日 実録連載−バリー岡田の陰謀19。小野マネージャーの意外な一言

 バリー岡田は業者のコントロール役となるプロジェクトマネージャーの就任を画策した。
 そして大同システムの部長にたいして「小野マネージャーと同等の役職の人を望む」という趣旨の同意をとったのだ。
 この作戦には敵ながら僕も感心せざるをえなかった。
 プロジェクトリーダーは僕ではあるがプロジェクトマネージャーがバリーとなれば、リーダーの考えを無視して勝手なことをはじめるのは目に見えていた。
 僕はバリーの異常さを重役が承知してくれていることを願うしかなかった。
 そして「それでもヒラリーマンがマネージャーになれ」と言ってくれることを念じるしかなかったのだ。
 しかし、実際には難しい。
 この状況で業者の幹部がいる中で身内の対立のようなことを会議室で繰り広げるわけにはいかないからだ。
 そして、やはりそう思った通りだった。
「そうですね。会社同士のやりとりですからレベルは合わせましょう」
 と、重役が言った。
 バリーは押さえきれないうれしさで、顔をゆがませていた。

 ところがその直後に、バリーのそのゆがんだ顔が違う意味のゆがみに変わることになった。
 大同システムの小野マネージャーが思いもしない言葉を発したのだ。
「あの、わたし主任です。管理職じゃありませんので・・・・・・」
 と、小野マネージャーが言った。
「へ?」
 バリーは唖然とした。
 なんと、彼が管理職だと思いこんでいた小野マネージャーの身分は、僕と同じく主任だったのである。
 小野マネージャーが主任クラスと言うことになれば、当社も主任クラスをマネージャーにすれば釣り合いがとれる。
 バリーはしばらく言葉を失っていたが、気を取り直すと神田部長に食ってかかった。
「うちの仕事に対してマネージャーに管理職をつけないと言うのはどういうことですかね。普通こういう場合は管理職が責任を持ってやるべきでしょう。うちを軽く見てるってことになるんじゃないかな」
 こうなったら相手のマネージャーを課長クラスに取り替えるしかない。バリーは必死だ。
 ところがこれにはすぐに重役が反応した。
「岡田課長。それは内政干渉だよ」
 バリーが押し黙り、重役が言葉を続けた。
「誰がマネージャーとしてふさわしいかはその会社さんで決めることだ。うちもヒラリーマンで行こうと考えていたんだし、これで丁度いいじゃないか」
「ええ、まあ、そうかも知れないですね・・・・・・」
 と、バリーは作り笑いをしていたが、意外とあっさり引っ込んだ。
 これはおそらく場外戦に持ち込むつもりだな、と僕は思った。
 つまり会議ではここまでにして、別途談判しようと言うことだ。
「それじゃー、ヒラリーマンも主任だしプロジェクトリーダーだから、ヒラリーマンがマネージャーを兼任するってことで、いいっすね?」
 そう部長が言うと、みんな一斉にうなずいた。

 会議が終了するとバリーは部屋に戻ろうとする重役を急ぎ足で追いかけ、重役の部屋に押し掛けて行った。思った通りだ。
 自分のいないところで「ヒラリーマンは・・・・・・」なんて嘘八百並べられ他のではたまらない。
 そう思って僕もついていこうとしたら、バリーに制止された。
「ちょっと重役と別件で話があるから、君は遠慮してくれ」
 こう言われては仕方がない。
 同席した部長の話によると、バリーは大変な別弁をふるったそうだ。
「ヒラリーマン君には無理です。彼に任せたらこのプロジェクトは崩壊します。わたしは会社のために言ってるんです。必ず失敗します。だからわたしがやりましょう。どう考えたって彼には無理です!」
 あまりに熱心な説得に重役も少しは思案したらしい。部下にリスクを指摘されておきながら、もしも本当に失敗したら自分の責任になりかねないと思うのは当然。
 重役と言っても所詮はサラリーマンなのだ。
 ところがバリーは熱弁をしすぎて、ついでに「ヒラリーマンの悪口」を延々1時間並べ立てたのだそうだ。
 重役も、「もしかしたらヒラリーマンには重荷かも知れない」という気持ちが若干あったものの、バリーの人格に疑問を思ったらしい。
 本来なら部下庇ったり、引き上げようと努力するのが上司というものだ。
 ところが彼の言動はそれに逆行している。
 しかも、重役も僕とは数年一緒に仕事をしているだけに、バリーの言っていることのいくつかが明らかに事実と反すると気が付いた。
 こうなると、「こいつの言っていることは、信用できない」と考えるのが当然だろう。
 結局はバリーが繰り広げる悪口ショーがバリーの意図とは逆の結論を引き出してしまった。
「すべてヒラリーマンに任せます。岡田課長は一切口出ししないように」
 と重役はバリーに釘をさしたのだ。
 バリーは完全にプロジェクトから遠ざけられてしまった。
 これは今年の情報システム部の目玉となる仕事であったため、しきり屋のバリーとしては我慢できないものだった。
 これから数日間、バリーはコンピュータールームに押しかけては鈴木SEが「うるさくて仕事ができない」と嘆くほど「ヒラリーマンの悪口」を喋りまくった。
「『なんで俺じゃないんだ。どうして俺にやらせないんだ!』って、毎日言ってるんですから参りますよ」
 と鈴木SEは顔を曇らせていた。
 しかしバリーはこの程度で、ただ愚痴を言ってるだけのかわいいおじさんに落ち着く男ではない。
 バリーの妨害工作はこの後、走り出したプロジェクトの作業にまで及ぶのだった。

2002年5月17日 実録連載−バリー岡田の陰謀20。バリーの後ろ盾

 突然、人事課長の幕田さんに「飲みに行こう」と誘われた。
 幕田さんは僕が労働組合の中央執行委員をやっているときに幹部だった人で、後に中央執行委員長にまでなった。
 労働組合の幹部だった人が人事課長をやっているというのはあまり例がないかも知れないが、当社では組合幹部を経験するのが出世への足がかりなのである。
 仕事が終わると二人で東京駅八重洲の地下街にある、そば屋に入った。
 このそば屋は夜になるとほとんど飲み屋になっていて、東京駅近辺のサラリーマンが仕事の疲れを癒しにやってくる。
「ヒラリーマンとは久しぶりだな」
「そうですねぇ、組合の時はよく飲みましたけど、最近では滅多にないですからね」
 そんな他愛もない話をしながら二人は酒を飲み始めた。
「懐かしいよなぁ、組合のころ」
 と、幕田課長が言った。
「結構僕、活躍してましたよね?」
 と僕が言うと、幕田さんはニカっと笑った。
「面白かったよなぁ、おまえ。幹部の方針に反対ばかりしてるし、団体交渉ではアドリブかましまくるし、めちゃくちゃだったよな」
「そりゃそうですよ。小学校の卒業式じゃないんだから、決められたセリフを喋るなんてできませんよ」
「だけど、そのせいでおまえ、中央執行委員クビになったんだよな。あの頃は立場的に俺も言えなかったけど、ヒラリーマンが引っかき回したのは面白かったよ。はっはっは!」
 労働組合というのは古い体質の組織だった。
 自由に意見を言えと言いながら、本当に言うと嫌がられる。
 僕らは幹部が決めたことに「はい、その通りです。すばらしい!」とたたえて、後は印刷作業などにかり出されるだけの、兵隊要員だった。
 それなのに僕がああだこうだとかき回したものだから、「あいつはうるさい」ということで僕はクビになってしまったのである。
 しかし僕はあまり労働組合が好きではなかったので、クビになったときは「ラッキー」だと思ったのだが、それは「出世への足がかり」をなくした瞬間でもあった。
「ところで、岡田課長にはいろいろと苦労してるみたいだな」
 と、幕田課長が訊いた。
 どうやらこれが今日の本題らしい。
 幕田課長の耳に入っていると言うことは、どこかで噂にでもなっているのだろうか。
「いろいろというわけじゃないですが・・・・・・。なにか聞こえてきましたか?」
「この間、岡田さんと飲む機会があってね。他にも数人いたんだけど、岡田さんがずっと君の悪口を言ってたよ。そのうちこっちも不愉快になってきてね、俺と総務課長の町田さんとで『いい加減にしてくれ』って言ったんだけどね」
 これだけ聞けば、だいたいどんな調子だったのか、想像がついた。
「『俺の目の黒いうちはヒラリーマンを絶対に昇格させない』とまで言ってたぞ」
 外で宣言してるとはすごい意気込みだ。
「理由は言ってました?」
「いやー、大した理由はなかったな」
 正当な理由なんてあるはずがない。
 バリーが課長に就任した当日、「ヒラリーマンを育成してくれ」と重役と部長に言われた。
 その直後にバリーは挨拶したばかりで初対面の鈴木SEに、「俺はヒラリーマンの育成なんてする気はない。絶対に昇格なんてさせない!」と息巻いたのだという。
 このとき僕はまだ彼と会ってもいなかった。
 どういう人間かお互いに知らなかったのだから、相手が誰かはバリーにとっては関係がない。
 主任が昇格すれば課長代理になる。
 課長代理は数年後には課長候補になる。
 すると自分の地位が危ぶまれると、彼は思ったのだろう。
「岡田さんがああいう人だってこと、上の人はわかってるのか?」
 と幕田課長が訊いた。
「ちょっとは感じてるとは思いますが、岡田課長がやってるいろんな『おかしなこと』は部長も重役もご存じないです」
「どうして言わないの?」
「ほとんどの情報源がSEやプログラマーや業者なんですよ。彼らは僕が誰にも言わないと信用して話してくれてますから、その情報をもとにした話は部長や重役には言えないし、本人を追求することも出来ないんです」
「なるほど。そうなると難しいな」
 僕がバリー岡田と敵対する理由は二つあった。
 一つはバリーがダンピングシステムに不正に仕事をやらせようとしていることだ。
 僕は大同システムの肩を持つ気はないが、バリーの片棒を担ぐのはごめんだ。
 そしてもう一つはバリー岡田がやっと手に入れた課長職を守るために、部下を蹴落とそうとしていること。
 僕は出世に興味はないけれど、それでも蹴落とされるのは気分が悪い。
 しかしどちらの話も情報源に迷惑がかかるからおおっぴらに出来ないと言う歯がゆさがあった。
「そうか。わかった。それなら詳しくは聞かないけどね。困ったもんだなぁ・・・・・・」
 と、幕田課長が言った。
 こうして気にしてくれる人がいるだけで、僕には十分だった。
「そのことを突きつけないとしても、岡田課長と直接とことん話し合ってみるっていうのはどうなんだ?」
 と、幕田課長が言った。
 それは、僕も考えたことがあった。しかし僕はそれを断念した。
「幕田課長。話し合いが意味をなすかどうかは相手次第ですよ」
 と僕が言うと、幕田課長は盃を一気に飲み干してから言った。
「それ、わかる。人間ってのはある程度の良識とか、暗黙のルールとか、そう言うものを基本に生活してる。それでははっきりしない部分については話し合いとか契約とかをするわけだがね。ところがその基本部分を犯すのが平気な人っていうのは、なんの話をしてもだめなんだよな。因縁つけてきたヤクザを正論で説得するようなもんだからね」
 まさにその通りだ。
 幕田課長はなおも続けた。
「実は岡田課長は他でもいろいろあってね。財務の綾部さんとか、営業の永田さんとか、いろんな人が岡田課長と仕事をしたらしいんだけれど、そのたびにほかの人に岡田課長が『あいつはバカだ。間抜けだ。仕事が出来ない奴だ。仕方ないから全部俺が仕切ってやった』みたいなことを言いふらすらしいんだよ」
 その手の発言は、日常茶飯事だ。
 システム課に何かを頼みに来た人がいると、バリーはニコニコ笑って「はいはい、いいですよー」と言うのだが、その人が帰ったとたんに、「バカ! そんなこともわからないのか、アホ。ったく!」と毒づくのである。
 どうやらバリーの被害にあっているのは僕だけではないらしい。
「彼は常軌を逸しているね。それでね、システムの方ではどうなのかと思ってね」
 なるほど。つまり幕田課長はバリーが重役や部長にどう思われているのかを人事課長として探りたかったのだ。
「岡田さんはこの間まで情報システム部担当だった常務が引っ張ってきた人だろう。だからね、常務の顔もあるからなかなか難しいんだよ」
 と、幕田課長が言った。
 常務は新重役の上席にあたり、会社ではナンバー2の存在だ。
 常務が昔課長クラスだった頃にバリーは彼の部下だったらしい。そのときは上司に従順な部下だったらしく、常務はバリーをかわいがっているのだという。
 今では常務は情報システム部の担当ではない。だから、情報システム部内のもめ事には口が出せない。
 しかし、管理職の人事と言うことでは常務の意見力は強いのだ。
「常務がついている」。もしかしたらそれがバリーの強みなのかも知れない。
 バリーが数年後の地位を心配しているのは、そのときは常務が引退している可能性が強いからだろう。
 しかし、こうなるとあと2,3年はバリー課長は健在で、僕の昇格もないと言うことになるらしい。
 しかしそれよりも、こういうバトルをあと何年もやるのかと思うと、僕はうんざりするのであった。

2002年5月27日 実録連載−バリー岡田の陰謀21。不在を狙え!

 新システムの開発業者が大同システムに決まり、プロジェクトマネージャーには僕が就任した。
 これでバリーは一斉このシステム開発には口を出さないことになった。
 今後、当面はプロジェクトメンバーが集まって、システムの機能を細かく決めることになる。
 機能が決まったら、これをどうシステムに作り上げるかを大同システムと打ち合わせて、その内容が決定したら大同システムが基本設計書を作成する。
 しかし、基本仕様書が出来るまでの間、僕らが何もしなくていいわけではない。
 大同システムは作業をしながら細かいところを質問してくるから、それに対して回答しなくてはいけないし、そのために調査や打ち合わせが必要になる。
 出来てきた基本仕様書をチェックして修正を依頼したりするのは僕らの仕事だ。
 そしてこれができあがると次ぎにプログラム設計があり、そしてプログラミングへと進んでいく。
 僕はプロジェクト定例会議を毎週水曜日に実施することに決め、それを各メンバーに通知した。
 驚いたのはそのことを部長に報告した際、横で聞いていたバリー岡田が言ったことだった。
「ヒラリーマン君、来週の水曜は俺、都合悪いんだよ」
 すでにこのシステム開発にバリーは無関係となったはずだ。それなのにどうしてバリーのスケジュールが関係するというのか。
 部長も「あれ?」という顔をしていた。
 バリーは勝手に会議に出るつもりでいるのだ。僕は仰天したけれどとっさに、
「いえ、これはプロジェクトのメンバーの会議ですから!」
 と払いのけた。
 オブザーバーと言うことでシステム課長であるバリーがプロジェクト会議に出席することはそれほど変なことではない。
 しかし、オブザーバーなどと言う身分で行動できるバリーじゃない。彼を会議に入れたらとたんに司会を始めてすべてしきり始めるに決まってる。
 そして、一度入れてしまったら「次回から出ないでください」とはなかなか言えないものなのだ。
「俺は出なくていいということ?」
 と、バリーが言った。
 当たり前だ、ぼけ。おまえなんかに出てもらってたまるか! と言いたいところだけれど、ここはぐっと押さえた。
「プロジェクト会議ですから、出席者はプロジェクトのメンバーですよね。課長はメンバーじゃないから出ていただかなくてもいいんですよ」
「出ないでくれ」じゃなくて「出なくてもいいんです」と言うわけだが、僕がバリーも意味するところはわかっている。
「あ、そう。大丈夫なのかね」
 と、嫌味を言いながらも、バリーは引っ込んだ。
 しかしこれで、バリーがまだ自分が仕切るチャンスを狙っていることだけは明らかになった。

「これからが大変ですよ。来月、再来月はヒラリーマンさんは毎晩残業でしょうね」
 マシン室に立ち寄ると、鈴木SEが僕の顔を見るなりそう言った。
「毎晩? 週に一度はノー残業デーがほしいなぁ」
「そんなの無理ですよ。とにかく機能詳細を決めないといけないんですからね。あまり時間もないし、期限通りに仕上がるかどうかはヒラリーマンさんのリーダーシップにかかってます」
「ひぇー。プレッシャーかけないでよ!」
「でもヒラリーマンさん、こういうプロジェクトのリーダーを平社員がやるのは前代未聞ですよ。だけど平社員で良かったですね」
「なんでさ?」
「だって、残業代がっぽがっぽでしょ!?」
 確かに平社員だからこそ残業代がもらえる。でも、どうせ貰ったところで我が家の場合、僕のこづかいには全く影響がないのだから悲しい。

 思った通り、ノー残業デーなんて作ることは出来なかった。
 僕は毎日のように残業することになった。
 ある程度のたたき台を作って会議を開き、みんなの意見を取り入れてまた修正するという作業が続いた。
 この連続で僕はシステムの機能を決めていった。
 ときにはその機能について他の部署の了解を求めたり、あるいは要望をまとめ上げる必要があった。
 そんなときにはそこの部署の課長や部長に話をもっていくことになるのだが、僕がプロジェクトリーダーになっていることはすでに社内に通知済みなので、「課長を出せ」と言われることもなく順調に進んでいた。
 ある時、プロジェクトチームの中で検討した結果、どうしても営業部に承諾を得なくてはいけない機能がでてきた。
 他の機能やコンピューターの性能などいろいろと考えた結果、どうしてもこうしてほしいという内容について、営業部に納得して貰おうと言うことになったのだ。
 こういう問題は話のもっていきたかでどうにでもなってしまう。
 うまくもっていけば二つ返事で「いいですよ」となるが、下手にもっていくと大問題に発展し、「絶対に譲らない」というほど相手の態度を固めてしまうこともあるのだ。
 僕は早速営業部の営業一課長の桂馬さんにアポイントメントをとろうとしたのだが、あいにくと彼は外出が多く、なかなかつかまらなかった。
 仕方なく僕は、お話ししたい趣旨を簡単にしたため、その件について会議をもちたい旨のメールを桂馬課長に出したのである。
 問題が発生したのはここからだった。
 桂馬課長はそのメールを見ると、ぶらりと情報システムの部屋にやってきた。
 彼はパソコンの操作があまり得意ではないので、メールでのやりとりを好まない。
 それで、何かのついでに僕のところに寄ったのだろう。
 しかし、あいにくとその日僕は、出張していたのである。
「なんだ。ヒラリーマンはいないのかぁ」
「今日一日いませんよ。なんのご用?」
 不在中に桂馬課長の応対をしたのが、なんとバリー岡田だった。
「いや実は今度のシステムのことでヒラリーマンが相談したいってメールしてきたんだけどね。明日は土曜だし、それなら来週改めて・・・・・・」
 と、桂馬課長は帰りかけたのだが、それをバリーが引き留めた。
「いやいや。それじゃわたしが聞きましょう。まーあのー、最近ヒラリーマンも忙しいし、どうせ彼もわたしに相談するわけだから」
 僕がバリーに相談することなどほとんどあり得なかっただろう。しかし、当の本人がいないのだから、言いたい放題だ。
 桂馬課長が迷っていると、バリーは追い打ちをかけた。
「桂馬さんもお忙しいから何度も行ったり来たりになって手間をとってもなんでしょう」
 そこまで言われて断る理由が桂馬課長にはなかった。
「ここではなんですから、応接室でじっくり打ち合わせましょう」
 バリーはニコニコしながら桂馬課長を伴って、応接室に消えていった。
 ことのことがプロジェクトの出鼻を大きくくじこことになったのだった。

2002年5月27日 実録連載−バリー岡田の陰謀22。開発増作戦

「それはダメだよ、ヒラリーマンくん」
 営業部営業一課の桂馬課長はあからさまに僕が提示した案を蹴り倒した。
 出張から戻り、案件について桂馬課長との打ち合わせでのことだった。
「しかし課長、おっしゃることはわかりますが費用対効果という面から見てもB案は効率的とは言えませんし、それに今回の開発費用の中でこれをやれとはわたしも大同システムに言えないんです」
「それは君の都合だろう」
 選択肢は二つあった。必要最小限機能がA案。オプションつき機能版がB案だった。案と言っても実際にはAでお願いしたいのだけれど、営業部から打診があったB案もないではないという、当て馬案なのである。
 今回のシステム開発は大同システムに無理を言って、赤字覚悟で引き受けてもらった。
 機能はすでに決まっているし、それに対する開発費も決まっている。
 しかし、プロジェクトメンバーで決めた内容も、具体的に話を詰めていくと関係部署の要望を聞く必要がある。そんなとき、「こんな機能も欲しいな」と新たな機能を思いつくのが人情と言うものだ。
 欲しくなったらどんどん追加していく。そんなことをすればシステムはどんどん膨らんでいってしまう。
 これで予算オーバーして、ついには開発が暗礁に乗り上げてしまったシステムは世の中に山ほどある。
 そうならないように管理するのが我々の仕事だ。
 そのために、ユーザーから新機能の提案があったときはそれを「絶対必要な機能」なのか、「あったらいいな程度の機能」なのか分け、開発の有無を判断する必要がある。
 どうしても必要な機能だと判断すれば、そのときは予算の増額申請をすればいいだけのことだ。
 必須だと思えば会社も金を出してくれる。
 ところが、「あったらいいな」の機能は申請しても拒否されるに決まっている。
 したがって、「あったらいいな」程度の機能は削るか、予算内で無理に開発して貰うかのいずれかになる。
 普段であれば大同システムに無理にお願いするのもいいのだけれど、今回は最初から赤字での開発となっているのだから、そんな余裕があるわけない。
 だから、こういう機能追加要求は何とか排除していこうとプロジェクト会議で決めていたのに、初っぱなからつまづいてしまったのだ。
「その機能がほしいというのはわかるのですが、絶対になくてはいけない機能ではないですよね。言ってみれば『あったらいいな』程度のものでしょう。そう言うものは今回は削っているんです」
「それはわかるよ、ヒラリーマンくん。確かにそれほど重要な機能ではないよな」
「そうでしょう? だったらお願いできませんか」
「そりゃダメだよ」
 なぜダメなのか、さっぱりわからなかった。ところがその原因がだんだん見えてきたのだ。
「物事には順番があるだろ。そう言うことをあとから言われても困るんだよな」
 と、桂馬課長が言った。
「あとからって?」
「もう部長にもう報告してるんだよ。今更『やっぱり変えます』なんて言えないだろう。俺だってそれなりの理由を作ってB案決定を部長に伝えているんだからさ」
 つまり、すでにB案に決まった後に僕が「やっぱりAにしてくれ」とネゴりに来たことになっているのである。
「ちょっと待ってください。プロジェクトとしては最初からAのみで考えてましたよ。まだお話もしてないのに、どうして部長にBで報告されたんですか?」
 嫌な予感はしたのだ。
 いつもならこういう相談には快く折れてくれる桂馬課長が、今日はやたらと抵抗するので、「変だな」と最初から僕は思っていた。
「そんなことないだろ。岡田課長と話してBで行くべきってことになったんだから」
 やはり原因はバリーだった。
 桂馬課長によると、バリー岡田の方から「どうせやるならこっちでしょう」と勧められたというのだ。
「そんな、困りますよ。予算的に余裕がないんですから。だいたい岡田課長はプロジェクトメンバーじゃないです」
「そんなことは知らんよ。彼はシステム課長なんだから、権限をもっていると考えるのが当然だろう。システム課長がこの開発について権限をもっていないなんて、全くアナウンスされてないじゃないか」
 確かにそうなのだ。
 バリーに口出しをするなと言うのは重役と部長の判断だが、言ってみれば内輪もめ。
 本来はシステム課長にはすべてのシステムについて口出しをする権利がある。
 だらか、それを公にアナウンスしてはいなかった。
 そこをバリーは狙ったのだ。
 バリーの目的は二つあった。
 一つは、自分の課長としての権限を公にアピールすること。
 二つ目は、開発規模を膨らますことで、僕と大同システムの仕事がスムースに運ばなくするためだった。
 どうしてそう断言できるかはいつものとおり、バリーがコンピュータールームの鈴木SEにベラベラと喋っていたからである。
「俺はシステム課長なんだからよ、本来は俺に決定権があるんだよ。他部署が絡んでくれば、絶対に俺じゃなくちゃダメだってことになるはずなんだ。見てろよ。ヒラリーマンの奴、すぐに大同との間でぎくしゃくしてくるぞ!」
 と、今までよりもさらにすごい鼻息だったそうだ。
 この調子では、これから先もずっとバリーの妨害に合うだろう。
 しかし開発期間は短くて、僕にはこんなことで仕事を停滞させる余裕がなかった。
 この先彼に妨害させないためには、なめられないようにするしかない。
 そのためには重役にも部長にも相談することなく、自分でこの場を切り抜けてバリーに「あいつは手強い」と思わせるしかない、と僕は思った。

2002年5月29日 実録連載−バリー岡田の陰謀23。権限委譲

 バリーは桂馬課長にあれこれ吹き込んだあと、独自のシステム構築案を作っていた。
 鈴木SEのところに立ち寄ってはあれこれ聞いては作業を進めていたのだ。
 自分がプロジェクトリーダーに返り咲く計画を立て、彼はその準備を着々としていたのである。
 プロジェクトチームリーダーからはずれ、マネージャーからはずれ、メンバーからもはずれたバリーであったが、それでもなおかプロジェクトに関わりたいという執念だけは見上げたものだった。
 その後の鈴木SEの情報によるとバリーはこう漏らしているらしい。
「2つくらいの仕事はダンピングシステムに持っていかないとヤバイんだよ。あの仕事だってダンピングに決めていたのに、ヒラリーマンの奴が・・・・・・。本来は俺がリーダーになるべきなんだ」
 彼はダンピングシステムのコンサルティングングを引き受けている。
 コンサルティングと言っても彼にそれほどの能力があるわけもなく、要するに我が社からダンピングシステムに仕事をだすという約束をして、コンサルティング料の名目で金を受け取っているだけのことだ。
 しかし、今となってはダンピングシステムにこのシステム開発が行くことはない。
 それなのにバリーがまだこのシステム開発の主導権をとりたがるのは、「岡田じゃないとダメだ」という実績を作って、次のシステムをダンピングシステムに回したいという一心だろう。
 バリー岡田は鈴木SEにリベンジ計画の核心も話していた。
「会社には権限規定がある。それを問題にすればヒラリーマンはひとたまりもないはずだ」
 バリーはそれ以上詳しいことを鈴木SEには言わなかった。
 鈴木SEもその意味がよくわからなかったらしく、僕にはバリーの言葉だけを教えてくれたのだが、僕にはその意味がすぐにわかった。
 会社には、職務によって明確に「職務権限」が規定されている。
 簡単に言えばバリー岡田には情報システム開発の開発実行指揮権がある。
 しかし、この権限は「権限委譲」という手続きで他の者に渡すことが出来る。
 これをするときは通常、権限をもつ本人が自分の判断で誰かに委譲する。
 この際、権限を委譲したことを各部署に連絡するのだ。
 もちろん上司の命令で委譲することだってできるから、バリーが嫌だと言っても部長が命令すれば済むことだ。
 しかし、今回の場合この手続きは一切とられていない。
 ここにバリーは着目しているのだろう。
 プロジェクトの発足については役員会で承認されている。そしてこのとき、リーダーが僕であることも説明内容に組み込まれていた。
 だから、僕がプロジェクトリーダーだと言うことは、社長でも知っている。
 いや、覚えてはいないだろうけれど、彼も聞いていたはずだ。
 ところが、僕がリーダーとなることそのものは承認項目には入っていないので、非公式に認めたという形になっているのである。
 なぜ正式に承認しないのか。それは僕が管理職ではないからだ。
 管理職でない者に管理権限を委譲することは出来ない。したがって正式には承認できないとうわけだ。
 でも、実際にはやってくれと言うのだから、日本的と言うべきだろう。
 ここには労働組合の問題も存在していた。
 それはつまり、管理職の待遇はしてないのに管理職の職務、責任を負わせるということは、労働組合からのクレームの対象となる。
 これを正式にやってしまえば会社としては言い逃れが出来ない。
 だから、正式に承認作業をすることが出来ないので、暗黙の了解で非公式にやってくれと言うことなのである。
 そんな事情で権限委譲の連絡は正式に回ってはなく、口頭で「ヒラリーマンがやりますのでよろしく」程度のことを部長が都度各部署に言っているだけだった。
「ヒラリーマンには正式な権限はない。だから問題が発生すれば、引っ込まざるを得ない」
 バリーはそう考えているに違いなかった。

 僕は桂馬課長への説得を続けたが、桂馬課長は納得しなかった。
 桂馬課長にしてみれば、部署間の正式な取りきめをして、その内容を部長に報告しちゃったんだらか、その話を今更変えないでくれということだろう。
 しかもバリーが桂馬課長に示した案は、営業部としてはおいしい話だから、取り消されたくないのもわかる。
 バリーがどこまで企んでいるのかは不明だが、とにかくめんどくさいことになってしまった。

2002年5月30日 実録連載−バリー岡田の陰謀23。バリー、大役をゲット

 桂馬課長といろいろ話しているうちに、バリーが吹き込んだ内容もだんだんわかってきた。
「システムってのはさ、利用者のことを考えて作るべきなんじゃないの?」
 と、桂馬課長が言った。
 そんなことは重々承知してるし、僕だってそれを実践しているつもりだ。
「ええ、おっしゃる通りですよ」
「なんか、利用者の意見を無視して、作りやすいようにだけやってるってのは、マズイと思うな」
 そんなことしてるつもりはさらさらない。
「利用者のご意見はよくよく伺ってますよ」
「そんなことないだろ。営業部の意見なんて全然聞かないで好きに作ってるそうじゃないか」
 と、桂馬課長は批判的に言った。
「そうじゃないか」ってことは、誰かにそう聞いたと言うことだ。
 そんなことを誰が吹き込むのかと想像すると、どうしてもあの人の顔が浮かんでくる。
「あのー、営業部は2課の高田君がプロジェクトメンバーでして、彼の意見を最大限に入れてますよ」
「え?」
 桂馬課長の目玉がひょいと上に上がって、まるで脳味噌の中を検索しているような状態に陥った。
 桂馬課長はしばらく考えると、「そう言えば・・・・・・」と、何かを思いだしたようだった。
「高田君が部のみなさんに意見を求めたはずですよ。数名の方からご意見をいただいて、その方たちと内容を詰めた結果を、プロジェクトにもってきましたけど、覚えありませんか?」
 桂馬課長がしっかり思いだしたことは、顔を見ればわかる。
「あー、あったねそれ。確かに意見を聞かれたな。ごめんごめん。なんだ、そうだったのか。そうかそうか・・・・・・。しかし、システム課もいろいろと問題ありそうだね?」
「なんのことですか?」
「いやー、開発費とかさ。もうちょっと考えた方がいいと思うよ」
 開発費と言えば、大同システムにめちゃめちゃ安い開発費で仕事を押しつけたところだ。いったいこの人は何が言いたいのだろう。安く買いたたきすぎだと言う話だろうか。
「開発費がなんか、高いらしいね」
 は?
 全く逆だった。それにしても、数千万も損害を被るシステム開発をさせて於いて、高はないだろう。
「安易に大同システムにばかり発注してて、高く付いてるそうだね。いつも使ってる業者をそのまま使うって言うのは楽だけど、楽ばかりしないで他の会社も使ったりしないと足元見られるよ。それに、業者を使う部署としてはあらぬ噂も立ったりするから気をつけた方がいい」
 これには驚いた。
 まるで僕が大同システムと癒着していて、高い金額で彼らに仕事をやらせてるみたいな口振りだ。
 これもおそらく、そんな話をバリーがでっち上げたためだろう。
 ここまで来ると腹が立つよりも呆れてしまって、強く言い返す元気もなくなってしまう。
 それよりも、これほど簡単にバリーに乗せられてしまっている桂馬課長にここで反論してもおそらくどうにもならないし、今の議題はこれじゃない。僕はこの話題を切り上げて本題に戻った。
「桂馬課長。部長にまで報告したから安易に変更は困る、と言うことでしたね。それではうちの重役や部長も入った会議で決定した内容として、こちらから改めて訂正のお願いを営業部長にさせていただくことではいかがでしょうか?」
「お詫びと訂正ってやつか?」
 ヤクザじゃないけどサラリーマンにはサラリーマンの筋の通し方がある。
 課長が上司である部長に「あれは違ってました」というのは抵抗があっても、他の部署から正式にその部長に「申し訳ないが・・・・・・」と話をすれば、その課長の顔は立つのである。
「はい。そういうことです。相馬課長にご迷惑はかからないようにしますから」
 僕がそう言うと、
「まーそこまでしろと俺も言わないけどさ・・・・・・」
 と、言いながら桂馬課長が頭をかいた。
 本当は「そうしてもらえれば俺も格好が付く」というのが桂馬課長の本音だろう。
 相手が妥協してきたら「いやいや、そんなことをしてもらうつもりもなかったんだが・・・・・・」とか言って自分が要求したわけじゃないというポーズを作りながら、実はしっかりやらせるのがサラリーマンのよく使う手口だ。
 最初から払う気なんてないのに飲み屋のレジで財布をとりだして「え、おごりなんですか? すみませーん」なんていうOLと同じなのである。
 僕が桂馬課長と話しながらふと思い出したのは、2週間に一度の報告会議だった。
 この会議には重役、部長の二人も参加し、報告するだけではなく、ものによっては決定機関でもあった。
 バリーはこの会議ではオブザーバーとして参加している。そしてその会議は翌日に開催されることになっていた。
 僕はこの会議を利用しようと、とっさに思いついたのだった。

 会議は朝早くから開催された。
「えー、進捗報告は以上でございます。それでは次ぎに、検討事項についてみなさんにご意見をいただきたいのでお願いします」
 発表者と司会を僕が兼ねていた。
 この会議の司会進行もバリーが以前「わたしがやります」と手を挙げたが、部長に却下された。バリーにとっては不満の残る会議だ。
「お手元の資料にありますように、営業部管轄の問題についてA案、B案があります。わたしとしてはA案で行きたいと思っています。理由はそこに記した通りで、その順番に検討を進めていくと、どうしてもこうなります。いかがでしょうか?」
 このB案をバリーが桂馬課長に勧めたのだ。
 当然バリーはこのことで僕が困っていることを知っている。しかしこの場でそれを言うことは彼には出来ないし、僕も言うつもりはなかった。
 重役と部長は資料を凝視して考えていた。
 そこで思った通りバリーが発言した。
「まーあのー。プロジェクトでいろいろ考えてくれてA案ということだとは思うんですが。まーあのー、これはBの方がいいのではないかと、わたしは思います」
 バリーとしては、ここでこのことを承認させようと思っているだろうし、その自信もあるようだった。
 しかし、重役がさっと顔を上げてこう言ったのだ。
「どうして?」
 重役は理由のない意見を嫌う人だ。非論理的な意見を出すと、重役はすぐに攻撃を始める。僕は重役とのつきあいが長く、彼の癖は良く知っていた。
 この件について僕らは十分検討を重ねて結論を出していたが、バリーはどうせそんなものはないだろうと僕は高をくくっていた。だからこの場でバリーから反対意見を出させればバリーの非論理的な意見と吟味し尽くしたプロジェクトメンバーの結論との争いになり、バリーが重役に叩かれるだろうと想像が付いていた。
 バリーが「は?」ととぼけた顔をした。
「どうしてBがいいのか理由はなんです?」
 重役がそう訊くと、バリーは本人にとっては自慢の頭脳を駆使して答えた。
「まーあのー、えー、だいたいこういう場合、この程度の機能は普通じゃないかと・・・・・・」
 これで勝負はついたと、僕は思った。
 重役は獲物を完全に射程距離内においたという感じで、つっこみ始めた。
「意味がわかりませんね。どういう理由でなぜそちらがいいのかを論理的に説明してもらえませんか?」
 論理的に説明。それはバリーがもっとも苦手とする分野だ。
「まーあのー、特に理由はないのですが何となく・・・・・・」
「何となく・・・・・・。何となくなんですね?」
「まーあのー、特に何がと言うわけでもないのですがその・・・・・・」
「岡田課長。プロジェクトメンバーがステップを踏んで検討した内容を、『なんとなく』で反対するその理由は?」
「いえあのー、反対という言うわけじゃなくて・・・・・・どちらでもいいのですが、まーあの〜」
 もうバリーはたじたじだ。
「それなら、プロジェクトが決めたA案でいいじゃないですか」
「はい。まーあのー、それでもいいです」
 これで話は終わってしまった。
 そこで僕はさらに意地の悪い追い打ちをかけた。
「岡田課長。この件ですがご存じの通り営業部はB案になると思っているようで、桂馬課長は直属の部長にまでそう話してしまったようです。課長から営業部長に訂正をお願いできませんか?」
 バリーは何か言いかけたが、部長が「岡田君、頼むね」と言ったので、バリーは言葉を飲み込んだ。
 バリーは自分から勧めた案を自分から訂正しに行かなくてはならなくなった。
 結局バリーはプロジェクトからの「お詫びと訂正」を管理職として営業部長にお願いする大役を仰せつかったのであった。  

2002年6月3日 実録連載−バリー岡田の陰謀24。バリーまたもや陰謀?

 営業部の件はバリーが営業部長に訂正に行って、簡単に話がついた。
 簡単とは言っても、「自分から勧めてきておいて、なんだよ!」と桂馬課長に嫌みを言われたと、マシンルームの鈴木SEにこぼしたらしい。
「ヒラリーマンのヤロー!」とまたもや息巻いていたそうなのだが、僕が何をした訳じゃない。自分で画策して自分でコケタだけの話だ。
 その後もプロジェクトではいくつかの選択に迫られる場面があった。
「俺はA案がいいと思うな」
「いやちょっとまってくれ。まず目的を再確認してからそれに見合う案かどうか検討しようじゃないか」
「まってくれ。予算のことだってあるんだし・・・・・・」
「いや、それは後で見ればいいじゃないか」
 真剣な検討が毎晩遅くまで続き、そしてその都度結果を週に2回の会議で重役と部長、そしてオブザーバーのバリーの前で発表していった。
 バリーは相変わらず、なんでもかんでも反対意見を出した。
「まーあのー、プロジェクトで考えてくれてA案になったというわけですが。まーあのー、それよりもやはりこれは、Bじゃないかと私は思います」
 この台詞を吐くたびに重役に「論理的な理由を・・・・・・」といわれ、それに対してもごもごと口ごもったところに僕が再度「B案だとこういう問題があって、不可能です」ととどめを刺すパターンが繰り返された。
 いい加減「この人は学習効果がないのだろうか」と思ったが、ある時やっと黙ってるようになったので、全く学習効果がなかったというわけでもないらしい。
 プロジェクトの検討はどんどん進み、システムの具体的な内容が決まっていった。
 連日にわたる検討で、僕はほとんど家で食事をとれない状況になったが、それでもやりがいがあった。
 そんなとき、僕は突然重役の呼び出しを受けたのだ。

「何かご用でしょうか、重役」
 重役は書類から目を上げると、重役室のソファにかけるよう僕に促した。
「毎日ご苦労さんだね。がんばってくれてるようで、かなり順調らしいじゃないか」
「はい。みなさんのご協力のおかげで何とかなってます」
「そうか」
 重役もソファに腰掛けて僕と対面した。
「ところでヒラリーマン君、体調の方はどう?」
 このときの重役の表情は、気軽に何となく言ったというのではなく、明らかに質問であった。
「ええ。体調はいいですけど」
「無理はしてないかい?」
「してませんけど・・・・・・なぜですか?」
「君、心臓の方がちょっと悪いだろう」
 確かに僕は不整脈の持病を持っている。でもこれは命には全く別状もないし、激しい運動をしても大丈夫だと医者のお墨付きがでている類の不整脈で、どうということはない。
「それでしたら月に一度病院で薬をもらって止めてますし、大丈夫です」
 薬さえ飲んでいればどうもないし、飲まなくても不整脈になるだけの話だ。いったいなんだというのだろう?
「それならいいんだが、岡田課長が随分と心配していたよ」
 心配するわけのない人が心配してると聞けば、内容を聞く前から「こんどはなんだ?」と思ってしまう。
「どんな心配をしていただいたんでしょう?」  と、僕は表面上はありがたく振る舞った。
「岡田課長が、ヒラリーマンがたまに心臓を押させて苦しそうにしていて具合が悪そうだと、そう言ってたもんだから・・・・・・」
 なんじゃそれ。
 映画にでてくる心臓発作じゃあるまいし、そんなひどい目にあったことなんてない。
「そんなこと、一度もなったことないですよ」
「そうか? 岡田さん、心配してたけどな・・・・・・そうか」
 思慮の浅い反対意見を言う男だとはわかっていても、バリーの悪意には重役は気づいていないらしい。
「それで岡田課長、何かおっしゃってました?」
「大変なようならいつでもプロジェクトを代わってもいいと、言ってたぞ」
 重役はそう言ってにこっと笑ったから、バリーが自分がやりたくて言ってるのだと言うことはわかっているらしい。
「そうですか。全くの健康体です!」

 バリーの奴も、くだらないことをするもんだ。そんな告げ口で僕がプロジェクトリーダーをおろされるとでも思ったのだろうか。
 そんなことをやり始めるくらいだから、バリーも相当焦っているんだろう。
 それから一週間後、マシン室の前を通ったら、鈴木SEが手招きをしたので立ち寄ってみると、またもやバリー岡田の新しい陰謀の話だった。
「ヒラリーマンさん、再来月って、何かあるんですか?」
「なんで?」
 あまりに唐突な質問なので面食らってしまった。
「実はね、岡田課長が僕に言ったんですよ」
 またかよ・・・・・・。
「なんて?」
「『ヒラリーマンの奴、来月になったら絶対にぐちゃぐちゃになって、プロジェクトの仕事なんてまともにできなくなってるぞ。そしたら俺が後をやることになるから、見てろ!』って、言ってました」
 なんだよ〜もう。こんどは何をするんだよ〜。
 次から次へとよくもいろいろ仕掛けてくるもんだ。
 やれるもんならやってみろ!
 最近はそんな気になるのであった。  

2002年6月4日 実録連載−バリー岡田の陰謀25。仕事攻め

「ヒラリーマンの奴、来月になったら絶対にぐちゃぐちゃになって、プロジェクトの仕事なんてまともにできなくなってる」
 バリーがそう言った意味がわかったのは、それから1週間ほどあとのことだった。
 僕はバリーに応接室に呼び出された。
「プロジェクトの方はどうだい?」
「順調ですよ」
 親切で聞いているわけじゃないことくらいわかっている。
 実際には残業だらけでへとへとだったが、意地でもこう言いたくなる。
「ふーん、そうか。でももうぎりぎり状態じゃないのか?」
「いいえ、そんなことはないですよ」
 とにかく、隙を与えるわけには行かない。大変な状態だなんて言ったら、何を言い出すかわからないのだ。
「そうか。結構きつい状態かと思っていたが、そうでもないのか」
 その手には乗らない。
「全然、余裕でやってますよ」
 僕がそう言うと、バリー岡田が不適な笑いを浮かべた。
「そうか、それならよかった。実はなヒラリーマン、やって欲しい仕事があるんだよ」
「え?」
「再来月に、業界の情報システム部門が一堂に会するシステム研究会があるんだが、今年はうちがその幹事なんだ」
 この研究会にはかつて僕もメンバーとして名を連ねていた。今の部長が課長だったとき、二人でいつも参加していたのだ。
 一次会はシステムに関する情報交換。二次会は場所を変えてパーティーとなる。結構おいしい役目なのだ。
 ところがバリーが課長になったとたん、僕はこの会からはずされた。
 バリーはこんな風に情報システム部の代表としてでていく会議をすべて独占し、それまで僕や他のメンバーが参加者になっていたものをすべて自分だけの参加に変えていった。。  僕はもっとも楽しいと言われていた大手コンピューター会社が主催するセミナーと言う名の接待旅行からもはずされた。
 これらは単なる遊びだけではなく、他社の情報システム担当者との交流の場でもあった。
「へ〜、うちが幹事なんですか」
「そこでだ、幹事の仕事はまぁ、いろいろあるけどとにかく大変だ。ヒラリーマンが多忙なら俺がやろうかと思ったんだが、余裕だって言うなら頼むよ」
 はめられた。
 この会の幹事は大変なんだ。
 まず、会議の会場を設定しなくてはならない。普通はどこかの会館を使うことになる。
 つぎに、会議で使用する資料を本にまとめて配布しなくてはならない。これには各社からの情報を集めて、それをまとめて編集する作業が発生する。しかも、ただ聞いてまとめるだけじゃなく、他の会社からの疑問などを各社に回して意見を聴取したりしなくてはならない。
 会議では飲み物も出さなくてはならないから、コーヒーやジュースの手配も必要だ。
 そして二次会の会場の手配も必要だ。料理は何にするか、酒はどうするか。
 会が盛り上がるようにコーディネートしなくてはならない。
 それだけじゃない。各社に対して会議開催の案内を出したり、会費納入のおねがいもだして、金の管理もしなくてはいけない。
 今のように忙しい中、それをやれと言うのだ。
「幹事ですか・・・・・・」
「無理?」
 誰が無理だなんて言うもんか!
「いえいえ、余裕ですよ、ははは」
「あそう。他の課員はそれぞれ仕事を振ってあるから、悪いけどヒラリーマン1人でやってくれ」
「・・・・・・」
 後輩の手を借りようと考えたけれど、先に釘をさされてしまった。
「それから、もう一つ仕事を頼む」
 嘘だろ・・・・・・。
「債権管理システム改訂にすぐ着手して欲しいんだ。業務課題にあったの知ってるだろ。担当はヒラリーマンだったよな」
 確かに計画はあったが、スケジュールでは年末からの着手で、年度末までに終わればいいことになっていた。だから、今のプロジェクトが終わってからやるつもりだった。
「財務部がね、早く張って欲しいって言ってるんだよ。だから予定よりも早いけど着手してくれ」
 プロジェクトだけで毎晩残業なのに、研究会の準備とシステム開発をもう一つ・・・・・・。正直言って自信がない。
 しかし、出来ないと言うわけにはいかない。
 僕は完全にバリーの作戦に乗ってしまったのだ。
「もしもやってみた無理なようだったら、プロジェクトの方を俺が手伝ってやるよ。債権管理は俺は良く知らないし、会議の準備なんて管理職がやる仕事じゃないしな」
 バリーはそう言うと、全面禁煙の応接室で、気持ちよさそうにたばこを吹かした。  

2002年6月5日 実録連載−バリー岡田の陰謀26。大同システムが仕事を降りる?

 債権管理システムのスケジュールが急に早まった理由は、財務一課の安西課長に訊いてわかった。
 バリーが安西課長のところへ行き、こう言ったのだそうだ。
「債権管理システムは重要なものだからやるなら早くやるべきだ。のんびり構えてシステムができあがってなかったからトラブルが起きたって言われても、うちは責任とらないよ」と。
 そう言われちゃったらしょうがないから、安西課長も
「それならすぐにやってください」
 と言ったらしい。

 そんなことだろうと思った。

 僕は一応、仕事の状況を報告すると言う名目で、重役に面会した。
「そう言うわけで、仕事が3つ重なったので残業が増えますけどよろしくお願いします」
 正直なところ、僕は重役が「そんなの出来るわけがない。よし俺が岡田君に言って仕事の半分を変えて貰う」と言ってくれるのを期待していたのだけれど、重役にはすでにバリーが手を回していた。
「仕事の量的には問題なくやれる量だと聞いている。特にプロジェクトの方が絶対に遅れがないようにしてくれ」
 と、重役が言ったので、僕はそれ以上何も言うことが出来なかった。
 バリーの考えている筋書きは簡単だ。
 システム研究会は外部の人たちを集めてやる会議だから、どうしても仕事としての優先度が高くなる。するとぼくがそれにかかり切りになり、プロジェクトがおろそかになる。
 おまけに債権管理システムまででてきたら完全にお手上げ。
 するとバリーが登場してプロジェクトに首をつっこみ、ついでに「あいつはこの程度の仕事の量でギブアップだった」と低い査定をつけることができる。
 査定を下げようとしているターゲットは僕だけではない。僕の後輩の萩野ですら最低点数をつけられて、あまりにひどいと思った部長が上方訂正をしたらしい。
 とにかくこれから8年間、何がなんでも部下から管理職を誕生させないという意気込みなのだ。
 僕の悩みの種はこれだけではなかった。
 一緒にやっていこうとチームを組んだ大同システムからも、かなりのプレッシャーを受けていた。
 彼らは赤字になるのがはっきりしている仕事を引き受けたのだから、とにかく現場の志気が上がらない。
 そんな中で、彼らのもくろみがはずれ、開発に思ったよりも費用がかかることが判明したときは、ペナルティーを払ってでも大同システムとしてこの仕事を降りようかという判断まで飛び出したそうだ。
 そこを説得して、なんとか開発を続けることとなったが、ひやひやものだった。
 そして最近、にわかに大同システムの態度が硬化した。
 ちょっとした問題で「こんな金額じゃそんなことまでやれない・・・・・・」と文句を言ってくるようになった。
 大同システムはあまりに赤字額が多くなりすぎて大変な状態でやっているのだが、バリーが他の仕事で大同システムに嫌がらせをするらしく、「そんなことならやめたい」という気持ちが彼らの中に芽生えてきていたのだ。
 今使っているシステムの改訂というのは都度行われているのだが、その見積もり額に対してもバリーは異常な態度で値下げを要求し、「嫌なら取引やめろ!」と高圧的な態度に出るようになった。
 そちらはバリーの担当なので僕は口出しが出来ない。
 しかしバリーはその立場を利用して、事実上プロジェクトの妨害をしていたのである。 機能の詳細を決めていくとき、途中で何度も「これをやるなら、追加料金になります」とむくれられて、打ち合わせが止まってしまった。
 そのとき理屈づめで交渉したり、別のところを削ってみたり、とにかくあれこれと調整が必要で息を付く暇もない状態が続いた。
 そんな具合で、大同システムとの間はぎりぎりの状態だったが、なんとこの時期になって、突然大同システムの加藤課長から、「場合によっては撤退したい」という申し出が飛び出したのだ。
 当然それはバリーが仕組んだことだった。
 仕事の量は爆発的に増え、猫の手も借りたい。おまけに大同システムは仕事を降りたいと言ってくる。
 僕はもうパニック状態に陥りそうだった。  

2002年6月5日 実録連載−バリー岡田の陰謀26。大同システムが仕事を降りる?

 債権管理システムのスケジュールが急に早まった理由は、財務一課の安西課長に訊いてわかった。
 バリーが安西課長のところへ行き、こう言ったのだそうだ。
「債権管理システムは重要なものだからやるなら早くやるべきだ。のんびり構えてシステムができあがってなかったからトラブルが起きたって言われても、うちは責任とらないよ」と。
 そう言われちゃったらしょうがないから、安西課長も
「それならすぐにやってください」
 と言ったらしい。

 そんなことだろうと思った。

 僕は一応、仕事の状況を報告すると言う名目で、重役に面会した。
「そう言うわけで、仕事が3つ重なったので残業が増えますけどよろしくお願いします」
 正直なところ、僕は重役が「そんなの出来るわけがない。よし俺が岡田君に言って仕事の半分を変えて貰う」と言ってくれるのを期待していたのだけれど、重役にはすでにバリーが手を回していた。
「仕事の量的には問題なくやれる量だと聞いている。特にプロジェクトの方が絶対に遅れがないようにしてくれ」
 と、重役が言ったので、僕はそれ以上何も言うことが出来なかった。
 バリーの考えている筋書きは簡単だ。
 システム研究会は外部の人たちを集めてやる会議だから、どうしても仕事としての優先度が高くなる。するとぼくがそれにかかり切りになり、プロジェクトがおろそかになる。
 おまけに債権管理システムまででてきたら完全にお手上げ。
 するとバリーが登場してプロジェクトに首をつっこみ、ついでに「あいつはこの程度の仕事の量でギブアップだった」と低い査定をつけることができる。
 査定を下げようとしているターゲットは僕だけではない。僕の後輩の萩野ですら最低点数をつけられて、あまりにひどいと思った部長が上方訂正をしたらしい。
 とにかくこれから8年間、何がなんでも部下から管理職を誕生させないという意気込みなのだ。
 僕の悩みの種はこれだけではなかった。
 一緒にやっていこうとチームを組んだ大同システムからも、かなりのプレッシャーを受けていた。
 彼らは赤字になるのがはっきりしている仕事を引き受けたのだから、とにかく現場の志気が上がらない。
 そんな中で、彼らのもくろみがはずれ、開発に思ったよりも費用がかかることが判明したときは、ペナルティーを払ってでも大同システムとしてこの仕事を降りようかという判断まで飛び出したそうだ。
 そこを説得して、なんとか開発を続けることとなったが、ひやひやものだった。
 そして最近、にわかに大同システムの態度が硬化した。
 ちょっとした問題で「こんな金額じゃそんなことまでやれない・・・・・・」と文句を言ってくるようになった。
 大同システムはあまりに赤字額が多くなりすぎて大変な状態でやっているのだが、バリーが他の仕事で大同システムに嫌がらせをするらしく、「そんなことならやめたい」という気持ちが彼らの中に芽生えてきていたのだ。
 今使っているシステムの改訂というのは都度行われているのだが、その見積もり額に対してもバリーは異常な態度で値下げを要求し、「嫌なら取引やめろ!」と高圧的な態度に出るようになった。
 そちらはバリーの担当なので僕は口出しが出来ない。
 しかしバリーはその立場を利用して、事実上プロジェクトの妨害をしていたのである。 機能の詳細を決めていくとき、途中で何度も「これをやるなら、追加料金になります」とむくれられて、打ち合わせが止まってしまった。
 そのとき理屈づめで交渉したり、別のところを削ってみたり、とにかくあれこれと調整が必要で息を付く暇もない状態が続いた。
 そんな具合で、大同システムとの間はぎりぎりの状態だったが、なんとこの時期になって、突然大同システムの加藤課長から、「場合によっては撤退したい」という申し出が飛び出したのだ。
 当然それはバリーが仕組んだことだった。
 仕事の量は爆発的に増え、猫の手も借りたい。おまけに大同システムは仕事を降りたいと言ってくる。
 僕はもうパニック状態に陥りそうだった。  

2002年6月7日 実録連載−バリー岡田の陰謀27。プロジェクト停止

 加藤課長が今回のシステム開発を降りたいと言い出した原因はバリーだった。
 バリーは僕の知らないところで加藤課長を呼びつけ、とんでもないことを言っていたのだ。
「実はですね、ヒラリーマンさん。設定とデータ入力なんですけど、岡田課長に『無料でやれ』といわれたんですよ。開発したら出てくるに決まってる付帯作業だから、それも開発費に入っていて当たり前だと言われました」
 と、加藤課長が言った。
 プロジェクトではいまプログラムの作成とハードウェアの設定作業を行っている。これが終わればシステムは完成。しかしこれはあくまでも仕組みであって、コンピューターにデータが入っていなければ何も出てこない。
 だから、システムが完成したら利用するデータとそれらをコントロールするためのデータなどを入れておく必要があるのだ。
 しかし、何万もあるデータを人間が手入力することなんて不可能だ。だから実際には古いコンピューターにあるデータを読み込んで、新しいシステムに合ったデータの形に変換して書き込みをするためのプログラムを別に作成して、それを使ってデータを新しいコンピューターに入れてやるのである。
 このプログラムは一度使ったら二度と使わないのですぐに捨ててしまうことから、通称「ゴミプロ」と呼ばれている。
 いかにゴミプロとはいってもそれを作るにはそれなりの経費がかかる。
「それ、どういうことですか?」
「突然いわれたんです。私どもとしては300万程度のご請求を考えていたのですが・・・・・・。あれだけの赤字でのシステム開発だけでも社内の同意を得るのが大変でした。おまけに付帯作業まで無料と言われては、わたしも上司の了解が取れません」
 それはそうだろう。
 こういう付帯作業を本体価格に入れておくこともある。しかしいままで大同システムと我が社との間では、すべて別料金にしているのだ。
 それを突然「無料」だとバリーが主張したのは、おそらくプロジェクトへの妨害だろう。
 今でも大同システムがカツカツの中で仕事をしていて、その志気を高めるのが大変だという話は重役も含めた報告会で話している。
 だから、開発項目が膨らんだりしてさらに大同システムの負担が増えないようにと配慮しながら最適なシステムの開発をしているということも、話していた。
 そこにオブザーバーとして参加しているバリーも当然知っている。
 そこで「300万はロハにしろ!」と大同に通告すればどうなるか、バリーにわからないはずはない。
 僕はプログラム開発をするプロジェクトのリーダーだが、それが出来たあとこれを動かすよう面倒を見るのは情報システム部システム課が担当し、安定して動くようになればあとは運用課に引き継ぐことになる。
 だからバリーがデータ入力作業について口を出すこと自体はシステム課長であるバリーの権限の範囲だった。
「だけど、今までは別料金だったんでしょ?」
「そうなんですよ。しかし岡田課長にはこう言われました。『今回は入札で業者を決めたのだから、たまたま今までと同じ業者である大同さんになっただけで、扱いは始めての業者と同じだ。だらか今までどうだったかなんて関係ない』と。確かにわたしもこの件について確認していなかった責任はあります。でも、本当にこれはお受けしかねるんです」
 大同システムから見ればバリー岡田は敵、僕は味方と見えるだろうと僕は思っていた。
 今回のことで大同システムがごねれば、プロジェクト自体が窮地に立たされる。そしてその場合もっとも困るのは僕だ。
 そんなとき、大同は僕が困らないような配慮をしつつ、問題の解決に向かってくれるだろうと、僕は高をくくっていた。
 しかし実際には違った。
 もう大同システムにそんな余裕はない。
 数日後、大同システムから「付帯作業についての合意が得られるまですべての作業を見送りたい」という申し出が来た。
 バリーのもくろみ通り、プロジェクトは停止してしまったのだ。  

2002年6月10日 実録連載−バリー岡田の陰謀28。対戦準備

 バリーの画策でプロジェクトが止まってしまったのは、運悪く報告会の前日だった。
 報告会は重役と部長に対して進捗状況を説明するのが目的だが、バリーもオブザーバーとして出席する。
 最悪のタイミングだ。
 僕が遅くまで会社に残ってその報告資料を作っていると、執務室の前の廊下を大同システムの加藤課長とバリーが通るのが見えた。
 バリーが加藤課長をほかのシステムの話で呼びつけたのかもしれないし、また勝手にプロジェクトのことで呼びつけたのかもしれない。いずれにしても、加藤課長とバリーが会っていたのは確かだ。
 するとプロジェクト停止のことも当然バリーは知っているはずだった。
 今、バリーは自分が画策した事の成果に満足しているだろう。そして満面の笑みを浮かべて加藤課長を廊下の奥のエレベーターまで送っているに違いない。
 僕はこれからバリーがとる行動について考えていた。
 はたしてバリーは加藤課長を送って執務室に戻ってきたら、僕に対してその話をすぐに切り出すだろうか。
「加藤課長から聞いたぞ。プロジェクト停止の事は明日ちゃんと報告しろ」
 と。
 あるいは今は切り出さずに僕の行動を見守るかもしれない。
 もしも前者なら、僕は明日このことを会議で報告せざるを得なくなる。すると、僕が事前に解決案を盛り込んでくるだろうとバリーも想像をするだろう。
 今僕に具体的な方策があるわけじゃないけれど、いままで会議でのバリーとの議論はすべて僕が勝っている。だから彼は正面から勝負をしてこないのではないだろうか。
 もしも後者なら、僕がこの件について会議で報告しないで黙っているだろうと言うことに、バリーはかける気だろう。
 もしも僕がそうしたら、バリーはすかさずそこをついてくる。それはバリーの思うツボだ。
 きっとバリーはその場で「プロジェクトが止まったと聞いている」と追求し、報告を怠ったことを問題にし、そしてまたあの話を蒸し返すだろう。
「こうなったらヒラリーマン君の手には負えないでしょうから、私が引き受けましょう」
 とでも。
 バリーは何が何でも僕を陥れたいはずだ。どうあってもそうしたいはず。すると、バリーの行動は決まっている。
 バリーは間違いなく後者の方法をとるはずだ。今は知らぬ振りをする。そう僕は結論した。
 バリーが鼻歌交じりに執務室に戻ってきた。
 思った通り、バリーはプロジェクトの話は何もしなかった。それどころかご機嫌顔で世間話をしてケラケラと笑っていた。
 そしてそのとき、携帯電話から加藤課長が送ったメールが僕のパソコンに届いた。
「プロジェクトの件、岡田課長にも今お話ししました。しかし追加のお支払いはやはり拒否されました。以上ご報告まで」
 このメールでバリーの狙いは僕が考えた通りだろうと思った。
 しかし、それ以外にも僕にとってこのメールは意味があった。
 加藤課長は何のためにこのメールを送ってきたのだろうか。もう取り引きしないつもりなら、こんな話を僕にリークする必要はない。
 僕はこう思った。
 加藤課長は、「何とかしてください」と言っているのだと。
 僕は「まだやれる!」と思った。そしてめげるのをやめて、気持ちを引き締めなおして仕事にかかることにした。
 僕はかつて大同システムに依頼したシステム開発の書類をあさり、前例を調べた。そして今回のシステムのあらゆる書類に再度目を通し、そして報告書の作成を続けた。
 バリーはしばらく横目で僕の仕事をチェックしていたが、終始ご機嫌だった。
 そしてしばらくすると、「来月から忙しくなるから、今日はこれで帰るよ〜」と僕に言うと、口笛を吹きながら帰っていった。
「来月から忙しくなる」。それは「来月はプロジェクトマネージャーの仕事をいただくから・・・・・・」という意味だろう。
 僕はバリーの背中を見送ると、また書類に頭をつっこんだ。それは、まさに明日の会議での対戦準備だった。  

2002年6月13日 実録連載−バリー岡田の陰謀29。食いついたバリー

 報告会は予定通り開催された。
 この会議はプロジェクトの進捗状況を連絡するのが最大の目的だが、その他にも懸案事項の解決を検討する場でもある。

「えーそれでは、プロジェクトの報告をさせていただきます」
 この会の司会も以前はバリーがしきりにやりたがったのだが、それは何とか避けることが出来た。
 実は、毎月一度情報システム部の「システム開発会議」というのがあるのだが、それは見事にしてやられたのだ。
 それは情報システム部の各課から主だったメンバーが出席し、部長と担当重役に仕事の進捗状況を報告する会だ。
 システム開発会議はかねてより部下の育成も目的にしてたので、各課とも課長ではなくナンバー2が担当していた。システム運用課は角北課長代理、システム推進課は安西課長代理がやっている。そして、システム課は課長代理がいないので、僕が担当していた。
 ところがバリー岡田が課長として赴任すると、僕は突然その仕事を解任されてしまった。
 それがバリー得意の「俺が!俺が! の出しゃばり根性」だとは知っていたが、しがみつくほどの仕事でもないと思ったので、「どうぞどうぞ」と譲っていた。
 しかし、プロジェックとについては一切バリーを受け入れるつもりはない。
「さて、まずは進捗報告をいたします。進捗表をご覧ください。予定よりも3週間遅れております。遅れた理由は必要なプログラムの入手が遅れたためです。現在急ピッチで取り返していますので、遅れは取り戻せる予定です」
 僕がそう説明すると、重役と部長、そしてバリーが添付資料をめくっていた。
「どうしてそのソフトの入手は遅れたの?」
 と、重役が訊いた。
「はい、実は・・・・・・」
 と僕が言いかけると、それに重ねてバリーが大声で喋り始めた。
「まーあのー、そう言うプログラムの手配はシステム課の方に依頼があるのですが。まーあのー、このプログラムについてのプロジェクトからの依頼が突然来まして。まーあのー、こうした開発用プログラムというのは事前にそろえておくべきなのですが、チェックが抜けていたというのかリーダーの管理が悪いというのか、とにかく手配が遅かったわけです」
 バリーは言いたいことだけ言うと、席についた。
 確かにこのプログラムは事前に用意しておくべきものだったが、開発をしているうちに「実はこれも必要」というものもビックプロジェクトではでてくるもので、仕方がない。
 それに、バリーが突然しゃべり出したのは説明をしたかったからじゃない。僕の口をふさぎたかっただけだ。
 このソフトが必要だとわかったとき、大同システムは「当社で費用負担をしますので、すぐに御社名で発注してください」と言ってきた。
 今後我が社が利用するソフトだから、我が社の名義で購入しないとまずい。しかし、システム開発費用はすでに見積もってあるから、見積もりから抜けていたこのソフトの購入代金は大同システムが負担すると申し出てくれたのだ。
 なんら出費がないのだから、すぐに手配すればいいだけだ。
 ところがバリーはすぐにこの手配をせず、
「なぜ当初の手配から抜けたのか。これはどういうソフトが詳しく説明しろ。他に抜けているものはないか詳しく洗い直せ」
 とさんざん大同システムに嫌味を言い、なかなかソフトの注文をしなかった。
 この手のソフトをホストコンピューターに入れるのは月に一度のメンテナンス日をのがしては他にない。
 だから次回のメンテナンスに間に合うように入手を頼んだにもかかわらず、バリーは「要求したことについての報告があるまではダメ」と突っぱねて、やっと大同から答えがでた数日後に注文をしたので、結局メンテナンス日にソフトの納品が間に合わなかった。
 仕方なくソフトメーカーに「購入するよう手配しているので」と断りを入れて、大同システムが他のシステムに使用した同じソフトをコピーしてホストコンピューターにセッティングしようとしたのだが、それにバリーがストップをかけた。
 そんなことは今までもあったし、そう言う指示をバリーもこれまでになども出していた。ところが今回は突然、「それは不正コピーだから作業はさせない」と言い張った。
 仕方なく大同システムはソフトメーカーからバリーに「手配はいただいているのでかまいません」と連絡してもらったのだが、「けじめが付かない」と訳のわからないことを言って応じなかった。
 それで次の月のメンテナンスまで待たなくてはいけなくなったので、作業が大幅に遅れた。
 要するに、バリーにさんざん妨害されたのである。
 僕にそのことをばらされては大変だと思ったバリーは、僕の口をふさぎにかかったのである。
 進捗報告が終わると、僕はいくつかの懸案事項についての承認を重役からいただき、そして報告会は終わりに向かっていた。
 バリーは大同システムが開発業務を停止していることを僕が報告するかどうか、見守っていた。
 しかし、「開発が止まっちゃいました」なんて話をプロジェクトリーダーが言うのも情けない。できればここでは報告しないで、次回の会議までに作業を正常に戻しておき、何事もなかったようにしたいのが人情だ。
 バリーもそれがわかっているから、僕がそうするのを狙っているのだろう。
「議題は以上です。特にご質問、ご意見がなければこれで終わりにします」
 僕はバリーがお待ちかねの言葉をぶちあげ、会議をエンディングに導いた。
 すると思った通り、バリーは飛び跳ねるようにして立ち上がり、興奮でうわずった声を上げた。
「ちょ、ちょっといいですか!」
「どうぞ・・・・・・」
「まーあのー、これはあのー、ちょっと小耳に挟んだんですが・・・・・・どうやら大同システムはプロジェクトをボイコットしてるようで・・・・・・」
バリーは鬼の首を取ったように、例の話を始めた。  

2002年6月14日 実録連載−バリー岡田の陰謀30。会議に仕掛けられた罠

「ちょっといいですか!」
 バリーはパーティーの最後のゲームでビンゴを引き当てたように、興奮をあらわにしながら慌てて席から立ち上がって右手を挙げた。
「どうぞ・・・・・・」
「まーあのー、これはあのー、ちょっと小耳に挟んだんですが・・・・・・」
 小耳どころじゃない。自分が仕組んで必死に様子を伺っていたのだ。
「あのー、大同の加藤課長にたまたま聞いたんですが、まーあのー、どうやらプロジェクトの方は大同さんとの間でうまくいかなくなって、大同さんが作業を止めてしまっているということなですが、その辺のところの説明がどうしてここに入っていないのかと思うですが、どうでしょう?」
 そう話し終わると、バリーは嬉しそうな顔を左右に振って、全員の反応を観察しながら椅子に座った。
 しばらく無言が続いた。誰が発言するんだろうと、皆が様子を伺っている状態だった。
 そこで、重役が口を開いた。
「それは、どういうことなんだろう。もうちょっと詳しく説明してくれませんか、岡田課長」
 自分に振られると思ってなかったバリーは、ちょっと慌てていたが、とにかく自分にスポットの当たるのが大好きな人なので、上機嫌でしゃべり出した。
「えー、まーあの〜。えー、実は昨日たまたま加藤課長が別件で来てまして、ヒラリーマンプロジェクトマネージャーとの間でシステム開発についての交渉があって、それが決裂したから作業を止めているということを聞いたのです」
「交渉って?」
 バリーは絶好調で続けた。
「まーあのー、金額的な問題と言いますか、開発費用について大同さんは不平があるらしく、それが元のようです」
「確かに開発費用はやすかったけど、お互いに納得してはじめたんじゃないの? そんなことを後からまた言い出すなんておかしいじゃないか」
 と、重役が言った。
「はい。まーあのー、それはそうなんですが、そう言う問題というのはよく起こることでして、日常の管理の中でそうした問題をうまくかわしていくのもプロジェクトマネージャーの仕事なんですが、まーあのー、その辺はヒラリーマンくんが経験不足でもあって、ちょっと無理があったのかも知れませんが・・・・・・」
「開発内容が膨らんだのか?」
 と、重役が僕に訊いた。
「いいえ。それはちゃんと押さえています。それよりも・・・・・・」
 と僕が話し始めようとしたのを抑えて、バリーがしゃべり出した。
「まーあのー、実は開発後のデータ移行とかマスターの整備について大同システムは別に料金を請求しようと考えていたようで、まーあのー、わたしとしてはそれらは開発すれば当然でてくる作業ですから、それは開発費の中に入っているのが当たり前ですからそんなものは支払えません。その辺のところで彼らは不満に思って文句を言ってきたんでしょうが、そこをうまくヒラリーマンくんが抑えられなくて作業をボイコットされているという、ちょっとみっともない状況になっているわけです」
 僕に先に言われては困ると瞬時に判断して言葉を畳みかける才能だけは、確かにバリーにはあった。
 僕が黙っているのを見て、バリーは調子よく続けた。
「まーあのー、そう言うことでして、こういう重大な状況をこうした進捗会議の場で伏せていると言うことは、非常にマズイと考えます。まーあのー、事態を解決出来ないことがもっとも問題ですが、その後のフォローまでも出来ないとなると、今後ちょっとどうかなぁ、と心配になるわけです」
 バリーは調子づいて欧米人のように両手をかき回して力説していた。
 重役も部長も困った様子で、ため息をついていた。するとバリーがまた続けた。
「まーその、そう言うわけですのでわたしとしてはそのー、そろそろ真打登場と言うわけでもないですが、まーあのー、大同システムさんとの交渉と言うことでもありますし、お任せいただければ、なんとでも出来ると思うんですが・・・・・・」
 自分で自分を真打ちだなんて言うから笑っちゃう。
 バリーはもう満面の笑みを浮かべていた。
 今までの悔しさをすべてぬぐい去ったかのような笑顔。
 ちょっと気味が悪いようだった。
「そう言うことになっちゃってるの、ヒラリーマンくん?」
 しばらく黙っていた重役がようやく僕に訊いた。僕は僕の顔を嬉しそうに眺めるバリーの顔を見据えながら、言った。
「大同さんとは言いたいことを言い合いながら一緒に仕事してるんですから、そんな文句もでることもありますが、特にご報告するような問題はありません」
 すると、バリーの顔が突然真っ赤になって怒鳴った。
「プロジェクトが止まっているのが、どうして報告するほどのことじゃないんだよ!」
 僕はいたって平常心で応対した。
「止まってませんよ、ぜんぜん。やだなぁ。加藤課長がちょっと文句をたれたくらいでいちいち本気で対応してたらプロジェクトなんてやっていけませんよ。そんな戯言をいちいち報告する必要もないでしょう」
 バリーの真っ赤な顔がすっと白くなった。
「すると、どういう状況になってるんだ?」
 と、重役が訊いた。
「はい。加藤課長が『岡田課長に費用は出せない』と言われたと文句を言ってきたんですけど、それはちゃんと支払うから問題ないと言って、話は済んでます。実際今日だって開発の人と話をしてますけど、ちゃんと作業はやってます」
 そう言うと、バリーの顔がまた赤くなった。
「払うってなんだ! 俺が、払う必要のないものだと言ってるのに、なんで払うなんてヒラリーマンが言えるんだ!?」
 すると部長が言った。
「そう言うことを決める権限は、ヒラリーマンにあるんじゃないのか、プロジェクト任せてるんだから」
 すると、バリーが噛みついた。
「いろいろ決めるのはプロジェクトですが、開発の実行やお金についてはシステム課長として関与する権限はあると思いますが!」
 バリーがそう言うと、重役がすかさず言った。
「権限があるなら、プロジェクトが停止してると岡田課長が知ったとき、ヒラリーマン君に確かめたりアドバイスしたり、我々に報告したりとか、そう言うアクションをとる責任もあるんじゃないのかね?」
 バリーの真っ赤だった顔が突然青くなった。
 重役が続けた。
「どうも岡田課長のやってることは意味がわからない。どういうつもりで関与してるのかね。やはり権限はヒラリーマンに集中すべきだろう。金の話とか、勝手に君がすべきじゃないよ」
「は、はい・・・・・・」
 バリー岡田はがっくりうなだれたが、また思い直したように顔を上げた。
「そ、それはそうとしましても、払わなくてもいい金を払うなんて簡単に妥協するようなことでは、ヒラリーマンもプロジェクトマネージャーとして問題じゃないでしょうか!?」
 重役が僕の方を向いて訊いた。
「その辺はどうなの?」
 僕は用意しておいた資料を重役、部長、バリーの3人に配った。
「それはこのプロジェクトの大同システムとの契約書です。最後のページをご覧ください。『運用準備、データ移行、導入サービスは当該契約の作業項目には含まれず、別途個別の契約を締結するものとします』と書いてあります。ですから、これらを依頼するには別に料金が発生します」
 バリーは契約書なんてまともに読む男じゃないし、書いてあることを守る気もない。契約がどうであれ、高圧的に物事を要求するのが彼の手口だ。
 しかし重役は契約や議事録に記載された内容の遵守にうるさい。そこがミソだった。
 重役はふっーとため息をついてから言った。
「岡田課長。契約書に明記されてるんじゃ、議論の余地がありませんね。それにしたがってヒラリーマンくんが処理していたのなら、何も問題ないじゃないですか。あなたはいったいなにを騒いでたんですかねぇ・・・・・・」
 重役があからさまに呆れた顔をしたのを見て、バリー岡田は完全に脱力していた。
 僕は昨日、確かそんな条文があったはずだと契約書を確認した後僕はすぐに加藤課長に連絡し、プロジェクトを再開してもらっていた。
 バリーは僕が報告を怠ることを期待して待っていたのだが、僕はそれに噛みついてくるバリーを待っていたのだ。
 会議が終わると僕らは会議室から出て執務室に戻ったが、バリーはしばらく会議室に座ったまま出てこなかった。  

2002年6月18日 実録連載−バリー岡田の陰謀31。開発会議でバリーの一手

 完全に叩きのめされて意気消沈したバリーは、しばらくの間おとなしくしていた。
 窓から外を眺めてはため息をついたり、ぼーっと焦点を失った目をしていたり、たまにかわいそうになってしまうほど、バリーはがっかりしていた。
 しかし、そんな心配はいらなかった。
 バリーは3日ほどするとたちまち元気を取り戻した。
「勘弁してくださいよ、仕事になりませんよ」
 そうこぼすのはいつもの通り鈴木SEだった。
「何しろずっと居座ってヒラリーマンさんの悪口を言い、営業部の岡部さんの悪口を言い、業務部の松竹さんの悪口を言い、重役の悪口を言うんですから。岡田課長、悪口のデパートですね」
 悪口のデパートはいいや。
 いずれにせよ彼のエネルギーの元は他人の悪口らしい。
「一昨日なんてひどかったですよ。無理矢理のみに連れて行かれたんですけど、ちょっと料理が遅かったって言うだけで、店員の胸ぐらを掴んで喧嘩売るんですから」
 バリーは喧嘩が弱いくせに酒を飲むと店員や他の客にからむ癖がある。それもバリーのエネルギーの源なのだけれど、一緒にいるものはたまらない。
 元気になったバリーがニコニコしながら寄ってきた。だいたいこんなときはろくなもんじゃない。
「プロジェクトの方はどうだい?」
 と、バリーが訊いた。そんなことは3日前に報告したばかりだ。
「どうって・・・・・・」
「順調かい?」
「ええ、まぁ」
「かなり遅くまでやってるけど、大丈夫か、体の方は?」
 こう言う言葉がでてくるとどうしても警戒してしまう。
 部下の体調を気遣う男じゃない。何らかの企みがあるのだろう。
「ええ。何とかぎりぎりでやってますよ」
「そうかぁ。もうプロジェクトで手一杯って感じかな?」
「ええ。必死にやってます」
 何が言いたいのかわからないのだが、適当に答えておいた。
 その2日後に開発会議があった。
 開発会議はプロジェクトとは関係ない。情報システム部の会議で、各課の仕事のトピックスを伝え合う会議だ。
 システム課からは僕とバリーが出席していた。
 そう言えば、僕はプロジェクト以外の仕事の進捗状況を全くバリーに報告していなかった。彼も何も言わないし、バリーと話をしたいとも思わなかったせいだ。
 バリーは課内の皆の仕事のトピックスを一通り話すと、こう言った。
「まーあのー、だいたいそんなところですが。えーっと、そのほかに、まーあのー、ヒラリーマンくんには他社のシステムのみなさんが集まるシステム研究会の幹事と債権管理システムの方も担当してもらってるのですが、その辺の進捗度合いについてはヒラリーマンくんから報告して貰いましょう」
 僕はこの時点で、バリーが何を考えているのか全くわからなかった。
 いつもはなんでも自分が報告したがるのに、どうして僕に振ってきたのか。
「えーっとですね、そちらの進捗は・・・・・・」
 と、僕が発表しようとすると、例のごとくバリーがそれを遮った。
「まーあのー、ご存じの通りヒラリーマンくんはプロジェクトで能力の限界という状態なので、まーあのー、それ以外のことは仕事が進んでいないと言うことはわかるんですが、まーあのー、とくにシステム研究会は他社の方も参加されますからおろそかに出来ないと言うことですし、まーあのーわたしがある程度ヘルプをした方がいいのではないかと思っているところです」
 人が喋ろうとしてるのに、なんだこのおっさん。そうあっけにとられていると、またしゃべり出した。
「あ、そうだ。それはまずい」
 誰に言うともなしに、バリーがそう言った。
「なにがですか?」
 と、重役が訊くと、バリーが続けた。
「まーあのー、実はシステム研究会の方を手伝ってやろうかと思ったのですが、まーあのー、あちらの方はヒラリーマンくんが世話役をやると言うことで前回の会議でみなさんに紹介したので、まーあのー、それはヒラリーマンくんがやらないとまずいと思いますから、プロジェクトの方を少し手伝いたいと思いますがどうでしょうか」
 また始まった。
 いい加減にしてくれと言いたい。
 重役まで「まただ」と言う顔をしているのに、どうしてこの人はわからないのだろうか。
「プロジェクトはヒラリーマンくんに任せると言うことでいいんじゃないの?」
 うんざりしたような顔で、重役が言った。
 するとバリーが身を乗り出した。
「まーあのー、そう言う風にわたしも思っていたのですが、実際に他の仕事にぜんぜん手がつけられてないと言う状態では、これは困るわけです。ヒラリーマンくんの職位なら当然出来て当たり前の業務量しか与えてないにもかかわらず、全くそれをこなしていない。そう言うことでは大事なプロジェクトなど任せられないと言うのが、当然じゃないでしょうか!」
 バリーは突然温厚な話し方から攻撃的な口調に切り換えた。
 困惑した顔の重役と、反論をしない僕。その二人を交互に見て、バリーは嬉しそうに微笑んだ。  

2002年7月8日 実録連載−バリー岡田の陰謀32。窮鼠猫を噛む

 バリーが突然攻撃調の口調になったので他の課のメンバーはびっくりしていた。
 それにしても僕は全くバリーに仕事の報告をしてないのに、どうして彼は僕の仕事が進んでいないと判断したのだろうか。
 あれだけ強きに言ってくる根拠がきっとあるはずなのだ。
 僕はぼそりとつぶやいた。
「他の仕事の方も特に問題ないと思うんですけど・・・・・・」
 するとバリーが噛みついてきた。
「ぜんぜん進んでないじゃないか! ちゃんとチェックしてるんだぞ!」
 鬼のクビをとったように、とはまさにこのこと。得意げな顔で怒鳴っている。
「なんのチェックですか?」
 と、僕はバリーに訊いた。
 バリーはニカッと笑った。
「共有フォルダーだよ。共有フォルダにシステム研究会や債権管理システムの資料が入ってるよな。あれを見る限り最近全く進んでないじゃないか、ははは。あれじゃ間に合うわけがない!」
 部下の仕事が遅れてるのに、「ははは」って笑う上司がいるだろうか。他の課員たちはあっけにとられている。
 でも、バリーが攻撃してくる根拠はわかった。彼は複数のパソコンがデータを保存するためにおいてあるファイルサーバーというコンピューターの中にある、共有フォルダのなかのデータをのぞき見ていたらしい。
 でもそれはお門違いなのだ。
「ヒラリーマンくん、それらの仕事の方はどうなの?」
 丁度うまい具合に重役がそう僕に訊いたので、僕は意識的に何事もなかったかのような顔で答えた。
「はい、債権管理システムはほぼ設計が終わり大詰めです。予定よりもずっと早く進んでいます。システム研究会の準備も順調で、なんの心配もいりません」
 僕がそう言うと、みんなが一斉にバリーの顔を見た。
 当てがはずれたバリーの表情をいち早く見ようと言う無意識の行動だ。
 そして当のバリーはというと、パッコリ口を開けたままだった。
「データは自分のPCに入れてあるんです」
 と、僕はとどめの一発をだした。
 実は以前、鈴木SEが残業時間帯にサーバーのメンテナンスをするというので、僕はパソコンだけで仕事ができるように、それらのデータをサーバーにある共有フォルダから自分のパソコンにコピーしたのだ。そして、そのまま忙しさにかまけて使っていたのである。だからバリーは古いファイルを見ているだけだった。
 そんなことをバリーは知るよしもなかった。
 まるで勘違いして勢いよく切り込んだバリー岡田は、恥をかいて口を開けたまま真っ赤になっていた。

 僕はこのところのバリーに対して連勝だった。
 バリーに足をすくわれないように仕事も必死でこなしていたし、求められた以上の成果を出している自信もあった。
 バリーは僕が大量の仕事に押されてバンザイしてしまうことを想定して「来月になったら、ヒラリーマンの奴、メチャクチャになってるはずだ。そして俺がプロジェクトリーダーになる」なんて鈴木SEにほざいていたが、それも見事に跳ね返してやった。
 ざまーみろ!

 しかし、そんなことで気をよくして油断してしまったのがいけなかった。
 追いつめられた人間は何をするかわからない。それを僕は忘れていた。
 翌朝出社してパソコンを立ち上げると、僕が必死に作った資料はすべて削除されていたのだった。  

2002年7月10日 実録連載−バリー岡田の陰謀33。念には念を?

 冗談だろ?
 そんな馬鹿な。
 いや、これは多分何か操作を間違ったかな。
 そうだ。きっとそうだ。ええと・・・・・・何か違ってるはず。
 だって、昨日の夕方まであったじゃないか、俺のデータ・・・・・・。
 僕はすぐに事態を信じることが出来なかった。
 もしかしてバリーが・・・・・・と、思わなくもなかったが、まさかそこまでする人もいないだろう。
 すると、これは何か間違っているだけなんだ。「あ、そうか。あはははは」と、その間違えに気づいたらすぐにでも笑い話になってしまうに決まっているという、そんな期待が頭の周りをグルグルと回っていた。
 パソコンを起動し直したって、なくなったデータが出てくるわけはない。そんなことをするのはパソコンの初心者くらいなものだ。
 しかし、僕はそれをやらずにはいられなかった。
「どこかにあるはずだ。操作ミスでフォルダを移動してしまったのかな?」
 ファイルの検索をかけてみた。
 しかし、どこにも見つからない。
「そうだ。ぼんやりしていて自分でデータを消したのかも知れない。間違って削除したなら、『ゴミ箱』にデータが残っているはずだ。消したデータはいったんは『ゴミ箱』ってフォルダに入って、『ゴミ箱を空にする』を押さない限りは、完全になくなったりしないのだ。
 ゴミ箱には他にもいろいろと削除したファイルが入っていたから、きっとそこに一緒に埋もれているはずだ。
 僕は少し汗をかきながら、『ゴミ箱』を開いた。そして、僕はそのとき確信したのだった。
「誰かが、俺のパソコンをいじった」と。
 確信した理由は簡単だった。いろいろと不要になったファイルが入っていた『ゴミ箱』が全くきれいに空になっているのだ。
 僕の頭は一瞬真っ白になりそうになった。
 真っ白にならずにとどまったのは、そのとき目の前を鈴木SEが歩いているのを見たからだった。
 僕は慌てて飛び出し、鈴木SEの肩を押さえた。
「うわぁ、びっくりした。どうしたんですか、ヒラリーマンさん?」
「バックアップ、あるよね?」
「なんのですか?」
「PCのデータバックアップ」
「ありますよ。毎日とってます」
「それ、サーバーのでしょ。そうじゃなくて俺のPCのだよ。ない?」
 あるわけないのだけど、すがりたくなるものだ。
「一台一台のパソコンのバックアップはとってないですね。だからサーバーにデータを保存するように指導してるわけですから。ところで、何消したんです?」
「データ全部だよ」
 あっけにとられている鈴木SEに、僕はことの次第を話した。
 僕はただ、データがなくなってしまった事実と、ゴミ箱が空になっていたことだけを彼に話した。
 すると、鈴木SEは黙って僕の話を聞きいていたが、僕が話し終わるとこんなことを言いだした。
「はっきりとは言えないのですが・・・・・・実は、岡田課長が昨日の夕方、ヒラリーマンさんのパソコンをいじってました。別に気にもとめなかったんですけど、今考えてみればおかしいですよね」
 やっぱりな、という感じだった。
 しかし、犯人探しよりもデータだ。
「でもさ、消したデータでもツール使えば復活できるよね?」
「あ、そうですね」
 パソコンのデータは削除処理をしても物理的には消されていないのが普通だ。簡単にいえば、「消しました」というマークがデータの目次についているだけという程度のことなので、ツールを使えば元に戻る。
 よく、企業が捨てたパソコンから除法が漏れたという話がある。それはパソコンを捨てる際にデータを残してしまった場合や、ただ削除しただけだとこんな風にデータの復活が出来るからなのだ。
 粗大ゴミの日に近所の女の子が捨てた古いパソコンを拾ってデータの復活をしたら、その子のヌード写真が入っていたという話を聞いたこともある。
 普段データを削除するときに、ツールで復活させる奴がいるとまでは思いつかないのだろう。
「全く、ふざけたことしやがって」
 僕はぶつぶつ言いながら自分のパソコンに向かった。顔だけ見える低いパーティションの向こうからはバリー岡田課長がこちらをちらちらと見ていた。
 なんとかなってくれ! そんな思いで僕はパソコンを操作した。
 しかし、僕は管理ツールでハードディスクの中身を確認して愕然とした。
 なんと、データ整理のソフトを使って、ディスクの中身がきれいに整理されていたのだ。
 これをやると、削除データは完全に消滅する。
 ここまでやるとなるとただの嫌がらせではない。徹底的にデータを消去してしまおうという意気込みが感じられた。
「岡田課長!」
 僕はバリーに声をかけた。
 執務室の入り口では、鈴木SEが真っ青な顔をして立っていた。おそらく彼は僕がバリーとここで大喧嘩をするとでも思ったのだろう。
「なんだい?」
「僕のデータが削除されてます。なので、しばらくその対応に追われることになるので一応ご報告しておきます」
「へぇ〜、悪い奴もいるもんだね」
 そりゃおまえだろ!
 バリーはまるで万馬券でも当たったように嬉しそうな顔をしていた。
「ついでにログイン情報から、誰の仕業かを鈴木SEに特定して貰います」
 ところが僕のこの一言でバリーの顔色が変わった。
 当社のパソコンは利用の際、IDとパスワードを入れないと使えないようになっている。僕のパスワードは頻繁に変えているのでバリーも知らないはずだ。だから、彼が僕のパソコンをいじるのだとしても、それは自分のIDとパスワードを使わなくてはならないはずだ。
 そして、その記録はコントロールサーバーに残っていて、鈴木SEがその管理をしているのだった。
 僕の言葉を聞いて鈴木SEがマシンルームに向かおうとしたとき、バリーが慌てて呼び止めた。
「鈴木君、そんなことする必要はないからね」
「なんでですか、課長?」
 と僕が言った。
「そりゃそうだ。データは各々のPCには入れていけないことになっている。サーバーの共有フォルダにすべてのデータを入れる約束になってるはずじゃないか。PCのデータはPC設定をした際など、ことわりなく勝手に消していいと言うことにもなっているしね。つまり、君はそのルールに違反していた。消してもよいデータを消した人を捜す必要なんてないだろ。だから、そのことについて調べる必要はないんだよ」
「確かにそれはルールですが、消したらどういう損害があるのか承知している人が消したのだとしたら、それは業務妨害ですよね?」
「PC本体のデータは消しても困らないものだという前提だから、そんなことはないよ。とにかく鈴木君には他に仕事があるんだからそう言う意味のない作業をさせないでくれ。鈴木君もいいよね? 余計なことしてるとあんたの会社が困ることになるよ!」
 こうなると雇われの身である鈴木SEは弱い。「はぁ」とため息のような返事をこぼすと、トボトボとマシンルームに帰ってしまった。
 ここでバリーを叱責してもデータが帰ってくるわけではない。僕はすぐにパソコンに向かい、以前途中まで作ったデータがあるはずの共有フォルダを開けた。
 ここでもまた驚いた。
「ここまでやるか?」
 と、僕はそう思った。
 共有フォルダからも、僕のフォルダが一式消滅していたのだ。
 ふと顔を上げると、バリー岡田が上目遣いで僕をちらりと見て、そして「ふん」と鼻で笑うと、また何事もなかったかのようにバリーは自分の仕事を始めた。  

2002年7月26日 実録連載−バリー岡田の陰謀34。観念しました

 僕はバリーの心理を分析して、彼がいったいどういう目的で何をしようとしているのかを考えた。
 単なる嫌がらせだろうか。いやしかし、それならばここまでやる必要はない。
 データは消したけれど、徹底的に消すということはどういうことなのか。
 こうなるともう、ちょっと困らせてやろうというレベルではない。
 そうだ。奴は徹底的にやってるんだ。
 それでどうしようとしているのかはわからないけれど、とにかく徹底的にやっている。
 そう思うと、ぼくが安易に考えていたこの件の最低限の救済策すら、危うく思えてきた。
「鈴木さん。バックアップテープから戻してくれないかな、俺のデータ」
 共有フォルダにはちょっと古いとはいえ、僕の入れたデータが入っていた。そしてそれは定期的にバックアップテープに収められている。
 バックアップテープは2本あって、これが毎日交互に使われている。共有フォルダからデータが消されたのが昨日だとすれば、2本のテープのうちの1本には僕のデータが残っているはずだ。
 僕はそのテープからデータを戻してもらおうと、鈴木SEに依頼した。
「だめですね。テープが新しいものに替えられてますよ」
 鈴木SEが申し訳なさそうに言った。
 きっとダメだと思っていた。
 やられていると思っていた。
 しかし、そう思ったのは、本当にそうだったときのショックを和らげるためだけだったような気がする。
 やっぱり、「信じられない」という気持ちの方が、「やっぱり」よりも強かった。
 しかし、テープが新しくなったというのは物理的な証拠があるわけだから、今までとは違う。僕はそのことを真っ正面からバリー岡田に叩きつけた。
「バックアップテープを新しくしたのは誰ですか、課長?」
 僕の問いに少しはたじろぐと思っていたが、バリーはいっこうに動じる様子すらない。
「俺だよ」
 バリーは全く迷うことなくそう答えた。
「なぜですか?」
「古くなってたからね、そろそろ替え時だろ」
「古いテープはどこにありますか?」
「捨てたよ」
「どうしてです?」
「そりゃきみ〜、ゴミだからだよ」
「あれは普通のゴミ箱には捨てられませんから、資源ゴミのボックスに入れたんですよね?」
 普通のゴミは毎朝早くに業者がもって行ってしまうが、資源ゴミは別だ。これは3日に1回しか取りに来ない。と言うことは、まだ取り返せる。
「いいや。俺のうちの方で捨てたからね」
 なにぃ?
「なんでそんなことしたんですか?」
「別に意味ないよ。たまたまうっかり手に持ったままオフィスをでちゃったから、そのままもって帰っただけだ」
 そう言うと、バリーは何事もなかったかのように目を机に落として仕事を続けた。
 僕がもしも若い社員だったら、この場で彼を殴っていたかも知れない。
 しかし、それをやったら相手の思うつぼだ。
 バリーがやっていることは確かに常識にはずれたとんでもないことだ。しかし、そのどれもが「わざとやった」という証拠のないものなのである。
 パソコンのデータは消されても文句の言えないルールになっているし、サーバーのデータを消したのは、管理者としていじっているうちにうっかりしたとでも言える。テープは古いから捨てた。
 なんとでも言い訳できるようになっている。
 こうなったら腹を決めるしかない。
 なくしたデータのことは観念して、最初からやり直す。
 なに、頭の中にはすでに仕事の中身は入っているのだから、データや企画書を作り直せばいいだけのことだ。
 この日から僕は、必死になってこの作業に取り組んだ。  

2002年8月7日 実録連載−バリー岡田の陰謀35。バリーの後ろに社長の陰

 バリーのおかげでせっかくやった仕事の資料が消えてしまった。
 それをまた作り直すのは大変な作業だけれど、やっていて面白い面もあった。
 前回はこれで完璧だと思っていた仕事が、もう一度見直してみると新たな案が浮かんだりするもので、どうしてこれに最初から気がつかなかったのかと不思議に思う場面もあった。
「仕事の質があがりそうだな」
 僕はそう自分に言い聞かせ、自分のやっていることが単なる無駄ではないと思いこむことにした。
 あれから毎日、いつもよりも1時間早く出社してすぐに仕事にかかり、夜遅くまで机にしがみついた。
「間に合わせなくてはいけない」
 そう思うとそれ以外のいろいろな問い合わせの電話やら他部署からの相談やらが邪魔になって、「やかましい!」と怒鳴りたくなることすらあった。
 しかし、バリーは他部署からのちょっとした相談や依頼もすべて僕に回すようになってきた。
 僕の仕事を邪魔しようと見え見えだったが、僕はわざと平気な顔で引き受けてやった。
 そうするとバリーが悔しそうな顔をするから面白くてそうするのだけれど、するとまたバリーが新たに違う仕事を持ってくるから結局自分の首を絞めることにもなっていた。
 そんなとき、僕は重役から呼び出された。
 重役室は僕がいるフロアの上のフロアにある。廊下をフロアの真ん中まで歩くと廊下に直角に、必要以上に広い廊下がある。
 この廊下のじゅうたんはほかのそれらと明らかに違って高級品だ。
 その周りの壁も木目調の高級仕立てになっていて、所々に絵画やツボなどが飾られている。
 いかにも「ここから先は身分が違います」という感じになっている。
 この廊下の入り口にはここを通るすべての人を見張るための窓口がある。これが秘書課のカウンターだ。
 僕は秘書たちの前を「よっ!」と片手をあげて通り、重役の部屋にたどり着いた。
 重役室に入ったとたんに、重役の顔色を見て、あまりいい話ではないと察しがついた。
「実はねぇ、ヒラリーマン君。ちょっと変な話なんだが・・・・・・」
 重役が首を傾げながら話を切りだした。
「なんでしょう?」
「今朝、社長になぁ、プロジェクトは大丈夫かと聞かれたんだ」
「そうですか。社長はプロジェクトに関心を持ってくださっているのですね」
「いや、そうじゃなくて・・・・・・。『プロジェクトマネージャーのヒラリーマンって言うのは、ありゃ大丈夫なのか?』って言ったんだよ」
「はぁ。まー僕もあまり評判のいい方じゃないですからねぇ」
 これは正直な感想だった。
「まーな。おまえは大体上席者に対して言いたいことを言い過ぎるからなぁ。かちんと来る奴もいるさ」
「そうですねぇ」
 そうですねぇ、と言いながら僕は、ちょっと変だなと思った。
 いくらなんでも平社員と社長では接点もない。社長にかちんとこさせるほど接近した覚えもない。
 するとこれは誰かが何かを言ったのだろうか・・・・・・と思ったところで、重役がその答えをストレートに出した。
「昨日、岡田課長がは社長と常務と一緒に飲んでるらしいんだ」
「え!?」
「どうやら岡田課長は常務だけじゃなく、社長とも昔一緒に仕事をしたことがあるらしいよ」
 そう言えば今朝、バリーが受話器を握ったまま深々とお辞儀をしてお礼を言っていたけれど、あの相手は社長だったのか、と僕は思った。
 なるほどそれなら説明はつく。
 つまり飲み会の席で、バリーは僕のことをけなして、「このままではプロジェクトが危ない」くらいのことを言ったのだろう。
「それで、重役はなんとおっしゃったんですか?」
「うん。全く問題ないですと申し上げておいた」
「しかし、岡田課長が社長に何か吹き込んだんだとしたら、僕ははずされるかもしれませんね」
 僕はなんら飾ることなくストレートに思ったまま言った。
 すると重役は、しばらく考えてからにっこりと笑ってこう言ったのだ。
「なーに、社長も馬鹿じゃないさ」
 いくらなんでも社長なんだから、それはそうだろう。
 しかしそう思う一方で、「人間ていうのは自分と親しい人の肩を一方的にもってしまうのが普通なんだよなぁ」と、ちょっと不安でもあるのであった。  

2002年8月12日 実録連載−バリー岡田の陰謀36。バリーの盲点

 財務部から依頼されていた債権管理システムは、現状の調査、洗い出しからはじめて、問題点洗い出し、それらの原因の分析、将来性を見込んだ企画、設計、開発の進捗管理までを僕が担当することになっていた。
 これを行うには各部署とも協議を重ねる必要があったし、実際にプログラミングを担当する会社ともいろいろな取り決めをしなくてはいけない。
 役員会の承認を得るためにもそれなりに準備が必要だ。
 そして、これらをすべて行うには、大量の資料が必要だった。
 僕はすでにそれらの資料をほぼそろえていて、もうすぐ出来上がると言うときに、バリーの奴に消されてしまったのだ。
 これらの資料は僕が一人で考えた内容をただただ書いた訳じゃない。何人かの人と会議をしたり知恵を出し合った結果作ったものだった。
 もちろん内容は覚えている。だけど、文章というのは難しいもので、書き方によってはどうにでもとれるという怖さがある。
 僕は伝えるべき内容を書類にしたのだが、これらを作るときには言い回しなどにも気をつけて、それについても何人かの人の意見を採り入れた。
 承認、というほどのものではないけれど、相談した人たちの同意を得て作った文章だ。
 いくら頭の中に内容は残っているとはいえ、単にそれを吐き出しても、みんなが納得してくれた書類が戻ってくるわけではなかった。
 バリーにやられた被害はまともに考えれば2ヶ月分に相当するが、僕はこの事件が起きた最初、それほど重大なダメージだとは考えていなかった。
 ファイルの復元も不可能ではないし、最悪でもバックアップからかなり戻せるものと思っていたからだ。
 ところがふたを開けてみると、それらもすべてバリーによって葬り去られていた。
 もしもまるまる最初からやり直すとすれば、そちらに時間をとられてプロジェクトマネージャーの仕事はまともには出来なくなる可能性があった。
 正直なところ、僕はかなり焦った。
 そう言う意味ではバリーがやったことは効果を十分に上げたことになる。
 そして僕は「それでもやり直すしかないのだ」と開き直って作業を開始していた。
 しかしその数日後、僕はあることに気がついたのだ。
 それは、ある後輩から届いたメールがきっかけだった。そのメールの内容はこうだ。
「ヒラリーマンさんすみません。先日わたしがメールに添付した資料ですが、お持ちじゃないでしょうか。もしも持っていらっしゃったらこちらに再度送ってください。うっかり消してしまったんです」
 僕はこのメールに対してこう返事を書いた。
「あるよ。添付書類のついたメールがそのままあるから、転送機能でそちらに送ろうか?」
 僕はそう書きながら、「あ!」と、叫びそうになった。そして急に頭の中が興奮状態になってしまった。
 資料の内容と言い回しを相談するために、僕はいろいろな部署のひとに資料の暫定版をメールに添付して送りつけ、意見を聞いていたのだ。
 その資料を彼らがそのまま持っていれば、かなりの部分は助かることになる。
「そうだ、その手があった。あの資料が戻ってくれば、この仕事はすぐに片づけることが出来る!」
 ざまー見ろバリー。
 意地悪バリーも、そこまでは気がつかなかったろう。
 すぐに資料を復元して、あっと言わせてやる!
 僕はいきり立った。  

2002年8月20日 実録連載−バリー岡田の陰謀37。メールは無事か?

「綾部副部長いらっしゃいますか?」
 僕はすぐに財務部の綾部さんに連絡を取った。
 僕はあの資料を財務の綾部副部長、営業本部の松永君、そして東京支店の陣野副支店長に送っていた。
 財務部は今回の「債権管理システム」の発注者で、綾部副部長がその責任者だ。
 営業本部は債権管理と営業戦略とのかねあいの問題からオブザーバーとして必要だったので参加してもらっていた。その窓口を松永君がやっていた。
 そして債権管理システムを利用する部門の一つである全国の支店の代表として意見を伺うために、東京支店の陣野副支店長とも情報のやりとりをしていたのだ。
「どうしたんだい、ヒラリーマンくん?」
 電話を取り次いだ女性社員が「いそいでるみたいです」とでも伝えたのか、綾部副部長の第一声はこんなものだった。
 自分では平静を装っているつもりでも、焦った声になっていたのだろう。
「いえいえ、別に大したことじゃないんですが、わたしが以前お送りした債権管理システムの資料なんですが・・・・・・」
「メールでくれたやつかい?」
 すぐにわかってもらえて、僕はほっとした。
「ええ、それなんですけど、申し訳ないですが返送していただけませんか?」
 ちょっとした間があった。多分綾部副部長は、どうやって返送するのかを考えているのだろうと僕は思った。
 綾部さんは51才で団塊の世代だ。団塊の世代までの人はパソコンの操作が苦手な人が多いので、ちょっと変わったことを頼むと一瞬止まってしまうのが常なのである。
「でもあのー、それってヒラリーマンくんがくれた資料だよね? じゃ、君がもってるだろ?」
 全くごもっともなご意見だ。しかし、「上司が意地悪で消しました」というわけにもいかない。
「ええ、そうなんですが、ちょっとしたことでなくしまして。申し訳ないのですが返送していただけるとありがたいんです」
「え、オリジナルがないの!?」
「あはははは。すいませーん」
 僕はそう笑ってごまかしたが、笑っていられるのはここまでだった。
「でも俺、あのメール消しちゃったぞ!」
 僕の顔が一瞬凍り付いた。でも、あれをもってるのは綾部さんだけじゃないという安心感から、それはすぐにとけた。
「ど、どうしてですか?」
「どうしてって、メールの整理を指導したのは情報システム部だろ?」
 あ! と僕は声を上げそうになった。
 そう言えば数ヶ月前から不要ファイルの整理をするために、後輩の田口君が中心になって活動していたのだ。
 そのなかに、受信メールの削除基準なども記してあるのだが、打合せのための資料として添付して送ってきたメールなどは、そのうち会わせ終了後に担当部署がオリジナルを管理して、他の人はそのメールを削除することになっている。
 こうすることによって同じ資料が何カ所にもあって、ディスクスペースを圧迫しないようになっているのだ。
「それじゃ、あれにしたがって消しちゃったんですが、綾部副部長?」
「そうだよ」
 なるほど、几帳面で真面目な綾部副部長ならやりそうなことだ。そう考えると僕は少し気が楽になってきた。
 なぜなら、綾部副部長はともかく、他の人たちはそんな通達を受けたからと言ってすぐにファイルの整理に取りかかるほどくそまじめではないからだ。
 おそらく他の二人はそのまま放ったらかしにしているに違いない。
「なるほど。それは失礼しました。でも綾部副部長も几帳面ですね。そんなにすぐに整理していただいて・・・・・・」
 と、ぼくもここまでは余裕をかましていたのだが、綾部副部長の言葉で再び凍り付くことになった。  

2002年8月22日 実録連載−バリー岡田の陰謀38。消されたメール

 僕は綾部副部長が几帳面だから情報システム課の要請にしたがって、古いメールを消したのだと思いこんでいた。
 だけど、他の人たちはそんなすぐにそんなアクションを起こしてメールを消しているわけはないと安心しきっていたのだ。
 ところが綾部副部長の口から嫌な名前が飛び出してきた。
「だって、岡田課長から強く言われたからしょうがなくてさ」
 僕の頭の中に衝撃が走った。
 僕はまだ、バリーが何をやったのか完全に飲み込めたわけではなかった。でも、何かをやられたんだという直感だけはあった。
「強くって、なんですか?」
「ディスクがパンクしそうだったんだろ?」
 余計なデータが増えてはいたが、そこまでにはなっていなかった。
「そう言われたんですか?」
「そうだよ。メールが保存できなくなっちゃうから、取り急ぎメールの整理からやるようにって、管理職会議でみんなに言ってたぞ」
 管理職会議で連絡した内容は、管理職を通して一般社員のもとに入ってくる。情報システム課の場合、それはバリーだ。
 当然バリーは自分がそんな連絡をしていることを一切話してはいなかった。
 すると、社内中の人が不要メールの削除だけは行った可能性がある。
 僕は急いで松永君と陣野副支長に連絡してみたが、予感は的中していた。
 誰もがすっかりあのデータを消していたのだ。
 やられた。
 またやられた。
 そこまで考えていたのか。
 僕がデータを復帰させる方法を、バリーは必死に考えたに違いない。
 そしてあらゆる可能性に対して手を打っていたのだ。
「やっぱり作り直しかぁ・・・・・・」
 そんな気持と、ここまで攻撃してくるバリーの異常さへの嫌悪感がこみ上げてきた。
「どうかしたのかい、ヒラリーマンくん?」
 綾部副部長が僕の顔をのぞき込んだ。
「いえ、あのデータ、どこかにないかなぁと思って・・・・・・」
「俺、田崎宣伝部長にあのデータを送ったけど、田崎さんも消しちゃったかな?」
 と、綾部副部長が言った。
「どうして田崎部長に?」
「宣伝部は特約店に宣伝用の機材を提供してるだろ。あれの使用料でも債権が動くからね」
「なるほど、そうでしたか」
 僕は一応田崎部長にも連絡を取ってみた。しかし、やはり田崎部長もバリーの要請にしたがって、受信ファイルを整理していた。
 どうしてこう言うときに限ってみんな珍しく素直にやっているんだろうか。
「どうもありがとうございました」
 僕は綾部副部長にお礼を言うと、諦めて席に戻りかけた。
 しかし突然、「あ!」とひらめくものを感じたのだ。
「綾部さん、ちょっと済みません。メール見せてください」
「ああ、いいよ。どうぞ」
 僕は綾部副部長の席を借りると、彼のメールソフトを開いた。
 そして僕は、受信ファイルではなく、送信済みファイルをあけた。
「田崎部長にはいつメールを送りました?」
「ええと、先週だな」
「先週ですか。それじゃー、えーっとこの辺かな・・・・・・こ、これですか?」
「うーん・・・・・・あ、そうだね、これこれ」
 僕はそのメールの添付ファイルを開いてみた。
「やった! 残ってる。これだこれだ。ざまーみろ!!」
 バリーが消せといったのは受信ファイルだけだった。しかし、メールソフトには送信済みのファイルをためるフォルダもある。
 綾部副部長がデータを田崎部長に送ったために、そこに僕の大事な資料が残っていたのだ。
「この件は、岡田課長には黙っていてください」
 僕はそう綾部副部長にお願いすると、スキップするような足取りで執務室に戻った。  

2002年9月9日 実録連載−バリー岡田の陰謀39。システム屋の晴れ舞台

 過去のデータを手に入れた僕は、それらの資料と頭の中に残った記憶から、ものすごいスピードで資料を再現していった。
 自分で悩みながら作った資料だから、それは思ったよりも簡単な作業だった。
 しかも、2回目だからさらに考えが働いて、おそらく最初に作ったよりもずっといいできになったはずだ。
「ヒラリーマン。最近ずいぶんと根詰めてやってるようだけど、今何をやってるんだ?」
 と、珍しくバリーが話しかけてきた。
 部下の仕事を妨害するというふざけた上司だけど、ここで言い争っても仕方がない。
 仕方がないと言うよりも時間の無駄なので、僕はさらりと答えた。
「債権管理システムですよ。資料がなくなっちゃったんで、作り直してるんです」
 バリーがニカッと笑った。
 最近この笑いをみると、ぞっとする。
「期限に間に合わなかったらみっともないから、それだけはやめてくれよな。期限を守るって言うのはビジネスの基本中の基本だ。債権管理システムなんてのは設計は大変でも、作り始めたら半月でできちまうだろ。そんなシステムはいいとしても、プロジェクトの方はそうはいかないぞ」
 蹴飛ばしたくなったけれど、それは抑えた。確かに債権管理システムは作り始めてしまえばすぐに終わる規模だった。しかしそれを邪魔してるのはバリーなのだ。
「債権管理システムがもしも遅れたら、おまえの進捗管理能力はないってことだから、そのときはプロジェクトの方も降りてもらうぞ!」
 図々しいことを言いやがる。
「プロジェクトの方は課長の指示ではなくて、重役から直接の業務命令でやっていますから、重役がそう判断されたら従いますよ。それとも重役もそうおっしゃってましたか?」
「そうじゃないけど、俺がそう進言してやるよ」
 とうてい上司と部下の会話とは思えない会話が課内を飛び交った。
 ところが二人とも作り笑いをしながらやっているので、若い社員たちは何にも気がついてはいない。冗談の飛ばしあいとしか思っていないのだ。
「重役はそんな話を鵜呑みにはしないと思いますよ、課長」
「重役が課長の俺とヒラのおまえとどっちの言うことを採用すると思う? 会社だって階級社会なんだぜ」
 全く嫌なやろうだ。
「まぁ、せいぜいガンバレ。でもな、ファイルが消えたのはおまえの不注意なんだから、その復旧にかかる残業代は認めないからな」
 そう言い放つと、バリーは執務室を出ていった。
 バリーよりも、バリーを課長に推薦した上司が恨めしく思えてきた。

 資料の作り直しは順調に進んだ。
 約半月で書類は復旧し、そしてそれにしたがって債権管理システムの開発も進められ、それも半月ほどで無事に終わった。
 しかし、僕はそれをバリーに報告しなかった。
 バリーが知らない間にシステムを作り、バリーがー知らない間に関係者へのシステムの利用説明をする。
 つまらないことだけど、バリーを蚊帳の外におきたい気分になっていたからだ。
 それに、また変な妨害でもされたらたまらないと言う気持もあった。

「まず僕が挨拶をするから、そのあとを頼むよ」
 僕は債権管理システムの依頼主である綾部副部長と打合せをしていた。
 システムが無事できあがって、その説明会を開く準備をしていたのだ。
「わかりました」
「システムが苦手な人もいるから、どういうシステムなのかをかみ砕いて説明してやって欲しい。なるべくわかりやすくね」
「はい、それは承知してます。せっかく作ったシステムも使ってもらえなければ意味がありませんから」
「それにしても君には面倒をかけるねぇ」
「そんなことはないですよ。こういう説明会って言うのは、システムを手がけた者にとっては晴れ舞台です。踊りで言えば発表会みたいなもんですからね」
 実際そうだった。どんな苦労して作ったものにだからこそ、お披露目するときは誇らしいものだ。そしてそれが認められたときさらに嬉しい気分になるのだ。

 説明会は大会議室で行われた。研修用の長いテーブルがいくつも並べられ、そこに色気のない事務用の椅子がセットされている。
 この説明会に出席するのは営業関係の人ばかり。だから情報システム部には説明会開催の案内は届いていない。
 説明会は1時からだと連絡してあったのに、1時10分を過ぎてもまだ70%程度しか集まっていなかった。しかしそれはいつものことだった。
「もっと早い時間を言っておいたら良かったですかね、綾部副部長?」
 僕は、説明者用の机で挨拶の準備をしている綾部副部長にそう言った。
 僕は集まった人たちのなかで一番前の席に座って、綾部副部長と対面していた。
 綾部副部長が挨拶を終えたら僕が前の席に移って座り、説明を始める段取りなのだ。
 僕の声に綾部副部長が顔を上げた。
「いや、何時でも同じさ。うちの連中はとにかく集まりが悪いんだから」
 やっと作り上げたシステムのお披露目の日だからか、それとも緊張からなのか、僕の足は貧乏揺すりをしていた。
「それもそうですね」
 しばらく待っていると10分ほどで会議室は一杯になった。
 綾部副部長と僕は目で合図を交わした。
「えー、お待たせいたしました。これより債権管理システムの・・・・・・」
 そう綾部部長が挨拶を切り出したときに、バリーが現れたのだ。
 バリーは大会議室の一番前のドアから入ってきた。
 普通、遅れてきた参加者は後ろのドアから入ってくるものだ。
 しかしバリーは無遠慮に前のドアからずかずかと入ってきた。
 そしてそれだけではなく、当然のように参加者たちと対面している綾部副部長の隣に座ったのだ。
 説明会をかぎつけて、受講者の席に座るならまだわかる。ところがバリーは説明者の隣に座った。
 いったい何のつもりなのだろうか。
 僕も唖然としたが、綾部副部長も「どうしてあんたがここに座るの?」と怪訝な顔をしながら説明を続けた。
 綾部副部長は挨拶を済ませると、僕に振った。
「と言うわけですので、この債権管理システムをどうぞ有効に活用してください。それでは、情報システム課のヒラリーマン君よりシステムの説明をしてもらいましょう」
 僕はバリーを無視して立ち上がった。そして席を譲ってくれた綾部副部長のとなり、すなわちバリーの隣に向かおうとしたとき、バリーが両手でを前に出して僕を制止した。
 ここでもめるわけにも行かない。僕は立ち止まった。
 すると、いつものバリー節が始まったのだ。
「まーあのー、本システムは債権の管理をするということで、まーあのー、本開発の責任者としてご挨拶いたします」
 この開発責任者がバリーだと始めて聞いた。
 いやそんはなずはない。
 確かにこの仕事は僕が責任者だし、最終判断権も僕にあった。
 バリーは何一つこの仕事には関わっていないのだ。
 ところがしきりやバリーにとってこんなことはお手の物だった。
「まーあのー、今回のシステムは債権のオーバーとなくすと言うことで、わたしなりに会社にとって最大限プラスになるようシステムを企画したわけでして、まーあのー、細かいところはヒラリーマン君に説明させますが、まーあのーこのシステムを十分に活用していただきたいと言うことで・・・・・・」
 バリーは延々と一時間にわたって口からあわを飛ばし、僕が説明するはずだったほとんどを喋り尽くした。
 そしてその内容は僕が説明用メモとして用意していたものそのままだった。
 詳しいことはヒラリーマン君に、とバリーは最初言っていたが、結局僕は最後に「ヒラリーマン、補足するところはあるか?」とバリーに促されてほんの少し喋っただけだった。
 しかも、説明者席にはバリーが居座っているので、僕は受講者席から立って説明したのだった。
 説明会が終わるとバリーはスタスタと執務室へ帰っていった。
「おい、ヒラリーマン君。あれはどういうことなんだよ?」
 綾部副部長のそんな疑問にも、僕はどう答えていいのかすらわからなかった。  

2002年10月7日 実録連載−バリー岡田の陰謀40。バリーが踏んだ地雷

 バリーは常ににこやかだった。
 バリーは他の部署の人がきて、どんなにつまらない質問をしても、ニコニコしながら親
切に教えてあげる。
 みんなは、まさか自分が帰ったあとに、
「なんだあのやろー、つまらねーこと聞きやがって。馬鹿じゃねーのか?」
 なんてバリー言われているとは夢にも思わない。
 だから、彼の本性を知らない人は誰もが「彼はいい人」と思いこんでいる。
 実は、ある人にバリーのことをちょっとこぼしてみたことはあった。
「岡田課長にいろいろと仕事の妨害されたりして困っているんだよ」
 すると彼はすぐに否定した。
「そんなはずはないよ。彼はそんな人じゃない。思い過ごしだよ」
 と。
 会社というところはビジネスマンの集まりだから、情報分析のプロとも言える。
 ひとつの情報がもたらされたからと言って、その情報をすぐに鵜呑みにしたりはせずに、
別ルートでも同じ情報が来るかどうか調べたり、反対意見に耳を傾けてみたりする。
 なぜかというと、情報というのは意外といい加減なものだからだ。
「あの件はですね、どう考えても実施不可能とわかりました」
 ときっちり会議で発表したとたんに横から部下が、
「あ、それやっぱり可能でした。あれ、言いませんでしたっけ? 朝、連絡があったんで
すけど。ああ、そういえばあの時課長が電話中だったから・・・・・・」
 なんて事を言い出して、面目丸つぶれになることもある。
 ところがこんな優秀なサラリーマンの頭脳も自分の本業から外れると、とたんに機能しなくなるのだから不思議だ。
「営業三課の佐伯さんなぁ、あれガンだぜ」
「え、そうなの?」
「だって、3年前にガンの手術をしてさ、最近いきなり激痩せだぜ。ガンが再発したに決
まってるよ。あれじゃ長くねーかもな」
「そういえばそうだよなぁ・・・・・・」
「おい、二人して何の話だい?」
「いや実はさ、営業三課の佐伯さんがガンなんだよ」
「香典いくらかなぁ?」
「五十嵐さんのときは5000円だったよな」
「じゃ、おれがとりまとめるよ」
 という風に、ダイエットしただけで葬式の準備が始まったりする。
 つまり、ビジネスマンは自分の本業から外れると、近所の奥さんがやっている井戸端会
議と同程度の判断能力になってしまうという特色を持っているのだ。
 井戸端会議には、
1.先に聞いた片方の言い分だけで全容を判断する。
2.お互いに悪口を言った場合、先に言ったほうの言い分が採用される。
3.その場にいないと欠席裁判となり、判決まででてしまう。
4 一度出た判決は、滅多なことでは訂正されない。
 という法則がある。
 本業外でのビジネスマンの判断も、ほぼこの通りになる。
 だから、一度悪評がたつと、それを払拭するのは大変なことだし、その逆もあるということだ。
 つまり、「あの人はいい人」というレッテルが張られたバリーは強化シールドをもって
いるようなもので、その壁をぶち破るのは容易ではない。
 確かに、多少バリーに反感を持っている人たちはいるし、僕も彼らに励まされたことはある。
 しかし、全体的に言えばそれは少数派で、だいたいにおいてバリーは「いい奴」なのである。
 だから彼がやっていることがおかしいと僕が確信しても、客観的な証拠がない限りその事実をほかの人に理解してもらうことが難しかった。
 ところが今回は事情が大きく変わった。
 バリーは地雷を踏んでしまったのだ。
 それは、綾部副部長という地雷だった。
「なるほどー、そういうことだったのか。岡田課長、そんなひどいことをしているのか
ぁ」
 綾部副部長はバリーに対してあっという間に嫌悪感を覚えてしまった。こうなると僕が話すバリーのとんでもない話を、綾部副部長はすんなりと信じてくれた。
「信じていただけますか?」
「そりゃそうだよ。あの場に乗り込んできて、俺のになんの断りもなく勝手に仕切りやが
って。あんなの普通の神経でできることじゃない。あれだけ見たって十分異常だ!」
 バリーの件については、何とか自力で抜け出して、その後は穏便にと思っていたのだが、
怒りをあらわにする綾部副部長を見て、僕はそれを止めようとは思わなかった。
 井戸端会議の法則4、「4 一度出た判決は、滅多なことでは訂正されない」は確かに強力なのだが、権威者から反対意見が出ると、とたんに吹き飛んでしまうと言う欠点をもっているのだ。  

2002年10月29日 実録連載−バリー岡田の陰謀41。バリーが強い理由

 もともとバリーに対して警戒感をもっている人たちはいたものの、バリーが綾部副部長の怒りを買ってからは、急激に「反バリー派」が増えてきた。
「ヒラリーマン君、大変なんだってね。岡田課長ってのは人格的に問題があるらしいじゃないか」
 僕が以前「岡田課長はおかしい」と言ったときに、「彼はそんな人じゃない」と軽くはねのけた管理職までが、ころりと態度を変えてこんなことを言ってくる。
 サラリーマンの力関係というのはなかなか複雑で面白い。
 サラリーマンの力というのは、その人の言動でどれだけ人を動かせるか、と言うことだ。
「この件だけど、こうして欲しいなぁ〜」
 と発言したときに、「ああなるほど。はいはいはい、そうですねー。ではすぐに!」と周りの人間が動くか、それとも「うーん。まぁー考えておきましょう」とかわされて没になるかの違いだ。
 我が社には完全ヒラ、主任ヒラ、課長補佐ヒラ、課長代理、課長、次長ないし副部長、部長という役職がある。
 もちろん課長よりも副部長が偉いのだけれど、課長よりも副部長の方が力があるとは限らない。単に上席の役についている人が強いというわけではないのだ。しかし、その仕組みは非常に単純だ。
 たとえば、副部長には次ぎに部長になる副部長と、長年課長をやっていて最後の花道としてやっと副部長になった人がいる。
 周りの人間からすれば、もうすぐクビになる副部長よりも、これから偉くなる課長の方が仲良くしておいて損はない。 
 これが、サラリーマン世界の力学なのだ。
 実は綾部副部長は同期の中ではちょっと出世が遅れた人だった。だから彼にはあまり力がなかった。
 ところがある日、状況が変わった。その原因は、経営企画部の外山副部長の退職だった。
 外山副部長と綾部副部長は同期なのだけれど、外山さんが財務課長のとき、綾部さんが課長代理という関係だった。
 外山さんが副部長に昇格して経営企画部に異動したので、玉突き式に綾部さんが課長になり、その後副部長になったというわけだ。
 そして、だれもが近いうちに外山さんが財務部に戻り部長になると読んでいた。もともと次期財務部長として候補になっていた外山さんが経営企画部に出たのは、武者修行のようなものだったからだ。わざと違う部署を経験させてからまた戻して昇進させるというのは良くやることだ。
 綾部副部長は部長になる目はあまりないと目されていたし、同期の外山さんが部長でくれば、なおさらのことだ。だから誰もが綾部さんは副部長で終わりだと思っていた。
 ところが、外山副部長が家の都合で退職してしまったので、どう考えても次期部長は綾部さんと言うことになる。
 こうなると俄然、綾部副部長は社内で注目されるようになってきたのだ。
 綾部副部長が腹を立てたおかげで、バリーの正体を知る人は多くなってきた。
 しかし、それだけでバリーが失脚するかというとそうではない。
 バリーを今の地位に引っ張ってきたのは常務だ。常務は我が社のナンバー2で、しかも次期社長と言われている。
 これは強力だ。
 会社の内規によると社長はそろそろ交代の次期にある。そうなれば常務が社長となる。
 これが、バリーの元気がよいもっとも大きな原因なのだ。
 常務が社長になればバリーは完全に安泰。
 だから、バリーにとっては綾部副部長を怒らせるという地雷を踏んでもまったく困りはしないというわけだ。
 つまり、ものすごく強力な後ろ盾があれば、メチャクチャをできるというのもサラリーマンの力学なのである。  

2002年10月30日 実録連載−バリー岡田の陰謀42。第2試合開始?

 システム課に大きな問題が持ち上がった。
「来年末をもちまして、当社はコンピューターの運用業務を廃止いたします」
 突然舞い込んできた、こんな手紙がことの起こりだった。
 当社のホストコンピューターはいわゆるアウトソーシングで、コンピューターそのものはコンピューター運用会社が購入し、マシンルームもセキュリティー機能も運用人員もすべてその会社のものだ。
 我が社はお金を払ってその機能を使わせてもらっているにすぎない。
 しかし、種々の事情からその会社はサービスを停止すると通知してきたのだ。
 サービス停止の1年以上前に通知してきたのだから契約上の手続きとしては問題はなかったが、こうなると「じゃ、コンピューターはどうするの?」という現実的な問題が発生したのは確かだった。
 この件について部長が課員に説明をした。
「選択肢は3つある。1 我が社がコンピューターを購入し、このビルに設備する。2  我が社がコンピューターを購入し、運用会社に預ける。3 今と同じ形態で行うこととし、別の運用会社を探す。これらの利点欠点はここに書いた通りだ」
 そういうと、部長が皆に資料を配った。そして部長は続けた。
「これらのどのケースが良いかをこれから皆で考えていきたいと思う」
 これからゆっくり考えましょうと言うことなのだが、ここまで聞くとバリーは即座に答えた。
「まーあのー。こう言うことになって、まーあのー、色々と大変なわけですが・・・・・・。まーあのー3つのケースと言うことですが、まーあのー、どのケースになっても構わないと思うのですが、結局はケースと業者との組み合わせでどれがいいかということになるわけですが、そうなると組み合わせが煩雑になりますので、まずは業者を決めてからケースを出させて判断すればよろしいかと思います」
 すごい。
 すばやい。
 実に判断が速い!
 これからゆっくり決めようと言うことに対して、即座にバリーは答えをはじき出してしまったのだ。
 なんと言っても彼の意見には確固たる論理性があるのだ。
 部長が口を開いた。
「ほう、そうか。それじゃそういう会社に心当たりでもあるのかな、岡田課長は?」
 部長もこの時点で気がついていたのだろう。いささか含みをもった言い方をしたのだが、バリーは全く動じることなく答えた。
「まーあのー、ダンピングシステムなどはそう言う業務ではかなり実績もあげており、適当ではないかと思います」
 やっぱり。
 ダンピングシステム。今僕が仕上げつつあるプロジェクトで、競争入札をやった際に食い込んできた業者だ。
 ダンピングシステムの社長はバリーの友人で、バリーはこの会社から顧問料という名目で金を受け取っている。
 彼としてはシステム課長になれば自由にダンピングシステムに仕事を出せると考えてそう言う契約をダンピングシステムとしたのだろうが、そう簡単にはいかなかった。
 そのもっとも障害となったのがこの僕だった。
 部長は僕を課長代理に推薦しようとしている。課長代理がいると数年後に自分のが課長職からはじき出される可能性がある。おまけに僕がいるために、彼の思惑通りにならない。
 だからバリーは執拗に僕を陥れることと、ダンピングシステムに仕事を出すことに躍起になってきたのだ。
 それは今回も同じこと。「ダンピングシステムに仕事をとらせたい」。これがバリーの理論だ。
「ヒラリーマン君、どう思うかね?」
 部長がいきなり僕に振ってきた。
「え・・・・・・。あのー、それはですね、業者の決定をするには提案と見積をもらわなくてはなりません。そうなると、どのケースでやってもらうのかがあらかじめわかっていないとなりませんから、各ケースの利点欠点を分析して、ケースが決まってから業者の選定をしたらよいかと思いますが・・・・・・」
「ほう。するとまた競争入札だね?」
 なんだか嫌な気がしてきた。またバリーの裏工作につき合うのかと思うとうんざりしてくる。
「指名でやる理由があればそれでいいですけれど、ないのなら入札が当然だと思いますがいかがでしょうか?」
 僕がそう言うと、部長はバリーに向き直って言った。
「確かにそうだな。岡田課長。ダンピングシステムは一つの候補ってことだよね。指名って話じゃないよね?」
 ここで当然バリーは「そうですね」と言うと思ったのだが、帰ってきた答えは意外だった。
「いえ、指名でよいかと思います」
 期待はずれの答えだったのだから、当然部長は聞き返した。
「なぜ?」
 バリーは立ち上がって答えた。
「まーあのー。競争でやると時間的に厳しいことと、今それをやるだけの人員が当社にありません。ヒラリーマン君はわたしに業務報告すらできないくらいプロジェクトでお忙しいし」
 バリーはそう皮肉って僕の顔をちらりと見て、そしてつづけた。
「まーあのー、この件についてはわたしも先日常務と話しまして、そのあとたまたまダンピングシステムの社長と常務も同席で飲みまして、色々とご相談したりしたのです。まーあのー、常務もダンピングさんにやってもらえばいいんじゃないかなんて言うことをおっしゃっておられましたし、まーあのー、あこれこれかき回すよりは私どもも楽をした方がいいと思いまして・・・・・・」
 要するに、常務も承知で内々で決めているのだから、おまえら余計なことをするなと言うことなのだ。
 部長は内心ムッとしていたのだろうけれど、努めて平静を装っていた。
「この話は今日始めてするはずなのだが、岡田君はすでに常務から聞いていたわけか。それでもう業者に話しているっていうんじゃ、なんだか順番が違うな。重役はご存じなのかな?」
 常務も重役だが、常務のことは常務と呼び、部長の上司に当たる執行役員を重役と呼んでいる。
「ご存じないと思います」
 と、バリーは涼しい顔で答えた。
 部長も担当重役もすっ飛ばして、バリーと常務ですでに業者にも接触しているというわけだ。
 どうやらバリーは徹底的に常務の虎の威を借りることにしたらしい。
「ヒラリーマン君、どう思う?」
 おいおい部長、そこで俺に振るのか?
 そう思いつつも僕は簡単に口を滑られてしまった。
「プロジェクトの方は僕もそろそろ手が放れますし、わたしには入札を管理する時間はありますので、ご指示があれば取りかかります」
 この一言でまたもやバリーとバトルを繰り広げることになってしまったのであった。  

2002年11月29日 実録連載−バリー岡田の陰謀43。重役の真意は?

 新しいコンピューター導入に際しての準備が開始された。
 まずは、導入パターンの決定から作業は始まった。
「原案をヒラリーマン君が作成し、それをたたき台として議論しようじゃないか」
 そういう部長の命令を受けて、僕は原案の作成にかかった。
 検討すべき導入パターンはいくつもあるが、僕は次の3つに絞った。
1 他社のコンピューターを使用料を払って使う。
2 自社でコンピューターを買い、自社に置く。
3 自社でコンピューターを買い、運用会社に預かってもらう。
 まずはこの3つについて試算し、パターンを決める。
 パターンが決まったら、それに従って入札を行い、もっとも安くできる会社を選定しようと言うものだった。
 この結果は要件によって変わってくる。どんなOSを使っているのか、どんなシステムを組んでいるのか、どれほどのデータ量があるのかだ。
 僕はこの作業をしながら、これから始まるであろう問題を心配していた。それは、バリーがまたもや入札で強引にダンピングシステムを勝たせようとする行為だった。
 ところが、それどころではなかった。バリーはそれよりも先に行動を起こしていたのだ。
「まーあのー、今ヒラリーマン君が導入パターンを考えているようですが、まーあのー、これはもう今のままの方がそのまま業務の移行ができるわけでして、まーあのー、ダンピングシステムが自社のコンピューターを提供して現状の業務を引き継いでも良いと言ってますので、まーあのー、これですと大変安価に導入できると思います」
 僕の検討状況を報告する打ち合わせで、僕の発言を遮ってバリーがしゃべり出したのだ。
 これには部長もむっときた様子で、はっきりと言った。
「岡田課長。今回は入札でやろうと決めたんだよ。それを、別ルートで話を持って来るというのはルール違反だろ?」
 ところがバリーも動じなかった。
「まーあのー、ルールといってもそれは当社にとって有利な選択をするためですから、まーあのーそれよりも安い話であれば逃す理由はないものと思います」
 正しいような、正しくないような話だ。
 そしてバリーは自分の行動の裏付けをはっきり言いきった。
「まーあのー、これについては常務もわたしに賛成です」
 要するに、自分のバックには常務がいるのだと言うことをアピールしているのだ。
 しかし、これ以上の出世はないと思っている部長には、あまり効き目はなかった。
「方針を決めたらそれに沿ってやる。それが会社の社会的信用にもなる。方針に従って、その中で有利なものを決める。それ以外の行動は慎んでくれ!」
 後にも先にも、僕が聞いたもっともかっこいい部長の一言だった。
 それに対してバリーも応戦した。
「まーあのー、入札をしても同じ事だと思います」
 バリーは薄ら笑いを浮かべながら、人を馬鹿にしたように頭を左右に動かしておどけるような仕草をした。
 おそらく、むっとしたのは僕だけじゃないだろう。
「なぜだ?」
 部長もつっこむ。ところがこれに対してバリーはびっくりするようなことを言い出した。
「入札をしても、もっとも安い価格をダンピングシステムは出すと言ってますから!」
 これはめちゃくちゃな話だ。
 入札というのは他の会社がいくらにしているのかわからないから公正なのだ。それを、「ダンピングが一番安い価格を出す」と言い切るということは、自分が情報を漏らしますと言ってるようなものだ。
 思わず口走ってしまったのか、それともわかっていて言っているのか、僕にはどうにも判断がつかなかった。
 その判断がつかないくらい、バリーが異常に見えたのだ。
 この暴言に対して当然部長は攻撃すると思っていたのだが、意外にもそれ以上のことを部長は言わなかった。

「ヒラリーマンさん、気をつけてくださいよ」
 打ち合わせのあと、声をかけてきたのは鈴木SEだった。
「え、なんのこと?」
 わかってはいるが、とぼけてしまう。
「岡田課長ですよ。ヒラリーマンさんのこと、『あの野郎、絶対に日の目を見られないようにしてやる』っていってましたよ。ああなると病気ですね」
 派遣社員という立場上、思っていても口に出さなかった鈴木SEだが、最近ではあからさまに岡田課長を批判するようになっていた。
 それもそのはず、ダンピングシステムが入り込んでくれば、彼らも追い出される事がわかっているからだ。
 前回に比べるとバリーはわき目もふらない状態でさらにパワーアップしているように見える。
 しかし、部長や綾部副部長、そして鈴木SEまでもが味方になってくれている今、前回とは気分的に全く違っていた。


 打ち合わせから数日たったある日、僕は重役に呼び出しを受けた。
「ヒラリーマン君、入札の件はどうなってる?」
 僕が重役室にはいると、重役はすぐに本題を切り出した。
 少しは雑談でもあるかとのんきに構えていた僕は少々慌てた。
「はい、当社が自社でコンピューターを購入し、自社に設置するというパターンでの入札にしたいということで進めています」
「ああ、それは部長から聞いてるよ。しかし岡田課長が随分とごねてるらしいね。それで、その後の進捗はどうなんだ?」
「はい。部長の判断に岡田課長が従いません」
「岡田君のことは今はいい。君としてはどう進んでるんだ?」
「はい、現在コンピューターの機種やシステムの移行についての詳細を鈴木SE中心に進めています。それらが決まり次第、各社に導入の条件として提示して入札を行います」
「そうか、わかった。今後も岡田課長がいろいろと難題をふっかけるかも知れないし、妙なことをするかも知れないけれど、気にしなくていいから」
 と、意外な発言を重役がした。
 これはいったいどういう意味なのだろう。
「あの、それはいったい・・・・・・?」
「君は自分の仕事をすればいいから。課長を管理するのは部長以上の仕事だから、君がやることはない。自分の仕事をやってくれれば良いって事だよ」
 重役ははっきりとは言いたくないように見えたので、僕はそれ以上つっこまなかった。
 しかしこの話には取り方が二つある。一つは、「俺がうまくやってやるから任せろ」という見方。そしてもう一つが、「問題が起きるのはゴメンだから、丸く収めたい。だから君は余計なことをするな」という見方だ。
 もちろん僕は前者の方を希望するが、期待しているわけではなかった。  

2002年12月19日 実録連載−バリー岡田の陰謀44。方針は決まったが・・・・・・

 システムの詳細が決まった。
 コンピューターは自社導入。置き場所も本社内に決まった。
 コンピュータールームを作るとなると、空調設備や電源設備だけではなく、セキュリティーを保つための設備も必要になるので、かなり費用はかさんでくる。
 しかし、運用費、通信費、ホスティング費用などすべてを考え合わせると、自前でやるのがベストという結論に達したのだ。
 僕はこの案を元に、鈴木SEと共にシステムの概要をとりまとめた。
 ホストコンピューターの機種名、現在のまま移行するシステム、改造するシステムとその内容などを簡単にまとめた。
「しかし、これでは入札をするにしても無理がありますねぇ。やはり、基本設計をやった上で、その設計に沿って入札をした方が現実的だと思いますよ」
 鈴木SEの意見に僕も賛成だった。
 システム構築をするには、まず概要を固め、基本設計を行い、詳細設計、プログラム設計、プログラミング、テストと進んでいく。
 概要だけで入札をしても、結果的にどんなものを作るのかが統一されていない見積となってしまう。
 家を建てるときのことを考えるとわかりやすい。
 概要としては在来工法による木造住宅で、部屋の間取りは5LDKと決めたとしよう。
 しかし、これだけで建築会社を数社呼んできて見積もりを出させたって、金額だけでの比較なんてできやしない。
 ある会社は素焼きの煉瓦を外壁に使い、格調高い内装を施し、窓はすべてマービン製を使って防音断熱に優れた豪華にあつらえるかもしれないし、ある会社は工場で大量生産した安っぽい外壁を貼り付けて、学生アパートのような内装で安価に仕上げるかも知れないからだ。
 価格で決定するなら、誰が作ってもほとんど同じ品質になるくらいの詳細な設計がなければいけない。電気の傘に何を使うのか、ウォシュレットに温風がつくのかどうかまで決まっていなくてはいけない。
 システム開発もこれと同じで、設計はなるべく詳しくしてからの方が入札条件は絞られてくる。
 僕はこの案をミーティングで発表した。
 71会議室とプレートがかかった部屋に、重役、部長、バリー岡田、そして僕の4人が集まった。
 71会議室とは7階にある第1会議室という意味だ。
 以前は階に関係なく1から12まで通し番号がついていたのだが、これだとどこにある会議室なのかがわからなかった。
 そこで、大規模なレイアウト変更があったとき、僕がこの番号の付け方を総務部に提案したのだ。
 僕は会議室に設置されているホワイトボードに簡単にスケジュールを書いて説明した。
「このようなスケジュールで進めていきます。まず、鈴木SE中心に基本設計チームを編成し、基本設計を行います。そして、その設計に基づいて入札をしてもらいます。基本設計段階でかなり詳しくスペックをしばりますので、あとは価格での勝負となります」
 重役も部長もこの案に賛成した。
 重役が出席しているので、社内会議とはいうものの、秘書課が手配してコーヒーが配られていた。
 バリー岡田はそのコーヒーをいかにも育ちが悪そうにずるずると音を立ててすすりながら黙ってみていたが、特に反対はしなかった。
 ただ、あまりご機嫌はよろしくないようで、「なんでこういうペンばかりなんだ!」  と、インクのでなくなったホワイトボード用のマジックを集めて、叩きつけるようにしてゴミ箱に放り込んだ。
 今回の仕事は情報システム部の仕事であり、我々システム課の仕事だ。
 とりあえず、概要の案作りを僕が指示されてつくったのだが、これからの仕事としてはバリー岡田がリーダーと言うことになる。
 僕の素案に対して重役が計画のを承認したのだから、次は部長がバリーに実行を指示することになる。
「それじゃ岡田君。ヒラリーマン君をはじめ課のみんなに仕事分担をして、この線で進めてくれ」
 部長がそう言うと、
「わかりました」
 と、バリーは言った。

 しかしそれから1週間、2週間、そして1ヶ月経ってもバリーからは何の指示もなかった。
「基本設計はどうなるんでしょう。これじゃ間に合わなくなりますよ」
 心配した鈴木SEが僕にこう言ったが、僕も同じ気持ちだった。
 僕は業を煮やしてバリー岡田に聞いてみた。
「課長。ホストリプレースの件ですが、どうなっていますか? もう実行しないと間に合わないと思いますので、指示してください」
 するとバリーは僕と目を合わせることもなく、下を向いたままこう言った。
「あれは今俺の方でやってるから、指示するまで動かなくていいよ」
 まさか管理者のバリーが1人でシステム基本設計をしているわけもない。いったいどういうつもりなのかと思ったが、そう言うことをフランクに話し合える関係でもないので、僕は黙っていることにした。

 そして数日後、部長がすごい剣幕でバリー岡田の元へやってきたとき、バリーがなにをしていたのか、やっとわかったのだった。  

2002年12月27日 実録連載−バリー岡田の陰謀45。常務の横車

「ちょっと岡田君!」
 部長が顔を真っ赤にしてやってきた。
 名前を呼ばれたバリー岡田は書類から顔を上げると、ふやけた顔のまま、頭をふらりふらりと左右に振って、人をバカにしたような態度で部長を見上げた。これはバリー得意のスタイルだ。
「なんですか?」
「ちょっと・・・・・・」
 部長がバリーを応接室に誘導した。
「ヒラリーマン。君もちょっときてくれ」
 部長が思いついたように振り返り、僕を呼んだ。

「いったいどういうつもりなんだよ!」
 温厚な部長がこれだけ言葉を荒くしているのを、僕は始めて見た。
「なんのことですか?」
 とぼけた返事に、部長は神経を逆なでされたようだった。
「おいヒラリーマン!」
 部長が大声で呼びつけたので、一瞬僕が怒られているのかと錯覚してしまった。
「な、なんでしょうか?」
「おまえ、岡田課長からホストリプレースの仕事に関して指示を受けたか?」
「指示と言いますか、待ってろと言われましたが」
「なにもしてないんだな?」
「してません。すみません」
「おまえが謝ることじゃない」
 部長はどこからなんと話をすればいいのか、頭の中で整理を付けている様子だった。そしてバリーの方に向き直った。
「私は指示したはずだ。どうして決まった通りに仕事を進めない。なんで常務と勝手なことをしているんだ?」
 バリーはへらへらと笑っていた。興奮している部長。そしてそれを小馬鹿にしているバリーの態度は、「俺はあんたにはつかない」という意思表示に見えた。
 案の定、バリーはそれを宣言した。
「まーあのー、確かに部長からは指示がありましたが。まーあのー、その後常務のご指示を受けてまして仕事をしてるわけでして。まーあのーそれは叱咤される問題ではないかと思いますが?」
 バリーは常務を後ろ盾に強気に出た。
 会社組織には、「ライン」というものがある。「ライン」とは業務命令ルートのことだ。ある程度の規模の会社なら、きちんとラインが決まっているし、それにそって業務権限も振り分けられている。
 会社で一番偉いのは社長だが、社長が僕に「ヒラリーマン君、システムをこのようにしなさい」と直接指示することは絶対にない。社長は重役たちに指示することはできても、一般社員に指示する権限は非常時を除いてはないのである。
 僕の上には課長がいる。課長の上には部長がいる。そしてその上には我々が「重役」と呼んでいる久留米取締役がいる。ここまではラインだ。
 しかし、我々が「常務」と呼んでいる我が社のナンバー2である青柳常務取締役はラインではない。彼は確かに重役の上位職ではあるが、情報システム部の担当役員ではなく、社長補佐の任にあるからだ。
 青柳常務が社長補佐としての権限に基づいて久留米重役に指示するのは構わない。しかし、久留米重役に決裁権がある仕事について、勝手な指示を出すのはまずい。
 バリーは青柳常務の方が久留米重役よりも偉いのだから、そっちをバックにつければ自分が強いと思っているが、組織的にはそれは間違えと言うことになる。
 しかし、サラリーマンの世界ではそれだけではことは済まない。次期社長の候補である常務であれば、横車を押せるということもあるからなのである。バリーは青柳常務であれば久留米重役に対してでも横車を押せるとにらんでいる。
「ラインで決まった話を変えるのなら、ラインを通さなくては変えられない。君への業務命令は先日伝えた通りなのだから、それが達成されていないのであれば、君は業務命令違反していることになる」
 部長はバリーをたしなめた。
 するとバリーは、「まーあのー、そう言われても私も常務から命じられてるんですから、それなら常務と話をしてください」といい、仕事があるからといって応接室を出て言ってしまった。
「あのーどういうことなんでしょうか?」
 と僕が部長に聞いた。
「実はな、常務と岡田課長とで、勝手にダンピングシステムに話をもっていって、格安で今回のホストコンピューターリプレイスを行うという計画を作っているんだ。破格でやるから有利という話にして、常務は社長にまで話をしている」
 ややこしい話になってきた。
「久留米重役は、なんとおっしゃてます?」
「二人がそう言うアプローチをしているけれど、どうなっているのかと逆に聞かれたんだよ」
「社長の反応はどうなんですか?」
「社長はシステムには暗い。小物でも買うみたいに、その都度安いところから買えばいいという認識だから、『そんなに安くやれるならいいじゃないか』とおっしゃったらしい」
「それはまずいですね」
 ダンピングシステムとバリーは組んでいて、バリーはダインピングシステムから金を受け取っている。ダンピングシステムを採用すればその後システムの改造やら機能追加を受注できると彼らは踏んでいる。そして、そのとき彼らは最初に安く提供した元を取りに高い値段を付けてくるだろう。それを情報システム課長のバリーが「適正価格」と認めてどんどんやらせるという作戦だ。
 彼が受け取っている金はコンサルティング料ということだし、名目上は「公正にやっている」ということだが、やろうとしている中身は不正だ。
 僕も部長もなんとしてもこんな勝手なことは認めたくないと考えて入札制をとっているのだが、バリーはどう言いくるめたのか青柳常務を引っ張り出してまで、強引にダンピングシステムへ仕事を持っていこうとしているのだ。

 前回ダンピングシステムが仕事を取り損ねたプロジェクトはというと、バリーの再三の妨害にもめげずに順調に進み、そしてもうそろそろ完成を見ようとしている。
 バリーもすでに次の仕事に目を向けているためか、最近ではこのプロジェクトに対しての妨害工作は一切ない。
 もしも青柳常務が横車を押し、久留米重役がそれを認めれば、話はバリーの思う通りになるだろう。そして僕がいまじたばたしたところでどうかなる話でもない。
「あのプロジェクトの見事な舵取りで、久留米重役はおまえをかなり買っている」
 と、部長が言ってくれたし、以前重役もバリーの動きは気にしなくていいと言ってくれていた。
 今の僕としては、久留米重役と部長を信じているしかないのだろうと、考えていた。  

2003年1月6日 実録連載−バリー岡田の陰謀46。ヒラリーマン、担当をはずれる

 ホストコンピューターリプレイスの方針が決まり、重役、部長の指示をバリーが受けてから1ヶ月半が経った。
 その間バリーと青柳常務のふたりが勝手な行動に出ていたことは、部長の激怒で始めて知った。
 しかしそれからどうなったのかは僕のレベルではわからなかった。
 そして今日、やっとバリーからの指示があった。
「ダンピングシステムに仕事を依頼するつもりだ。久留米重役はいろいろ言ってきているが、青柳常務と社長で話がついているので、久留米重役もその線で納得されるはずだ。ダンピングシステムとの窓口は俺がやるので心配ない。それから、実務担当は坂田君に頼む。ヒラリーマンはこの件からは降りて、プロジェクトの仕上げに全力をあげてくれ」
 プロジェクトの妨害はもうする気がないらしいのはありがたいが、ホストコンピューターリプレイスの仕事からは僕ははずされるらしい。
 彼にしてみれば、ダンピングシステムとのやりとりを僕に妨害されたくないから当然だろう。
 部長が怒り狂ってバリー岡田に文句を言ったあと、僕の耳には色々なところから情報が入ってきた。
「バリーは青柳常務にべったりで、しょっちゅう夜のお供をしているらしい」
 これは交際費の伝票を扱っている経理課員からの情報なので間違いない。常務とバリー、そしてダンピングシステムの社長というケースが多いらしい。普段はダンピングの方がご馳走するのだろうが、たまにはこちらがもつこともあるのだろう。
「岡田課長は青柳常務におまえのことをぼろくそに言ってるらしいぞ。プロジェクトもどうにもならない状態だったのを、自分がフォローして何とかしてやっているというような話になっているらしいからな」
 そう教えてくれたのは、綾部副部長だった。彼は他部署の部長さんたちとの交流が盛んなので、その辺の情報に強い。
「常務派の部長はそのまま鵜呑みにして、おまえのことをダメ社員だと思ってる。真相はそうじゃないと言ってやったが、どこまで信じたかは疑わしいな。何しろおまえは上役に言いたいことを言いすぎるからなぁ」
 と冗談交じりに話してくれた。
 ダメ社員というのはそうはずれてもいないと思うが、あのプロジェクトについてはケチをつけられたくないと思った。
 今起こっている問題は僕のレベルをはるかに超えていた。社長まで巻き込んで話が進んでいるのであれば、僕の出る幕などとうていない。部長でさえ口を挟めない状況になっているのだから。
 青柳常務は若い頃、バリーと一緒に苦労をした仲だ。そのころの可愛い部下のイメージが青柳常務にはあるらしく、青柳常務はバリーを有能で可愛い部下であると評しているらしい。おそらく、ダンピングシステムとバリーとの関係は知らないだろうしうまく利用されているに違いない。
 しかし、そのことを正面からぶつけて「あいつは悪い奴なんです」と言ったら話が綺麗にまとまるほど大人の世界は単純ではないことは、久留米重役だって部長だって、そして僕ですらわかっていた。
 結局のところ、力関係からすれば利用された青柳常務が横車を押し、久留米重役がそれを飲むことになるのだろう。青柳常務が社長になったときの自分のポジションを久留米重役が考えたとしても、それを責めることは僕にはできない。
「まぁ、しょうがないよね」
「そうですね。なにがどうなっても、現場は現場で楽しくやりましょうよ」
 僕と鈴木SEはそんなあきらめ言葉を互いに吐いていたが、そうなれば現場も面白くなくなることはわかっていた。

 それから1週間後、僕は思いもかけず久留米重役のお誘いを受けた。
「たまにはいい店に連れて行ってやるよ」
 重役はそういうと、僕をしゃぶしゃぶ屋に案内してくれた。
「おまえ、たまに大同システムの連中を飲みに連れて行くだろ。ケチな店ばかり行ってないで、たまにはいい店にも連れて行けよな」
 そんなことを言っていたが、交際費は出してやるとは言わなかった。
 最近買った車のこと。ナビゲーターのこと。ペットの話。そんな他愛のない話が中心で、仕事の話は少ししかしなかった。
 僕からその話を出すのも野暮だと思ったので、僕も趣味の話などをしてすき焼きをつついていた。
「俺に任せろ」
 どうやら久留米重役はすき焼き大臣だったらしく、割り下の入れ方から肉の焼け具合までうんちくをたれて、肉を入れる役はすべて自分が引き受けて、僕は食べる一方だった。
 終始そんな調子で楽しくやっていたのだが、久留米重役が帰りしなにこんなことを言った。
「会社がなくなったら、俺は多分なにもできないな。サラリーマンしかやったことがないんだから、やっぱりサラリーマンしかできない。商売なんてとてもできないよ。しかし、サラリーマンとしてはここまできたのだから満足だ。これ以上望んでるわけでもない。だから、言いたいことを言って思った通りにやって、それで『クビだ』と言われたらそれはそれでいいと思う。とりあえず来るところまではきたんだからね」
 僕はその話を黙って聞いていた。
 意見も言わなかったし、質問もしなかった。
 ただ僕は勝手に、「俺は自分の保身は考えずに戦うから任せろ」と解釈した。
 そして僕は心の中だけで重役にこう言った。
「ご自分の保身を考えずに行動してくれる上司はありがたいものですが、そういう上司こそ、上司の身分にとどまっていただかないといけません。程々に願います」
 矛盾した要求だから、とても口には出せなかった。

 その翌週、大同システムの三田村取締役からお誘いを受けた。
「昔話でもしましょうよ」
 と言われたが、知り合った昔は課長でも今は大企業の重役。その重役さんが取引先とはいえ単なる平社員の担当者に会いに来るのは普通ではない状況だと感じた。
 場所は東京駅近くの料理屋だった。外から見ると大衆居酒屋のように感じられるが、中にはいるとそこは決して安くない店だとすぐに感じ取れる雰囲気を持っている。
 特に高価な調度品があるというわけでもないが、店の人も作りもなんとなくそう感じさせるのである。
 店にはいるとカウンターがあるが、そこはせいぜい15人が限度。そのほかには和室の個室だけという作りになっている。
「今日はゆっくり食べて飲みましょう。くつろいでください」
 こっちが客だとはいえ、目上の人に接待されるのは恐縮してしまってどうにも居心地が悪い。こう言うときにはわがまま放題に2次会の店まで指定して大騒ぎするバリーがある意味うらやましい気がした。
「ヒラリーマンさんも色々と大変ですねぇ」
 誘い文句の通り昔話から始まった話を、ついに三田村重役が方向転換させた。
「何のことですか?」
 これにはちょっと警戒せざるを得なかった。
「いえいえ、何というわけでもないですが、昔のように簡単に話が進みませんからねぇ」
 大同システムとは長いつきあいだ。そのつき合いを始めたのがこの三田村さんだった。そして両社は信頼関係を築き、今までうまくやってきた。
 もちろんそのころでも入札はあったが、今の状況は単なる価格競争ではないことを彼も知っているのだろう。
「いろいろと余計なご苦労をされてるみたいですねぇ。なにか当社がお役に立てることがあれば、いつでも言ってください」
 こんな風に言われれば、「実はまいっちゃってるんですよ」と愚痴もこぼしたくなるのだが、こういう場でベラベラと社内の問題を漏らすのはみっともない。もっとも彼はそれを狙っていたのだろうけれど。
 世間話をしながらも、たまにこんな風に三田村さんは探りを入れてくるのだが、僕は最後まで話に乗らないように我慢した。そして三田村重役は最後にこう言った。
「御社との関係は私が作りました。だから、それが壊れないように何とかしたいと思ってます」
 久留米重役と話をしたければ、そのチャンネルがないわけではない。
 多分彼は、バリー岡田が大同システムとの関係をどうしようと考えてるのかを僕から聞き出したくて、僕を誘ったのだろう。
 しかし、僕はすでにホストコンピューターリプレイスの仕事からははずされている。バリーにそれを通告された直後、すぐに部長にそのことを話した。部長はカンカンに怒って久留米重役に言いつけたが、重役は「しばらく放っておけ」と言っただけだった。
 これを「俺が何とかするかしばらく任せろ」と解釈していいのかどうかはわからない。そうあって欲しいような気もするし、どっちでもいいような気もする。
 三田村重役からのお誘いで、僕は会社の政治的なもめ事に足をつっこんだような気がした。
 質のいい仕事をすればいい。同じものなら安く買えばいい。成績をもっと上げよう。そんな単純なことだけを考えていればいい平社員の仕事とはちょっと違うものを感じた。
「やっぱり、平社員がいいね」
 と、僕は改めて思った。結局僕はこうしたいざこざがめんどくさくなってしまったのかも知れない。

 しかし、悪いことばかりではなかった。
 あれだけもめて、あれだけバリーに妨害されてすったもんだしたあのプロジェクトがついに完成したのだ。
 バリーは次のホストコンピューターリプレイスに全力投球しているせいか、こっちについては全くちょっかいを出していなかった。
 ちょっと前ならほんの少しのトラブルでも見逃さずに大騒ぎしていたのだが、最近は全く関心を示さなくなっていた。
 プロジェクトの完成は大同システムとの合同会議による報告会で発表された。
 そしてそのあと、関係部署の部長も招いて、完成を祝う小さな宴会も催された。
「おまえ、結構やるんだな。一緒に仕事してみないとわからないもんだ」
 そんなことを言ってくれた部長もいた。でも、そんなちょっとした一言で達成感を味わうことができたように思う。

 あれからさらに半月が経ったが、ホストコンピューターリプレイスについてはバリーが宣言した通りにダンピングシステムが受注したという話も聞かないし、大同システムが完全に降りたという話も聞かない。どうやらその前段階の予算の関係で審議がなされているらしい。
 予算が通れば話はすぐに再開されるだろう。
 青柳常務と久留米重役がどんな話をしているのかも不明だし、それについての情報は最近全く入らなくなっていた。
 ただ僕の耳に入ってきた情報は二つの人事情報だけだった。
 そして僕はその内容に愕然とした。  

2003年1月7日 実録連載−バリー岡田の陰謀47。左遷人事

 人事異動の情報というのは一応は極秘になっている。実際に発表されるまでは全くわからないと言うのが原則だ。ところが実際には、発表前に人事異動下馬評が作成されていて、その的中率は90%を越える。
「今度あいつはあそこに行くらしいぞ」
「○○部の○○が昇格するらしい」
 こんな情報は漏れたところで実際には害はない。サラリーマンたちの密かな楽しみになるくらいで、取り立てて問題はないのだ。
 しかし、こうした情報にもたけた人と疎い人がいる。僕は疎い方で、自分の人事情報ですらあまり知らないでいるくらいだ。
 得意な人になると誰がどこに行くのかすべてが一目でわかる図まで作成している。
「こいつがあそこに行って、それをこいつが埋める。こいつで埋まるのかなぁ、ここ。まぁ、それだけのことしか前任者がやってなかったってことかな」
 なんて批評までする人がいるくらいだ。
 誰が出た穴を誰が埋めるのか。これを気にする人は実は意外と多い。例えば自分のあとにボンクラがきたりすると、「俺のやってたことはあんな奴でも埋められるという評価なのか・・・・・・」とがっかりするし、優秀な奴が来れば「やっぱり俺は高い評価だったんだ」と喜んだりもする。
 後輩の矢田君の場合は悲惨だった。彼は経理課から来たのだが、彼の後任は人間ではなかった。
 人事異動のあと、矢田君の席があった場所を埋めたのは、大きな葉っぱの観葉植物の鉢植えだった。
 さぞかし本人はがっかりしているだろうと思ったら、本人はいたって元気だった。
「やっぱり僕ほど周りの人に癒しを与えるとなれば、あれしかなかったんでしょうね」
 と、脳天気なことを言ってニコニコしていた。神経質な人なら胃潰瘍になったかも知れない。
 僕に人事情報を教えてくれたのは労働組合の幹部で、昔から情報通で有名な戸田さんだった。
「異動の話、知ってる?」
「いいえ。だれのです?」
「誰のって・・・・・・君のだよ」
 これを聞いただけで、僕の脳裏にバリーの顔が浮かんだ。
「お宅の岡田課長が要請してるらしいぜ。君が自分で希望したのかい?」
 バリーが僕を異動させる。これはありうることだとは思っていた。
 人事異動を人事部に申し入れるのは部長の仕事だ。バリーが僕を出したいのなら部長に要望して、部長から人事に言うのが本来の筋だ。
 しかし、非公式にならどんなことだってできる。例えば人事部長に非公式に要請して、人事部案として異動案を出させる手もあるからだ。人事部は常日頃から滞留年数などを考慮して人事異動案を独自に作成している。他部署からの要請があれば検討してその案にくわえるというやり方だから、一般部署の部長からの要求で異動する方が少ないくらいなのだ。
 非公式な話とは言え、人事部長もそんな話を聞けば部長に確認するのが普通だが、今のバリーには常務がついている。
「常務も了解済み」とでも言っておけば、人事部長は情報システム部長に確認をとることはないかも知れない。
「今異動を申し出るのは薦められないなぁ」
 と、戸田さんが言った。
「なんでですか?」
「だって君、もしかしたらもうすぐ管理職になれる可能性もあるじゃないか。今異動したら専門外だから、それも先になっちゃうぜ」
 それがバリーの狙いでもあるのだろう。
「いやー、僕が課長補佐を飛び越して課長代理ですか? そんなのないですよ、あはは」
 と、一応謙遜してみると・・・・・・
「ないだろうなぁ、ははは」
 なんだこの野郎!
「可能性だからさ、あくまでも。1%とゼロは違うぜ」
 ああ、そうですか。自分だって万年ヒラのくせに!
「ところで、どこに異動なんですか、僕は?」
「物流センターらしいぞ」
 物流センターは土日だろうが正月だろうが当番制で出勤しなくちゃならない不人気ポジションだ。
「ほんとですか?」
「それも岡田課長の要請らしいぞ。詳しくは知らないけどな」
 いかにも彼のやりそうなことだ。ちょっとショックではあるけれど給料がもらえなくなるわけでもないし、バリーと顔をつきあわせなくていいと考えれば気も楽だ。
「それからもう一つ異動の情報があるんだが」
「へー。なんですか?」
 と気軽に聞いてみたものの、これが驚くべき人事情報だった。
「君を異動したがってる岡田課長だけどさ、その本人は次長に昇格するらしいぜ」
「え、課長が次長に?」
「ああ。それも次期情報システム部長をにらんでの昇格らしい」
 これには唖然とした。
 前にも説明したけれど、次長には二種類ある。つまり、部長になるための次長と、そこで終わりの次長だ。同じ次長でも周りの態度がまるで違ってくる。
「すると、うちの吉田部長は?」
「さぁ。そろそろ窓際かもね」
 やられたな、と僕は思った。バリーの奴が常務をうまく使ったに違いない。次長、部長の人事は役員会で決まることだ。もちろん素案作りにも役員が入ってくる。
 バリーが部長と僕を追い払いたいと考えて常務にあれこれ入れ知恵をして動かせば、不可能じゃない。バカだバカだと思っていたバリーだが、それはちょっと甘く見すぎていたらしい。いくら常務の力だと言ってもその人をうまく動かしてしまうだけのテクニックを持っていたと言うことになるのだから。
 そのことに気がつかずにいたのだから、「やられたな」と思うしかなかった。
「でもまだ素案段階だから、どう動くかはわからないよ」
 そう戸田さんは付け加えたが、彼の耳にまで入ってくるというと、かなりの段階まで進んでいる話なのだろう。
 しかしそのことは久留米重役だって知らないはずはない。自分の部下の人事なんだから、彼が承諾しない限りは動くわけがない。それなのに僕の異動、部長の左遷、バリーの昇格の3つが成立するのだとしたら、久留米重役が完全に青柳常務の言いなりになることに決めたと言うことになるのではないだろうか。
 久留米取締役に聞いてみようか。そう思ったが、やめた。久留米重役がそう決断しているのなら僕が今更何を言っても変わらないだろう。最後にじたばたすれば、バリーが喜ぶだけだからだ。
 平社員の僕にとって、人事はそれほど興味のある問題ではなかった。しかしこうなってみるとそうも言えなくなってくる。
 そしてその「人事異動」こそがその後、バリーとの戦いの決着を決定づけることになるのだ。  

2003年1月8日 実録連載−バリー岡田の陰謀48。バリーがパワーアップ

 人事情報が流れてから、バリーの態度がさらに大きくなったように感じる。気のせいかと思ってもみたが、他部署の人とのやりとりをみていると、そうとも思えない節があった。
「岡田課長。どうも私のパソコン調子が悪いんですけど〜」
 女子社員が脳味噌空っぽの声を出して言ってくるこんな苦情にも上辺だけはニコニコ答えて見せかけ、親切なバリーだったのに、最近では「俺に直接言うなよ。課長に要請する話じゃないだろ、そんなこと」とはねつける場面が幾度となくあった。
 人事情報をつかんでいるのは僕の他にも多いらしく、バリーが次期部長だと気づいた課長代理クラスの中にはあからさまにすり寄る者すら出てきた。
 そう言う空気を察知すれば、態度がでかくなるのが人間と言うものだろう。最近では、バリーは部長に対してあからさまにぞんざいな態度をとるようになっていた。
 その後、僕は何度となく久留米重役と顔を合わせることはあったが、特に人事の件について触れなかった。かといって、ホストコンピューターリプレースの話をつつくのも気が引ける。
 重役も苦しい立場におかれている可能性がある。話す気があるならあちらから話してくれるだろう。
 しかし、仕事上の提案は別だ。これはいくらしても悪いことはない。僕が完全に担当からはずれたとは重役も言っていないし、今はその結論待ちだと自分では思っている。だから僕はホストコンピューターリプレースについての実行案を鈴木SEと共に仕上げていった。
 そんな作業を鈴木SEとしているときに、鈴木SEが迷ったようなそぶりで、僕に話しかけてきた。
「なに? 何か言いたいことがありそうだね」
「実はですね、先日重役に呼ばれたんです」
「重役って、うちの久留米重役?」
「はい。僕はここの社員じゃないので、重役室に呼ばれるのは初めてだったんでビビリました」
 鈴木SEは派遣できているので、直接久留米重役がなにかを要望することはあり得なかった。
「それで、どんな要件?」
 鈴木SEは言いだしたものの、なかなか話せないようだった。少し間をおいてから口を開いた。
「あのぅ。実は重役に口止めされてます」
「でも喋るんでしょ。どうぞ」
「じゃ、言わないです」
 またしばらく口を閉ざした。
 鈴木SEは別にひねたわけじゃない。本当に迷っているのだろう。こう言うときは無理に聞かない方がいい。
「あ、そう。じゃ、いいよ」
 するとまたしばらく考えて、
「あのですね」
「なあに?」
「重役に、『最近君は岡田課長と飲みに行ったりしてるか?』と聞かれました」
 これはまた意外な質問だ。
「飲みに行ってるの?」
「行ってませんよ。ヒラリーマンさんも疑ってるんですか?」
「『も』ってなにさ。『疑う』ってなにさ」
「だって、今や青柳・岡田連合対久留米・吉田連合って感じじゃないですか。そんな中で僕が岡田課長側だと思われたのかと思って・・・・・・」
 吉田というのは部長のことだ。
「重役さんも、俺と岡田課長が裏で仲良くしてると言う風に疑ってるんだと思うんです」
「仲いいの?」
「良くないですってば!」
 ムキになってる。
「じゃ、いいじゃない」
「良くないですよ。心外です!」
「で、なんて返事したの?」
「ぜんぜん行ってませんって、ちゃんと答えました」
「重役は何か言った?」
「具体的に日付をおっしゃいました。この日に飲みに行かなかったかと」
「その日に飲んだんだ?」
「だから、飲んでませんてば! だいたいその日は僕、休みだったし」
 なんだかわからなかったが、話はそれだけだったという。別に大したことではないのだろうけれど、派遣という身分の鈴木SEにとっては気になるのだろう。
 しばらく二人はまた黙々と資料づくりをしていたが、また鈴木SEがしゃべり始めた。
「あのー」
「なに?」
「異動の話、本当ですか?」
「だれの?」
 わかってはいるけど、ついついこう聞いてしまう。僕は今の仕事が好きだし、バリーにいいようにされるのは腹立たしいから、異動したくないのは本音だ。そんな気持が自然に出てしまうのかも知れない。
「ヒラリーマンさんのです」
「さあね。噂だからね」
 人事異動の決定まであと一月弱。違う噂はでないものかとついつい考えてしまう。
「ところでヒラリーマンさん」
「なあに?」
「先日岡田課長から質問されたんですが」
「なにを?」
「うちのe-mailはシステム運用課でも見られないんだよな、って」
「うちは検閲してないからね。だからこそ飲み会メールがバンバン来るわけだ」
「なんでそんなこと聞くんですかね?」
「なんでだろうね。メールで不倫でもしてるのかな。あるいは出会い系とか」
「そりゃ、スキャンダルですねー。でも岡田課長は無理ですよ」
「なんで?」
「ハゲですもん。ハゲは女にもてません!」
 小声で話しているつもりなのだが、20メートル以上も離れて座っていた他の課のハゲおやじが二人、瞬時に振り返った。
 悪口は良く聞こえるというのはどうやら本当らしい。僕らはさらに声を潜めた。
「だけど、ハゲは精力があるっていうよね」
「でもそれは、それを試す状況にならないとわからないじゃないですか。そこまで女性と仲良くなる前に、『ハゲ』っていう壁があるわけですからね」
 またさっきの二人が顔を上げた。しかし良く聞こえるもんだ。
「そう言うもんかねぇ?」
「ええ、ハゲって、かなりハンディーだと思いますよ。若ハゲなんて最悪です」
 なぜか、30才で頭黒々の大貫君が顔を上げてこちらを見た。僕はトーンを落として言った。
「なんであいつが反応するんだよ」
「知らなかったんすか、ヒラリーマンさん。大貫さん、ヅラです」
 鈴木SEがそう言って大貫君に向けてにっこり笑うと、大貫君はまた目線を書類に戻した。
「それにしてもあやしいなぁ、岡田課長」
「んじゃ、バリーのメールでもチェックしてみたら?」
「おお、007みたいですね」
「古いねぇ、鈴木さん・・・・・・」
 こんなつまらない冗談で二人は声を殺してクックックと笑った。
 少なくても、僕は「冗談のつもり」だった。  

2003年1月9日 実録連載−バリー岡田の陰謀49。効き過ぎる特効薬

 役員会が開催された。この役員会で予算が確定すると、その後ホストコンピューターリプレースの稟請(りんせい)に移ることになる。
 稟請というのは、どういう目的でいくらお金を使って、いつまでに、どの業者を使って、どんなことをするのか、ということを稟議書(りんぎしょ)という書類にして申請することを言う。
 設備投資をする際には、課長が稟議書を作って承認を得る必要がある。
 我が社の場合稟議書を発行するのは課長だが、最終的に誰が審議するのかは決裁者がだれなのかによる。300万円までは部長、5000万円までは担当取締役、それを越えるものは社長が決裁者で、社長決裁の案件だけが役員会での審議となる。
「何時に終わるんだっけ、役員会」
 バリーがニコニコして役員会の終わるのを楽しみに待っていた。
 役員会で予算が承認されたら、バリーはダンピングシステムを使ってホストコンピューターリプレイスの仕事に着手する稟請を行う段取りをつけているからだ。
 この仕事をダンピングシステムに持っていったら、バリーにはどんな得があるのだろう。おそらく金か、それともダンピングシステムでの地位か。いずれにしても私欲に走っていることは間違いない。
 久留米取締役がこれに対してどう出るのか、それは僕にはわからない。もしも保身を考えて次期社長の青柳常務と対することなくバリーの思惑に賛成するのなら話は簡単。そのときは何もかもがバリーの思った通りにことが運ぶ。
 しかし、もしも反対するとしたらどんな手があるのだろう。たぶん、真っ向から反対するのではなく、ダンピングシステム起用の正当性について一石を投じる程度になるのだろう。「業者選択については入札にすべき」という正論なら、他の役員の支持を取り付けられるかも知れない。
 でも、久留米取締役も所詮はサラリーマン。年俸2500万円を棒に振る危険を冒すかどうかは微妙だ。
 正直なところ、僕に勝算はほとんどない。
「正義は勝つ!」
 鈴木SEは呑気なことを言っているけれど、世の中はそんなに単純じゃない。
「荷物をまとめておいた方がいいんじゃないっすか、ヒラリーマンさん?」
「ちょっと・・・・・・正義は勝つんじゃなかったの、鈴木さん?」
「いえいえ、岡田課長の荷物ですよ」
 呑気だなぁ。そんな神風なんて吹くものか!
 僕はそう思ったのだが、神風とは行かないまでも、弱風が吹いた。
「審議はストップだ」
 と、役員会の結果を聞いてきた部長が言った。
「なんでですか?」
「それがね、村山取締役がコンピューターリプレイスについての審議延期を申し出たそうだ」
「だれですかそれ?」
「おい、ヒラリーマン。おめーは当社の重役もすらねーのか!」
 標準語を話していても、ちょっとした拍子で部長の言葉は方言に変わる。
「いましたっけ、村山さんなんて?」
「まぁ、無理もねーか。村山取締役は非常勤だからな」
「あ、親会社の?」
「そだ。親会社の代表だよ」
 株式の50%以上を保有しているわけじゃないので正確には親会社とは言えないが、M社は当社の筆頭株主で当社に対して大きな影響力を持っている。M社からは当社に非常勤取締役が1人出ていて、社長も含めて我が社の役員たちの人事権は事実上M社が握っていた。
「でも、どうして審議延期なんですか?」
「それがよくわからないんだ」
 理由もなく審議が延期になるわけがない。いったい何があったのだろう。
 部長の話を聞くと、バリーは険しい顔をして部屋を出ていった。おそらく青柳常務の部屋に行ったのだろう。
「ったく、ふざけんじゃなねーよ。いったい何なんだ」
 部屋を出ていくとき、そんな小声だけが彼の口から漏れていた。

 その後久留米取締役に聞いた話では、M社が延期を要請した理由ははっきりしないとのことだった。
「どうしてダメなんですかねぇ?」
 常務の部屋から戻ってきたバリーに坂田君がそう聞くと、バリーは頭をブルブルと横に振った。これは彼の癖だが、いつ見ても気味が悪い。
「わからない。M社が何を考えているのか、常務にもわからないそうだ。いったい何がいけないのかも言わない。理由がないのに審議ストップだなんて、変な会社だ!」
 しかし僕にはその理由が見えていた。
 実はM社はアメリカに本社がある100%外資だが、いままで日本法人は一つの会社としてやってきた。ところがアメリカ本社は最近になって世界中にある子会社をすべて本社コントロールにするという方針に変えてきたのだ。
 そのときから、日本法人にはほとんど判断権限がなくなった。アメリカ本社が決めたことにしたがって行動できるだけなのである。
 先日、M社に出した商品の注文情報がM社のコンピューターに届かないと言うトラブルがあった。このとき僕はM社のシステム担当に、「通信ができないのなら、FAXのオーダーで受けてください」と申し出たが、これがダメだというのだ。その担当者の言い分がまたすごかった。
「私はシステム担当です。FAXのオーダー云々はシステムの担当じゃないので、私にはFAXオーダーを受けるという判断をする権限がない」
 コンピューターがダメなら他の手段で切り抜けるしかないのに、権限を持ち出して動こうとはしない。
「それでは、その判断権限のある部署に伝えてくださいよ」
 僕がそう言うと、返事はこうだった。
「他部署の仕事に対して口を挟む権限はないんです。そういうことができないんですよ」
「それなら、どうすればいいんですか?」
「済みませんが、当社の受注センターに上の判断を仰ぐように言ってください。私には言う権限がないので」
 言い争っている時間もなかったので、僕は自社の物流センターにそれを連絡した。物流センターはM社の受注センターにそう告げたが、その返答はこうだったそうだ。
「マニュアルで認められていないことについての許可を上に要請することはできません」
 おまえらはロボットか、と言いたくなった。まるで、条件に当てはまらないデータが入ってきて動かなくなったできの悪いプログラムみたいな状態なのだ。
 そんな体験をしていた僕だから、今回の件についてはこう考えた。
「子会社がコンピューターを買う場合、どう指導するかはマニュアルで決まっている。しかし、50%を越える株式をもってはいないがある程度の株式をもっていて影響力のある出資先がコンピューターを導入するケースについてはマニュアルにない。したがってYESもNOも言えないので、審議を延期した」
 しかし、理由はどうでも良かった。今バリーの陰謀を止める手だてをもっているわけではないのだが、しばらくその進行が止まるだけで意味があるような気がした。どうせ治らないガンの進行を少し遅らせるだけの抗ガン剤のように。

 しかしそれから2週間後、鈴木SEが抗ガン剤ではなく、特効薬をもってきた。
「ヒラリーマンさん。掴みましたよ、しっぽを」
「しっぽ?」
「岡田課長のしっぽです。あれから岡田課長のメールをチェックしてたんですが、やっと捕まえました」
「なんだって。だってうちじゃメールの発信をチェックすることはできなんでしょ?」
「はい、発信はダメです。でも受信は自動転送が可能です。携帯電話用の転送システムを使えば」
 会社に来たメールを携帯メールで見られるようにするため、携帯メールを使っている人から要請があれば、携帯にも同様の内容を転送するシステムが我が社にはあった。
 鈴木SEはバリー岡田宛のメールを自分のメールアドレスに転送させていたのだ。
「いつの間にそんなことを?」
「この間ヒラリーマンさんがチェックしろと言ったでしょ。僕はその指示に従ったまでです。それに、他社の判例でも仕事上のメールを不正防止のために検閲することはプライバシーの侵害に当たらないとされています」
「でもあれは冗談で・・・・・・」
 しかし、冗談でもなんでもいい。バリーのしっぽがなんなのか、今はそれが問題だ。
「で、内容は?」
「ダンピングシステムに対して不正に情報を流して取りはからってる内容がバッチリです」
「でも、それはダンピングから来たメールなんでしょ。バリーが出したないようなないんでしょ?」
「大丈夫です。メールを出すときに相手の出したメールを履歴としてまるまるくっつけたまま返事をだす人っているでしょ。ダンピングシステムの社長がまさにそれですよ。岡田課長が出したメールの内容がそのままついてますから、双方のやりとりが丸見えです」
 鈴木SEから見せてもらったメールの内容は、完全なるバリーの背任行為を証拠づけていた。安い価格でダンピングシステムが請け負い、その後架空の小改訂作業で不足分を補っていく等の密約が堂々と書かれていた。
 確かにしっぽは掴んだ。しかしこれをどう使うかが問題だ。このままこれをだせばバリーはおそらく懲戒免職。そうなれば彼は長年積み上げてきた退職金をも失うことになる。
 そこまではしたいとは思わない。
 特効薬にしてもちょっと強烈すぎるなと、僕はこの証拠をもてあますのであった。  

2003年1月10日 実録連載−バリー岡田の陰謀50。効き過ぎる特効薬2

 特効薬を手に入れても、意外と簡単には使えないものだ。
 トランプをやっていて、最強のカードを手に入れたときに「いつ使うのが有効なんだろう」と出すタイミングに迷ってしまうのと同じだ。負けた相手が手札をさらけ出してみると、そこに最強のカードが残っているなんて言うことは、よくあることだ。
「誰に言えばいいんだろうね、鈴木さん?」
「やっぱり、部長じゃないですか?」
 僕らはバリーの不正に関わる証拠を誰に話したらいいのか迷っていた。
「でも、部長に言うとなぁ・・・・・・」
 部長は相当バリーに頭に来ている。自分をバカにし、自分の椅子まで奪おうとしているのだから当然だ。
 もしも部長に言ったら徹底的にバリーを叩いてしまうかも知れない。腹の立つ相手だが、どうもそれは気が進まなかった。
「重役はどうでしょう?」
 やっぱりそれだろうか。久留米重役だったらこの証拠を上手に常務に突きつけることができる。
「青柳常務。岡田課長は不正をしています。常務にお怪我が及ばないように対処されるのがよろしいかと思います。そうしていただければ私はこの件、失念いたしますので、あとは常務にお任せいたします」
 とかなんとか言えば、久留米重役は常務に恩を売ることになる。なにしろ引き立てていた子分が自分の権威を利用して不正をしていたのだから、公になれば常務にも害が及びかねない。
 そして常務はバリーに引導を渡すだろう。
「やってくれたな岡田君。このことが公になれば君は懲戒免職だ。退職金もなしで放り出されるぞ。しかし、助けてやれないでもない。それにはダンピングシステムと縁を切ることだ。もちろん君は次の異動で他に行ってもらうし、次長への昇格もなしだ。だが、クビよりはましだろ。自分がまいた種だ。あきらめろ」
 くらいのセリフは吐くだろう。
 そんなことを考えているとついついニンマリしてしまう。
「何笑ってるんですか、気味悪いなぁ。それで、どうするんですか?」
「やっぱり、久留米重役だね」
 僕と鈴木SEはそう結論した。しかし、その話だけをしに行くのはどうにも切り出しにくいものがあった。
 僕は鈴木SEと相談の結果、今回のM社の問題について意見を述べに行くというのを表向きの理由として、重役に時間をとっていただくことにした。
 久留米重役と部長はM社が審議延期を要請していたことについて、「投資金額の問題か? それともオープン化システムじゃないことに問題があるのか?」などとストップがかかった理由を探していたのだが、僕と鈴木SEはそうではないと考えていた。
 鈴木SEが嫌がるので、久留米重役の部屋には僕1人が訪ねた。
「今回M社がストップをかけたのは内容の問題ではいと思います」
 僕は久留米重役にそうきり出した。
「どこが問題なのかと尋ねても、M社はまったく理由を言わない。『検討させて欲しい』の一点張りで、なにがネックなのかわからないから、対応のしようがない。しかし、君には見当がついているのか?」
「はい。M社は今マニュアル通りじゃないと動けない状態になっています。アメリカ本社の対応でそうなっていることはご存じの通りです。その規則からどのくらい脱線しても問題ないかという加減がわからないために、ものの見事にマニュアル通りやってます」
 僕は自分の経験をもとに、M社がいまどんな状況なのかを具体的に説明した。
「実際にそんな状態なのか。そう言えば自分たちでも『今は役所よりひどい状況だ』と言っていたよ」
 制度が移行すればしばらくは円滑に動かないものだ。
「そこです。多分彼らには、当社が新しいホストを買いたいと言い出したときにどういう意見を言えるのかというマニュアルがないのだと思います。子会社に対しては統一したシステムを導入させていますが」
「確かに子会社政策は決まっているようだが、うちには当てはまらないからな」
「そうなんです。ですからM社に対しては『なぜストップしたのか』について説明を求めるのではなく、時間的にいつまで決断をのばすことが可能か、最大限結論を延ばすとコストがいくら増えるのかを通知することが有効だと思います。開発期間が短くなると今提案しているのとは違う方法での導入となりまして、コストが5000万円ばかり増えるんです」
「なるほど。それで、その通知によってどんな効果を狙っているんだい?」
「彼らは何事も自分の責任になることを恐れています。マニュアルに従がわなかったことによって何かが起こればそれが自分の責任になるからです。そして今、この件の審議をする判断基準がないために彼らは我々にストップをかけました。承認することにも反対することにも責任を負えないけれど、ストップをかけることは安全だからそうしたのでしょう」
「なるほど。何もしない方が安全という状況だね」
「そうです。しかし、我々が『ストップすると損害が発生します』と彼らに伝えたらどうでしょう。状況は変わります。承認するかしないかよりも、ストップをかけることがもっとも責任を問われることに変わってしまうんです」
「なるほど」
「そうすればストップはできないから、承認するかしないかのいずれかをすぐに結論しなくてはいけなくなる。ところが、承認しないと我々から『ではどうすればいいんですか?』と質問されることになりますが、彼らにその答えはありません」
「確かに答えられないだろうね」
「ならば、承認するしか方法はなくなります。承認がもっとも責任を負うリスクが少ない選択となるからです」
「なるほど論理的な意見だが、そううまくいくかな?」
 僕も半信半疑で言っていたのだが、この考えは図星だった。すぐに資料をまとめ、翌日このことを久留米重役からM社に伝えていただいたら、返事が来るまで半日かからなかった。
「当社で検討した結果、御社における新ホスト導入は問題なしという結論に達しました」
 そう返事が来たが何をどう検討したのかはまるで伝えてこなかった。
 もちろん、バリーが不正を働いていることについても僕は久留米重役に報告した。久留米重役はしばらく腕組みをして考えてから、この件は誰にも言わないようにとだけ僕に言った。
 止まっていた懸案は動き出したし、バリーの問題もこれで片づいた。
 あれだけの内容を久留米重役に預けたのだから、バリーがこのままダンピングシステムを持ち出すことはないだろうし、常務が首をつっこむこともないはずだ。
 おそらくすぐにバリーが担当からはずれ、前回のプロジェクトのように僕に仕事が回ってくるだろう。正直言ってあまり仕事はしたくないけれど、バリーの陰謀でかき回されるよりはずっとましだ。
 案の定、僕が久留米重役に呼び出されて親会社から承認された話を聞かされた直後に、バリー岡田も重役室に呼ばれた。
 これですべてがうまく行ったと、僕は思っていた。
「やっとこれで再開できるな。しかいまいったよ。こんなことで待たされて、ダンピングシステムにも気の毒だよな」
 と、重役室から戻ったバリーがご機嫌な顔で大声を出すまでは。  

2003年1月14日 実録連載−バリー岡田の陰謀51。かいま見た人間模様

 バリーは懲戒免職はもちろん、担当からはずれることもなかった。相変わらずダンピングシステムと仕事をするつもりで精力的に動いている。
「どういうことでしょうね、ヒラリーマンさん?」
 鈴木SEにそう訊かれても、僕の頭の中は疑問符で一杯で、明確な答えなど出せるはずもなかった。しかし、ゆっくり考えてみれば、想像はつく。
「これってもしかして、そういうことでしょうか?」
 鈴木SEも僕と同じ考えが頭をよぎったらしい。
「久留米重役が握りつぶしたってこと?」
「そう言うことじゃないですか、つまりは。他に考えられません」
 なぜ久留米重役が握りつぶしたのか。そんなことは考える必要もなかった。要するに「サラリーマンだから」である。
 もうすぐ社長になろうとしている青柳常務との間に波風を立てたくない。久留米重役だって正義や僕らのために働いているわけじゃない。突き詰めて言えば自分と家族のためだろう。
 今クビになって閑職にでもなったら、億単位の損害になる。僕が久留米重役の立場だったとしても、それを考えないはずはないと僕は思った。
「仕方ないかも知れないね」
「そうですよね。実際のところ部下に壊滅的な打撃はないのだから」
 そうなのだ。
 久留米重役から見れば、自分がクビをかけて頑張って、いったい何を救うのかということになる。
 僕はバリーと対立しているが、バリーの思い通りになったとしても僕がクビになることはない。物流センターに配属になったとしてもそれはただの配置転換だ。またそこで一生懸命仕事をすればその後がないわけでもない。
 そのことを冷静に考えれば、久留米重役が僕らのために体を張ってくれることを期待する方がおかしかったのかも知れない。
 ただ、ダンピングシステムが入ってくれば、おそらく鈴木SEは契約解除になるだろう。いままで自分に従ってくれていた鈴木SEが今や反岡田であることはバリーも知っている。
 そして、鈴木SEがいなくなればそのポストにもダンピングシステムを入れることができるのだから、バリーは当然そうするだろう。
 鈴木SEが「僕らに・・・・・・」と言わずに「部下に・・・・・・」と言ったのはそう言う意味も含んでいるのだと僕は思った。
 僕は鈴木SEを引っ張り込んでしまったことを後悔していた。
 しかし、僕らの予想は大きく外れていた。久留米重役は僕らが期待した通り、青柳常務にぶつかってくれていたのだ。
 僕らは数日後、吉田部長からこのことを聞かされて始めて知った。
 久留米重役はバリーが不正をしていることも、その証拠のメールのやりとりがあったことも青柳常務に伝えたらしい。しかし、青柳常務は取り合わなかったという。
「袖の下をとったとかそう言うことなら話は別だが、多少便宜を図ってうまく業者を使うという場面だってなくはないだろ。それを不正と決めつけるのはどうかな。従業員1人の将来がかかったような話で、そういう不確実なことを重役が口にしてはこれはいかんよ」
 というのが青柳常務の返事だったそうだ。
 とんでもないタヌキだと思ったが、そうでなければ若くして重役になどなれなかっただろう。常務は47才で取締役になった人なのだ。
「それで、久留米重役はなんと言ったんですか?」
 と、僕は部長に聞いた。
「梨花に冠を正さずという言葉もあるから、疑いのもたれるようなことはしない方がいいので、今回は無理にダンピングシステムを押すようなことはしない方がよろしいのは、と常務に申し上げたそうだが、それも取り合ってもらえなかったようだ」
 僕は部長とこの件についてあれこれと意見を交換したが、最後に部長が言ったこんなことが印象的だった。
「権力って言うのは持てば使ってみたくなるものらしい。使ってみて、始めてそれが実感できるからだ。常務には、今は常務ではなく次期社長という権力を今もっている、という自信がある。そしてそれを確かめるために、多少無理なことを言ったりやったりしてみるのだろう。周りがそれに押されて、その無理が通れば、権力を実感できるわけだ。白いものを黒いと周りに言わせることができるのは、快感らしいぞ」
 青柳常務も以前は理論的な人で、筋の通ったことしかしなかった記憶がある。しかし、やはり権力を持つと人は誰でもそう言う風になるものなのだろうか。
 メールを検閲していたことはバリーには漏れなかったらしいが、部長の指示でメール転送は取りやめることなった。
「特効薬は効きませんでしたねぇ、ヒラリーマンさん」
 と、鈴木SEがさびしそうに言った。
「荷物、まとめた方がいいですよね」
 今度は我々の荷物の話だ。バリーの荷物の話よりも、よほど現実味がある意見だった。
 それからは、バリーが僕らに対してとる態度は冷ややかなものだった。当たり前と言えば当たり前だが、あまりにあからさまだった。
 僕はすべての担当からはずされて、全く暇になった。
 今まではやりもしなかった職場のアフター5飲み会が開催されたのだが、僕と鈴木SEには声がかからなかった。誘われても断ったとは思うが、あまり気分のいいものではない。
 業者の担当者が挨拶に来てみんなと名刺を交換することがあったが、僕とも名刺交換をしようとした業者の社員をバリーが「彼はいいから」と制止する場面すらあった。
 情けないもので、こうなると後輩の坂田君まで僕を無視するようになった。何かアドバイスをしても聞こえないふりをする。
「こういうときって、人格が見えますよねぇ」
 いつも明るい後輩の矢田君はそう言いながら今までと変わらずにつき合ってくれたが、僕は悲しい人間模様をかいま見たような気がした。  

2003年1月15日 実録連載−バリー岡田の陰謀52。バリーがいなくなる?

 サラリーマンで出世した人と出世できなかった人の差はどこにあるのだろうか。
 そんなことを改めて考えてしまった。
 大会社の重役にまでなった人はすごい人で、課長で終わった人は大した人物ではなかったと言えるのだろうか。
 それほど格差がなかったとしても、例えば重役までなった人と、社長、会長と歴任して雑誌にまで顔を載せた人との比較だとどうなのだろう。
 実のところ、僕は両者は能力によって差がついたのではないと思う。
 大会社の重役の地位にある人がこんなことを言ったのを聞いたことがある。
「課長までは実力。それ以上は政治力と運」
 課長までは実力があればなれる。逆に、実力がなければ課長にはなれない。そして、それ以上になるには政治力も持っていなくてはいけないし、運も大事というわけだ。
 ここでいう政治力とは社内での力関係である。
 自分の会社で重役になった人を見てみるとすぐにわかる。
 重役がそろそろ退任の年齢になりつつあると、こんな噂が流れる。
「次ぎに重役になるのは誰だろう。○○部長か××部長、あるいは△△部長だろうなぁ」
「いや、しかし××部長は営業の経験がないから、営業担当重役の後任にはならないだろう」
「あ、そうか。経理担当重役の後任なら間違えなく××部長だったのにな」
「でも、○○部長もどうかなぁ。彼はもう55だよ。去年なら良かったけど、今年は・・・・・・」
「あ、そうか。1期はいいけど2期目に60を越えるってのはまずいのか。ほんの一年のことで、人生変わっちゃうなぁ〜」
 と言うようなものだ。
 つまり、どんなポジションがいつ空くのかによって、誰が出世するのかに大きく影響するわけだ。簡単に言えばこれが「運」だ。
 さらに、好き嫌いや損得も影響する。
 ある会社で社長を誰にするかという問題が持ち上がった。現在いる取締役10人の中から誰かを社長にしようと言うところまでは決まった。さて、それでは誰にするか。
 この判断基準は単純に考えれば「もっとも優秀な人」と言うことになるが、実はそうとも限らない。この会社の場合、親会社に選ばれたS氏の登用理由は次のようなものだった。
「能力的にはなんと言ってもM氏だ。M氏は切れ者だ。だからこそ困る。彼が相手だとなかなか我々の思うようにならない。それに引き替えS氏は当社の言うなりになるだろうしそこそこうまくもやってくれるだろう」
 M氏とS氏は同期入社で、課長になったのも部長になったのも常にM氏が早かったし、重役になったのは4年も早い。だから当然次期社長はM氏だと思っていたのだが、実際には親会社にとって都合の良いS氏が社長になり、M氏は子会社の会長という閑職に追いやられた。
 上司が部下を選ぶときなんてもっと単純で、「あいつの方が好きだから」なんてことでチョイスしたりすることもそう珍しくはない。
 バリーは青柳常務という、今我が社では飛ぶ鳥を落とす勢いとも言える人の心を掴み、それを利用して突き進んでいる。
 家族や世間に堂々と言える手法ではないけれど、これもサラリーマンの力量と言えるのかも知れない。
「残念ながら、バリーにはかなわなかったと言うわけだね」
 僕と鈴木SEはもうすっかりやられた気分でこんなことを言っていた。
 久留米重役に呼び出されたのはそんなときだった。
 転属の話なら直属の上司であるバリーが嬉しそうに嫌味もまじえて僕に伝えるはずだ。だから、重役からの呼び出し理由に僕は何の心当たりもなかった。
 しかし、今上司から通告される何かは、僕にとって喜ばしい内容であるはずもない。
 僕は浮かない気分で重役室のドアをノックした。
 そして僕は久留米重役のにこやかな顔と、奇妙な質問に面食らうのであった。

「ヒラリーマン君。岡田課長がいなくなっても問題はないか?」
 僕はぽかんと口を開けたままになった。  

TABLE BORDER="0" WIDTH="80%"> 2003年1月16日 実録連載−バリー岡田の陰謀53。バリーは出世か失脚か?

 僕には重役が発した質問の意味がわからなかった。
 バリーは元上司であり、次期社長確実と言われている「飛ぶ鳥を落とす勢い」の青柳常務を完全に味方につけ、いまや彼自身が「飛ぶ鳥も落とす勢い」と言われそうなほど絶好調だ。
 課長代理止まりだと言われていたバリーが課長になったのも青柳常務の推薦だし、そして来月には次長、そしてすこし時間をおいて部長という地位が約束されつつある。
 そんなバリーが「いなくなる」とはどういう意味なのだろうか。
 僕の中に少し「期待」がわき出てきた。それはもちろんバリーの失脚だ。
 バリーが失脚したのだとしたら、という希望的な可能性について考えてみた。
 もしそうだとすると、それはどういうことなのだろう。
 あれこれ考えを巡らせてみたが、僕が考えることができたケースは一つだけだった。それは、青柳常務がバリーを切りにかかったということだ。
 自分が社長になると言うときに、バリーのようなこそくな部下が邪魔になり排除しようとして、バリーを見捨てた。そして、実行役を仰せつかった久留米重役が、僕にこんな質問をしている、ということだ。
 それと同時に、そんな期待などすぐに吹き飛ぶ現実を知らされるハメになるのだろうというあきらめの気持も持っていた。いや、こちらの方が可能性としては大きい。
 それは、バリーが青柳常務の力で出世して他部署に移るために情報システム部からはいなくなるというストーリーだ。
 そうだとしたら、いったいどこの部署に行くのだろう。
「彼は人事部次長になり、来年には人事部長だ」
 そんなショッキングなことが重役の口から飛び出すような気がした。
 青柳常務は人事部と総務部の担当役員でもあるのだから、青柳常務がバリーを引っ張るとしたらあり得る人事だ。人事部長、総務部長と言えばどちらも会社では重役候補となりうる高ポジションだ。
 あんな人物が、バリーが重役コースに乗るなんてことはいままで考えてもみなかったが、こうなると絶対なくはないという気がしてきた。
 青柳常務が社長になれば6年は社長の地位にいるだろう。その間にバリーを一生懸命引き上げるとするとバリーの地位が重役にまで到達する可能性もある。
 もちろん、バリーには重役になるような能力も人格も備わってはいない。簡単に言えばバリーは「クソ野郎」だ。しかしそれでもあり得ないことはないのがサラリーマン世界だ。
 社長が退任したときの自らの立場をあらかじめ考えておくことは不思議なことではない。相談役や顧問という地位につかせてもらい、そこそこ面倒をみてくれる重役を確保しておこうとするのは、サラリーマン社長では珍しくない。
 そのためには、「俺がいなければ絶対に重役になどなれなかった」と相手が絶対に理解する人物をわざと引き上げることすらある。それはつまり、「実力ではとても重役には及ばない人物」ということだ。
 これが、実力もないのに重役にまで上り詰めた人が存在する一つの理由だ。そういう意味で、バリーが今後大変な出世をする可能性はある。
 バリーの失脚、あるいは出世。どちらなのだろう。
 僕はそんなことをほんの数秒の間に頭の中でかき回していたが、その結果「質問してみよう」という当たり前の結論に達した。
「久留米重役。それはいったいどういう意味でしょうか?」
「そのまんまだ。情報システム課の業務として、岡田課長はなくてはならないか、それともいなくても大丈夫か、と聞いているだけだ」
 これだけでは僕の疑問は晴れなかった。僕は少しの間考えてから答えた。
「どちらでもありません」
 すると久留米重役は期待した通りにつっこんでくれた。
「じゃ、なんだ?」
 今度は即答した。
「いては困る人物です」
 久留米重役の口から笑いが漏れた。
「いったい何が起きているのでしょうか? 岡田課長はいまどういう立場に立っているのでしょうか?」
 と聞きたい気持を僕は抑えた。
「すみませんがご質問の意味をかみ砕いていただけませんか?」
 僕がそういうと、久留米重役は僕に椅子をすすめて、自分も座った。
「それなら言い方を変えよう。課長を交代させたいと思うが業務上問題はないか?」
 久留米重役はあくまでもバリーが情報システムからいなくなることだけを伝え、今後の彼の処遇については言わないつもりらしい。
 相手がそう言う態度であれば、とりあえずこの場は、彼がいなくなることで業務的にどんな支障があるかを冷静に回答すべきだろうと僕は考えた。
「なんら問題ありません」
「他の者で代わりがきくと言うことだね?」
「そうです」
「では、次の課長にはだれがいい?」
 この質問には驚いた。一瞬、聞き違いかと思ったくらいだ。
 こんなことをきかれたのは入社して以来初めてだった。僕に上司を選べと言うのか。いやまさかそんなことはないだろう。ただ参考までに聞かれただけかも知れない。
 僕が答えに迷っていると、久留米重役が続けた。
「吉田部長が君に任せるというのでね。今なら好きな課長を選ばせてやる。だれがいい?」
 そう久留米重役は言った。
 バリーのことはともかく、僕が次期課長を決められるというのはすごい話だ。
「即答は無理のようだね。それでは明日、考えを聞かせてくれ」
 僕は久留米重役にそう言われて、重役室を後にした。

 もしもバリーが失脚なら、重役はバリーの悪口の一つも言っただろう。それなのに個人的な感情やバリーの今後についてを世間話的に口にすることもせず、職務的なことのみを実行しようとしていた。
 と言うことはやはりバリーが出世したというとなのだろう。
 腹立たしくもあるし、会社の将来も気にかかる。
 そう思いながらも、「平社員の俺には関係ない」と考えてみたりもする。
 しかしそれがどうあれ、目先のことだけを考えれば、バリー岡田という最低の上司が目の前から消えてくれるだけでもありがたいと思えた。
 
 僕が考えた二つのケース。すなわち青柳常務に裏切られてバリーが失脚するケースと、青柳常務に守られてバリーが出世するケース。このどちらでもなかったことが、情報通の戸田さんによって明らかにされたのはその翌日だった。  
2003年1月17日 実録連載−バリー岡田の陰謀54。人事異動発表

「ヒラリーマン、知ってるか?」
 コーヒーを買おうと社内の自販機の前に立ったときに、後から戸田さんが話しかけてきた。
「何がですか?」
「役員人事だよ」
「いいえ知りません」
「相変わらず情報の遅い情報システム課員だな、おまえ」
 大きなお世話だ。
「で、どうなるんですか?」
「聞きたい?」
 喋りたいくせに!
  戸田さんは、僕がコーヒーを取り出したあと、自分も自販機にコインを入れてブラックコーヒーのボタンを押し、紙コップに自分のコーヒーがたまるのを待ってから、空いている応接室に僕を誘った。
「実はな、青柳常務がな・・・・・・」
「社長就任でしょ。そんなことは知ってますよ」
 そう言いながら応接室に入ると、僕も戸田さんも応接室のソファに座った。
「いや、それがちがうんだ」
「は?」
「青柳常務は、はずれた」
「はずれた?」
「権力の座からはずれたんだ。再来月には取締役を退任して監査役に就任だよ」
 そんなはずはない。そう思った。しかし、戸田さんはがガセネタを流したことは今まで一度もなかった。でもやはり、にわかには信じがたい話だった。
 監査役というのは会社の会計監査ならびに業務監査を任務とする重役だが、取締役ではない。この職は欧米では大変実権のある地位なのだが、日本では退任した取締役が最後の仕事として任ぜられることが多い。いわば重役の閑職だ。
 監査役が日本で閑職になっている最大の理由は、事実上監査役の人事権が社長にあるためだ。
 本来監査役は取締役の業務を中心に監査するのが仕事なので、社長をはじめとする取締役から見れば怖い存在であるはずだ。ところが監査する相手が自分の人事権を持っているのだから立場が弱いことこの上ない。
 その閑職監査役に社長になるはずの青柳常務がなるとは、いったいどういうことなのだろう。
「それじゃ、社長にはだれが?」
「続投だよ」
「社長が続投? だって、任期満了でしょ?」
「しかし、続投なんだな。社長は自分の任期を延ばすために、青柳常務を切り捨てたってわけだ」
「どういうことですか?」
 戸田さんの情報力はすごい。まるで役員室を盗聴しているかのように詳しい情報を持っているのだから不思議だ。
 社長はどうやら社長交代の話を切りだしたM社の村山専務を丸め込んだのだとういう。
 戸田さんの話ではこんな具合だったらしい。

 場所はM社の重役専用応接室。M社の村山専務と橋田社長が秘書の入れた高級コーヒーを飲みながら歓談していた。
「ご相談したいことがあります」
 そう呼び出されて橋田社長がM社に向かったのだが、要件はわかっていた。
「そろそろ、橋田社長も任期となりますねぇ」
 下手くそなゴルフ談義が一段落したあと、村山専務が切り出した。
「おお、これは村山専務、わたしに引導を渡す役をお引き受けになったのかな?」
「いやいやそう言うわけではありませんがね、内規というものもありますから、筆頭株主の当社としては任期満了に向けて、そろそろその辺の話をご相談しなくてはいけないと考えているところです」
 取締役は役員であって社員ではない。社員ではないとなると社員の就業規則は適用されないので、定年60才という規定にも該当しない。  しかし、だからといって重役は死ぬまで働くのかと言えばそうではない。確固たる規則ではないが、内規と呼ぶちょっとした原則的な約束事として、社長や重役の任期を決めているのだ。
 M社の村山専務取締役は当社の取締役も兼任している。つまり、当社から見れば株主としてもM社の代表なのだ。
「そうですか。私としても御社のおかげをもって社長職をやらせていただきましたが、そろそろ後進に道を譲りたいとは思っています。ですから私が退任することについては何にも未練などないのですが、今後の当社のことを考えると何かと心残りがありますなぁ」
 これは準備しておいた筋書き通りのセリフだった。予定通り、村山専務は反応してきた。
「ほう、それはどういうことでしょうか?」
 かかった。そう橋田社長は思った。
「青柳君のことです。彼は今常務取締役として活躍してもらってますし、ご存じにとおり頭脳明晰な男です。今私が辞めることになれば、次期社長には青柳君が就任することになるでしょう。経歴としても、年齢的にも適任だ。私には後任の指名権はないが、役員会としては御社に彼を推薦してくるでしょうし、御社としてはそれを覆す理由もないのではないですかな」
「そうですね。順当な人事ということでそうなると思います」
「しかし、正直なところM社は青柳君を望んではいないのではないですかな?」
「いえいえ、そんなこともありませんが・・・・・・歓迎というわけではないかもしれません」
「彼は強引な手法を好むところがある。もちろんそれでいい場面もあるし、そう言うやり方が好まれた時代もあったでしょう。しかしこれから先を考えると少々疑問です。あなたも今まで何度か彼とはぶつかっていて、やりづらさはお感じになっておられるはずだ。いえいえ、そんな話もどこからか入ってきてるんですよ」
「いやーそんな話が舞い込んでいるとは参りましたね。別に私は青柳さんを毛嫌いしているわけじゃないですが、確かにあの強引なやり方には閉口することがあります」
「当社もこれからは何かと大変な時期です。景気もいつになったら回復するのか不透明ですしね。御社からもいろいろと経営指導をいただいておりますが、青柳君などはなかなかそれに従わおうとはしないから、やきもきなさるでしょう」
「それでは誰が適任だと思いますか。今野常務はいかがですか?」
「今野さんは私の2才下ですからもう64です。年齢的に問題があるでしょう」
「しかし他に社長適任者はいますか?」
「能力的には久留米君や、そのほかにも何人か優秀なものがおります。しかし彼らはまだ取締役になったばかりですから、今すぐ社内の了解は取れにくいわけです。すくなくてもあと2年くらいはかかるでしょうね」
「なるほど。それではどうしたらよいとお考えですか、橋田社長?」
 これも期待した通りの質問だった。
「ずばり、村山専務に来ていただけないかと思っているのですが」
「え、わたしですか?」
「はい。村山さんなら経歴からしても年齢からしても丁度いい。しかもM社でもずば抜けた能力をお持ちだ。ここは一つ、リリーフで2年ばかり当社の社長をやっていただけませんか?」
「しかし、私は業種の違うところで今までやってましたから、そういうわけにも・・・・・・」
「いえいえ、村山さんの優れた判断力、統率力さえあれば業種など関係ないでしょう。業界特有の問題については私が会長でもなんでも適当な立場でもって補佐しますから」
 村山専務は4年後のM社社長候補ナンバー1だ。いま子会社に行けば本流からはずれてしまい、M社社長の候補でなくなるのだから、そんな話を受けるわけがないことくらいバカでもわかる。
 橋田社長は本気で誘っているのではなく、村山専務を持ち上げるためと、自分が経営陣に残りたいという心づもりをアピールしたのである。
 とうぜん村山専務は、「自分などはその任にありません」と固辞した。
「あ、そうか。いやいや失礼しました。そういえば村山さんはこれからM社を引っ張っていく大事なお体だった。それをすっかり忘れていました。とても当社に来ていただくわけにはいきませんね。しかし実際のところ、当社には今、社長職にふさわしい人材がおらんのです」
「2年後には社長候補は出せそうですか?」
 と、村山専務は橋田社長に尋ねた。やった、と橋田社長は思った。クリーンヒットだ。
「そうですなぁ。それと思われる人物を常務にあげておいて、業務としては社長補佐につけるなどすれば、次第に周りも彼を次期社長として認識するようになるでしょう」
「しかしその場合、青柳さんをどうします?」
「青柳君ももう60ですからね、監査役あたりに引いてもらってもおかしくはないでしょう」
「ちょっと早い気もしますが・・・・・・」
「御社にとっても好都合でしょう」
「まぁ、そこまでは言いませんが。では、その辺のところをもめることなくまとめることが可能でしょうか?」
 そう言われて橋田社長はしばらく考え込んだ。そして言った。
「青柳君を抑えられるのは私だけでしょう。不本意ではありますが、お任せいただけるのなら、綺麗に片づけますよ」
「わかりました。それでは橋田社長続投、青柳常務は監査役ということで、当社の方は根回ししてみましょう」
 こうして、橋田社長は自分のクビを2年つなげるために青柳常務を「いけにえ」に差し出したのである。
 戸田さんの話では、青柳常務だけじゃなく、今野常務も退任になるらしい。
「しかし戸田さん、ずいぶんと詳しいじゃないですか。まるでその話を聞いていたみたい。どうしてそんなに知っているんですか?」
「バカだなぁ、おまえ。今のセリフはだいたいの筋書きに合わせて俺が再現しただけだよ。そんな細かいやりとりまでわかるわけないだろ。要するに社長は自分からぶら下がっているザイールに青柳常務がつかまっているのを承知で、そのザイールをナイフでちょん切ったってことだ」
 なんだ想像か。情報力は大したものだと知っていたが、想像力までたくましいとは知らなかった。
 しかし、これで話はわかった。
 青柳常務が失脚となれば、バリーの後ろ盾はだれもいない。
 バリー直系の役員と言えば本来は久留米重役だ。青柳常務の力が及ばないのであれば、バリーの人事など久留米重役の思いのままということになる。
 だから青柳常務の失脚を知った久留米重役は、さっそくバリーを他の部署に出すことに決めたのだろう。
 席に戻ってみるとバリーがいつものようにご機嫌で鼻歌交じりの仕事をこなしていた。まだ何も知らないのだろう。

 バリーがそのことを知ったのはそれから2,3日後のことだった。
 情報システム課に遊びに来ていた他の課の社員が、話のついでに青柳常務の件を口にした。
 他の社員たちは「え、そうなの?」と、その情報に驚いているだけだったが、バリーは目を見開いて仰天していた。思った通りの反応だった。そして彼の顔色は見る見る青くなり、なにも言わずに青柳常務の部屋に飛んでいったのだ。
 青柳常務は当然自分の失脚を知っているはずだが、そのことをバリーには伝えていなかったのだろう。その気持ちはわからなくはない。
 青柳常務はすっかり自分が社長就任の内示を受けると思っていたのに、飛び出してきたのは監査役就任の話。だが彼はあれだけのタヌキだ。まだ逆転ホームランが打てるかも知れないと、親会社の役員たちの周りを飛び回って、あれこれと画策しているかも知れない。
 自分からバリーにそれを言うのだとしたら、それはすっかりあきらめてしまったときだろう。
 でもこれは、社長が親会社に根回しをした結果の内定だ。今更ひっくり返るとも思えなかった。
 しかし、課長代理止まりのはずだったバリーが青柳常務に次長までの切符を用意してもらったのだから、それであきらめはつくだろう。
 それにあの性格だ。また次の後ろ盾を求めてしっぽを振って、社内をうまくわたって行くに違いない。
 面白いのはつい最近からバリーの周りをウロウロし始めた課長代理クラスの人たちだった。
 青柳常務というバックがなくなったバリーが沈没するのか漂流するのか、それとも元気良く航海を続けるのかが読めないから、どうしていいのかわからない。そんな風だった。
 そしてその後、人事異動が発表された。
 青柳常務の失脚がもう少し早くわかっていれば結果は違っていたかも知れないが、少し遅かった。
 バリー岡田は総務部へ異動し、それと同時に次長に昇格することになった。そして僕の名前は異動者リストにはなく、情報システム課残留が決まった。
 情報システム課長人事は難航した。 「課長を指名しろ」と言われたものの、僕には心当たりがなかったので、「論理的な思考を持つ人」とだけ言ってみた。  しかし重役が「そんな奴はこの会社にいない」というので、その人事はすべて重役にお任せすることにした。  ところが、第一候補になったシステム運用課の安西課長代理が課長昇格の内示を受けた際に「早期退職制度による退職」を申し出たため、同じシステム運用課の北角課長代理が候補となった。
 しかし、北角課長代理は病気療養中のため、しばらくは課長不在で部長が課長業務を兼任することになった。
 これでバリー岡田の陰謀も一件落着。そう思っていた。
 まさか水面下で大波が準備されていたとは、このときは全く思いもしなかった。
 そして僕もその大波をかぶるうちの1人になるのだった。  

2003年1月20日 実録連載−バリー岡田の陰謀55。人の欲

 人間というのは欲が深いなぁ、とつくづく思った。一つの欲が満たされると、さらに欲が次から次ぎにでてくると言う感じだ。
 欲しいものを見つめているとき、あれさえ手に入ったらそれ以上のものはいらないと最初は思う。ところがそれが実際手に入れば、もっと上のものが欲しくなる。それも手にはいると、もっともっと上等のものが欲しくなる。
 人間というのはかくも欲深いし、そういう特性があるからこそ発展してきたのだろう。
 かつてバリーの部下だった静岡支店の丸尾次長が会議で本社に来たときに話をすることができた。
 丸尾次長はバリーが静岡支店の課長代理のときに、その部下の主任だったひとだ。
 そのころのバリーは自分も周りの人も課長代理止まりだと思っていたので、さして欲をむき出すようなことはなかったそうだ。部下を思いやり、楽しい職場の雰囲気を作る人だったという。
 バリーの部下たちは次第に彼を追い越して行ったが、それについても「あいつも偉くなってよかった」と温かい目で見ていたというのだ。
 青柳常務がバリーを可愛がるのは、おそらくそんな彼のイメージがあったからだろう。
 彼を変えてしまったのは、思わず降って湧いた課長の地位だった。
 ないと思っていた課長昇進が決まったとき、バリーは大変な喜びようだったという。そして彼が僕の上司になったときも、僕は彼を善人そのものに感じていた。
 ところが、彼は変わった。欲が芽をふいてしまったのだ。
 おそらくその原因となったのは、「部下育成」という彼に課せられた業務と、それへの勘違いだろう。
 課長は自分が仕事をするだけではなく、部下の育成が大きな職務となり、その成果も人事評価ポイントになっているほどだ。新任課長の彼に対して部長や重役は当たり前のように「主任のヒラリーマンを管理職にできるように育成しろ」と言った。
 ところが遅くに課長になったバリーは部下の昇進に対して以前のようにおおらかに考えることができなくなっていた。あたかも「早く部下に後進を譲って窓際に行きなさい」とでも言われたように受け取った彼は、自分の地位を守ろうと必死になってしまった。
 そして、「ヒラリーマンが課長代理になると自分が危ない。あいつを管理職にさえしなければ、自分は安全」という計算をしてしまったのかも知れない。
 丁度そのころ、彼の友人が社長を務めるダンピングシステムがバリーに接近してきた。彼らが接近してきたのは「友情」でもなんでもない。バリーが情報システム課長になったので、彼を利用しようと考えて「友だちだから」と接近してきただけに過ぎないだろう。
 しかしバリーはそこでも新たな欲を出してしまった。それはダンピングシステムで地位を得る可能性や、リベートをもらうことだ。この会社で課長職を守るよりも、ダンピングシステムでもっと高い地位を得た方がいいと考えたのかも知れない。
 ところが思いもかけず、バリーに次長、部長の可能性がでてきた。ここでまたバリーの欲は芽をふいたらしく、バリーは今まで見せなかったようなフットワークで動き始めた。
「次長までは行き着いたのだから、これで十分」
 今の彼はそう思えなかったらしい。
 次長への昇格が決まってからと言うもの、バリー岡田は青柳参りはぱったりとやめ、時期総務部担当重役である管野取締役におべっかを使い出した。
 普通はどんなおべっか野郎でも人事異動が完全に終わって自分の上司が替わってからするものだが、バリーはわき目もふらず管野重役の部屋を行き来している。
 そのことを青柳常務が極めて不快に思っているという話も小耳に挟んだし、久留米重役からは直接、「あさましいねぇ」という言葉を聞いた。
 しかし、バリーにとってみれば青柳常務はもう「終わった人」に過ぎないし、久留米重役は「自分の味方になりえない人。もうすぐ上司じゃなくなる人」なのだろう。
 面白いもので、こんなバリーを見て批判するのは偉い人だけなのだ。課長代理クラスはそのことについてあからさまに言ったりはしない。なぜなら、サラリーマンの世界ではバリーみたいな奴が出世してしまうことが往々にしてあると言うことを、知っているからだ。
 偉くなるかも知れない人の悪口はあとで自分に跳ね返ってくる。そんな可能性があるうちは、迂闊なことが言えない。これが彼らの考えだろう。
 よく、「言いたいことを言っていた元気のいい奴が、管理職になったとたんにおとなしくなる」という。
 それまでは全く関係のなかった社内の政治的な波に、管理職になったとたんに巻き込まれてその力の強さと仕組みを知ることになるからだ。
 管野重役ともうまく行っているのか、青柳常務失脚のショックから早くも立ち直ったバリーは大いに機嫌が良かった。
「送別会はすき焼きがいいなぁ、すき焼きが。あはははは!」
 誰もやるとは言ってないのに、勝手に送別会のメニューまで決めていた。
「鈴木さん、送別会に出る?」
 残業中、僕が鈴木SEに訊いた。
「ヒラリーマンさんは?」
「俺、その日都合が悪いんだよね。残念だけど欠席だ」
「あれ? 岡田課長の送別会の日取りって、もう決まってましたっけ?」
「ううん。まだ決まってないよ」
「へ?」
「決まってないけど、都合が悪いの」
「あはははは。じゃ、僕も腹が痛いです」
 あんな奴のために自腹で酒なんて飲めるもんか、というのが正直なところだ。しかしそれほど僕らも子供ではないので、実際には出席することになるだろう。
 青柳常務の失脚が決まって、バリーの転属が決まったのだから、当然ダンピングシステムの業務請負の話はなくなったものだと僕は思っていた。ところがそうではなかった。
 久しぶりに部長にお誘いを受けて、おでんをつつきながら話しているときに、その話題になった。
「相変わらず常務はダンピングシステムでやらせるつもりで進めてるんだよ」
 と、吉田部長は言った。
「政権交代なのにですか?」
「決まったとはいえ、青柳常務はまだ在職だぞ」
 たしかに、常務の交代はまだ先だった。
「でも、ダンピングシステムとべったりの岡田課長はもうすでに青柳常務を見限っているんですよ。それを常務もご存じで、ご立腹だと訊いています。だったら、ダンピングシステムの話も切ってしまおうと、常務はお考えにならないでしょうかね?」
 部長が顔の前に出した左手をひらりひらりと左右に振った。
「そりゃ違うよ。失脚が決まったからこそあの件は強引にでもやりたいんだよ。もともとあの件は常務が横車を押しただろ。それに久留米重役も押されていた。ところが自分が失脚したとたんにやり返されたら、男のメンツがないじゃないか」
 意地を張った子供みたいなはなしだ。
「それに、まだ内定だから、ひっくり返せると思っているのかも知れないな」
「常務の復権ですか。その可能性はあるんですか?」
「ないとは言えない。ひとつだけ手段がある」
「なんですか?」
「社長が死ぬか、スキャンダルを起こすかだな」
 確かに、次期社長が別に決まったわけでもないのだから、今社長が沈没したらまた青柳常務が復活することになるだろう。
「実際にそんな動きがあるんですか?」
「どうだろうなぁ。青柳常務が殺し屋を雇ったという話は今のところないなぁ」
 部長が冗談でそう言うと、おでん屋のおねえさんがギョッとしてこちらを見ていた。
「当たり前ですよ。時代劇のお家騒動じゃあるまいし」
 僕がそう言うと、部長が真面目な顔で言った。
「ところがな、スキャンダルの方はあるらしいぞ」
「え、ほんとですか?」
「久留米重役から聞いた話だがな、社長の続投が決まってから、M社の方に内部告発のようなことが再三あるらしい」
「どんな内容なんですか?」
「そこまでは聞けなかったけれど、事実かどうかの確認はあったらしい」
 今、M社にとって社長の失脚にはなんのメリットもない。そればらば、どんなスキャンダルが流れてもM社は表沙汰にはしないだろう。
「もし青柳常務が仕組んだことだとしたら、それは最後のあがきに過ぎないってことですね」
 と、僕が言った。
 そう言いながら僕は、「会社のナンバー2にまで上り詰めた人が、たかが平社員に『最後のあがき』などと言われてしまうなんて、サラリーマンの最後はいかに偉くなってつまらないものだなぁ」と思ってしまった。
 部長が言った通り、青柳常務とバリー岡田はなおもダンピングシステム採用で押し進めようとし、久留米重役と部長がそれに反対するという攻防が続けられていた。
 この稟議は吉田部長が起案者で合議が久留米重役、承認は社長なのだから簡単に通りそうなものなのだが、どうやら社長が「青柳常務にも相談をして・・・・・・」と久留米重役に指示しているらしい。
 社長としてみれば「青柳常務に一目をおいている」というポーズをつけて、青柳常務を陥れたようなイメージを払拭したいと思っているのだろう。
 結局のところこういう個人的なもくろみが余計な仕事を増やしている。
 しかも、バリーがダンピングシステムについて絡んでくるのは今回で終わりにはならないだろうと部長は言う。
 コンピューターの導入については我々情報システム部が主幹となるが、総務部も全く関係なくはない。
 システム的なことはこちらがやるが、購買の窓口は形式的に総務部がやっている。今まで彼らはシステムのことが全くわからなかったので、情報システム部が取り決めたことをそのまま実行しているだけだった。
 しかし今度はバリーが総務部次長になるのだから、そうはいかない。
 総務部は我々が申請した購買が適切なものかを判断する権限がある。
 おそらくバリーは「こっちの方が安いじゃないか」とことある毎にダンピングシステムを持ち出してくるに決まっている、と部長は言うのだ。
 これから先もあの男につき合うのかと思うと僕はうんざりした。

 あと数週間でバリー総務部次長に就任するというある日、昼ご飯を食べ終わったばかりのバリーに久留米重役から呼び出しの電話があった。
 もうすでに管野重役に宗旨替えしているバリーには怖くも何ともない相手だった。
 久留米重役にはもう、自分に対する人事権などない。バリーはそう高をくくっていた。しかし、実際にはあと数週間の間、バリーの人事権は久留米重役にあった。それを久留米重役が使わないと言う保証はどこにもなかったのだ。  

2003年1月21日 実録連載−バリー岡田の陰謀56。退職のすすめ

 久留米重役に呼びつけられたバリーは、呑気な顔で重役室に顔を出した。どうせ人事異動に関する事務的な話だろうと思っていたからだ。
「お呼びでしょうか?」
「うん。まぁ、そこに座って」
 久留米重役はパソコンに向かって仕事をしながら、バリーに座って待つように指示した。バリーは応接セットに座ると、改めて重役室の中を見回した。
 重役室にはいかにも高そうな執務デスク、本棚、サイドボード、そして応接セットがある。
 本棚にはあまり本がない。
 久留米重役は無類の読書家だが、読んだ本はすぐに誰かにあげてしまう。
「邪魔になるし、何度も読むほど記憶力が悪くないから」
 と言うのがその理由で、僕も何冊かいただいたことがある。
 本の代わりに書棚を占領しているのは、重役の趣味である山登りの最中に撮った写真だ。山の頂上から撮ったものや、登山仲間と一緒に写っている写真が所狭しと置かれている。
 この写真について久留米重役は、「これは写真を見たくて置いてるんじゃなくて、話題のない客が来たときに、話題を作る最終手段を提供するために置いてるんだ」と言っていた。
 久留米重役はそう言う細かい作戦を立てるのが好きな人なのだ。
 重役は窓を背にして座っているが、それ以外の3方の壁には絵が掛けられている。
 これらの絵はレンタルで、月ごとに業者が取り替えていく。久留米重役はこの絵をさして気にもしていないのだが、社長は気に入らない絵だと何度も取り替えさせるらしい。
 役員室ゾーンにつながる廊下に置かれている壺も同じくレンタルで、なんでも鑑定団が高値を付けるようなたぐいのものではないらしい。
「お待たせしました」
 重役がパソコンの手を止め、バリーが待つ応接セットに腰掛けた。バリーと対面する形だ。
「引継書はつくってますか、岡田課長?」
「いいえ、まだです。北角君か課長として来ると聞いてますけど、対面して引き継ぐ時間はないんですよね? すると引継書を書くのは難しいですねぇ」
「北角さんは決定したわけじゃないが、一応そう言う心づもりで人事部とは話してます。それで、どうして難しいの、引継書?」
「引継時間がないと言うことは、引継の説明まで含めて書かないといけないですからねぇ」
「読んだだけでわかるのが引継書です。それでもわかるものを書いてください」
「そうかも知れませんが・・・・・・どうせ社内にいるんですから、わからないことがあればある程度は聞きに来ればいいと言うベースで書いてもいいのではないですか?」
 そう言って、バリーは笑顔を作った。すると久留米重役は身を乗り出してバリーの顔をじっと見つめ、静かな声で言った。
「岡田課長。あなたがこのままこの会社にいられるという公算はかなり薄いんですよ」
 バリーの笑顔が消えた。
「どういう意味でしょうか」
「ダンピングシステムと、あなたの関係です。よりよい業者を選択するという会社の利益を考えた公正な業務を行っているとは思えない。つまり、意図的にダンピングシステムに便宜を図ろうとしている。これはね、背任行為と言って、懲戒処分の対象になる」
 またバリーが笑い顔を作ったが、今度は作り笑顔だ。
「そんなことしてませんよ。そりゃダンピングの社長は私の友人ですが、だからって有利な扱いをしているなんてことは・・・・・・」
「安い金額で提示させて仕事を出す。しかし、あとでその分は補填する、という約束をすることが便宜を図ったことにならないと思うの?」
 久留米重役はそういうと、鈴木SEが記録したバリーのメールのコピーをテーブルに置いた。
 バリーはそれを手にとって読み、そして読み終えたあとも、じっとその紙を見つめていた。
 しばらくの沈黙のあと、久留米重役が口を開いた。
「自分から辞める方が、無難だと思いますよ。今すぐならば、選択定年制ということにしてもいい」
 会社では今、一定の年齢にある人たちに対して選択定年制度というものを実施している。これは、対象年齢の人がその制度を選択して退職した場合、付加金をつけると言うもので、バリーの年齢はその範囲内にある。  いわゆるリストラのように背中を押すようなことはしないし、他の仕事に就ける人には有利なので、何人かの人がこれを使っていた。安西課長代理もこの制度を利用して辞めたのだ。
 自分から辞めれば退職金は出る。しかも今辞めれば選択定年制度を選択したということにして、退職付加金がもらえる。
 もし辞めなければ役員会にかけて、諭旨免職となるだろう。これは自分から辞めなければ会社から解雇する、という内容を通知するもので、選択定年制度を利用したことにはならないので、辞めても付加金がもらえない。そして、会社から解雇を通告する場合懲戒免職となり、退職金はでない。
 久留米重役としては、バリーにもっとも有利な退職を勧めたのだ。
 あと少しすれば次長に昇格。そして次は部長を狙う。すっかりその気だったバリーに「会社を辞めろ」と重役が迫ってきた。バリーはまさに天国から地獄に転落した気分だった。
 しかし、それですぐ根を上げるバリーでもなかった。  

2003年1月22日 実録連載−バリー岡田の陰謀57。決戦

 バリーは久留米重役に退職を勧告された。
 予期せぬ出来事に驚愕しながらも、バリーは自分の身を守ろうと、色々なことを考えた。
 自分がやったこと。その正当性を主張できる可能性。ダメだった場合の逃げ道。ダンピングシステムが自分に何をしてくれるか。青柳常務の力。次長昇格はどうなるのか。そして家族のこと。様々なことが頭の中でミックスされていった。
 それらを瞬時に整理することも、理路整然とした結論を出すこともできなかっただろう。しかし彼は、一つの突破口を見つけると口を開いた。
「青柳常務は納得されてますか?」
 バリーは自分が見限ったはずの青柳常務を引っ張り出した。
 ダンピングシステム採用の件は、青柳常務と話し合うように社長が久留米重役に指示していることをバリーは思い出した。だから、ダンピングシステムに絡んだ話となれば、青柳常務がまだ盾になるかもしれない。
「いいや、青柳常務とはまだだ。しかし、あなたの不正を知ったら青柳常務も承諾なさるだろう」
 以前、この不正の件を青柳常務に突きつけたとき、常務は平然とそれをもみ消した。大タヌキの青柳常務ならばそれは可能だとしても、小物のバリー岡田はすぐに落ちるだろう。これが久留米重役の読みだ。
 青柳常務はバリーに話すつもりもないと言っていた。
 バリーは再度、頭をフル回転して答えを探した。
 突然不正を指摘され、退職を勧告されたのだから、頭の中は真っ白だったに違いない。しかしその中でなんとか自分の身を守ろうと、本能とも言える力を振り絞って、バリーは考えた。
 そして、長い沈黙の中で、バリーは答えを見つけた。
 バリーは深呼吸して背もたれに体重を預けると、何かを吹っ切ったようにいつもの調子で喋り始めた。それはなぜか余裕を見せるかのような態度だった。
「まーあのー、そのメールだけをとればそう見えますけど。そういう1通のメールだけを切り抜いてすべてを計られては困まるんですねー。交渉の中にはそういう泥臭い話も出てきますよ。現場ってのはそういうもんです。青柳常務は現場をよくご存じだから、そのことについて特に問題にされなかったんでしょう。私が金を受け取ったとかそういうことがあるわけじゃなし、これはあくまで会社の利益のための交渉過程の一部ですよ」
 こいつは知っていたのか、と久留米重役は慌てた。
 バリーの余裕は、エリート街道まっしぐらで現場を知らない久留米重役にたっぷり嫌味を込めるほどのものだった。
 久留米重役の読みがはずれていたのだ。
 確かに青柳常務はあのとき、久留米重役が伝えたバリーの不正疑惑をバリーには話さなかった。ところがその後、青柳常務は自分を見限ったバリー岡田に腹を立て、「おまえの不正を否定してやったんだぞ」と恩を着せがましくこのいきさつを話していたのだ。
 青柳常務が一度握りつぶしたとなると、今度も握りつぶす可能性が高い。いまさら「あれは不正だ」と言ってしまうと、前回は不正と知りながら握りつぶしたのだと自ら証明することになるからだ。
「あんな程度は不正の証拠とは判断できない」
 この線で突っ走るしかなくなるはずだ。
 そうなれば、青柳常務に多少の後ろめたさを感じている社長もこれに賛同するかも知れない。そうであれば逃げ切ることができる。バリーはそう計算して、徹底的に否定する手段をとることに決めた。
 青柳常務が握りつぶしたことをバリーが知っているとわかった今、久留米重役は打つ手を失っていた。
 それでもあきらめずに久留米重役はバリーを説得したが、バリーの態度は硬化する一方だった。
 しばらく押し問答が続いたが、バリーが「そんな濡れ衣を押しつけるんだったら、法律に訴えてもいいんだ」と息巻いたのを見て、さすがの重役もバリーの辞職を断念せざるをえなかった。
 肩を落とす久留米重役。
 そしてバリーはそんな久留米重役を見て、してやったりとほくそ笑んだのだった。

 情報システム課長の席に座っているバリーを見たのはこの日が最後だった。
 翌日から約2週間にわたり、バリーは監査課が用意した会議室にこもりっきりとなり、そしてその後、バリーは会社を去った。
 僕がバリーを最後に見たのは、バリーがすっかり帰り支度を整えて、エレベーターホールに向かっているときだった。
 彼は暗い顔で足下を見つめて歩いていた。僕に気がつきはしたが、彼は何も言わなかった。  

2003年1月23日 実録連載−バリー岡田の陰謀58。最後の人事発令

 今後の仕事の進め方を決めるために、僕と部長は重役室にいた。
 去年、経費節減のために会議室エリアを縮小してからは、重役と一緒の打合せはもっぱら重役室の打合せテーブルで行うことが多かった。
「どうして岡田課長に、重役の本音を話さなかったんですか?」
 世間話がとぎれたところを見計らって、僕は重役にそう尋ねた。
 だいたいはわかってはいるが、どうしても久留米重役に直に確認してみたかった。
 重役は意外にも、何もためらうことなくあっさりと話してくれた。
「話してしまおうかと何度も思ったんだけれどね、2つの理由でそれはしなかった」
「2つ、ですか?」
「そう。まず、彼にそれを話してしまえば、私がそれを知っているのだと認めたことになる。知らないことになっているからこそ見逃せる。知っていると表明したら見逃せない。そう言うこともあるんだよ」
「立場、ですね。もう一つはなんですか?」
「もう一つは岡田課長の異常さだよ。彼を見逃すことは、厳密に言えば不正だ。岡田課長はあの頃、異常と思える行動が絶えなかったから、何をするかわからない。自分を救おうとしている人間にも牙を剥きかねない状況だった。まぁ、どっちもいわば私の保身じゃないかと言われるかもしれないが、それは否定しないよ。私にも家族はいるのでね。しかし、岡田君にも家族がいるから、なかなか思い切れなかった」
「それはわかります」
「岡田課長が退職したあとなら、あの件が公になっても問題にならなかったんでしょうか?」
「ああ、そうだ。会社に多大な損害を与えたというのなら、会社にいようが辞めようが追求するだろう。しかし、社員として許せない行動でも、社員じゃなければわざわざ追求はしない。今回のはそれだな」
 そう言えば、知り合いが勤める会社で3000万円の横領をした女子社員がいたが、彼女は懲戒免職になり、3000万円を取り上げられただけで、業務上横領という刑事責任は全く問われなかった。会社がもみ消したのだ。
 会社は損害を取り返すために訴えることがあっても、正義のために訴えると言うことはしない。そんな労力をかける方がよっぽど損害になるからだ。
 会社がそれをするのは、それがマスコミの手によって世間に公にされたときだけなのである。

 バリーが「勝った」と思ったそのとき、バリーの円満退職をあきらめた久留米重役はバリーをそのまま待たせて、経理部の角野課長を電話で呼んだ。
「お待たせしました」
 角野課長が重役室に入ると、久留米重役は何かを目で合図した。
 角野課長がバリーの目の前に書類を並べ始めた。それは、会議費と交際費の伝票で、それらの伝票に添付された領収書は、すべて同じ店のものだった。
「言わなくてもわかるよね?」
 バリーは答えなかった。
 久留米重役はバリーに説明するよう角野課長に命じた。
「この伝票はAM監査法人に、会議費ではなく交際費だ、と指摘されたものです」
 角野課長がそう言うと、バリーが顔を上げた。意味がわからなかったのだろう。
「先日、外部監査がありました。毎年定期的にやっている監査です。そのとき監査員がその伝票を持って、飲食した人数を店に確認しに行ったんです。もちろん全部じゃありません。本の数枚をランダムにピックアップしました」
 会議費は経費として認められるが交際費は違う。本当は交際費なのに、会議費として処理してしまう人がいるので、それがないかどうかをチェックするのだ。1人あたりの金額が多かったり、飲食の内容が酒中心だったりすると交際費と判断できるからだ。
「領収書には番号がありますから、店側の帳簿とつき合わせると、来店人数や飲食の内容がわかります。思った通り、会議費伝票でありながら、実態は交際費である伝票があると指摘されました。あなたが作成した伝票の何枚かもそれだった」
「それなら交際費にしろと指導されるだけじゃないんですか? そんな程度のことで、俺を叱責するのか?」
 と、バリーがほっとしたような顔で言った。
「いいえ。それはこの際大した問題じゃないんです」
 角野課長がそう言うと、またバリーの表情が険しくなった。
「調査した領収書の中に、これがありました」
 角野課長が指さした領収書も、同じ店のものだった。そしてその領収書を添付した伝票の作成者はバリーだった。
「この領収書を店に見せたところ、店主はこう言いました。『これはうちのものじゃない』と。さっきの領収書と比べてみてください。この領収書には店で決めているのとは全く違う整理番号が書かれていますし、よく見ると印刷されている文字の大きさや間隔もちょっと違います」
 バリーの表情がさらに硬くなった。
「これはつまり、偽物です」
「え?」
 バリーが驚きの声を上げた。
「驚くことはないでしょう。この偽領収書は岡田課長、あなたが伝票に添付したものだよ」
 久留米重役がそう言うと、バリーは声を荒げて言った。
「そんなはずはない。それは、それはきっと、それは店が何かの意図でそう言うものを作ったとか、印刷所を変えたからちょっと違うとか、とにかく俺は店からもらった領収書を使っただけのことだ」
「それではお店が偽の領収書を出しているというのですか。なんのために?」
 角野課長が言った。
「それは、店が脱税とか・・・・・・そんなの俺の知ったことじゃない!」
「そうですか。でも店が作ったはずはないんですよ。店が偽の領収書を作りたかったら、用紙は本物を使って、通し番号だけ変えるとかすればいいでしょう。わざわざ本物そっくりの偽ものを作る必要はない」
「そんなこと俺は知らんよ」
 バリーは角野課長に強気でそう言った。そして自分自身の中で、「そうだ、これは店が出したもので俺は知らない。きっと何か店に事情があったんだ」と自分自身に言い聞かさせた。自分の中で本気でそう信じようとしていた。しかし、どう思いこもうとしても事実は変わらない。
「岡田さんが発行した伝票は他にも見せていただきました。去年、検収印を作って、その作成代の2,500円を経費で落としてますよね」
「それになんの問題があるんだよ。会社で使う印なんだから、経費で問題ないじゃないか」
「問題ないですよ」
「じゃ、なんなんだよ!」
「その購入先は、横浜の芳本堂印刷店となっていました」
 バリーがすっと顔を上げた。
「岡田課長のご自宅への帰り道にある印刷店ですね。そこに私、行ってきました。もしかして・・・・・・と思ったものですから」
 バリーは黙っていた。
「この領収書、そのとき一緒に作ったんですね。経費で落としたのは検収印だけだったけれど、ついでに領収書と領収印も注文しましたね。店に残っている注文書を見せていただきましたよ」
 しばらく沈黙が続いた。
 しばらくして、言葉を失っているバリーの前に久留米重役がかがみ込んで言った。
「それでも岡田さんが身に覚えがない、と言うのなら、店の不正だと言うのなら、税務署と警察まで巻き込んで真相を明らかにしましょうか。しかし、やっぱり岡田課長の仕業だったとなれば、業務上横領、私文書偽造だ。そうなったら君は刑務所行きだよ、岡田さん」
 この一言で、バリーは領収書の偽造を認めた。

 バリーは偽造した領収書で会議費や交際費を立て替えたように見せかけて、小遣いをせしめていたのだ。これらの領収書をつけて経理課に出せば、会社は建て替えた金を自分の口座に振り込んでくれる。
 しかし、バリーは横領だとは認めなかった。不正な手段で会社から現金を引き出したことは認めたが、金はあくまでも業務に使用したと主張した。
 もちろん具体的な使い道を聞かれても答えようがなく、「覚えていません」としか言えなかった。
 横領額はせいぜい30万円程度だというから、横領にしてはかわいいものだ。確かに退職後に発覚したのなら、うやむやに終わったことだろう。
 以前、重役が鈴木SEにバリーと酒を飲んだかどうかを確認したのも、伝票に記載された飲食が実際にあったのか全く架空のものだったのかを確かめるためだった。
 これが全く社外の取引先だったらとても確かめることなどできないが、鈴木SEになら確かめても差し支えないと重役は考えた。
 もっとも、訊かれた鈴木SEは自分が岡田派だと疑われたものだと勘違いして、大いにショックを受けていたが。
 久留米重役がバリーを辞職させたかったのは、久留米重役がバリーが犯した、もっと悪質な別の不正をすでに掴んでいたからだった。それが公になる前に辞めさせた方が、バリーにとっては明らかに有利だ。
 だから久留米重役はバリーにそのことを知っているとは言わずに、うまく辞めさせたいと頑張った。
 もちろん、部下の不祥事によって責任を追及されたくないと言う心理が久留米重役に全くなかったとは思えない。しかし、それよりも上司としての部下への思いやりの方を僕は強く感じ取ることができた。
 しかしバリーはそんな重役の心づもりも知らずに、躍起になって抵抗した。それがかえって最悪の引導を受け取ることになってしまったのだ。
 この事件の全容は当然役員会でも報告され、バリーの処分が検討された。
 久留米重役は、金額も小さいのでその点を考慮すべきだ、と主張した。しかし社長は、外部監査で見つかったなんて大恥だ、と激怒した。
 バリーは総務部次長への昇格となる日を目前にしたある日。僕と廊下ですれ違ったあの日。あの日を最後に二度と会社には来なかった。
 そしてその日の昼過ぎに、「社外からの質問に対しては、私事都合による自主退職と回答するようにしてください」と注意書きのついた文章で、バリーの懲戒免職が掲示された。
 これがバリーにとって、次長昇格に代わる、最後の人事発令となった。(つづく)  

2003年1月24日 実録連載−バリー岡田の陰謀59。エピローグ

 会社に入って17年。僕は始めて身近で懲戒免職というものを見た。子会社の社員が数人懲戒免職になったことがあるのは知っていたが、よく知っている人の処分であったので、驚きを隠せなかった。
 今考えてみれば、横領した金で一度飲ませてもらった覚えがある。
 いや、金に色は付いていないから、あれは横領の金とは限らないけれど・・・・・・。
 もとは僕とバリーのバトルから始まった騒動だった。僕なりに彼に立ち向かって自分のやりたいことを通してきたつもりだったが、最終的には重役まで巻き込む騒動になって、残念ながらというのか幸いというのか、その決戦は僕の手を放れて、重役にバトンタッチされた。
 しかし、そうなったからと言って、この騒動の火の粉がそれから全く僕に降りかからなかったわけではない。それどころか、後に大変なことになってしまった。
 北角課長代理の病気療養を待って、3ヶ月間は部長が情報システム課長を兼任することになったが、それは形だけのことで、実際に部長がその任を全うすることは時間的に不可能だった。
 そしてそれを補うために僕に下った業務命令は、
「3ヶ月間、おまえが課長代行をやれ」
 と言うものだった。
 僕は主任だから当然管理職ではない。それなのに課長代行をやるというのは前代未聞の話だ。
 我が社では課長とか部長という職位とは別に、管理職資格という資格がある。管理職資格を持っていないと課長代理から上の職位にはつけない。
 逆に、課長の職を失っても、管理職であることには変わらない。いわゆる無職位の管理職も実際にいて、こういう人たちを「窓際族」と呼ぶ。
 管理職資格を得るとその時点で「会社側の人間」ということになり、はじめて人事管理を行う権限が生まれる。
 勤怠管理をしたり、業務成績をつけたり、承認する権限だ。つまり、、管理職でないならこれらの権限はない。だから、主任の僕が課長の代行をするということは、非常に矛盾しているのである。
 課長代行になったら「課長代行」という名刺をもらえるのかと思って期待していたのだが、肩書きは「主任」のままだった。
 僕が発する業務命令に対して、後輩や3つ年上の清水主任たちは従ってくれたが、最年長の通称「ミッキー」だけは憮然とした態度をとっていた。
「どうして課長補佐のおれが代行じゃないんだよ!」
 と他で文句を言っていたらしいのだが、ミッキーは自分の意見に反対されると突然絶叫しながら暴れ出すという特性を持ったおじさんで、社内外でもめ事の絶えない人だったから、部長はとても彼に任せることができなかったのだろう。
 僕は今までは担当者として好きなことをしていれば良かったのだが、課長代行になったとたんにあちこちに降って湧いてくる問題を整理し、課員に振り分けたり監督したりしなくてはならなかった。
 もっとも痛かったのは、業務の引継が全く受けられなかったと言うことだ。残っているのはたった3枚のメモだけだった。

 苦闘の2ヶ月が過ぎたころ、僕は久留米重役から呼び出された。来月の人事についてと言うことだった。
「君も知っての通り、来月、管理職の人事異動がある。少数だが一般社員もだ。2ヶ月間課長代行をしてもらってご苦労だったが、いよいよ来月から新しい課長が来ることとなった」
 これを聞いて僕はほっとした。課長職はそれなりに楽しかったけれど、大変でもあった。大問題でも持ち上がらないうちに早く本物の課長にバトンタッチしたいと思っていた。
「この課長人事には全く手を焼いた。なにしろ北角課長代理も安西課長代理も突然いなくなっちゃったから、候補が減っちゃってなぁ」
 一瞬耳を疑った。
「あの、北角さんは?」
 北角さんが課長に就任する予定だったはずだ。
「実はね、彼は病気療養のため、退職することになってね」
 と、部長が言った。
 なんてこった。
 こうなると数年前まで情報システム課にいて現在財務課にいる宮崎課長代理が濃厚だ。彼も以前、北角さんと一緒に候補に上がったからだ。
「では、宮崎さんでしょうか?」
「まぁ、宮崎君もどうかと思ったんだがね、ヒラリーマンの希望に合わない」
「え、なんですかそれ?」
「君、論理的な思考をする人がいいって言ったじゃないか。宮崎君はぜんぜん論理的じゃないだろう」
 そう言われてみればそうだった。しかし、あの希望がいまだに生きているとは思わなかった。
「それで、誰になったんですか、久留米重役?」
「あのな」
「はい」
「悪いんだがな」
「はい」
「ヒラリーマン・・・・・・」
「だからなんですか。早く言ってくださいよ」
「それがな」
「ええ」
「おまえが課長だ」
 ぎょえーーーーーーーっ!

 翌月僕は人事委員会で管理職資格を認められ、役員会では意外にも全会一致で情報システム課長への就任が承認された。
 課長補佐、課長代理を飛び越した前代未聞の三階級特進に宮崎課長代理やミッキー課長補佐は「棚からぼた餅」「情報システム課もこれで終わりだ」とさんざん嫌味を言ってきたが、久留米重役や部長は、
「君に課長代行をやらせてみたら見事にその職をこなしていたので、君は優秀だと気がついたんだ」
 と褒めてくれ・・・・・・ると思ったのだが、「他に誰もいなかったからしょうがない」という説明を社内に振りまいていた。

 その後、情報システム課は以前のような明るく楽しい職場に戻ることができた。
 鈴木SEはそのまま会社に残り、ホストコンピューターリプレイスの仕事に邁進しているが、なぜか僕を「課長」と呼ぶときに口ごもる。
 バリーと一緒に僕を無視していた坂田君はまるで別人のようにすり寄って来るようになった。魂胆は見え見えだが、それが彼の生き様なら仕方がない。
 矢田君は相変わらず喋る内容の半分が冗談で、毎日笑いを振りまいている。彼は僕以上に出世する気がないのだが、実力はピカイチだ。
 ミッキーはまるで仕事をする気もなく、最近では作家を目指して毎日出社から退社まで小説を書いているが、内容を保存したフロッピーを毎日もって帰るため、詳細は不明。目撃者の証言によると、時代劇小説らしい。その取材のために会社の電話で役所やら資料館に電話をかけまくっていて仕事は一切しないが、彼の年収は1千万円を突破している。
 そして他のメンバーたちは何事もなかったかのように以前と全く変わらぬそぶりで働いている。
 かくして僕は、そんな人たちに囲まれながら、17年にわたるヒラリーマン生活を返上し、カチョリーマン生活に突入したが、残業代がなくなったため収入はダウンした。
 なお、ダンピングシステムは当社に出入り禁止となり、今後すべての取引はなくなった。
 そして懲戒免職になったバリー岡田だが、これは本人の挨拶をお読みください。
 それではみなさん、長い間のアクセスありがとうございました。

(バリー岡田挨拶)
 まぁーあのーーっ。去年の春から主役を務めてきましたバリー岡田です。あ、どもどもども。
 まぁーあのー、今回こう言うことで私の陰毛・・・・・・じゃなくて陰謀についての話は終わってしまいましたけれど、まぁーあのー、私にとっても激動と言いますか、刺激的と言いますか、はたまたあれこれと反省する月日を過ごしてきました。
 まぁーあのー、とにもかくにもみなさまの暖かいご支援を頂戴しまして本日まで主役を務めさせていただいたことにまずは感謝いたします。
 まぁーあのー、情報システム課の課長ということで昔やっていた仕事をまたやらせていただくというか、課長になれると言うことで舞い上がったわけですが、まぁーあのー、何しろ年齢が年齢だったのでこれは最後の花道なんだろうなと最初は納得していたわけです。
 まぁーあのー、しかし情報システム課に入ってみたら、私としては生まれて初めて業者の人間にぺこぺこされるという快感の日々が待っていたという驚きのワンダーランドだったわけで、まぁーあのー、こんな素敵な職場と立場はないので独り占めしたいと思いました。業者の人たちはこの私にぺこぺこするし、SEの鈴木なんぞはちょっと脅せばビビるし、まぁーあのー、こういう権力行使の快感とでも言いますか、これに魅了されてしまったわけです。
 まぁーあのー、ところが部下にヒラリーマンというふざけた奴がいまして、こいつがデカイ面して好きなこと言ってるわけで、おまけに部長がこいつを不思議にも買ってまして、管理職に押し上げろとか抜かしやがって、これはヤバイと思ったのであります。
 まぁーあのー、もしもヒラリーマンが課長代理になると私の楽しい課長職権のいくらかは課長代理に委譲しなくてはならなくなるわけで、まぁーあのー、それはつまり私の楽しみが削られていくということで、それはヒラリーマンが私の楽しみをどんどん浸食していることに他ならないと言いますか、いずれは課長職そのものを奪われるという危機感を感じ、そこに嫌悪と恨みの念を抱いたわけです。
 まぁーあのー、とにかくこいつをたたき落とさないといけないのだと、私の中の悪魔がささやきまして、あれやこれやと画策をしていったのでありました。
 まぁーあのー、ところが部長も重役もヒラリーマンの奴に肩入れするもので、これはどうも私に分がないかなと思ったわけです。
 まぁーあのー、それなら必死に課長職を死守するよりも、ダンピングシステムに仕事をどんどん出すという実績を得て、ダンピングシステムでそれなりの地位を約束してもらう方が得じゃないかと思って、ダンピングの社長ともその約束を取り交わしてそういう作戦に転じたわけです。
 ところが今度は次長だの部長だのという話がでてきて、まぁーあのー、正直私の心は揺れたわけです。
 まぁーあのー最終的にはそのー、うちのウサギがですね、目が腫れたと思ったらそのまま顔面の左の方が腐ってくると言う奇病に見舞われまして、その治療代を稼ぐためにちょっと領収書を作ってみたりしたのがばれちゃいまして・・・・・・。まぁーあのーそりゃ確かに一部は飲んじゃったりギャンブルしたりにも使いましたけれど、まぁーあのー自信を持って言えることは、女には使ってないと言うことなのであります。
 まぁーあのー、とにかく私のウサギの命がかかっているにもかかわらず、会社は無慈悲にも私を懲戒免職にするという暴挙にでたわけです! おかげでうちのウサギは先月、3年2ヶ月の短い生涯をとじました。顔の半分は腐ってるし、食うこともできない!
 まぁーあのーそんなわけで現在私は会社のあの処分を不服として、懲戒免職取り消しと退職金の支払い及び損害賠償の請求ということで、会社を相手に裁判を起こしているところでございます。
 裁判の行方は今のところわかりませんが、まぁーあのー、弁護士の野郎は「多分負ける」なんて言いやがって、てめー! 弁護士替えてやる! とか思いつつも金がない。
 ああ、こんなことならもっとたくさん横領しとけば良かった・・・・・・なんて思っている今日この頃です。
 ではみなさん。まぁーあのー、機会があったらまた会いましょう。ではさようなら。
 やいヒラリーマン。ばーか!(完)